第18話


 それは死を纏う者。

 ソレが立つ周囲の草木は枯れ落ち二度と芽吹くことは無い。それはまさに滅びと死を体現した存在。

 その闇に今一人の少女が対峙していた。

 少女の美しき造形は神に愛された神話の聖女のように、一点の穢れも無い清らかな乙女そのものにすら見えた。

 光と闇の対比。

 それはまさに希望と絶望を司る神々たちの戦い。詩篇に歌われる一節を現したかのようなどこか現実離れした光景が広がっていた。


 エレナが穢れし殉職者に駆けるのを合図にレティシアが、シェルンが、そしてヴォルフガングたち砂塵の大鷲の面々が穢れし殉職者の側面、後方へと大きく散開する。

 双剣を構え駆けるエレナの肌にピリピリと焼け付くような絡みつくような不快な圧力が纏わり付く。

 その感覚をエレナは良く知っている。穢れし殉職者の……奴の間合いに入ったことを知らせる危険信号の様なものだ。

 不意にエレナは身を捻り横にステップを踏む。瞬間エレナがいた空間に死神の鎌が通り抜ける。標的を逸らしたその鎌は地面を大きく削り取りながら振り切られ手元へと戻って行く。

 穢れし殉職者の老人のように痩せた枯れ木のような細い腕から、予備動作すらない、ただ振られただけの鎌の威力と速度はエレナの双剣すら上回っていた。

 返った鎌が再度エレナへと振り下ろされる。エレナの速度をもっても懐に踏み込み切れない恐ろしい程の返しの速さであった。

 横に払われた鎌を後ろへと避けようと身を動かすが、その刃先が僅かに自分の体に掠るのを鎌の軌道から察し右手の長剣でその刃先を受ける。

 今のエレナの細腕では到底受けきれないその死神の鎌を高度な体重移動によって受け流す。鎌の湾曲した刀身をエレナの長剣が滑るように流れその力を地面へと逸らす。それはレティシアとの立ち合いで見せたエレナがもつ高度な技術の一つであった。

 穢れし殉職者は息すらつけぬ程の速度でその鎌を繰り出していく。だがエレナはその鎌を次々と受け流していった。

 エレナの先読みの技術と軌道を完全に読み切る慧眼をもってしても避け切れない穢れし殉職者の鎌は、人間の常識を逸脱し理不尽さすら感じさせる凶刃ではあったが、その鎌を五感全てを研ぎ澄まし受け流して行くエレナもまた人の領域を踏み越えた存在にすら思える程の立ち回りであった。

 だが今だエレナは双剣の間合いにすら詰み切れず防戦を強いられている。それがこの魔物、穢れし殉職者の力の一端を如実に現していこともまた間違いない。

 息の詰まるようなエレナと穢れし殉職者の攻防を尻目に、レティシアたちは追撃の機会を伺うが、中々穢れし殉職者の間合いに踏み込めずにいる。

 エレナが注意を引き付けているとはいえ、踏み込めば標的となる可能性が高い。だがどうしてもあの鎌を自分たちが到底受けきれるとは思えないのだ。その為にどうしても二の足を踏んでしまう。


 (このままではエレナが……)


 レティシアで無くともエレナが身を……いや魂すらすり減らしあの死神の鎌を受け続けていることはわかる。そしてそれが決して長く持つ筈がないことも……。

 レティシアは覚悟を決め槍を持つ手に力を込める。

 だが先に動いたのは砂塵の大鷲の男であった。穢れし殉職者がエレナへと鎌を振るう瞬間を見計らいその間合いへと一気に踏み込む。

 刹那、空気が震える。それはまさに死を運ぶ風の様に。

 エレナへと振り下ろされ鎌は軌道を変え男を一閃する。身一つ向ける事無く無造作に払われた鎌は男が持つ鉄の槍を容易く切断しそのまま男の首を刎ねた。

 男はその首から夥しい血を撒き散らしながらその場に力無く崩れ落ちる。地面を転がる男の頭部。その顔は恐らく何が起きたかすら理解できないまま絶命したのだろう、酷く冷静な表情を貼り付けたままであった。それが余計にレティシアたちの恐怖を誘う。


 エレナは肩で息をしながら穢れし殉職者を睨みつける。


 (このままでは何も出来ず全滅を待つだけだ)


 双剣の届かないこの間合いでは穢れし殉職者の自分以外への攻撃を牽制することが出来ない。レティシアたちが無理に仕掛ければまた彼の二の舞に為ってしまう。

 エレナは左右に構える双剣を下段へと下ろしその腕を交差させる。

 それはエレナが全力で繰り出す最速の剣、二撃終殺の極限へと到る構え。

 そのエレナの構えをまるで意に介さぬように穢れし殉職者はその凶刃をエレナへと振るう。

 瞬間エレナは地を蹴った。

 舞うように螺旋を描くエレナの肢体を追うように凶刃が迫る。その姿を鎌が捉える刹那、まるでその体を透過したかのように鎌がすり抜ける。

 視覚では捉えきれない程の死神の鎌を、極限まで研ぎ澄まされたエレナの五感が僅かに上回る。

 最小の動作でその鎌をかわした少女の美しい黒い瞳が穢れし殉職者を眼前に写す。

 エレナの両手から放たれた双剣は陽光を反射し星の煌きが如き残滓を残し穢れし殉職者へと迫る。

 その長剣が穢れし殉職者の首筋を捉えた――――かに見えた。

 だが双剣は首筋に届く寸前で穢れし殉職者の左手と右手に持つ鎌の柄で防がれる。長剣を止めた左手は中指の付け根から手首に掛けて大きく裂けどす黒い血の様な液体を噴霧のように散らす。

 これまでどんな魔物の身体をも容易く切断してきたエレナの双剣が止められた。

 だがエレナは穢れし殉職者の暗き闇を映す眼窩を睨み不敵に笑った。


 「調子に乗るなよ、この化け物が」


 エレナの呟きと共に獣のような咆哮が轟く。

 瞬間、凄まじい激突音と共に穢れし殉職者の身体が歪に折れ曲がり弾き飛ばされる。側面から撃ち込まれたヴォルフガングの大剣が無防備な穢れし殉職者の腹部を完全に捉えていた。

 ヴォルフガングして渾身の力を込めた完璧な一撃であった。

 荒い息を付き珠のような汗がエレナの額に浮かぶ。だがエレナもヴォルフガングもまた、動かぬ穢れし殉職者からその視線を離さない。

 砂塵の大鷲の男たちからは既に大歓声が沸き起こっている。魔物も生物である以上、あれ程の一撃をまともに受けて無事なわけが無い。そう少なくとも彼らの認識では……だ。


 カタカタカタカタカタカタ。


 彼らの歓声に紛れて何かが合わさるような乾いた音が周囲に鳴り響く。

 そして重力を無視したように穢れし殉職者はゆらりと立ち上がった。

 鳴り止む歓声。乾いた異音だけが周囲に鳴り響く。

 そしてその音の正体に男たちが気づくと恐怖にその顔を引き攣らせる。

 此方を向く穢れし殉職者の口元、その歯が打ち鳴らされ乾いた音を立てていた。

 闇を宿す眼窩に骨と皮だけの痩せ細った青白い容貌。感情すら読み取れぬその口元だけが不気味な音を奏で続けている。

 エレナたちにはその行為が何を意味するか直ぐに理解できた。

 陰湿な暗い気配。それが現すものは嘲笑。穢れし殉職者はエレナたちの抵抗を嘲笑っているのだ。

 穢れし殉職者は右手の鎌をゆっくりと持ち上げ、エレナたちに再びその鎌首をもたげるのであった。

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