第17話


 ロメルは自分が置かれている状況を理解出来ずただ立ち尽くしていた。

 確かに今も空には赤い狼煙が昇っている。だというのに何故自分の眼前には死、そのものが立ちはだかっているのだろうか……。

 ロメルは恐怖で精神が崩壊してしまわぬ様必死に思考を巡らせる。

 あの狼煙は誤報……いやそれは有り得ない。本隊には討伐目的以外に幾つかの小隊が同行している。彼らの役割は状況の正確な観察だ。本隊が全滅したとしても狼煙を上げる役割を持つ小隊が狼煙の色を間違えるなどということは万が一にも有り得ない。

 だとするなら考えられるのは二通り。今この瞬間に新たに現れたか、そうでなければ始めから二体いたかだ。

 だが例えどちらで合ったとしても、それは協会が信じていた定説を覆すものであることは間違いない。

 上位危険種は一度に同じ領域(テリトリー)には存在しない。それが同種で合ったとしてもだ。

 これが大きな間違いだとするならば、上位危険種の脅威は飛躍的に増すことになる。だが最初の一体目が倒された直後に、すぐに同種の上位危険種がこの地域に出現したなどという奇跡的な確立に縋るよりは遥かに現実的といえた。


 (この情報だけは必ず協会に伝えなくては……例え彼らを見捨てることになったとしても……)


 だがロメルの足は自分の意思を裏切るようにまるで根を張ったように動かない。

 如何に理性を働かせようとしても本能的な恐怖を体が感じてしまうのだ。ロメルは穢れし殉職者が放つ絶対的な死の気配に体が竦み動けずにいた。



 穢れし殉職者を前にエレナの脳裏に二つの選択肢が浮かぶ。それは酷く単純なものだ。

 逃げるか、戦うか。

 元より他に選択肢など有り様もないのだが。

 後者を選べば高い確率で皆ここで命を落とすことになるだろう。

 シェルンやレティシアには高い資質を感じる。特にシェルンにはいずれ自分を超える可能性すら感じていた。だがまだ彼らには上位危険種と戦う為に必要なものが圧倒的に足りていない。

 ぎりぎりの命の削り合いに不可欠な実戦の経験が。

 そういう意味では砂塵の大鷲のギルド員たちは十分その条件は満たしてはいるのだが、彼らは集団戦に慣れている為か個の技量が均一化し過ぎていた。

 それ自体は決して悪いことなどではない。寧ろ厳しい訓練の中培われたその錬度の高さは誇ってもいいくらいだ。

 だが上位危険種とやり合うには高い個人の技量が必要とされる。彼らには荷が重い、という分けではなく相性が悪すぎるのだ。

 今この中で穢れし殉職者とまともにやり合えるのは恐らくエレナとヴォルフガング位であろう。だが仮に二人が巧みな連携を取れたとしても正直勝ち目は薄いだろうとエレナは冷静に状況を分析していた。

 今この場で馬に乗り四方に散る様に逃げれば、追ってこられた者以外は助かるかも知れない。そしてそれが現状では最善の逃走方法であろう事は間違いない。

 しかしそれでは絶対にレティシアとシェルンが無事に逃げ切れるという保障がないのだ。

 エレナには一つだけ皆が確実に逃げ切れる方策が思いついていた。思いついてはいたのだが、それを実行すれば確実にエレナ自身は命を落とす事になる。

 自分が囮となり穢れし殉職者を引きつける。

 自分が全力で挑めば僅かでも時間を稼げる筈だ。その間に二人を逃がす。

 限られた時間の中でエレナが最良だと信じる手段はもう他には思いつきそうもなかった。

 もとより拾った命なのだ。かつて仲間たちが自分にそうしてくれたように今度は俺が仲間の為に道を切り開く。

 エレナは覚悟を決め二人を見る。


 「私たちは幸運ね……」


 震える声でレティシアがエレナに気丈に笑いかけた。

 その顔は青ざめ、瞳には恐怖の色が宿る。だがそれでもレティシアはエレナを安心させようとその笑みを崩すことはなかった。


 「もしアイツが本隊の方に現れていたら同時に二体を相手にすることになっていたかも知れないもの、そうなれば討伐の成否は覆っていたかも知れないわ……でもアイツは此方に現れてくれた。だったら今ここでアイツを倒してしまえば何も問題ないものね」


 「僕も姉さんの意見に賛成だね、いい加減小物の相手も飽きて来たところだったしね」


 シェルンもレティシアと同じような表情を浮かべエレナを見る。


 「エレナ、貴方が私たちを守りたいと思ってくれているように私たちも貴方を守りたい……だから一緒にアイツを倒しましょう」


 穢れし殉職者、奴が放つ死の気配を前にしても尚、仲間を思い立ち向かう二人の気高い意思にエレナは二人にかつての仲間たちの面影を重ねる。

 仲間とはどちらかが一方的に守られる存在であるわけがない。お互いを支え守り合う対等の存在なのだから。

 そして自分自身が彼らを仲間だと言ったのではないか。

 自分の傲慢さをエレナは恥じる。

 こんなにも自分の身を案じてくれる仲間たちにエレナは己の身勝手な自己犠牲を押し付けようとしていたのだ。

 戦う意思と覚悟をもった者にその行為がどれ程残酷なことなのかを誰より知っていた筈なのに……だ。


 「ああ……一緒に戦おう」


 例えその先に待つものが凄惨な死であってとしても、仲間を信じ共に戦おう。

 二人の笑顔にエレナは照れたように笑い返す。其処にはもう迷いはなかった。


 「聞いたかお前ら!! 嬢ちゃんたちは覚悟を決めたぞ、それに比べなんだお前らの腑抜けた顔は、それでも男か、ちったあ意地の一つでも見せたらどうだ!!」


 ヴォルフガングの怒声が周囲の空気を震わせる。

 腰抜け呼ばわりされた男たちの顔に見る見る怒気が浮かぶ。だがそれは折れかけていた男たちの闘志に再び火を付けた。


 「上位危険種の討伐報酬は破格だ。お前らいい女を抱きたいか、家族に楽をさせたいか、それには金が必要だ。金が欲しいなら力を示せ、命を懸けろ、それが傭兵てもんだろうが!!」


 呆然と立ち尽くしていた男たちはヴォルフガングの元へと集う。恐怖に支配されていた先程までとは明らかに様子が違う。そこには死に抗うことを決めた男たちの姿があった。


 「とまあ、こっちも覚悟が決まったところで共闘といこうじゃねえか嬢ちゃんたち」


 「共闘は此方からもお願いしたいところですが、奴の正面は私に任せて下さい」


 「正気でいってんのか、嬢ちゃん」


 上級危険種に限らず魔物の注意を引き付け行動を制限させる正面を受け持つものはその集団の中でもっとも技量が高いものがあたるのが定石となっている。

 エレナの今の言葉は下手をすればヴォルフガングへの挑戦と取られても仕方のないものだった。


 「アイツを殺るには貴方の力が必要です。しかしアイツの速さについて行けるのはこの中では私だけです。ここは適材適所といきませんか」


 ヴォルフガングはエレナを見つめそして獰猛に笑う。


 「いいぜ嬢ちゃんやってみなよ、ただし嬢ちゃんがあっさり逝っちまった時の為に後ろに一人待機させて置く、それでいいな?」


 「それで構いません、それと共に戦うなら嬢ちゃんは止めて貰いたい。私はエレナ・ロゼ。エレナと呼んで下さい」


 自分に全く動じない少女の姿にヴォルフガングは楽しそうに笑った。


 「面白れえ奴だなお前、どうだ生きて戻れたら俺に抱かれて見ねえか、好い思いさせてやるぜ」


 「申し訳ないですけど男に抱かれる趣味はないので遠慮しておきますよ」


 エレナのその答えに一瞬唖然とした表情を浮かべるヴォルフガング。だが直ぐに表情を崩し大声で笑い出す。


 「こいつはいい、久しぶりに落とし甲斐のある女に出会えたってもんだ、だがまずは……」


 「ええ……アイツを始末してからにしましょう」


 二人の話が纏まるのを見てレティシアがロメルの前にと立つ。


 「ロメルさん、私たちはこれから穢れし殉職者を討ちます。ですが万が一の為にこの状況を協会に伝えに行って下さい。護衛は付けられませんが街道沿いに戻れば魔物に出会う危険は少ないはずですし、近くにはまだ別のギルドの方もいるかも知れません」


 「ああ……それならもう一人の彼にお願いしておきました。私はここに残って見届けさせて貰いますよ、立会人がいないと報酬の受け渡しに支障が出るかも知れませんし、なにより私も上位種が討たれる瞬間に立ち会ってみたいんですよ」


 震える声でロメルはそう言った。

 ロメルの言葉がただの虚勢であることはその表情を見れば明らかである。だがそれにレティシアが触れることはない。

 彼は彼なりに自分の中の信念に従っての行動なのだろう。だとするなら自分がそれに異を唱えることなどできようか。

 レティシアはロメルに僅かに頭を下げエレナの下へと戻っていく。そのレティシアの背中に御武運を、というロメルのかすれたが掛けられた。


 ギルド双刻の月と砂塵の大鷲による穢れし殉職者の討伐戦がここに始まりを告げる。

 それは激しい激闘の幕開けでもあった。

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