第16話


 ギルド砂塵の大鷲。

 ギルドランク二十一位。ギルド構成員四十三名。

 上位ランクのギルドにしては少数といえる砂塵の荒鷲は、元々はギルドマスターであるヴォルフガングを団長とした戦場を渡る傭兵団であった。

 南方ファーレンガルト連邦を拠点として活動していた彼らであったが災厄により職を失うことになる。魔物の跳梁により人間同士の紛争が激減した為だ。

 当時は魔物を狩ることで報奨金を得られるような制度が無かった為、職を失った彼らはやむなく貴族の私兵として護衛の真似事をすることとなる。そしてそれがきっかけとなり、彼らはカテリーナ討伐軍に参加することになった。

 多額の報酬と引き換えに貴族の義勇兵として参加した中央域での凄惨な戦いにおいて、決戦の地となった死の都ノートワールでの戦いにこそ加わら無かったものの、中央域から無事生還を果たした彼らはあの戦いを経験として知る貴重な生き証人たちでもあった。


 燃え上がる魔物の死骸の臭いにレティシアが眉を顰める。

 数十体の魔物の死骸を積み重ね燃やしている為、色々な臭いが混じり合った強烈な異臭が辺りを覆っていた。

 魔物同士は共食いをしない為、数体程度なら死骸を放置していても問題は無いとされていたが、流石に数十体もの死臭は新たな魔物を呼び寄せかねないため、こうして燃やすのが一般的とされている。


 「嬢ちゃんたちもこっちで飲もうや」


 周囲に漂う悪臭などまるで気にする様子すら見せず、エレナたちに酒の入った杯をかざすヴォルフガング。

 子供のような無邪気な笑顔とは裏腹に二メートルはあろうかという巨躯は筋肉の鎧で覆われ、精悍な顔には無数の刀傷が刻まれていた。

 ただ其処にいるでけで安心感と共に威圧感をも与える。ヴォルフガングとはそういう男であった。


 「こんな場所でよく飲む気になれますな」


 「しょうがねえだろ、火の始末もしなきゃならねえし、暫く休憩ってこった」


 呆れるロメルを尻目に杯を一気に空けるヴォルフガング。既に他の男たちも何人かの見張り以外は思い思いに座り込み酒を呷り始めている。

 燃やされている魔物の数を見てもこの周辺の魔物はあらかた狩り尽くしたのだろうことも彼らのこの豪気な行動の一端なのだろう。

 エレナは誘われるままヴォルフガングの隣へと腰を下ろす。小柄な少女と大男の対比はさながらお伽話に出てくる巨人と子供といった様相である。

 エレナが早々と座ってしまったのでレティシアとシェルンも仕方なくといった様子でエレナに習い腰を下ろした。

 ロメルは砂塵の大鷲に随行している職員と情報を交換する為、其方の方へと足を向ける。

 野太い腕から差し出された酒が注がれた杯にエレナは一口だけ口を付けるがそれ以上は飲もうとはしない。

 以前ならまるで問題にならなかったが、今のこの体が予想以上に酒に弱いことは既に経験済みだ。下手に飲んでこんな場所で酔い潰れるわけにはいかない。にも関わらず一口飲んだのは酒を勧めてくれたヴォルフガングへの礼儀としてである。

 レティシアもエレナと同じように最初に口を付けて以降、杯を持つ手が動く気配はない。シェルンに至っては不機嫌そうな表情を隠すことなく杯を脇へと置いてしまっている。


 「ギルド双刻の月ねぇ……悪いが聞いたことねえな」


 レティシアが語るギルド名にヴォルフガングは特に興味が無さそうにそう呟く。

 僅か三名しかいない最下位ギルド。しかも最近まで活動を休止してたと合ってはヴォルフガングがその名を知らなくても無理からぬことかも知れない。


 「だが譲ちゃんたちみたいな別嬪さんがいるってんなら、これからは覚えておくことにするぜ」


 ヴォルフガングはそのまま無造作にエレナの肩を抱くように腕を回す。

 エレナはその動きに気づいてはいたが敢えて抵抗する様な素振りは見せなかった。

 所詮ギルドなどと名乗ってはいてもその内実は傭兵たちの集まりに過ぎない。そして傭兵たちは気の好い連中も多いが反面気性が荒い者も多い。

 そんな男共の中でこの程度のことで一々生娘のように恥らっていては逆に男たちの劣情を煽るだけである。まして狩りの後で男たちの興奮も高まっているであろうこの時に、そんな仕草を見せて力ずくで……などという不届きな暴挙に出られても困る。

 その場合、自分とレティシアの貞操を守るために不本意だが力で制圧するしかなくなるのだが、当然そんな結果はエレナも本意ではない。

 そんなエレナの気持ちを知ってか知らずか隣に座る姉弟のヴォルフガングに向ける眼差しは些か剣呑なものに変わっている。


 「村の方の状況はどうなってるんでしょうね」


 エレナは少し身を捻りヴォルフガングの方へと向く。

 別段意識しての問いで無かったのだが、彼の手が自分の胸の膨らみにまで伸びそうな気配を察した為、気を逸らすために聞いてみただけに過ぎない。


 「どうだろうな、そろそろ決着が付いていてもいい頃合ではあるんだがな」


 ヴォルフガングは手の動きを止め村のある方向へと顔を向ける。

 協会からの事前の通達で本隊が穢れし殉職者の討伐に成功すれば赤い狼煙を失敗すれば黒い狼煙を上げることが決められていた。

 そして狼煙の色、討伐の成否に関わらず狼煙が上がった段階でこの依頼は一旦終了となり、各自でのライズワースへの帰還が定められていた。

 だが村を望む青い空には未だ狼煙は上がってはいない。


 「本隊の編成はヴォルフガングさんより序列の高い方々が中心と聞いていますし、きっと討伐を成功させてくれると信じているわ」


 普段の彼女らしくないかなり棘のある言い回しをするレティシアにエレナは少し首を傾げる。レティシアの機嫌がかなり悪いのは先程から気づいてはいたが、エレナにはその理由が思い至らないのだ。


 「こりゃ手厳しいね、だがな姉ちゃん。序列なんてもんは所詮一対一で、しかもルールが定められた試合での競い合いの結果でしかねえ。確かに序列一桁の連中は凄腕なのは認めちゃいるが、それでも宣託の騎士団(あいつら)と同格ってわけじゃねえんだよ」


 ヴォルフガングの口からかつての同胞たちの名前があがりエレナの胸に哀愁の念が込み上げる。

 宣託の騎士団の面々との付き合いはそれほど長いものではない。災厄の始まりに組織され皆が命を落としたノートワールでの戦いまでの僅か数ヶ月の付き合いでしかない。

 だがエレナにとっては初めて感じることが出来た自分の居場所であり、彼らは掛け替えの無い仲間たちであった。

 ヴォルフガングの言うように宣託の騎士団はエレナを含めても僅か十人という小規模な集団ではあったが、彼ら一人一人がエレナをして感嘆せざる得ない凄まじい技量の持ち主たちで構成された精鋭たちの集まりであった。


 「大した情報も無いままあの地獄のような戦場で特定危険種とすら渡り合っていたあいつらとでは所詮比べる土俵が違い過ぎる」


 そのヴォルフガングの言葉にエレナは一度瞼を閉じ、そして開いた黒い瞳が真っ直ぐヴォルフガングを見つめる。


 「そうでしょうか? 確かに彼らの残した功績は賞賛に値するものでしょう。上位危険種の討伐実績も彼らがあげたもので他の者たちがそれをなした事は無いのかも知れません。しかしだからといって今命を賭して戦う者たちが彼らに劣っているとは私は思えない」


 宣託の騎士団だけではない、あの災厄で命を落とした何千万という命を対価に得た教訓と情報を……希望と願いを受け継いだ者たちが劣っているなどとエレナには絶対に認める事などできない。

 あの戦いでは国家、個人を問わず様々な思惑が働いていた。だが少なくとも前線で戦っていた者たちには共通した想いがあったはずだ。

 愛する家族を守りたい、子供たちの未来を残したい、それぞれは個人的な小さな願いだったとしても、それは魔物をこの大陸から駆逐するという大きな意思となって存在していた。

 志し半ばで命を落としたそうした彼らの祈りにも似たその想いは、今を生きる者たちに受け継がれ根付いている。

 穢れし殉職者を討伐に向かった者たちの多くが富や名声を求めてだとしても、その根底にはそうした想いが流れているのだとエレナは信じて疑わない。

 エレナの肩から腕を外しその黒い真摯な眼差しをヴォルフガングは受け止める。

 交差する二人の眼差し。だがそれを周囲の喧騒が破る。


 「狼煙が上がったぞ!!」


 空を指差し叫ぶ男たちの視線の先にと目を向けたエレナが見たのは空に昇る赤い狼煙であった。


 「どうやらお前さんが正しかったようだな」


 同じく狼煙を見ていたヴォルフガングが照れくさそうに表情を崩しエレナに言った。

 敵意剥き出しでヴォルフガングを見ていたシェルンや不機嫌そうなレティシアでさえ、狼煙を見つめる表情は安堵で満ちている。

 だが騒いでいた男たちが不意に静まり返る。赤い狼煙が昇る空の下、ソレは突然姿を現した。

 幽鬼の様に佇むそれはまさに闇そのものを形取ったかのような漆黒の法衣を纏い、青白く痩せた手で禍々しい大鎌を持つ。そしてその容貌にある筈の眼窩は落ち窪み一切の光を閉ざすように深遠の闇を覗かせていた。

 それはまさに神話で語られる死神そのままを体現させたような忌むべき姿であった。

 エレナにとってソレが何なのかなど考える必要すらない。いや、ここに居る全ての者がそれに気づいていただろう。

 最悪の上位危険種。穢れし殉職者(アンダーズ・ペイン)が今、エレナたちの前にその忌むべき姿を現していた。

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