第13話


 世界を救った救世の騎士アインス・ベルトナー。

 彼の英雄譚を子供たちは瞳を輝かせ聞き入り、大人たちは酒を酌み交わしながらその功績を讃えた。

 彼の英雄を輩出したビエナート王国では本人不在のままアインスに名誉騎士の称号を与え、その帰国を待ち侘びているという。

 最後の決戦の舞台となったノートワールの地で、アインスが魔女カテリーナのいる王城に向かう姿を多くの者が目撃している。

 そして世に賢者として讃えられる魔法士エリーゼによってアインスの偉業は各国へと伝えられた。

 だがその後、アインスの姿を見た者は一人もいない。

 エリーゼにしてもアインスの生死に関しては固く口を閉ざしたまま多くを語らなかった。

 災厄から半年以上、今だ戻らぬ彼に多くの人々は気づいている。

 あの戦いでアインス・ベルトナーは命を落としたのだと。

 だが各国では英雄である彼の生死を今だ言及するようなことはしていない。

 各国共にあの災厄で余りに多くの物を失った。

 力の象徴であった魔導戦艦。そして国の礎となる数多の優秀な人材を。

 以前のような力を示すことはもう四大国でも不可能であり、この上、今や大陸全土の人々の心の支えとなっている英雄の死をどうしても認めることが出来ないでいたのだ。

 それは災厄が終わって半年以上経つ今も変わらない。



 レティシアにとってアインス・ベルトナーの名は特別な響きを持つ。

 それは多くの者が抱く憧憬や尊敬ではない。

 レティシアが始めてアインスを名を聞いたのはもう七年以上も前になる。

 当時十四歳であったレティシアは多感な思春期に見られる多くの問題に心を痛めていた。

 義母との関係、成人が近づくことで囁かれる自身の結婚への不安。

 そんな中、ビエナート王国から帰国した父から聞かされた彼の話にレティシアは強い興味を惹かれた。

 嬉々として彼の話をする父から語られる数々の冒険譚。その話の中から垣間見える彼の人となりにレティシアは夢中になる。

 そんな強い興味がやがて淡い恋心に変わるのにそう時間は必要としなかった。

 それからは留守がちの父に代わりアインスの存在がレティシアの心の支えとなって行く。

 多感な少女時代に抱いた恋心は七年という長い時間を掛けてより強い愛情という形にまで昇華していた。今やレティシアにとってアインスの存在はレティシアという人間を形成する欠片の一つであり、失うことなど想像すら出来ない。そんな存在にまでなっていた。

 よく親友であるカタリナには呆れられていたが、レティシアにとってアインス・ベルトナーは初恋の相手でありそして生涯ただ一人の男性であった。


 「レティシア、聞いていますか?」


 カタリナから掛けられた声に我に返るレティシア。


 「ええ……御免なさい、何の話だったかしら」


 「まったく……まぁ気持ちは分かりますけど」


 レティシアたち三人はあの後、男と共に馬を飛ばしライズワースへと帰還していた。

 最悪の事態、穢れし殉職者(アンダーズ・ペイン)の存在を協会に報告する為だ。

 レティシアたちの報告を受けた協会の対応は極めて迅速だったといえる。

 直ぐにギルドの枠組みを越えて組織された序列持ちを中心とした斥候部隊と街道の往来を規制する為のオーランド騎士団の幾つかの中隊がライズワースを出立していた。

 こうした対応の早さには穢れし殉職者の特性も大きく関係している。

 この魔物は決まったテリトリーを持たずある日忽然と姿を現す。そして一度姿を現すとその地域を中心に十日程度留まり続け周囲の街や村を襲うのだ。

 そして今回姿を現したとされる村はライズワースの近隣にあり、当然このライズワースも穢れし殉職者の行動範囲に含まれている。

 今このオーランド王国に災厄以降、最大の脅威が迫ろうとしていることは間違い無い事実であった。

 協会はギルド会館を通して全てのギルドに対して待機命令を出していた。それに伴い大きな混乱を防ぐ為このライズワース全域に厳重な緘口令が敷かれている。

 治安を維持するためにどうしても日々一定数の魔物を討伐する必要がある為、まだ多くのギルドがライズワースの外で活動をしていたが、それ以外の全てのギルド員は各ギルドで待機し協会の指示を待っていた。

 レティシアたち双刻の月の面々もまた自分たちのギルドへと戻ってきていた。


 カタリナが思うのとはまた違う理由からレティシアの思考は千々に乱れていた。

 あの時のエレナの行動が幾度となくレティシアの脳裏に思い返されるのだ。

 ギルド員……いや戦場に赴く者が負傷した仲間を送る行為は覚悟として皆が待たねばならないものだ。

 だが理由はどうあれ人を殺める行為を気持ちだけで行うことは難しい。嫌な言い方だが慣れと経験がどうしても必要となる。まして近しい者を手に掛けるとなれば尚更だ。

 レティシアが直視することすら出来なかった彼を送ったエレナの行為は立派なものだ。だが余りにも慣れすぎてはいないか……。少なくともあの歳の少女が簡単に出来ることではないはずだ。

 それに彼女が見せた騎士の礼。

 あれは間違いなくビエナート王国の騎士の儀礼。

 アインスがいるビエナート王国について嫌というほど勉強していたレティシアにはそれが分かった。そしてエレナが見せたあの儀礼は見よう見真似で身に付いたとは到底思えない。

 あの歳で彼女がビエナート騎士団に所属していたとは思えない。ならば少なくともエレナはビエナート王国の騎士と長い期間を共に過ごしていたということになる。そして彼女が人を殺めた経験は一度や二度ではないはずだ。

 高度な剣の技量。戦い慣れた動き。

 姿見の美しさを考慮から外したとしてもあの少女は明らかに異常だ。普通ではない。

 エレナの姿にレティシアの想い人の姿が重なる。

 まただ……。あれ以来エレナにどうしてもアインスの姿を重ねてしまう。


 (あの子がアインス様と同じ双剣を使うからかしら……)


 エレナの戦う姿を思い出すとレティシアの胸が高鳴る。

 エレナは美しい子だ。だがそれでも自分にはそうした嗜好などはない……ないはずなのに込み上げて来る感情を抑えることが出来なかった。

 自分でも持て余すその感情にレティシアは困惑していた。


 「どうしたんですか、レティシア?」


 また自分の思考に入り込んでしまっているレティシアにカタリナが心配そうに声を掛ける。


 「ううん……なんでもないの……」


 「そうですか、少し顔が赤いようですし熱でもあるのかと」


 「…………」


 確かに今は緊急時だがそれでもどこかレティシアの様子はおかしい。長い付き合いであるカタリナにはそれが分かった。

 妙な雰囲気が漂う二人の下に来訪者を告げる鈴の音が鳴る。

 カタリナはもう一度黙って俯く彼女に目をやるが、反応が返ってこないのを確認すると席を立ち訪問者を迎えるため入口へと向かうのであった。

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