第11話

 他の国が街を一歩出るだけで魔物に遭遇する危険を孕んでいるのに比べ、ライズワース近郊は比較的安全を保たれていた。

 それは毎日の様に数十というギルドが周辺の魔物を狩り続けているからに他ならない。

 それらギルドの活動のお陰でライズワースを離れて生活をする人々が集落を作り暮らす村々が小規模ながら点在していた。

 だがそれでもその安全はライズワース周辺の十キロ圏内に限定された話であり、ライズワースから南、中央域との緩衝地帯となっているラスターニャ地方などは魔物の脅威が色濃く、今だ人の住めぬ土地となっている。

 ギルド「双刻の月」の面々はそうしたライズワースに続く街道の一つを馬を引きながら徒歩で移動していた。

 協会からの正式な依頼を受け、エレナ、レティシア、そしてシェルンの三人は、ギルドの活動を再開してから初の依頼を果たすためライズワースを離れていた。

 協会からの彼らへの依頼は街道周辺の魔物の駆逐という漠然としたものだ。

 しかしそれが厳しい依頼かといえばそういう分けではない。討伐数の条件が無い上に街道周辺という限定的な指定がある為魔物を探す必要すらない。極端な話ではあるが街道沿いで魔物に出会わず一日を終えたとしても、状況の詳細を協会に報告さえすれば依頼は達成されたと認められるのだ。

 本来このような依頼はギルドにでは無く、ギルドに所属していない傭兵たちに振り分けられる種の依頼なのだが、流石に再開して間も無いギルドに難易度の高い依頼をするほど、協会も人手が足りない分けではないということだろう。

 エレナとレティシアが並んで歩き、その少し前をシェルンが歩いている。ライズワースを出てから変わる事の無い立ち位置だ。

 エレナはそんなシェルンの後ろ姿を見つめる。

 確かに二人がいうように愛想が無く、他人に興味を示さない。そして自身の感情の起伏に乏しいこの少年は問題児なのかも知れない。だがエレナはシェルンに対して強い違和感を感じていた。

 戦場において何かが欠落した人間をエレナは多く見てきた。他民族言うだけで村を襲い、略奪の限りを尽くし女子供を暴行する。そんな人格すら破綻した連中も嫌と云うほど知っている。

 人を殺すことに無上の快楽を覚え自身の死にすら頓着せず戦場を駆ける戦闘狂もいる。だがシェルンはそうした連中が持つある種特殊な雰囲気とも違う別種の雰囲気があった。

 上手く表現出来ないが、そう、例えるなら偽者の匂いだ。

 だがそれはあくまでエレナの印象でしかない。知り合って間も無いこの少年のことを本当の意味で理解出来るだけの時間をエレナはまだ過ごしていないのだから。


 「しかし……あの子の背負ってるアレは何なんですか」


 シェルンの背に吊るされたモノは大別するなら大剣という分類に入るのだろうか。だがその形状は異彩を放っていた。

 決して長身とはいえないシェルンの背丈ほどあるその大剣の刀身は柄の根元部分から刃先に掛けて鉤爪状のおうとつで形成されている。見た目の印象はそう、百足(むかで)を彷彿とさせる。


 「シェルンの愛剣エクルートナは特注品だから、初めて見る人は皆驚くわね」


 それはそうだろう。エレナにしてもあんな形状の大剣は初めてお目に掛かる代物だ。本来大剣の特性は打撃だが、あの剣は抉る、という表現の方が的確かも知れない。


 「確かに特殊な剣だし思い入れがあるのかも知れませんけど、自分の剣に名前を付けるのは早過ぎませんか?」


 傭兵や騎士たちの間で自分の愛剣に名前を付けるのは一般的とまでは言わないものの、特別珍しいことではない。愛着を持つことで心の支えになることすらあるのだ。そうした僅かな心境の変化が命懸けの戦いの中、生死を分かつこともある。

 だが多くはある程度経験を積んだ者たちが云わば相棒である自分の得物に愛着を込めて名付けるもので、シェルンのような駆け出しの若者が名付けることなど稀なことだ。寧ろ嘲笑の対象にもなりかねない。

 もう一つ自分で名付ける以外にも名匠、刀工として名を馳せた人物が自ら鍛え上げた作品に名を付ける場合もある。

 エリーゼの館に置いて来た以前のアインスの愛剣ダランテもそうした名匠の作品の一つである。

 そして後者の場合、その武器を手に出来るのは選ばれた者だけであり、一部例外はあるものの総じて尊敬の対象とされる。


 「確かにね……でもシェルンの実力は折り紙付きよ、直ぐに周りを納得させられると私は信じているのだけど」


 レティシアが弟を色眼鏡で見ているのかはエレナには分からないが、そうだとしても他人であるエレナが口を挟む問題ではないし、それ自体そう悪いこととも思わない。

 それこそがエレナが望んでも得られなかった姉弟というモノの絆なのではないかとも思う。


 「右前方、一体いるよ」


 呟きにも似た短い言葉と共にシェルンが駆け出す。


 「待ちなさいシェルン!!」


 レティシアが慌ててその後を追う。エレナもそれに合わせ駆け出していた。


 前方の固体がエレナたちの気配に気づき、ゆっくりと向きを変える。だがそれが人ではない事は明白だ。

 ソレはおよそ全長三メートル、甲殻類を思わせる胴体部に左右四対の歩脚と、逆立つ尾には致死性の毒針を持つ。さながら蠍を思わせる姿見なのだが決定的な部位が明らかに違う。

 本来蠍なら持つであろう左右の触肢の部位には人の腕を模した野太い腕があり、そして頭部には男とも女とも取れる虚ろで感情のないデスマスクのような顔が生えていた。

 生理的嫌悪感を誘うという意味では南方に多く生息する魔物(アンダーマン)に引けを取らないこの魔物こそが北方に多数生息する種、背徳の蠍(ノー・フェイス)である。

 背徳の蠍は単体で行動し、群れを為さないため脅威度という意味では鉄の蜥蜴(アイアン・リーパー)よりも低いが、討伐対象としての危険度が低いという分けではない。

 人の体など簡単に握りつぶせる程の怪力を持つ両腕。高い機動性を備えた四対の歩脚。そして刺されれば一瞬で死に至る猛毒を秘めた尾の毒針。

 多彩な捕食手段を持つ背徳の蠍の方が、群れを基本とする鉄の蜥蜴より固体としての危険度は寧ろ上かも知れない。


 (死ぬ気かあの餓鬼は)


 シェルンの背を追いながら舌打ちし双剣を抜き放つエレナ。

 背徳の蠍は光の宿らない虚ろな瞳でシェルンを見つめる。そしてその表情とは裏腹に、激しい敵意を示すように尾を震わせた。

 背徳の蠍は近づく獲物を仕留めるためにその毒針をシェルンへと放つ。

 頭上から迫る槍のような尾の一撃をシェルンはぎりぎりまで引き付け上体を反らすことでかわす。

 その動きはエレナが見せる数多の修羅場を超えてきた経験測から会得した、相手の僅かな動作からその軌道を読みきる高度な先読みの技術とは違う。

 シェルンの見せたそれはさながら動物が持つ危険予知にも似た鋭い感覚が齎した回避行動であった。

 誰もが持ち得るものではないその感覚。人はそれを才能と呼ぶ。

 尾の先に付いた毒針が標的を外れ、街道の石畳に大きな穴を穿つ。

 自身の懐へと入った獲物に背徳の蠍は上体を起こし両腕を伸ばす。

 シェルンは両手に持つエクルートナを腰に添えたままその両腕へと大きく跳躍した。自らを掴もうとする両腕の上方まで飛び上がるとその両腕を足場に更に跳ねる。

 シェルンは背徳の蠍の虚ろな顔を視界に捉えると空中で大きく身を捻り、遠心力を乗せたエクルートナはその刀身の半ばまでを背徳の蠍の頭部にめり込ませる。そして落下する重力を加え斬り下ろされたエクルートナは一気に下腹部までを切り裂き抉った。

 だが背徳の蠍は確実に致命傷であろう傷を受けても尚、直ぐには活動を停止させなかった。

 背徳の蠍の尾は蠢きながらシェルンへと狙いを定め、その両腕は再度シェルンへと迫る。

 刹那、背徳の蠍の尾はレティシアの槍によって街道の石畳へと縫いつけられる。

 レティシアの腕を以てすれば尾ごと切断することも可能で有ったが、切断して毒液が散乱することを嫌ったのだ。


 シェルンの横を風が駆け抜ける。それは春の花の様な甘い香りを漂わせた。

 シェルンの視界には残滓を残し閃く双剣と美しく靡く長い黒髪が映る。

 自分の腰回りの倍はあろうかという野太い背徳の蠍の両腕は一瞬で半ばから切断されていた。

 それが最後の抵抗だったのであろう。背徳の蠍はそのまま大きく仰向けに倒れ、完全に活動を停止させた。

 表情を変えることなく、自分の愛剣を動かなくなった背徳の蠍から引き抜いているシェルンの瞳に、まるで精巧な人形のような美しい顔に怒気を漲らせた黒髪の少女が自分に歩み寄るのが見えた。


 「お前――――!!」


 「シェルン!!勝手な行動は慎みなさいと言った筈よね」


 エレナの怒りを察したレティシアが敢えて二人の間に割って入る。


 「姉さんたちの助けは要らなかった、僕一人で十分殺れたよ」


 「そういう事を言ってるんじゃないわ、貴方のそういう身勝手な行動が仲間の身を危険に晒すといっているの」


 レティシアは美しい眦(まなじり)をつり上げシェルンへの怒りを露(あらわ)にする。


 「だったらこの先からは姉さんたちは見てるだけでいいよ、僕が全て一人で片付けるから」


 そのシェルンの言葉に一瞬我を忘れ、思わず手を振り上げるレティシア。

 二人のそんな様子を伺っていたエレナは耳に馴染んでいるその音に街道の前方を見やる。

 レティシアも土煙を上げて近づいてくる騎馬の姿にその手を止めた。

 全力で疾駆する騎馬の姿にエレナは更に騎馬の後方に目を移すが、どうやら魔物に追われている訳ではないようだ。

 自分たちに近づいてくるその騎馬の姿を三人はそれぞれの思いを抱えたまま見つめていた。

 そしてその騎馬が三人を待ち受ける新たなる脅威の先触れとなるのであった。

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