第10話

 紆余曲折を経て新たに所属する事になったギルド――――双刻の月……その建物の二階の一室でエレナは荷解きを終えていた……とは云え元々の荷物自体が少ないエレナにして見ればそう手間の掛かる作業という訳でも無かったのだが……。


 あの後、正式な契約を交わし晴れて双刻の月に所属する事となったエレナに、話の流れから宿屋住まいだと知ったレティシアはギルドの一室を快くエレナの為に提供してくれていたのだ。


 元々ギルドの二階部分は所属する傭兵たちの宿泊施設として作られていたらしく、正直毎日掛かる宿代は馬鹿にならない出費であったエレナにとって、レティシアの好意はまさに渡りに船であり、お言葉に甘えさせて貰った、という経緯を経て今現在に至っている。


 エレナにして見れば思いがけず順風満帆とすら云えるライズワースでの門出の中、だが全てが順調であった訳ではない。


 その一番の要因と云えるのが昨日は結局、問題となるレティシアの弟とは会う事が出来なかった、と云う事であろうか……。


 カタリナは通いだが、レティシアとその弟シェルンの住まいもこのギルドの二階に私室を持ち、戻ってくればすぐ分かる筈ではあったのだが、エレナの知る限りシェルンと云うレティシアの弟が帰って来た様子は見られなかった。


 第一印象は大切、と鏡の前で慣れぬ作り笑顔などをそれとなく練習していたエレナにして見れば、やや肩透かしを食らった様な妙な気分にさせられはしたが、会えなかったのだからこればかりは仕方が無い。


 エレナとしては人付き合いが苦手な……いや、はっきりと言うならば、社交性に欠ける自身の変わらぬ欠点への自覚があるだけに、これから少なからぬ時間を共にする事になる同僚に対して気負っていた部分が無いかといえば嘘になる。


 正直に云えばこうした通過儀礼はさっさと済ませてしまいたかった、と言うのがエレナの偽らざる本音ではあった。


 「エレナ、お昼の準備が出来たから降りてきて」


 そんな取り止めも無い事を考えていたエレナは階下から掛けられたレティシアの声に慌てて返事を返す。


 基本食事に関しては各自でとることにはなっていたが、こうしてレティシアの手が空いている時は作って貰えるらしい事を思い出す。


 昨日の説明の折、レティシアからは女所帯なので食事を当番制にしてもいいという提案を受けたのだが……まともに料理を作った経験などない自分が務まる筈もなく、上手く断るのに苦労した記憶がエレナの脳裏に同時に蘇り思わず苦笑してしまう。


 一階にある食堂に顔を出すと既にレティシアとカタリナが席に着きエレナを待っていた。


 レティシアの手料理であろう、幾つかの料理も既にテーブルに並べられており、エレナは自分の席だと思しき料理が置いてある空席へと腰を下ろす。


 「それじゃあ頂きましょうか」


 レティシアがエレナが席に着くのを見てそう二人に声を掛ける。


 エレナに気を遣っていたのだろうか、二人だけの会話に没頭してしまう事を避ける様に、レティシアとカタリナは内輪の話を控えていた為に三人が囲む食卓は会話の少ない静かなモノであった。


 エレナもまたそうした余所余所しさが残るこの場の空気を敢えて気づかぬ風を装い、食事を堪能する事に集中する。


 レティシアの料理は決して豪華ではないが、その分手間を掛けているのだろう、下手な宿屋の料理よりずっと美味しく、何より誰かと、まだぎこちないながらも談笑しながら食事を取る……そんな久しく忘れていた当たり前の光景にエレナは何故か懐かしさすら感じていた。


 「エレナ、後で別棟の方へ来てくれるかしら」


 エレナが食事を終えるのを見計らいレティシアが言う。


 別棟とはこの建物に隣接する様に建てられている横に長い建物で、所属する傭兵たちの為に用意された鍛錬の場であった。


 レティシアが其処にエレナを呼ぶという事は理由は一つしかない。


 今の内にエレナの剣の技量を計る……それは至極当然の事で、寧ろ共に戦う仲間の経験や力量を知らないほうが余程問題といえる。


 エレナはそれに頷くと空いた皿を片付ける為に席を立ったカタリナを手伝おうと自らも厨房へと向かった。


 それから半刻ほどの時が過ぎ――――。


 エレナとレティシア……そして二人を見守る様にカタリナの姿が別棟に在る。


 エレナは別棟に用意されていた訓練用の模擬刀を眺め見る。


 だがやはり今のエレナの身体で扱い切れる様な重量の軽い細身の長剣は見当たらず……エレナは少し思案したが壁に立て掛けられていた片手用の剣を手に取ると重さを確認する様に片手で軽く振って見るが、刃抜きをされた模造刀とはいえ、ずしりとその重量を腕に感じる。


 「準備が出来たらいってね、訓練といっても顔合わせのようなものだから気楽にいきましょう」


 レティシアは既にその手に槍を持っている。


 その形状は一般的な刀身が尖った形状の物ではなく、刀身が長く反り返った、突くというより薙ぐといった用途を前提とした長槍であった。


 エレナは中央で待つレティシアの前に距離を取り立つと片手用の剣を両手で持ち正眼に構える。


 「準備はいいかしら」


 「いつでもどうぞ」


 それが合図であったかの様に、二人の間の空気が緊張を孕んだモノへと変わって往き……二人の立ち会いを隅で見守るカタリナにも周囲の雰囲気が急速に変化していくのが感じ取れた。


 刃抜き――――刃を削ってあるとは云え、当たり所が悪ければ怪我では済まない……それを承知しているからこその二人の真剣さが武術の心得の無いカタリナにも伝わってきた。


 レティシアは槍の柄を両手で持ち、刃先を自身の右前足の前まで下げ、やや半身に構える。


 その凛としたレティシアの立ち姿はまさに戦乙女さながらに美しい。


 間合いの長い得物を相手にする場合、如何に懐に飛び込めるかが勝負を別つ……だがエレナの視界に映るレティシアの構えには隙は見られない。


 まずはその太刀筋を確認する為、エレナはゆっくりとその間合いを詰める。


 一歩……一歩――――そして半歩。


 刹那――――レティシアの槍が半円を描くように薙ぎ払われるとエレナの頬を撫でる様に刃先が奔り――――その剣圧でエレナの黒髪がふわりと靡く。


 「其処からは私の剣戟の間合いよ、エレナ」


 警告のように言い放つレティシアを無言で見つめ返すエレナ。


 今の一撃が手加減されたものである事はその軌道を見ていたエレナが一番良く理解していた……十分な速度と威力を込めた今の牽制は、扱いが難しいとされる長槍をレティシアが完全に制御している事を示すに十分なモノであった。


 レティシアが見せた実力の片鱗にエレナの心は高揚する……それは魔物と対峙する時に感じる感覚とはまた異なる昇るような高揚感がその身を包む。


 エレナはゆっくりと正眼から下段へと剣を下ろし、そして一気にレティシアへと駆けた――――。


 瞬間、横に払う様に振るわれたレティシアの槍がエレナへと迫り――――エレナはその槍の刃先を自らの剣で受け止める。


 金属同士がぶつかり合う甲高い金属音が周囲に響き渡り、エレナは自分を薙ぎ払おうとする圧力に抵抗せず、そのまま刃先が向かう方向へと身を跳ねらせる。


 振り切られるレティシアの槍。


 斬撃の威力を完全に殺したエレナは着地と共に瞬時に間合いを詰め、槍を引くレティシアの動作に併せ、沈み込む様にその懐へと一気に駆け寄る。


 ――――金属が擦れ火花が散る。


 エレナの剣は槍の柄を削るように斬り上げられ、レティシアの首筋の直ぐ傍らを払うと、瞬間、エレナは剣を引き後ろへと大きく飛び退いた。


 「今のが私の剣陣の間合いですよ、レティシアさん」


 刹那の攻防……その刹那の間に見せたエレナの技術にレティシアの瞳は驚きに見開かれ……その瞳がエレナを見つめる。


 ――――この子……戦い慣れている。


 それがレティシアが感じたエレナへの偽らざる印象。


 手加減していたとは云え完全に間合いを潰された……自惚れでは無く、今のエレナの初動からの淀みの無い動きがどれほどの経験と、そして技量の裏打ちが必要な技術なのかをレティシアは知っている。


 そして恐らくまだエレナは本気ではない……それが分かるだけにこの少女の実力にレティシアは舌を巻く。


 剣舞の宴に出たいなんて豪語するだけの実力は有るって事ね……。


 と、レティシアは再度槍を構え直す。


 だが先程までとはその瞳に宿る輝きが違う。



 剣を交える二人の姿にカタリナは目を見張り……知らず己の肩を抱く……あれで本当に手加減しているのだろうか、とカタリナには二人が本気で殺し合っているようにすら見えるのだ。


 「そろそろ止めた方がいいんじゃないかな、このまま続けたらどちらかが怪我をするよ」


 突然背後から声を掛けられ驚いて振り返るカタリナの視線の先、エレナと歳がそう変わらないであろう少年が立っていた……レティシアと同じ金髪に顔立ちも良く似ている。


 「シェルン、貴方いつから其処に居たんです?」


 「立ち合いが始まって直ぐかな」


 だとすれば初めから居たのと変わらないではないか……それなのにこの子は声も掛けず戸口からずっと見ていたのだろうか、とカタリナは呆れた表情を見せ、


 まったく……と、小さく溜息をつく。


 「彼女が新しくギルドに入ったエレナ・ロゼさんですよ、シェルン」


 「別に興味ないかな……足手纏いにならないならそれだけで十分だし」


 「シェルン、貴方……」


 シェルンの態度を咎めようとカタリナは身を乗り出しそうになるが、シェルンが促す様に指差す二人の姿を見て動作が止まる……シェルンの指す指の先、カタリナの視界には今にも本気の斬り合いに発展しそうな二人の姿が映っていた。


 「シェルン、後で話しがありますからね」


 と、それだけ言い残し二人の下に走り寄るカタリナ。


 シェルンはそんな光景に背を向けるように戸口へと歩き出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る