第16話 「NIPPON」のプラカードで参加したストックホルムオリンピック
オリンピック開会式の入場行進は、ギリシャが先頭で開催国が最後尾に登場する。
これはオリンピック憲章で定められており、発祥の地・ギリシャヘの敬意が表れている。
さらに憲章には『選手団は開催国の言語でのアルファベッ卜順に行進する』とも記戟されている。
開会式が行われるようになったのは1908年のロンドン犬会から(ギリシャが先頭になったのは1928年のアムステルダム大会から)で、日本が初参加した1912年ストックホルムオリンピックの時には、既に人場行進が行われていた。
しかし、記念すべき初参加のオリンピックの入場行進をめぐって、日本選手団の中では一悶着あった。
当初から人場の順番はアルファベット順と決まっていたので、ストックホルムオリンピックでは28カ国中10番目、イタリアに続いて「JAPAN」が登場するはずであった。
ところが、イタリアの次に登場した日本選手団が掲げるプラカードには、「NIPPON」と書いてあったのである。会場を埋め尽くした観客も一瞬混乱したに達いない。
この時プラカードを持っていたのは、マラソンの金栗四三(ちなみに旗手は三島弥彦。選手はこの2人だけである)。なぜ金栗は「JAPAN」ではなく「NIPPON」という日本語読みのプラカードを持って出てきたのだろうか。
実は当初金栗は、プラカードを「日本」と漢字にしようと主張していた。一方で、監督の大森兵蔵は外国人にも分かるように「JAPAN」にするべきと主張。意見が分かれていたのだ。だが両方は書けない、そこで日本選手団団長の嘉納治五郎が、「NIPPON」としたらどうかと妥協案を提案し、これに決定したと言われている。
なお、「NIPPON」の国名表記はこの大会以降なく、日本はずっと「JAPAN」で人場している。東京・札幌・長野で行われたオリンピックでも、通常のアルファベット順を採用し、漢字やカタカナは使われていない。
余談だが、ソウル大会では、ハングルのカナタラ順、アテネ大会ではギリシャ語のアルファベット順。先頭を行くと決められているギリシャが開催国であったアテネ大会では、最初にギリシャ国旗のみが人場し、最後にギリシャ選手団が人場する変則開会式となった。
北京大会では、中国語表記で漢字の画数が少ない順に人場し、先頭のギリシャの次は、漢字表記で最初の1文字が2画の「几」を用いる几内亜(ギニア)だった。
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