第14話 100mのレースに遅刻したアメリカ選手たち

2007年11月。元陸上選手のロバート・テイラーが59歳という若さで亡くなった。

このテイラーが出場したミュンヘンオリンピックの100メートルは、歴史に残る迷レースであった。なんと、優勝候補と目されていたアメリカの2選手が、召集時間に遅刻をしたのだ。

一体彼らに何があったのか。事の顛末はこうだ。


100メートルの2次予選は、8月21日午後4時15分に始まる予定だった。ところが、競技時間が近づいても、アメリカチームはスタジアムにやってこない。

エントリーしていた選手は、ロバート・テイラー、エドワード・ハート、レイナード・ロビンソンの3人。

彼らのコーチ・スタンライトは、オリンピックの18ヵ月も前に作られたスケジュール表に書かれていた「2次予選・午後7時スタート」を選手に伝えていた。

その後、時間が変吏になったことなどつゆ知らず、4人はスタジアム行きのバスを、ABCテレビの本部の中で待っていたというわけである。

本部の中では、100メートルの競技会場の映橡が流れていた。これが彼らがこれから走るスタジアムだ。スタートラインには続々と選手たちがついていく。

彼らは4人とも、この様子を1次予選の録画だと思っていた。

ところが映像は録画ではなく、2次予選の生中継だとABCのスタッフから伝えられると、選手たちの顔が一斉に青ざめた。

1組目で走るレイナード・ロビンソンはまさに今、この映像の中でスタートラインについていなくてはならなかったのだ。

4人は大慌てでスタジアムに向かうものの、到着した時には、既に2組目のレースまで終わってしまっていた。

1組のロビンソンと2組のハートは、遅刻で失格となってしまった。

3組目のテイラーは急いで準備をし、スタートラインになんとか滑り込むことができた。

2次予選、準決勝をなんとか勝ち抜いたテイラーは、決勝で10秒24というタイムで銀メダルを獲得した。

 

この時優勝したのは、ソ連のバレリー・ボルソフ。タイムは10秒14。

平凡なタイムのボルソフの金メダルは[タナボタ]などとアメリカのマスコミに郷楡された。

ところが、ボルソフは、続く200メートルで当時のシーズンベストである20秒00という好タイムで優勝し、マスコミを黙らせた。

さらに4年後の1976年モントリオールオリンピックでも100メートルで銅メダルを獲得し、「ソビエト最高の精密機械」、「研究室から生まれた金メダリスト」などと呼ばれた、陸上史に残る名ランナーだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る