第13話 ミュンヘン大会のテロ事件とオリンピックのセキュリティ

ミュンヘンオリンピック開催中の1972年9月5日早朝、テロ事件が発生した。オリンピック選手村に、武装したパレスチナゲリラ「ブラック・セプテンバー(黒い9月)」が突如乱人したのである。

8人の男たちは、2メートルほどある壁を乗り越えて宿舎内に侵人。その場にいたイスラエル人選手とコーチ2名を射殺し、残った選手やコーチ、審判ら9名を人質に取ると、選手村で立てこもりを開始した。これにより競技が中断、オリンピック史上前代未聞の大事件となったのである。

この時、ヨットのベルギー代表として犬会に参加していた、前IOC会長のジャック・ロゲは、競技会場に突然モーターボートが接近し、イスラエルの選手を避難させた様子を見ていたという。また、競泳で7個の金メダルを獲得したマーク・スピッツ(アメリカ)らユダヤ系の選手の多くが、即時に西ドイツから帰国するなど、選手たちの間にも大きな波紋を広げた。

34時間に渡る中断の後、オリンピックは再開された。

ここで大会を中止すれば、テロに屈することになるとの判断によるものだ。事件翌日には追悼セレモニーが行われ、当時のIOC会長・ブランデージが「我々はテロに屈しない」と宣言した。余談だが、この時日本人選手は誰も追悼セレモニーに参加していない。セレモニーがあったことも知らされなかったと言われている。

最終的にこのテロ事件は、人質全員と警察官などが死亡する大惨事となってしまった。

事件後には当時のイスラエル首相メイア氏の命令で、テロ事件に関わった者たちを暗殺するという報復も起こっている。


ところで、テロリストたちが「宿舎の壁を乗り越えて侵人した」と冒頭で述べたが、選手村のセキュリティに問題はなかったのだろうか。

ミュンヘンオリンピックの警備費用は、僅か200万ドルに過ぎなかった。当時の換算レートで6億円ほどである。国内全域から約2万人の警察官が動員されていたが、大半はピストルさえ所持していなかった。さらに選手村の入口で行われていた身元チェックは、各国のユニホームやジャージーを着用していれば、自由に出入りできたという。

この警備の緩さが、テロ事件の被害を拡大させた原因の一つと言えるだろう。

当時西ドイツは、「ソフト路線」の警備を打ち出していた。ナチスが国威発揚に利用したベルリンオリンピックの暗い影を振り払い、復興に邁進した「新生ドイツ」をアピールするためである。しかしミュンヘンオリンピックでは、このソフト路線の警備が裏目に出てしまった。

 

近年では、2001年に起こったアメリカ同時多発テロの影響なども受けて、オリンピックに巨額の警備費が投人されるようになった。2000年シドニー大会では約3億ドル(推定)、2002年ソルトレークシティ冬季大会では3億1000万ドル(約400億円)、2004年アテネ大会では10億ユーロ(約1300億円)、そして2006年トリノ大会では9000万ユーロ(約126億円)。警備費は、オリンピック運営費や建設費とは別に、開催国政府にとって重い負桓となる。この巨額費用がオリンピック招致に立候補できるか否かにかかっていると分析する専門家もいるほどだ。

アテネオリンピックでは、IOCに最大1億7000万ドルの損害額を補填するという保険を掛け、彼らは680万ドルの保険料を支払った。

4年後の北京大会は、他のオリンピックとは比べ物にならないリスクがあると判断したのだろう。IOCは4億1500万ドルの保険を掛け、938万ドルという保険料を支払った。

そして、この額は中国政府のメンツを立てたのか公表されなかった。

IOCはロンドンオリンピックでは、3億1000万ポンドの保険を掛けたが、保険料は公表されていない。

テレビでは華やかな舞台しか映らないが、現在のオリンピック施設は、セキュリティ検査機器であふれている。室内競技の会場では、監視カメラが観客ひとりひとりの顔を写し、テロと関係した人かどうかすぐに調べるなど、徹底した警備が行われている。当然、選手村のセキュリティは言うまでもない。ミュンヘン大会での事件の教訓が生かされていると言っていいだろう。

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