第10話 オリンピック史に汚点を残すセックスチェック
1960年代のオリンピックでは、男子選手が女子選手になりすましてメダルを獲るも、後に発覚して剥奪された例がいくつかある。ローマ大会、束京大会でそれぞれ金メダルを獲得しているソ連の陸上選手タマラ・プレス、イリーナ・プレス姉妹は、女子離れした容姿で、テレビの前の日本人に金メダル以上のインパクトを与えた。
彼女(?)たち以外にも、東京大会での女子400メートルリレーで優勝したポーランドの1人の選手や、1966年のアルペンスキー世界選手権の女子滑降優勝者が、後に男性であることが判明し問題となった。
性別を偽って出場する選手が相次いだため、1968年のメキシコ大会を契機に、オリンピックやアジア大会などでは、女性かどうかのセックスチェックが実施されるようになった。するとプレス姉妹は、表舞台から逃げるように消えてしまった。
導入されたセックスチェックは、能力の平等さを保つことを建前としていたが、スポーツ史上類を見ない女性差別と言っても過言ではないものだった。何人もの医師の前で全裸になり視認検査が行われたり、さらには直接性器をチェックするなどしていたのだ。
このあまりに露骨なチェック方法に、選手からはクレームが殺到する。それを受けて、1968年のメキシコ大会以降は、頬の内側の粘膜を採取する遺伝子検査が行われるようになった。
人の男女差は染色体で決まり、XYがオス、XXがメスとなることから、口の中の粘膜をへらで採取し、試薬で男性だけが持っているY染色体の有無を調べる方法を採るようになったのである。
ところがこの検査方法では、生まれながら染色体に異常のある女性が「男性」と判定されかねない。生まれてからずっと女性として育てられてきたのに、DNA的には男性、あるいは半陰陽、インターセックスなどであると判明し、オリンピックに出場できなかった選手が少なからず出てきたのだ。
1990年代になって、性別に最も巌しく対処してきた国際陸上連盟(IAAF)が世界陸上での染色体チエックを中止、2000年のシドニー五輸からIOCも全てのセックスチエックを中止した。
検査に費用がかかることをその理由としているが、選手の人権にも配慮したのであろう。人が男であるか、女であるかの線引きは、人間の手に負いかねる領域にあるのだ。
ところが、2004年になって事態は急展開する。10Cは、性転換手術を受けた選手も条件を満たせば、五輪に参加できるという方針を打ち出したのだ。適切な治療を受け、法的にも新しい性になり、2年間を経過すれば、五輪参加が可能というものだ。IOCは選手の人権に配慮し、どんな選手にも門戸を閉ざさないようにしたのだ。
この新規定は2004年アテネ大会から適用されているが、これまで明らかになったケースはない。
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