ビー玉

 小学1年生の夏休み、近所のスーパーで期間限定の「ビー玉詰め放題300円」というのがやっていた。

 小さいプラスチックの容器の蓋が閉まるなら、どんなに詰め込んでも300円というものだった。


 色とりどりのビー玉はどれも目を引いたが、特に気に入ったものがあった。

 角度によって水色にも紫色にも見える、とりわけ綺麗なビー玉だった。


 滅多にものを欲しいと思わない子だったのに、どういうわけか欲しくて欲しくてたまらなくなった。


 けれど幼かったから、300円でさえも大金だった。親も厳しめの人達だったし、ねだり方も分からなかった。

 塾の夏期講習の帰りに売り場に立ち寄り、そのビー玉を眺める日々が続いた。

詰め放題の期間はもうすぐ終了してしまう。どうしようどうしようと、悩んでいた。


 そして、あの日。

 きらきらと輝きを放つ球体の山から、あの水色であり紫色でもある一つをつまんだ。

 涙の浮かびそうなのを堪えながら周囲を見回し、誰もこちらを見ていないのを確かめて、ズボンのポケットに忍ばせた。




 やってしまった。そんな思いで頭がいっぱいになった。

 道行く人がみんなこちらを見ている気がした、みんな私のしたことを知っている気がした。

 欲しい欲しいと切望していたものを手に入れた喜びはどこにもなく、早くも後悔て満たされていた。


 家に帰り、自分の部屋にこもった。

 どうしよう、どうしようと、ベッド上で膝を抱えた。

 何分もそのまま動けなかった。


 やっぱりダメだ。明日返しに行こう。

 ポケットに手を差し込んだ。


 なんだか柔らかい。ガラスでできたビー玉のはずなのに、ぎゅっと力を込めて押したら潰れそうなくらい……


 引っ張り出してみた。

 サイズはあのビー玉と同じくらい。

 だけど、色は黒。石けんがついてるみたいにぬるぬるとした手触り。

 私のしたことを知ってるみたいに、こちらに向けられた視線。


 小さく悲鳴をあげて床に放り投げた。

 紅い筋を描きながら転がった「それ」は、目だった。

 真っ黒で、まん丸な眼球。

 静かに、無言で私を責めるように睨んでいた。


 怖かったのに、目を離せずしばらく見つめあった。

 けれど、ふと瞬きをした途端、闇をたたえた目はきらめくビー玉に変わっていた。私が万引きした、あのビー玉に。床に付着したあの赤い液体も、消え去っていた。


 翌日、盗んだビー玉は返した。売り場のビー玉の山に紛れ込ませて。

 けれど、それから時々、ふとした瞬間に責めるような視線を感じて、はっと振り返ることがある。振り返った先に、私を睨む人がいたことはない。

 けれど、たしかにあの時と同じ、あの視線を感じるのだ。大人になった、今でも。

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