ショクザイ
墨をぶちまけたような夜の中。
AさんとBさんと私の荒い息遣いと、地面を蹴る音だけが響き渡る。
何時間も走り続け、やがて路地裏に逃げ込んだ。
「こ、ここまで来れば流石に見つからないだろ…」
息を上げながら、Aさんが呟く。
「そう、だと、いいん、です、けど…」
とぎれとぎれにBさんが返す。
「でも、あいつらは地の果てまで追ってくると… やっぱり逃げても無駄なんじゃ…」
息を整えてから、私は言う。
「何言ってんだ! ここまで来といて今更! こうなったら絶対逃げ切るぞ!」
Aさんが大声を上げた、その時だった。
闇をたたえた空に浮かぶ暗雲から、大きな大きな1本の腕が降りてきた。
一寸の迷いも見せず、Aさんの襟首をつかんだ。
そうして、いつの間にかそばに出現していた「何か」の中にAさんをぽいと放り込み、ふたを閉めた。
「何か」は、ミキサーだった。
食べ物を粉々にする道具である、あのミキサー。
20mはありそうな、巨大なそれに入れられたAさんは何か叫んでいるみたいだったけど、何て言っているのかはガラスにさえぎられて聞こえなかった。
戸惑うBさんと私の目前で、腕はミキサーのスイッチを押した。
ががががががという爆音とともに、内部にしこまれた無数の刃がAさんを切り刻んだ。
Aさんは一瞬で原形を失い、ほんの数秒で真っ赤なジュースと化した。
Bさんと私は喉の奥から悲鳴を上げ、再び夜道を駆けだした。
あんな… あんなふうに殺されるなんて!
聞いてはいたけど、実際に見てしまったら改めて恐怖がせり上がってきた。
じゃあ、私は、あんな失敗をした私は一体どんな殺され方をするの!?
足が震える。上手く走れない。
衝撃を感じたと思ったら、地面がグングン眼前に接近してくる。バン、という激痛が全身に走る。
つまづいて転んだんだ。ああ、もうダメだ。
頭上からごごごごごという大きな音がする。
ああ、腕に捕まる。
どうやって死ぬんだろう私。すごい失敗しちゃったからなあ…
そう考えていたら、身体の上に別の気配が現れた。
後ろを向いた。Bさんが私に覆いかぶさっていた。
かばってくれたんだと気付いたのと、Bさんの胴体が腕につかまれたのは同時だった。
持ち上げられたBさんに、白い粉が雪のように降り注いだ。
真っ白なかたまりになったBさんに、続いて黄色いどろっとした液体が降りかけられた。
そのまま、いつの間にかそばに出現していた「何か」の中にBさんはぽいと放り込まれた。
「何か」は熱い油で満たされた鍋だった。
直径20mはありそうな、巨大なそれにBさんが入れられた直後、じゅわーっと鼓膜が破れそうな音がした。
数秒後、箸を持った腕が、鍋から何かをつまみ上げた。
きつね色の衣にくるまれたそれが何なのかは、説明されなくても分かった。
逃げなきゃ。そう思うのに、身体には全く力が入らなかった。
腕が、箸ときつね色の何かを持ったまま、するすると雲に戻っていく。
すぐに私を殺すための道具を持って降りてくるんだろう。
ああ、もう、逃げられない。
この世界には、ルールがある。
料理を失敗した者は、その失敗した料理になぞらえて殺されなければならない。
かつて生物だった食材達は、皆人間のために命を失った。
それゆえ料理に失敗し、食材、つまりは命を無駄にした人間が贖罪として命を捧げなければならないのは当然なのだ。
4本の腕が降りてきた。
巨大な包丁を持った腕、巨大なまな板を持った腕、巨大な醤油瓶を持った腕、そして、巨大な箸を持った腕。
嫌だよ、怖いよ。どんな殺され方をするんだろう。
魚の生け造りを失敗した私は。
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