反魂

私の職場に、笑顔がとても素敵な人がいる。

まん丸い目を細めて、きれいに並んだ歯を見せて、ニカッっと笑う。

見ているこっちにも、うれしさとか楽しさが伝染してくるような表情が、すごく印象的。


そんな彼女が、笑わなくなった。

いとこが殺されたらしい。

夕方商店街を歩いていたら、通り魔に刺されたそうだ。

いとこを亡くす前、彼女はよく言っていた。「いとこは私の親友なの」と。


あたし達職場の仲間はみんな彼女が大好きだから、彼女の話に耳を傾けたり、休日は彼女の好きな場所に連れ出したりと、至らない点もあったかもしれないがやれるだけのことをしたつもりではある。

その甲斐があったのか、2年ほどの時間はかかったけど彼女は除々に元気を取り戻していった。

それでも、以前のような笑顔はなかなか戻ってこなかった。


ところが、先週の朝、驚くことがあった。

「おはよう!」

自分の席で仕事をしていたら、彼女の声が聞こえてきた。

「うん、おはよう」

挨拶を返して顔を上げると、そこにあったのは、あの笑顔だった。


その日から、彼女は何事もなかったかのようにトレードマークの笑顔を再び振りまくようになった。

みんな安心したけど、それと同時に「なぜ急に…?」と疑問にも思った。


だから、今日、お昼休みに一緒にご飯を食べたときに訊いてみた。

といってもストレートに質問するのも何となくためらわれたので「あのさ、えっと、最近元気だよね。いや、違う、元気なのはいいんだけど、なんかその、今まではそんなでもなかったのにというか…」って感じに、ひどくぎこちなくなってしまったが。

それでも、彼女はあたしの言わんとしていることをわかってくれたようだった。

少し考え込むような表情をしてから、「君になら話してもいいかな」と言って、元気になった理由をあの笑顔で教えてくれた。


彼女の話は、大体こんな内容だった。

この前彼女が仕事中にPCで調べものをしていたら、どこかのリンクをクリックしたわけでもないのに突然画面が切り替わったそうだ。

何かと思って見ていると、黒字に白の小さな文字で「反魂の儀式」というタイトルと、そのやり方が事細かに書かれたページが現れたそうだ。

「反魂」。その言葉は聞いたことがあった。死者の魂を呼び戻し、生き返らせること。そんな意味だったはずだ。

彼女は急いでスマホでその画面の写真を撮ると、右上の×をクリックしてページを消した。何故か誰にも見られてはいけないと思ったそうだ。ちなみに、後で確かめたらPCの履歴にそのページは残っていなかったらしい。

会社から帰って、彼女は早速その儀式を試したそうだ。

必要なものを床に並べ、目を閉じて呪文を唱えながら、生き返ってほしい相手のことを強く思い続けて…

そして。

儀式を終え、ドキドキしながら目を開けると。

部屋の真ん中に、ずっと会いたかった人が、全裸で横たわっていたそうだ。


「何故か今はその儀式のやり方さっぱり覚えてないんだよね。目つぶって何かを言いながらひたすらあの人のことを思ってたってことしか覚えてない。道具も何をどのくらい用意したのか忘れた。スマホの写真もいつの間にか消えてたし。

きっと、あの術を使えるのは1回だけで、蘇らせられるのも1人だけってことなんだろうね。でも、私にはそれで十分だった」


「はあ」

荒唐無稽すぎてまずはそれしか言えなかった。この子ってこういうの信じるタイプだったっけ。


「まあ、生き返ったとはいっても、うめき声は出せるけどちゃんとした言葉は話せないし、まったく身動きもできないんだよね。自力で動かせるのは口と瞼と眼球だけ。でもこっちが言うことは全部分かってくれてるみたい。目を覚ましたとき、最初に事件の話したらすごく震えてたし」

まだコメントに困っているあたしにそう説明し、続けてこう尋ねてきた。


「ね、うちに来ない?」

あたしは思わず首を縦に振っていた。この話を信じたわけじゃない。そんな気には到底なれなかった。

でも、理由はどうあれ彼女があの笑顔を取り戻したのは喜ばしいことだと思ったし、久しぶりに家に招待してくれると言うのだから、お言葉に甘えようと思ったんだ。


というわけで、その日の夜に彼女の家を訪れた。

ピアノが趣味の彼女は、防音がしっかりしてるから楽器を演奏しても、大音量で音楽を聴いても他の部屋の住人には聞こえないということが売りの高めのマンションに1人暮らしをしている。

前にも遊びに行ったことがあるけど、広くてきれいで、本当に素敵だった。


「リビングにいるからね。覚えてると思うけど、廊下をまっすぐ行ったつきあたりの部屋」

エレベーターから降りて一番近くの部屋のドアの鍵穴に鍵を差し込みながら彼女は言った。

何がいるんだろう。まさか本当にいとこさんが蘇ったのだろうか。

それとも、別の何かをいとこさんだと思い込んでいるのか。もしそうなら、なんとか病院に連れて行った方がいいのか…


かちゃ


鍵が開いた。

「どうぞ」

彼女がドアを開けた。

「…おじゃまします」

あたしは、中へと踏み込んだ。




変な音が、家の奥から響いていた。

最初は、何なのかわからなかった。

でも、彼女が玄関のドアを施錠した音を聞いたと同時にわかった。




人の声だ。

それも、きっと悲鳴だ。

悲鳴は基本、「ギャー」「うわー」などという文字で表現されることが多い。

これがそれらと同じ悲鳴だとすぐに判別できなかったのは、文字では表しようがないくらいに、めちゃくちゃな音を発しまくっていたからだった。

悲鳴だと理解できたのは、聞いているこっちにも、痛みとか苦しみが伝染してくるような、そんな音だったから。


言葉にならないそれに混じって、歯医者の使うドリルのようなきゅいーんという音と、ごりごりと何かが削れていく音、ぴちゃ、ぴちゃと何かの液体が跳ねる音がわずかに聞こえてきた。


固まってしまった私は、彼女の次の台詞に耳を疑った。



「あー、今日はまた一段と苦しんでるねー… いい気味」



あたしは、固まったままの顔を彼女に向けた。

「すごいんだよこいつ。結構エグいことしても死なないの。やっぱりもう人間じゃないってことなのかな?」

彼女は、笑顔だった。みんなが大好きな、あの笑顔だった。


「親友じゃなかったの!?」

無意識に叫んだ声は、自分でも驚くくらい裏返っていた。


彼女は一瞬、何言ってんだあんたという顔をしたが、すぐに二カッと笑って答えた。




「ああ、もしかしてなんか勘違いしてた? ほら、いとこ殺した犯人って、他にも何人か殺してから警察が来る前に自殺したじゃない?」




……じゃあ、彼女が生き返らせたのって……


冬にしては暖かい日だったのに、背中を伝う冷たい汗が止まらなかった。


そんなあたしの心情を知ってか知らずか、彼女は、リビングに通じる扉の前まで歩いていき、笑顔のままドアノブに手をかけた。


「見る?」

今にも、ドアノブを回そうとしていた。

その間にも、痛くて苦しそうな声は空気を振るわせ続けていた。


今度は、思わず首を横に振っていた。

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