第2話:現実となった幻想①

 何が起こった?

 それが正直な、最初に感じた疑問だった。


 視界を埋め尽くす人の群れ。

 ただ、呆然と立ち尽くし、状況を理解出来ない人が大半を占めている。意味も分からず叫ぶ者。泣き出す者。何とか情報を得ようと声を掛け合う者。


「…………ありえんだろ、これは」


 そんな面々は容姿も多種多様。

 大半は普通の人間と変わりない容姿だが、獣耳を生やしていたり、ひげ面だったり、背中に半透明の無視みたいな羽があったり。自分の姿が変わっていることに戸惑い、叫び、涙する姿があちらこちらで見られる。

 獣耳は分かりやすい。獣人族だろう。

 ひげ面で短足低身長はドワーフの特徴と一致するし、虫みたいな羽はフェアリィだろうか。フェアリィのサイズは公式設定は普通の人間と変わらないということだったが、羽の生えた人間というのは何とも違和感がある。ドワーフとフェアリィ、あとエルフが妖精族となる。見る限りではエルフは数人しかいないが、そもそもエルフ人口は数万人と少ないからな。パーティを組んでエルフが二人もいたら今日はいいことありそうだと言われたほどだし。あとは見た目が普人族と対して変わらない魔族もいるのかな。肌の色とか青白いのが多かったけど、微妙過ぎて分からない。


「しかし、ここは――」


 どこか傍観者な気分があるのは現実逃避をしているのか。いや、直視しようとして横目で見ているのかも知れない。直視するにはあまりにも滑稽で笑い話にしかならないから。とはいえ、いつまでも傍観者でいるわけにもいかない。何せ、この場が“現実”になったのは確かなのだから。


「リ・ヴァイス、……か」


 一人呟きながら左手首に装着された腕輪リングを見やる。

 スマートフォン専用オンラインゲーム『スマート・ワールド』

 ゲームの中で冒険する世界の名前を“リ・ヴァイス”と言う。そして、“リ・ヴァイス”で冒険者達は冒険者互助組織から支給される腕輪型の身分証を装着することが義務付けられている。


「そして、この服装……」


 自身の姿をよく観察してみる。

 黒地に銀糸で刺繍されたローブ、ハット、グローブ、ブーツ……。“リ・ヴァイス”の世界でも希少素材で作られた装備一式であり、俺が持つ中でも最高級品である。

 それを、自分自身が装備している。本来であれば、ゲーム内のアバターが“装備”している装備一式を、だ。


「駄目だ、見事に混乱してるわ」


 冷静を装ってみても頭は混乱の極みらしい。独り言は自己防衛の一種だと聞くが、それは一先ず置いておこう。

 状況分析もままならず、かといってこのままでは何も進まない。まずは情報収集。そして、次に行動だな。


「まず、は――」


 ここに至るまでの状況確認だろう。

 本日午後四時ちょうどに、五周年記念イベントのアップデートが終了し、ゲームを起動して“ゲームスタート”をタップしたら突然画面が発光。気づけば、この状況になっていた。


「さっぱり分からん」


 アップデート終了時刻は一〇代がメインターゲットであるから、学校が終わる時間に合わせたのだろう。だからなのか、周囲にいる人達はほとんどが若く、中には小学生くらいの子もいる。その子らも一様に物々しい装備を着込んでいるから自分の恰好も浮くことがない。


「……困った」


 何も分からない。

 状況確認するきっかけが何かあれば……。と、腕を組んだところで“ピポッ”と音がした。


「なんだ?」


 音がした方に目をやれば、腕輪に填められた赤い宝飾が静かに点滅していた。

 今更ながらこの腕輪も訳が分からない。“リ・ヴァイス”の冒険者が装着している腕輪を何故俺が――と、思ったところで、状況が好転するわけでもない。


「赤い宝飾と、緑の宝飾が一個ずつ……で、この細長い溝みたいなのは――うおっ」


 と、中央にある幅二センチほどの溝に触れたところで、“ピッ”と音がして突如一〇センチ四方の半透明なものが浮かび上がってきた。


「な、なんだ……これ?」


 腕輪の上に表示された半透明の物体。これは漫画やアニメに出てくる半透過ディスプレイというやつではないだろうか? その証拠にそこには大きな文字で『五周年記念イベント開始』と表示されているではないか。


「ますます訳が……」


 分からんと言おうとして、気付けばディスプレイへ触れてみた。と、表示が切り替わり、文字が勢いよく羅列されていく。


「えっと……」


 もはや状況から完全に置いてけぼりを喰らっている感があるけど、気にしたら負けなのだろう。

 そんなことを思いながら表示された文字を目で追っていく。――が、次第にその内容に、その事実に、胃の腑が締め付けられ、吐き気がしてきた。



☆☆☆☆☆



 五周年記念イベント『世界の終焉ワールド・エンド

 本日のアップデートにより、『世界の終焉ワールド・エンド』を開催いたします。

 このイベントは現実世界と融合した“リ・ヴァイス”の世界を旅し、終焉を阻止することを目的をしています。


 注意事項――

 スマートフォンは腕輪型に変形してアバターの能力を使用者にフィードバックする仕様となります。そのため、ゲーム参加者【チュートリアルをクリアされた方】は強制的にアバターの能力を手に入れることになりますが、拒否権はございませんのであらかじめご了承ください。

 また、アップデート完了後、一時間経過してもログインされていないプレイヤーは強制ログインとなりますのでご了承ください。


 『世界の終焉ワールド・エンド』は現実世界の“日本”のみが舞台となるため、海外のプレイヤーは日本へ強制転送されます。また、転送地点はランダムとなりますのでご了承ください。国内プレイヤーはログアウトした時点での位置情報により、最寄りのリターンポイント(死亡時の再生地点)より開始となります。また、ダンジョン内の休憩ポイントでログアウトした場合はその場所からの開始となります。


 日本国内にいる『スマート・ワールド』に参加されていない一般人の方は、ゲーム内のNPC(一般人)としてゲームに強制参加となります。特に皆様から説明は必要ありません。そのように説明を受けておりますのでご安心ください。

現在は新規登録が不可能となります。また、キャラクターの削除も不可能となりますので、プレイヤーの皆様はそのまま『スマート・ワールド』の世界をお楽しみください。

 ギルドに登録している冒険者はプレイヤー以外は存在しませんが、一部例外も存在しますのでご了承ください。


 災厄は一年後。その間はログアウト、国外退去は一切出来ません。

 北から来る厄災――古代の魔獣『世界の穢れをミッドガルオルム・浄化する蛇ウロボロス』を倒すことが最終目的となります。

 本来は北の極地に封印されていますが、現実世界では国内のみが舞台となるので北海道が封印の地となります。


 死亡時のペナルティに関して――

 プレイヤーが死亡した場合、蘇生アイテムや蘇生スキルなどで即時復活が可能です。また、即時蘇生が不可の場合、死亡時から一二時間の猶予が与えられ、その間に蘇生行為が行えれば蘇生出来ます。どちらも、一時的なステータスダウン、習得アイテムの一部損失などがありますが、記憶や身体に一切の障害は起こりませんのでご安心ください。

 一二時間経過後、蘇生確認が取れない場合はリターンポイントでの蘇生措置となります。こちらはペナルティはございませんが、転送ポイントはランダムとなりますのでご了承ください。


 NPC(ゲーム不参加の一般人)について――

 ゲームに参加していない一般人の方には事前説明を済ませております。安心してプレイヤーの皆様はゲームを続けてください。

 セーフティエリア内であってもNPC《一般人》と戦闘行為は可能です。

 NPCは即死耐性と生命力が一〇%未満になった場合は仮死状態となり、完全防御状態となります。そのため、街中での対プレイヤーとの戦闘行為において死ぬことはありません。ただし、状態異常は解除しない限り有効であり、場合によっては死亡することもあります。蘇生行為を失敗した場合はNPCは消失ロストとなり、永久に消滅します。

 こちらに明記された『NPC』とはゲームに参加していない一般人のことを指し、“リ・ヴァイス”の住人はその限りではありませんのでご注意ください。


 最後に――

 一年後、討伐できなかった場合、世界滅亡となり、ゲームオーバーとなります。

 これは、ウロボロスの浄化対象が“人間”となっているため、討伐出来なかった=世界滅亡となります。浄化は大洪水ですべての文明が滅ぼされた後、世界は再構成される。その際、人類は不要とされ、新しい種族が作られることになります。


 つまり、これは種族の存亡をかけた戦争です。


 ただ、素直にすべてを信じるのは現状では難しいと思われます。ですから、まずは自身の目で、耳で、身体で、体験してください。

 この理不尽な現実を。

 そして、決めてください。己が成すべきことを自身の意志で。

 願わくば、世界を救うために立ち上がってくれる者達がいることを信じています。



☆☆☆☆☆



 言葉が出なかった。


「お、おいっ――なんだよこれっ?」

「うそっ、どうなってんのっ」

「ちょっ、え? 何がどうなっての」


 何だこれ? と思うことは出来ても、それを理解することを頭が拒絶している。

 あちらこちらで戸惑いの声が飛んでいるのは、恐らく同じものを見たからだろう。怒号や罵声も飛び交うが、大半の者達はまだ状況を正常に把握出来ないいないようだ。


「くそっ……どうすればいいんだよっ」

「いやだよっ、お家に帰りたいよっ」

「ふざけんな! 運営出て来て説明しやがれっ」


 小さな女の子は泣き崩れ、苛立ちをぶつける相手もなく拳を握る男が天を仰ぐ。

 徐々に広がっていく混乱の渦は留まることを知らず、掴み合いの喧嘩をはじめる者達もいる。その間にもゲームを起動したのだろうか、光に包まれた人影が一つ、また一つと増えていく。


 ……マズイな。


 このままここにいては余計な騒動トラブルに巻き込まれそうだ。

 ひとまず安全な場所を確保して更に情報の精査を進めないといけない。すべてを鵜呑みにするのは得策ではないだろうが、これが夢でないのは確かだろう。

 例え、見える町並みに見覚えがなくても……いや、違う。


「ここって……アジオルの町、か?」


 画面越しで見慣れた風景が眼前に広がっている。

 南の神聖国サウーラにある緑豊かな町アジオル。初心者の町としての一面を持ち、多くの新規プレイヤーが闊歩している。ただ、近くに『ナイトメア・ハウス』や旧・四強窟の一つもあるので高レベルのプレイヤーも見受けられ、俺は数日前から素材調達のためにここを拠点にしていた。そのため、ログインすればこの町から再開となる。


 『国内プレイヤーはログアウト時点での位置情報により、最寄りのリターンポイント(ログアウト可能地点)より開始となります』


 その事実が否応なく“現実”であることを叩きつけてくる。


 ……くそっ。


 キリキリと痛む胃の腑の辺りを摩りながら周囲を見渡す。

 冒険者然とした風貌とは別に、布製の衣服を纏った人達も徐々に見かけられるようになった。冒険者の初期装備に布製の衣服はあるが、見かけるのはNPCが着ているような町人然とした衣服である。


「えっ? な、なに……」

「うおっ」

「や、やだ……ほんと、に……ゲームの世界に……」

「あの話は本当に――、だとしても、これは……」


 戸惑う声を上げる中年女性と男性は周囲を見渡し、互いに顔を見合わせて何やら話しはじめた。恐らく夫婦なのだろう。しかし、状況についていけず、困惑するばかりで顔色は徐々に悪くなっている。


「……あ。父さんと母さんは――」


 父さんは海外に単身赴任中で、母さんは先日父さんの元へ向かったばかりだ。

 イベントの説明通りならば、国外にいる両親は問題ないのだろう。多分、向こうではそのうち大騒ぎになるかも知れないが、心配しなくていいのは幾分か気が楽だ。


「……あかり……」


 だが、もう一人の家族は火急的速やかに探し出さないといけないだろう。


「あいつ、どこにいるんだ?」


 我が妹――佐伯灯さえきあかりを。



☆★★★☆



 緑豊かな町並みを眺めながら、少女は人知れずため息を吐く。


「うぅ……お兄ちゃぁああん」


 南の神聖国サウーラの西方部にある林業が盛んな町――オウド。その町の一角にて、膝を抱えた少女が一人、眦に浮かぶ涙の粒をそのままに唇をへの字に曲げ、込み上げてくる嗚咽を堪える。

 ネコミミとシッポも力なく垂れており、少女の感情を如実に表している。最初は驚いた自身の姿も、それ以上に大切な事柄を前にしては今では過去のことになってしまった。


「どこにいるのぉ……お兄ちゃぁあん」


 漏れそうになる嗚咽を堪え、少女――佐伯灯は辺りを見渡す。

 基本、頭で考えるよりもまずは行動を旨とする元気娘ではあるが、さすがにこの状況下ではすっかり委縮してしまい、儚げな印象を前面に押し出していた。


「まさか、ゲームの世界が現実になるなんて……デスゲームなんてノーセンキューだよぉ」


 周囲の喧騒に紛れて聞こえてきた話を精査しながら、腕輪を操作して読み終えたその内容に感情が溢れてしまった。

 ゲームが現実に? 死んでも生き返れる? 一年後にボスを倒さないとゲームオーバー?

 分からない、分かりたくない。

 どうしてこんなことになったのか、そんなことはどうでもいい。


 ……お兄ちゃん。


 ただ思うのは、兄のことばかり。

 小さい頃から、忙しい両親の代わりに何かと気にかけてくれた兄。気付けば、最愛の人になっていた兄。

 きっかけは些細なことだった。だけれど、それは少女にとってどんなことよりも鮮明に記憶している思い出である。

兄妹以上の感情を持つことが駄目なことは年齢的にも理解は出来ている。しかし、 一度自覚した感情をなかったことにするのも無理な話である。かくして、一六年という短い人生ではあるが、ある意味で壮絶な恋愛を現在進行形で行っている少女は何はともあれ“強かった”。

 周囲を見渡しても知り合いは見つからず、孤独に苛まれている少女の精神(こころ)だったが、不意に顔を上げて頬を両手で叩く。


「よしっ」


 小気味よい音と共に少女の瞳に先ほどまでとは違う決意に満ち溢れ、そばに置いてあった弓を背負い、力強く一歩を踏み出す。


「あっ……確か、『ナイトメア・ハウス』にいるって言ってたよね」


 だが、不意に小さく呟いて足を止め、暫し思案に暮れる。

 昨日の会話で兄の居場所は把握している。もっとも、それは手段(きっかけ)に過ぎず、兄の趣味嗜好を更に深く知ろうと聞き出すことに夢中となったため、自分の居場所を伝えるのもすっかり忘れていたのを今頃になって気付いた。


「なら、場所の確認しなくちゃ」


 だが、これ以上ない有益な情報である。愛しの兄がそこにいる。そして、きっと自分のことを探してくれるいるはずだ。


 ――ぐふふっ……


 溢れそうになる妄想心の涎を拭い、踵を返して辺りを見渡し、目的の建物――冒険者互助組織(ギルド)を見つけると一目散に駆け出した。兄の元へ辿り着く情報の宝庫へ向かって。


「お兄ちゃん待っててねぇええええっ」


 一人気合を入れる少女に周囲から奇異の視線が向く。しかし、少女は我関せず、否、そんなものは眼中にない。

 最愛の兄を探す。ただそれだけのために、少女は進み出す。


「そして、再開の場面で……にゅふふっ」


 最愛の兄を見つけ、感動の再会で公然と抱き付く! という邪な考えを小さな胸に秘め、少女の兄探しの旅ははじまったのである――

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