第26話:エムノシル探訪⑥

 演習場で俺的に優先度の高いスキルを確認して、三人で宿へ帰ってきた。


「ふへぇ……疲れたぁ」

「そうだな。しかし、このペースではいつになったらモンスターを相手に出来るようになるか」


 宿の一階にある食堂の一角。

 テーブルに力なく突っ伏する広美さんを横目に、まだまだ元気なエルさんは今日の反省点を口にしていく。


「エルさんはモンスターと戦うのが怖くはないんですか?」

「怖いに決まっているだろ」


 そんなエルさんへ身体を起こした広美さんが問うも、エルさんは即答で返した。


「逃げても何も変わらない。ならば、逃げずに勝つ方法――生き残れる方法を考えないといけない。もちろん、逃げ時を間違わないよう、相手のことを知ることも必要となってくる。やらないといけないことは多々ある」

「……強いですね」

「強くはない。強くありたいと願うが、私はまだ弱いから……」


 一瞬エルさんの顔が曇るも、すぐに元へ戻る。

 そんな二人の会話を聞きながら、昨日から気になっていたことを聞くことにした。


「ところで、エルさん」

「なんだ?」

「クランを解散したのは何故ですか?」


 この人に回りくどい物言いは逆効果だ。ここは単刀直入に聞くのが一番。


「ふむ。以前から考えていたことだが……理由は渉なら分かるだろ」

「……サブマスの二人ですか?」

「ああ、そうだ」


 まぁ、色々と大変だと思う。


「まぁ、私自身にも問題があるのは百も承知だ。クランマスターではあったが、クランの運営はサブマスの双子に任せっきりだったからな」


 やっぱり双子で間違いなかったか。


「最初の頃は問題なく行っていた。双子の手腕なのか、メンバー間の仲も良好だった。私はそれに甘んじてクランのことを顧みなかった……だが、それが失敗だった」

「…………」


 エルさんの目が広美さんへ向き、広美さんはその視線から逃げるように目を逸らす。


「あの双子が起こした問題で幾人ものメンバーが抜けていき、その度に注意はしたがあの双子には馬耳東風だった。たぶん、そのときはもう、私はただのお飾りだったのだろう……クランメンバーにも私の声は届かなかった。いてもいなくてもいい、形だけのマスター。そうしてしまったのは自分自身なので文句は言えないが、な」


 自嘲気味に笑うエルさんは更に続ける。


「それでも、ゲームの中だけだから。そんな無責任な思いで今までクランを存続させていたが――現実となった今、このままクランを残しているのは駄目だと思ったのだ」

「それで、解散を……」

「自分勝手な愚か者だと分かっている。ただ、あのままクランが存続していたら、いずれトラブルを起こすのは目に見えている。そして、それが“リ・ヴァイス”の住人を巻き込むような事態になったら……そうなる前にすべてを終わらせたいと思った」


 なるほど。エルさんなりの考えがあっての行動だったわけか。それがかなり突拍子もないことだとしても、だ。


「この数日、私は双子と行動を共にしていた」

「――っ。え、双子って……もしかして、いるんですか? ここに」


 そして、まさかの爆弾をここで炸裂させるとは。

 広美さんもエルさんの発言に驚いて目を丸くさせ、徐々に顔色を悪くさせていく。


「ああ、ゲームのときも大概だったが、実際に会ったらそれ以上のものだった。どんな教育を受けたらああなるのか、甚だ疑問だ」

「そこまで、なんですか」

「あの双子はアップデートの日から毎日カジノに入り浸り、見ず知らずの男に金を借りる。何もかも他人任せにしようとする性分。私も人のことは言えないが、あれは普通ではない……どこか壊れている」


 そこまでなのか。そこまで“危険”な存在がここにいるというのか。


「このままでは碌なことにならない。他のメンバーがこの双子と出会ってしまえば、きっと駄目になる。あの双子は壊れて“狂っている”、そう思っての決断だったが、あのときは感情に任せての行動だったのも否めない……皆には申し訳ないことをしたと思っている」

「それは……気にしないでください」


 深々と広美さんへ頭を下げるエルさん。そんなエルさんを押し留める広美さんは困惑の色を濃くするもゆっくりと頭を振って笑う。


「エルさんは私達、メンバーのことを思ってそうしたんですよね? なら、それを責めるつもりはありません……そもそも、このアップデートを見たら私はゲームを辞めようと思っていましたから」

「そうだったのか……本当にすまないことをした」

「い、いえ……辞めるのは私の意志ですから、気にしないでください」

「だが、その原因を作ったのは私だ。私がもっとクランのことに目を向けていれば――」


 うん、これは堂々巡りな気がするわ。


「まぁ、エルさんが残念脳筋であるのは今更だからいいけど」

「誰が残念脳筋だ。表に出ろ、表に」


 それだよ。とは口が裂けても言わない。せっかく場の雰囲気を変えようと思ったのに、言葉のチョイス間違ったわ。


「それよりも――クランホームに人はいなかったの?」

「ん? それは分からん。確認する術がなかったからな」


 何とも無責任な。いや、自覚があるから余計に性質が悪いが。


「だが、この辺りのモンスターなら問題ないレベルだぞ」

「スキルの使い方が分からないのに、武器だけで戦えと?」

「……あ」


 自分もまともに使えなかったのに、どうしてそれを忘れているのかな。自分基準で物事を判断した結果だと思うが、エルさんはもしかして実戦経験があるのだろうか? 普通に考えれば分かりそうだが、何かがズレているような気がする。根本的な何か、が。


「聞く限りでは広美さん以外はレベルが五〇以上あるみたいだから、レベル的にはこの辺りのモンスターは落ち着いてやれば対処出来ると思いますが」

「そ、そうだな……」

「平和な時代に生まれて熊や猪に怯える人間が、狂暴なモンスターを前にして平静でいられるのか……俺はミニマスを相手にしたとき恐怖を覚えましたから」

「君が、ミニマス相手に……」


 最弱と言われるモンスターの名前が出て来たことにエルさんは驚くも、それを気にせず話を続ける。


「ゲームと現実リアルは違います。ミニマスの攻撃で怪我をして血が出ました。モンスターも生きているんです。だから、必死に抗う。冒険者は死んでも生き返る――それに甘んじて、“死”を軽く考えるようになったら、その先に待っているのは恐ろしい結末だと俺は思っています」

「そう、……そうだな……っ……やはり、クランの解散は早計だったか」


 目に見えて落ち込むエルさんにかける言葉が出てこない。せめて、クランホームで解散申請をしていれば、このような問題はなかったのかも知れない。すべては後の祭りだが、願わくば無事でいてほしい。エルさん絡みで知らない間柄でもないメンバーも数人いるからな。何かあっては後味が悪い。

 いや、待てよ。

 そうだ。あの双子がいたじゃないか。あいつ等が何もせずにただ待っていると思うか? 答えは、否だ。


「渉……どうした?」

「え、あ、何?」

「いや、何やら考え込んでいるようだから、どうしたのかと思ってな」


 話していいものか、ちょっと迷うがここは秘匿する方が問題だろう。


「あー、いや、あの双子のことで、ね」

「あの双子がどうした?」

「いや、これは俺の憶測だから――」

「構わん。教えてくれ」


 酷く真面目な目をしたエルさんに促される形で、今考えていたことを口にしていく。


「まず、クラン解散のときにエルさんと双子は一緒にいた。そして、双子はカジノで遊び、見知らぬ男から金をせびったりしていた。あと、嫌なことはせずに他人任せにするようなことを口にしていた……で、合ってるよね? ゲーム内でも似たような言動はしてたけどさ」

「ああ、そうだ」

「つまり、双子はグータラで怠け者。でも、人一倍金に執着する性格……じゃないかなと予想したわけだけど、そんな双子が黙ってクランが解散するのを待っていると思う?」

「しかし、もうすでに解散処理は済んでいるぞ」

「確かにもう無理だよ。でも、昨日の解散申請を出した直後なら? クランホームの倉庫にはかなりの素材や装備が入ったままだよね?」

「た、確かに……あの双子もそれについてかなり文句を言っていたからな」


 ビンゴ。


「なら、確定だ。恐らく、あの双子はクランホームに向かっている。倉庫のアイテムを根こそぎ持ち出すために」

「――っ。そ、そうか……そこまで、あの二人は」

「幸い、ホームはこの近くなんだから行くのはそれほど苦ではないだろうし、二人だけで行ってるだろうね」

「二人だけで、か?」

「そりゃそうでしょ。余計な人手が増えれば自分達の分け前が減るし、口止めも面倒になる。なら、二人だけで行った方が遥かに楽だからね」


 すべてが憶測でしかないが、何となくこの通りの行動をしていそうで怖い。


「そして――その場に、もしメンバーがいれば……突然の解散申請に戸惑うメンバー達を口八丁で騙して自分達の手駒にするくらいの狡猾さは持ち合わせているだろうし。まぁ、勝手な憶測だからまったく違うかも知れない。でも、エルさんの話を聞く限りでは恐らくホームへ行っているのは間違いないと俺は思っている」

「……そうか。なら、ホームに他のメンバーがいれば」

「多分、あの双子は逃さない。折角の“手駒”だからね。でも、一人で行動するよりはかなり安全だと思う。……状況的には最悪だと思うけど」


 あの双子にこき使われるのと、一人でモンスターと戦うのと、どちらかを選べと言われたら俺なら迷わず後者を選ぶ。ただ、この状況下で如何に“力”を持とうとも、所詮は付け焼刃の力でしかない。

 そんな中に女性が一人で放り出されたら……きっと藁に縋る思いで、差し伸べられた手を掴むだろう。それが例え悪魔の手であっても。


「でも、それって……もしかしたら、エルさんが危ないんじゃ」

「そうだな。黙って解散した私は、彼女達からすれば裏切り者だ。何らかの報復に出ても不思議ではない」


 そう。そして、その問題もある。


「まぁ、心配するな。誰にも迷惑をかけるつもりはないから」

「……え?」


 あー、何となく考えていることが分かってしまった。


「エルさん、一人で何とかしようと思ってるでしょ?」

「そうだが? これは言わば私が撒いた種だ。誰かの手を借りるつもりはないし、貸してもらうつもりもない」


 わお、男前。――じゃなくて。


「それ、本気で言ってます?」

「ああ、本気だ」

「……はぁ」


 目がマジだわ、この人。


「向こうが襲ってくる可能性はゼロではないけど、それよりも問題は双子が何をしてくるのか分からないってところです」

「そうだな」

「こうして三人で話をしてるのを、どこかで見ている可能性だってあります」

「…………」


 ここまで言えば、俺が何を言いたのかを理解してくれたようだ。


「大丈夫だ。私が二人を守る」

「生憎と守られてばかりでは男が廃るので、俺もやります」

「……人間を相手に、出来るのか?」

「――っ。や、やらないと守れないのなら、やりますよ」


 今の物言いだと、エルさんはただの戦闘狂ではないのかも知れない。深く聞ける内容ではないが、恐ろしく冷たい目をして、背筋に怖気が走り抜けた。


「最悪の事態を想定して動くとなれば、渉だけ一人部屋は危険ではないか?」

「……へ?」

「うん、そうだ。やはり、私達と同室の方が何かあったときには動きやすい」

「いや、だから……」

「広美もそう思うだろ? 渉一人では色々と心配だから、やはりここは一緒の部屋がいいと思うのだが」


 駄目だ、聞いちゃいねぇ。

 広美さんも「は?」「へ?」「え?」の三文字しか発することが出来ないほど困惑しているし、エルさんは猪突猛進、自分でこうと決めたら他の人が何を言おうと聞こえない高性能の耳を持っているようだ。

 そんなことを思いながら、そろそろ注文をしないと追い出されそうだと店内を忙しなく動き回るお姉さんを呼んだ。



 ☆★★★☆



 賑やかな声で満たされた宿にある食堂の一角。

 その片隅でフードを目深に被った二人組が肩を寄せ合い、何やら小声で話していた。


「あれが、そう……?」

「……たぶん、そうじゃないかな」


 小声で囁き合い、互いに顔を見合わせて首を傾げる。声から女性であることは分かるが、その容姿まではフードに隠れて分からない。ただ、声色から推測するに十代の少女だと思われる。


「サブマスの――美冬さんが言っていた特徴と一致するし、あの装備は戦乙女ワルキューレのものだし、間違いないと思うけど……」

「直接会ったことないから、判断が付かないよね」

「……だね」


 小さく息を吐き、フードの人物達は暫しの休憩を兼ねて食事を再開する。

二人はとある人物を探して朝から街中を歩き回り、足は棒のようになっていた。総勢で二〇名近くの“同志”達が貿易都市エムノシルの街中を生きそうな場所を手分けして駆け回り、血眼になって探しているのだが行方は要として知れず。

 そんな二人の前に、探し人らしき人物が現れたのである。

 ギルド近くで休憩ががてら周囲を伺っているところへ、三人ずれの男女がギルドの隣にある建物から出てきたのだ。三人の中の一人――銀色の髪をした女性が探し人と特徴が一致しており、尚且つ、自分達が装備しているものと同じものを装備しているのを見て、まず間違いないだろうと尾行を開始した。


「しかし、いきなりリーダーを探して来いとか、美夏さんも無茶苦茶だよ」

「しーっ。余計なこと言わないでよ。あの人が暴れたら手が付けられないんだから」


 慌てた様子で辺りを見渡す少女を、もう一人の少女が「大丈夫だよ」と笑う。それくらいの軽口は許してほしいと思う。何せ、見せしめに少女が一人犠牲になり、その直後に笑顔で指示を出す人物を狂っていると思うのは間違いではないだろう。

 きっと今頃は今頃のんびりと宿の一室で寛いでいるのだろう双子を思い、わずかな苛立ちを覚えるもそれ以上に恐怖が圧し掛かり、慌てて振り払う。


「それにしても、一緒にいる二人は誰だろう……」

「男の子は魔導士かな? ピンクのワンピースを着た子は……なんだろう。腕輪をしているから同じプレイヤーだと思うけど顔見ただけじゃ分からないよ」

「はぁ……こう、名前がパッと分かるようなスキルがあればいいのに」

「だねぇ」


 そんな会話をしながら食事を続け、目標から目を離さないように必死で喰いつく。


「でも、さ……」

「ん?」

「リーダーも勝手だよね。いきなりクラン解散って」

「そうだね。美冬さんの話だと、いきなり解散だって言い出して倉庫のアイテムは独り占めするつもりだって言ってたし」

「マジで最悪だよ、それ。私達が苦労して集めたものなのに……」


 徐々にフードの下から聞こえる声に怒気がこもりはじめ、二人の息は荒くなっていく。


「どうせ、死んだって生き返れるんだし……だったら、ゲームと変わらないじゃん」


 仄暗い思いが徐々に二人の中に生まれ、それが形になるまで時間は必要としなかった。もし、これが普通の状況であれば躊躇しただろう。しかし、現在いまは普通ではない。

 普通ではないから、普通ではない答えが出て来てもおかしくはない。

 普通であれば気付けることも、普通ではないから見えてこない。

 ただ、捨てられて拾われた哀れな道化達は、自分達が道化であることに気付くことはないまま、舞台の上で踊り、そして、消えていく。


「リーダーにはお仕置きが必要だよ」

「……そうだね」

「自分勝手にクラン解散しておいて、自分は友達と仲良くご飯とか……ほんとふざけるなって話だよ」

「それじゃ、ご飯食べたら報告に行こうよ。一緒にいる二人のことも報告しないと」


 フードの二人はその後黙々と食べ進め、食事を終えて食堂をあとにした。

 去り際に銀色の髪をした女性を見つめ、その瞳に並々ならぬ“敵意”を滲ませながら――



 ☆☆☆☆☆



 貿易都市エムノシル。

 大通りから一本へ入ったところにある宿へ四人の獣人が足を踏み入れた。大通りでお勧めの宿を聞き、ここへやってきた四人は中を見渡し満足そうに頷く。


「いい宿っすねぇ」

「お風呂ーっ」


 狼耳の青年が満足そうに頷き、兎耳の女性は両手を上げて喜びを表現する。犬耳の少女はただ静かに宿の中を眺めていたが、耳と尻尾は嬉しそうに揺れていた。


「いらっしゃ……い、ませ」

「すまないが、部屋は空いているだろうか?」


 威勢よく挨拶をしていた受付にいる女性は徐々に声が小さくなり、目を瞬かせる。そんな様子を眺めながらどうしたものかと獅子族の男は困惑の度合いを深めていく。


「部屋は――」

「あ、はいっ。空いてますっ」


 獅子族の男が再度切り出したところで、その声を遮るように受付の女性は声を張り上げ何度も頭を下げる。


「あ、ああ……なら、二部屋頼む」

「は、はいっ」


 落ち着きなく部屋の鍵を手にした受付の女性は、震える指で獅子族の男へ鍵を手渡す。それを受け取り、「ありがとう」と一言残してそばにある階段を他の三人と共に上っていく。

 そんなうしろ姿を見送りながら、受付の女性は呆然とただ一言。


「……か、かっこいい」


 ほんのりと頬を染めた女性の声は誰の耳にも届かなかった。そんな女性の前を横切り、フードを目深に被った二人組が宿をあとにしたが、こちらも誰に注目されるわけでもなく、ただ日常の中へと消えていった。

 平穏と暴虐が、欲望と安寧が同居する場所――貿易都市エムノシル。

 数日前に収束したばかりの都市に潜む“本性”がまた目を覚まそうとしていることを、このときは誰も知る由もなかった――



☆☆☆☆☆



 同時刻――

 貿易都市エムノシルのギルド四階。最奥にある部屋で一人、執務をこなす男が書類から目を離して小さく息を吐く。


「……ようやく、見つけた」


 その書類は昨日訪れた冒険者達の来歴が記されており、先ほどまで一人ずつ職業を確認していたところである。そして、ようやく書類の中から目的の冒険者を見つけ出し、男は椅子の背もたれに身身体を預けて力を抜いてだらけていく。

 サラリと頬を撫でる髪をそのままに、女性とも見間違うほどの美貌を持つ男は少し尖った耳を持つ妖精族――エルフであった。

 男の名は、テェルス。貿易都市エムノシルのギルドマスターを務める最高責任者である。


「“彼”が賢者の言っていた『異邦人』……そして――」


 天井を見つめ、テェルスは誰に言うわけでもなく呟く。

 一か月ほど前。王都に住む賢者から小包が送られてきた。小包の中には一通の手紙と薄紫色をした小瓶が一つ、厳重に梱包されて入っていた。筆不精の彼女が珍しいことをすると思いつつ、手紙を一読。その内容は俄かには信じられるものではなく、最初は冗談だと思っていた。


 『一年後、北の地に封印された厄災の魔獣が解き放たれる』


 そんな一文ではじまる手紙に、テェルスは賢者――親しき友人が気でも触れたのではないかと心配になった。


 『七月――日、大勢の異邦人達がこの“リ・ヴァイス”へ降り立つ』


 だが、実際は賢者が記した通り、大勢の異邦人が突如エムノシルへ現れた。ただ、そのときはテェルスは特に不思議だと思わなかった。否、異邦人とは認識出来ていなかったと言った方が適切なのだ。

 だから、突然増えた街の人口にも関心を示すこともなく、ただ日々の業務を行っていた。


 『異邦人の中には冒険者もいるが、多くは記憶喪失をしたかのように騒ぎ立てるだろう』


 手紙の内容は悉く的中していく。そして、これが賢者からの手紙でなく“預言”なのだと気付いたとき、テェルスは意を決して小瓶の薬を服用した。

 手紙に記された世界の真理を知る薬、を。

 知的好奇心を大いに刺激されるその文言に、テェルスは同時に齎される危険性を警戒した。しかし、その警戒も目まぐるしく変わる状況に翻弄され、最終的には知的好奇心が優る結果となった。そして、その手紙の言葉通り、テェルスは世界の“真実”を知ることになった。それが幸か不幸か……そのときのテェルスには考えもつかなかった。


 何故、これほど大勢の異邦人が現れたのか?


 そして、それは大した騒ぎになることもなく、当たり前のように受け入れられたのか?

 異邦人達の多くはエムノシルに家を持ち、当然のように暮らしている。何故、家を持っているのか? 何故、そのことを誰も疑問に思わないのか?

 薬を服用する前のテェルスなら疑問にすら感じることがなかったのだろう。だが、薬を服用したことで疑問が次から次へと湧き上がってくる。今のテェルスには誰もが普通に異邦人を同胞だとして受け入れている現実は、ただただ違和感を覚えるだけであった。

 この“リ・ヴァイス”に何が起こっているのか?

 その事実を突き止める鍵となるのが、手紙の末尾に記された一文だと、テェルスは確信していた。


 『英傑達が復活する。保護し、叡智を分け与えよ』


 それはとても質素簡潔な文面だった。だが、この手紙の中で一番重要な部分とも言って過言ではない。

 英傑――その言葉が意味するのは、類稀なる“力”を持つ者。

 かつて、世界に名を馳せた五人の英傑達。後の世で『天下五傑ピアレス・ファイブ』と呼ばれる英傑達は、乱れた世に舞い戻り、世界を平和へと導く。

 伝説の英傑、か――、テェルスは手紙を寄越した人物を思い出し、もっと詳細に書けと文句を言いたい衝動を抑える。そもそも、エムノシルのギルドへ訪れるの確証がないのだ。しかし、テェルスは賢者の言葉を信じ、異変が起きた翌日からギルドを訪れる冒険者達のすべて確認する作業に追われることとなった。

 そして、ついに見つかった。

 ギルドマスターの権限を最大限に活用して、砂漠の中から一粒の宝石を探し出すことに成功したのである。。


「『錬金術師アルケミスト』……ワタル、君……か」


 これから世界がどのように変化していくのか。その鍵を握るであろう少年に思いを馳せ、テェルスは暫しの休息をとるため、そっと瞼を閉じた――

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