第21話:エムノシル探訪①

 驚きの出会いを果たした朝食後。

 食堂をあとにして、ギルドへと向かうことにした。


「んー……ギルドは、どっちだ?」


 そして、絶賛迷子中。とまではいかないが、目的のギルドがどこなのか分からずに右往左往している最中である。

 マッシュさんの妹――アルトナさんだったかな? あの人に聞けば分かるのだろうけど、俺が食べ終わるまで起きる気配がなかった。というか、かわいいイビキをかいて寝ていてた。


「まぁ、大通りのどこかだと……」


 そう思いながら歩いていると、目に飛び込んできたのはギルドの看板だった。

 マデートのギルドは立ち寄る暇がなかったけど、アジオルのギルドよりは断然広大きく、外観も立派だった。

 さすがは、貿易都市。

 妙な感慨に耽りながら木製の扉を開け、中へ足を踏み入れる。

 そんな俺に集中する視線。……何てものはなく、何とも静かで落ち着いた雰囲気をしていた。


「…………」


 何だろう。アジオルのギルドは何となく人が少なくても許せるのだが、貿易都市と名の付く場所にあるギルドならば、人の活気で溢れていてほしかった! なのに、閑古鳥が鳴いているような寂れた雰囲気。暗い顔をした数人の冒険者が何やら話しているだけ。

 もっと活気を――、そんな勝手な思いが沸々と湧き上がってくるのだが、それを押し殺してカウンターへと歩いていく。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」


 ニコリと笑う受付嬢さんは営業スマイルだと分かっていても心躍ってしまう。アジオルの美人受付嬢さんとタイプは違うが、こちらもかなりの美人さんだ。そして、立派だった。どこがとはあえて言わないが、エムノシルの女性はみんな立派なのか! と思わずガン見してしまいそうになる迫力である。


「えっと、少々お尋ねしたいのですが」

「はい」

「冒険者登録をした際にバタバタして、この腕輪の操作について聞きそびれたことがありまして、マニュアルみたいなものはありませんか?」


 まずはギルドへ着た目的の一つ。

 腕輪の機能を再確認しよう。のミッションをクリアしないといけない。……のだが、受付嬢さんの眉間に皺が寄ったのは何故でしょうかね? そんなに睨まないでください。ちょっと怖いですよ、マジで。


「分かりました。こちらへ腕輪を翳してください」

「え、あ、はい」


 受付嬢さんが手で示した先にあったのは、アジオルのギルドでみた魔導伝達装置デバイススキャンだった。戸惑っていると無言の圧力が徐々に増してきたので慌てて腕輪を翳した。


「はい、そのままお待ちください。…………はい、結構ですよ」

「あ、はい」


 時間にして三〇秒程度か。


「腕輪のアップデートを行いましたので、メニュー項目に“マニュアル機能”が追加されていると思います。確認をお願いできますか?」

「え……」


 言われるがままに腕輪をタップしてメニューを呼び出して確認。


「あ、ありました」


 確かにメニューの一番下に“マニュアル機能”という項目が追加されていた。それをタップしてみると、武器や防具、道具、スキルみたいな大分類されたマニュアルらしきものが表示された。


「“マニュアル機能”以外にも追加されていますので、申し訳ありませんがそちらで確認をお願いします」

「え、はい」


 他にも追加された機能があるのか。あとで確認しておこう。


「それにしても……貴方で何人目でしょうか」

「え?」

「ここ数日、同じような問い合わせが殺到しましたので、急遽ギルド本部が“マニュアル機能”を追加させていただい次第です」

「はぁ……そうなんですか」

「ここに勤務して五年になりますが、このような出来事ははじめてですね。腕輪の操作が分からない、スキルが使えない、他にも色々とありましたが集団記憶喪失ではないかと、ちょっとした騒ぎになってましたから」


 ふぅと息を吐く受付嬢さんは頬に手を当てて少々お疲れ気味。なるほど、先ほど眉間に皺が寄ったのはそのせいか。


 ……ほんと、すいません。


 多分、また面倒なのが来たと思ったのだろうな。しかし、意外と大事になってたのね。

 まっ、何にしても腕輪のマニュアルをゲット出来たから、機能の確認が捗りそうだ。


「それと、スキルの練習が出来るような場所はありませんか?」

「それでしたら、このギルドの裏手に演習場があります。詳しい説明は演習場にいる係員へお尋ねください」


 おお、演習場があるのか。

 そこでスキルの使い方を練習しないと実戦で役に立てないからな。


「あ、あと――図書館があると聞いてきたのですが、利用するにはどのようにすればいいでしょうか?」

「はい。図書館を利用する場合、一時間一〇〇〇エルンの利用料金がかかります」


 やはり、有料だったか。まぁ、想定内だから問題はないけど。


「分かりました。あと、書物を書き写すことは可能ですか?」

「はい。この利用料金は図書館内の書物を写本することを前提にしたものですから大丈夫ですよ」


 さすがに記憶するのは限度があるし、忘れてしまう可能性もある。

 時間の許す限り調べものをしたいところだが、灯を探すことが最優先だ。ある程度調べたら街中を探索しなければ。


「分かりました。あ、それで、図書館はどこにあるんでしょうか?」

「このギルドハウスの隣にありますよ。そちらの扉からも行けますので」


 と、指し示された先には扉があり、上に『図書館入口』と書かれたプレートがあった。


「あ、ありがとうございます」

「いえ。あ――」


 礼を言って図書館へ向かおうと思ったのだが、何やら声を上げた受付嬢さんを振り返る。


「もしよかったら、頼まれてくれないかな?」

「……はい?」


 何やら砕けた雰囲気となった受付嬢さんが中腰で俺を見つめ、カウンターの上に本を積み上げていく。


「これ、返しておいて」


 ニコッとほほ笑む受付嬢さんに、近いんだから自分で行けよ! とは口が裂けても言えず、気付けば五冊の本を持ってその場を辞去していた。背後から聞こえる受付嬢さんの声を聞きつつ、小さく嘆息して扉を開け、図書館へ続く短い廊下を歩き出した。



 ☆☆☆☆☆



 図書館の受付でお昼までの利用料金四〇〇〇エルンを払い、受付嬢さんから渡された本を返却した。図書館の受付にいたお兄さんが苦笑しながら「またか」と言っていたので、多分常習犯なのだろう。きっと、ああやって男を手玉に取っているのだろうな。今回は迷惑料代わりなので次はない。

 それにしても、図書館は素晴らしい知識の宝庫だ。

 ここ数日、知らないことのオンパレードでストレスが溜まっていたので、このスッキリ感は言葉で表せないほど心地よい。


「……なるほど、ねぇ」


 とはいえ、ゲームとの齟齬をすべて解消出来たわけはなく、腕輪に関する検証は知り合いと合流で来たときにするしかない。迂闊にギルドで聞けば目を付けられる可能性もあるし、下手をすれば髪を敵に回すことにもなり兼ねない。なので、まずはスキルについて調べようと思い至った。

 一般的なスキル運用はアルダさん達から聞いた通りであっていた。

 スキルを習得するために先人達から指導を受けて鍛錬する。

 これは、言葉の通りなのだが、それ以外にもスキルを書き記した書物を元に鍛錬を行う方法もあるらしい。どちらも鍛錬を続けていればいずれはスキルが習得出来るそうだが、先達から指導を受ける方が習得率が早いという統計があるそうだ。

 自分で学習するか、人から教えを乞うか、の違いだろう。この場合、後者の方がより多くの知識や経験を得ることが出来る。経験者は語るというやつだな。


 次が本題となるスキルの使用方法である。


 こちらもアルダさん達から一通りのことは聞いていたが、やはり違いはなかった。

 一般的なスキルの使用方法は、まず第一に呪文詠唱が必要となる。これは、スキルを授けてくれた『五導神』の力を引き出すため、先人達が試行錯誤して編み出したもので、一番有効だと思われるものを採用しているという。

 つまり、必ずしも他者と同じ呪文詠唱である必要はないと言うことだ。

 ただし、先人達が試行錯誤した結果行き着いた呪文詠唱は魔導力の消費や威力に関して一番効率的なものであり、非効率なものをわざわざ試す者は現在はいないに等しい。と、先ほど呼んだスキル関連の本に書いてあった。


 スキルを使うのに必ず決まった呪文――定型文のようなものが必要となるのなら、どうやって詠唱省略や破棄は“認識”されているのだろうと思っていた。ゲームのときなら“そんなもの”で片付けられるが、今は状況は違う。別にどうでもいいと思う人もいるかも知れないが、分からないことを放置しているとあとで困るのは自分なのだ。

 上級職の高位神官ハイ・プリースト大魔導師アークメイジは確かレベル五〇で詠唱省略を、レベル八〇で詠唱破棄を覚え、賢者ワイズマンはレベル四〇で詠唱省略、レベル六〇で詠唱破棄を覚えることが出来た。あくまでもゲームの話だが、アルダさん達の話を聞いていても“レベル”という単語は冒険者に限って出てきたが、一般的ではないと言っていた。


「…………あっ」


 そうだ。さっきマニュアル機能を追加したんだった。

 早速メニューからマニュアルをタップして、該当する項目がないか確認。


「……あ、あった」


 “プレイヤー情報について”という項目をタップ。その中に『レベルについて』という項目をタップして読み進めていく。

 どうやら、アルダさんの言う通り、レベルというのは冒険者独自のものみたいだ。より詳しく言えば、腕輪が装着者のスキル習得度や戦闘経験を元にレベル表示を行っており、ある種の目安としてスキルの習得可能レベルを教えてくれるようだ。もっとも、一般との差異はほとんどなく、レベルがあるからスキルを習得しやすくなるわけではない。あくまで、自身の力量を数値化した目安なのだ。


「要するに、視覚的情報ってことか」


 視覚的に明確化することでやる気を出させる。ある意味で合理的なやり方だなと思う。

 これで“リ・ヴァイス”ではレベルというのは冒険者独自のものだとハッキリした。恐らく、アルダさんやマッシュさんにレベル表示を適応すれば、どれくらいの力量なのか判断が取れるのだが……。

 分からないよなぁ。

 鑑定は対物専用と言うもので、モンスターや人物に対しては行えない。『スマート・ワールド』にはモンスターやアイテム、人物の図鑑というシステムが存在しない。生産職にしてアイテムコレクターである俺としては、アイテム図鑑がないことにかなりの不満を覚えていたが、ないものは仕方ないと諦めていた。

 だが、人物やモンスターを鑑定出来れば、どれだけ有益な情報が得られるか!

 ほしいな、そんな鑑定スキル。あったらいいな、人物やモンスターを鑑定スキル。などと考えていたら、


 『開放条件を達成しました』


 ポンッと、つい最近見たような表示がポップした。


「は? へ? え……?」


 何のことだ? と疑問に思っていると、新しいウィンドウがポップした。


 『個体識別パーソナルスキャンスキルを創意作成クリエイトしました。活性化アクティベーションしますか?』


 突然のことに暫し呆然。


「……は?」


 まただ。また、何か起こったのですが……。

 前回は腕輪の機能だったが、今回はスキルかよ。おかしい、色々とおかしいよね、これ。


「開放条件ってなんだ? しかも、活性化ってなんだよ……」


 ポップした半透過ディスプレイにはYES・NOの選択肢が表示されたまま、俺が選択するのを待っている。

 やるしか、ないか。

 意を決してYESをタップ。


 『鑑定スキルに個体識別パーソナルスキャンスキルが統合されました』


 うん、意味が分からん。いや、言葉の意味は理解出来るのだが、それを頭が放棄しようとしている。

 何? スキルとかレベルとか諸々の疑問がようやく解決出来たと思ったのに、最大級の謎がやってきた感じだよ。


「んー……で、これをどうやって――」


 何気なく室内を見渡してみる。

 こうして喋っていたら普通であれば静かにしろと注意されそうなのだが、俺以外は受付のお兄さん以外いない。お兄さんも何か言うわけでもないからこちらも気にしてないけど、何やら書き物をしているのか下を向いている。


 はっ……?


 何てことを考えながらお兄さんを視界に捉え、ちょっと見ていたら突然眼前に小さな半透過ディスプレイがポップした。


 名前:トリス

 主職業:隠密銃師スナイパー:推定レベル六〇

 副職業:貿易都市エムノシルギルド職員 図書館受付担当 遺物調査隊・隊員


 これって、もしかして……。

 一度、半透過ディスプレイを消して、もう一度お兄さんを見つめる。すると、半透過ディスプレイが同じようにポップして、同じ内容を表示していた。

 これ、個人情報パーソナルデータだ。

 とても簡潔なものだが、分かると分からないでは雲泥の差がある。

 職業が分かれば対処がしやすくなるし、名前が分かれば情報収集するのに役立つ。これは恐ろしいスキルを手に入れてしまったかも知れない。


「でも、これって……」


 前回の“ショートカット機能”が創作されたときも感じたが、これは誰でも出来るのだろうか? それとも、『錬金術師アルケミスト』である俺だから出来ることなのか?

 謎が深まるばかりで解決する目途がまったく立たない。早く祥吾か灯と合流して、色々と情報交換しないといけない気がする。


「とりあえず、分かるところからやらないとな」


 うしっ。と気合を入れて本棚へ向かう。時間は有限。お昼まであと三時間だから、それまでに疑問の解消を出来るだけ進めないといけない。

 “リ・ヴァイス”の歴史や神話、あとはアルダさん達から聞いた一般常識以外のもの。等々……知らなければいけないことは数多い。昼食後は、スキルの練習が出来るような場所を探して諸々の検証もしないといけない。やることはてんこ盛りである。

 何かテスト前の追い込みみたいだなと苦笑しつつ、手当たり次第本を手にしてテーブルへと向かった。



 ☆★★★☆



 鼻孔を擽る匂いに少女は目を覚まして顔を上げる。

 みっともなく涎の垂れる口許は寝起きであることを告げているが、異性が見ればちょっと遠慮したい顔であった。


「あらー、おはよう」

「んー……おはよー、ミルシャしゃん」

「ほら、寝癖がついてるわよ」


 まだ寝ぼけた声で返事をする少女に、兎耳の女性――ミルシャはおかしそうに笑みを浮かべ、少女の髪を撫でる。どうやら、こうやって撫でるのが女性の癖みたいなものらしく、少女は気持ちよさそうに目を細めてまた寝入りそうになっていた。


「はい。温め直したからどうぞ」

「おお……」


 そんな少女の前に湯気の立つ料理が次々と置かれ、眠気眼から一変、目を爛々と輝かせて料理を見つめていた。


「いただきまーす」

「はーい、めしあがれー」


 勢いよく食べはじめた少女は口いっぱいに頬張り、その様子をニコニコと見つめるミルシャは終始楽しそうである。


「それにしても、寝不足になるほどお話するなんて」

「んぐっ……お兄ちゃんは聞きたいことがあったみたいで、聞くだけ聞いて帰っていったんだよ」

「あら、それじゃ……いつもの“アレ”ね」


 いつもの。で通じるほど、少女の寝不足は常態化しているということだろう。妙に納得した顔で頷くミルシャを見て少女――アルトナは喉を詰まらせる。


「だ、だって……面白そうな話だったから」

「寝不足になるまでやっちゃダメでしょ、もう」


 優しく叱るミリシャから顔を逸らすアルトナだが、その口と手は止まることなく動き続ける。


「それで、何があったの?」

「……聞くと、多分ミリシャさんもハマっちゃうよ? というか、ミリシャさんの方が得意分野だし」

「あら、それは興味深い話ね」


 つい先ほどまでのほんわかとした雰囲気とは一変し、凛とした空気を纏うミリシャにアルトナはしまったと顔を顰める。


「それで、どんな話だったのかしら?」

「……言わないと、だめ?」

「だーめ」


 にこりと笑うミリシャだが、その瞳は一切笑っていない。


「えっと、『大罪』の……」

「た、『大罪』っ」


 アルトナの声を遮り、声を張り上げるミリシャは目を丸く見開く。


「そ、それで……もしかして、新しい『大罪』が見つかったのっ?」

「何か、『大罪』と呼ばれる装飾品はあるのか、似たような装飾品はあるのか……って、色々と聞かれちゃいました」

「そう……」


 宙を睨み、何やら思案するミリシャを、またはじまったと呆れ顔で一瞥して最後の一口を飲み込み、お茶を飲み干す。


「ふはぁ……お腹いっぱい」

「……『大罪』の呪術具は数は多くないけど、確かに存在しているわ。現にうちにもあるし……でも、どうして、それをマッシュさんが聞いて……」

「おーい、ミリシャさーん。お茶のおかわりちょーだい」


 独り言を呟くミリシャは傍から見れば不気味以外の何ものでもない。ただ、その光景に慣れているアルトナは気にした風もなく、呑気に湯呑を差し出す。


「え、あ、ちょっと待ってね」

「詳しい話を聞こうと思ったけど、中々口を割ってくれなくてねぇ」

「……そう。でも、それだけのためにアルトナちゃんのところへ来たのかしら」

「何でも、ロサルト墓地で何かあったみたいで、その報告に王都へ向かっている途中だって言ってました」

「そういえば、さっきも王都がどうのって言ってたわね」


 お茶をテーブルに置き、アルトナの向かいにある椅子へ腰を下ろしたミリシャは、テーブルに肘を付いて身を乗り出す。


「でも、墓地で何があったのかしら?」

「さ、さぁ……詳細は機密だから話せないの一点張りだったよ。でも、相当切羽詰まった問題であるのは確かだと思う。王都に向かうくらいだからね」

「ロサルト墓地……『大罪』…………駄目ね、接点が分からないわ」


 思案顔で眉間に皺を寄せるミリシャは唸りながら徐々にテーブルへ突っ伏していく。そんな様子を横目にアルトナはお茶を一口。


「隊長も大概ですよねぇ」


 そんなことを言い放ち、のんびりと窓の外へ目を向ける。

 貿易都市エムノシルのギルドで遺物調査隊の副隊長を務める少女――アルトナ。

幼少の頃より遺物に興味を持ち、両親を説得して遺物調査に生涯を捧げると決めたうら若き乙女だが、遺物が絡むと途端に性格が残念になる傾向があった。

 容姿は本当に美少女である。かわいらしい顔立ちに反して凶悪なまでの色香を放つ身体つき。小悪魔のような色気溢れる美少女であるにも関わらず、異性から恋愛対象として見られない残念乙女。その理由は当人もある程度は理解出来ているため、現在まで彼氏などおらず、異性と交際した経験など皆無であっても気にすることはない。


「アルトナちゃんほどじゃないわよ」

「そんなことないですよ。だって、遺物の鬼って言われて――」

「だ、れ、が、お、に、な、の、か、し、ら?」

「ご、ごめんしゃい」


 余計なひと言は身を滅ぼす。ピンッと耳を立てたミリシャは見ようによっては鬼にも見える。とはいえ、ミリシャも本気で怒っているわけではなく、アルトナもそれを理解しているからこそのやり取りである。


「何か臭うわね」

「え……き、昨日はお風呂に入ったよ?」

「そっちじゃないわ。アルトナちゃんは今日もいい匂いよ」

「も、もう……」


 薄っすらと頬を染めるアルトナに微笑むミリシャだが、『大罪』のことが頭から離れず、また思考に没頭する。


「やっぱり、隊長の方が……」


 そんな言葉を呟き、窓の外から差し込む日差しに目を細め、ちらりとミリシャを見やる。

 貿易都市エムノシルにある食事処『コハリュ食堂』で給仕をしている女性――ミリシャ。

 しかし、本来の職務は王都レイラルドのギルド本部より派遣された遺物調査隊の隊長である。

 元々はレイラルドのギルド内にある、腕輪の管理研究部署で研究者を務めていたのだが、研究者としては独特の発想と理念で一目置かれていた。しかし、行動派の彼女は色々と問題事(トラブル)を起こすことでも有名でだった。結果として度重なる不祥事からエムノシルへ遺物調査隊の隊長を任命され、異動を命じられた。人はそれを左遷とも呼ぶが、ミリシャ自身は対して気にもしてなかった。というより、窮屈な研究室から解き放たれた彼女は自由を謳歌し、その実力を発揮していくことになる。

 暇なときは『コハリュ食堂』で給仕の仕事をしながら冒険者相手に情報収集。

自身の容姿をよく理解しており、異性を手玉に取る手腕は大したものである。ただ、実際に関係を持つようなことはなく、年齢的にも行き遅れ感が漂うようになってきたお年頃である。


「気になるわね……」

「そう、ですね」


 ミリシャの呟きにアルトナが同意し、暫しの沈黙。


「そういえば、さっき見覚えのない男の子がいたわね」

「……そうなんですか? てか、よく覚えてますね、人の顔なんて」

「んー……私の胸を見て驚いてたから、この店に来るのは、はじめての人かなって思ってね」

「どこで判断してるんですか、どこで」


 確かに同じ女性として完敗なほど立派なものを持っているが、そこで判断するのはどうかと思う。アルトナは上司にあたる人物に抗議の視線を向けるも、ニコリとほほ笑むだけで交わされてしまう。


「ちょっと反応がかわいかったからね。あら、ヤキモチ?」

「ち、が、い、ま、す。あったこともない人にどうやって焼くんですかぁ」

「それもそうね。でも、あの子……ちょっと不思議な感じだったわね」

「そうなんですか?」

「ええ。アルトナちゃんがマッシュさんの妹って分かったとき、ちょっと驚いてたみたいだったから」

「……私?」


 普段はおっとりとした雰囲気だが、職業柄洞察力はずば抜けたものを持つミリシャ。あの会話の際ちゅうに周囲へ気を配り、様々なものを観察していた。

 その中で特に反応を見せたのが、初見の少年。

 年の頃はアルトナと同年代で、腕輪をしていたことから冒険者であることは間違いない。会話の途中で何度か反応を見せたが、アルトナの兄――マッシュの名にも反応を示した。


 ――臭うわね……


 ロサルト墓地の異変。『大罪』に関する情報収集。そこへ現れた、明らかに関係がありそうな男の子。

蠱惑的な笑みを浮かべ、ミリシャはペロリと唇を舐める。


「それじゃ、ちょっと行ってくるわね」

「え、ちょっ――どこに行くんですかぁ」

「未知なるものが私を呼んでるのよー。らんらぁ、ららーん」

「いや、ちょっ。変な歌口ずさんでいるし、店長――、いいですかアレっ」


 知的好奇心に動かされた美女は頬を上気させて、先ほどの少年を探すべく、行動開始とばかりにエプロンを投げ捨てて店を飛び出していく。

 残されたアルトナは厨房を慌てて見やるも、厨房の奥でそれを見ていた店主が力なく首を振っているのを見て、二人同時にため息を漏らした。

 先ほどの少年に残された安寧の冥福を祈りながら――

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