第10話:はじめての旅路①
旅はとても順調に進んでいた。
我に秘策あり。それがこれほどまでに効果を発揮するとは正直思っていなかったし、何故真っ先に思い付かなかったのかと後悔もした。
「それにしても、本当に効果抜群ですね、“破邪の霊水”は」
感心した様子で自身を見て笑うマールに、苦笑交じりに返しながら手にした小瓶を見やる。
『破邪の霊水』
レア度:Ⅴ 破邪の呪文で祈祷した霊験あらたかな聖なる水。
身体に振りかけることで二四時間、使用者のレベル以下のモンスターを
寄せ付けない効果を付与する。
再使用は効果が消失して二四時間経過後に可能となる。
これが“秘策”の正体である。
主にダンジョンで一定時間モンスターの出現を抑える効果があるアイテムで、下位に『魔除けの水』と『魔封の聖水』というがある。主な違いは有効時間の長短で、どれにも共通しているのは使用者よりもレベルが下のモンスターは寄せ付けいないが、それ以上のモンスターは普通に襲ってくるということだ。あと、『魔封の聖水』にはアンデット系モンスターへダメージを与えて一定時間の間弱体化させる効果があるので、攻撃手段の一つとして用いられることがある。アンデットに聖水というのは定番といえば定番であるが。
今回は周囲のモンスターが弱いというのもあるが、カンストしている俺が使用したのでこの辺りのモンスターは近寄って来れない。一応、出発前に門番のおっちゃんから周辺のモンスター分布を再確認し、問題はないことは把握済みだ。それでも万が一のことを考えて、一番上の『破邪の霊水』を使用したが取り越し苦労だったかも知れない。
そして、もう一つ。
どうしてこれを忘れていたというアイテムがあった。
『転移の翼』
レア度:Ⅳ 一度行ったことのある町や村へ転移することが出来る。
現在ゲート使用不可。
そう、転移アイテムである。
ゲームは章立てでクエストを進行するたびに新しいエリアが解放されていた。ただ、前の町や別の町へ移動したり、戻ったりするのには画面をタップしただけは駄目で、転移アイテムを一つ消費する必要があった。もしくは、幌馬車で移動することが可能なのだが、こちらはゲーム内通貨で利用することになる。
馬車のことを思い出し、美人受付嬢さんに聞いてみたが、マデート行の馬車は現在休止中とのことだった。何でも、馬車を運航していた商人が病気になったとかで店を畳んでしまったそうだ。
で、『転移の翼』を使用しようと思ってもゲートというのが何を表すのか分からず、結果的に徒歩移動と相成った。まぁ、慣れない馬車移動をするよりも徒歩で景色を見ながらの方が健康的だ。うん、ウォーキングだと思えばいいんだよ。
「だな。しかし、何が起こるか分からないから気を抜かないようにな」
「はいっ」
それでも、気を抜いたら駄目だろう。
うまくいっているときこそ注意をしなければいけないのは鉄則だろう。あと数時間もすればマデートの町に着く。そうなれば、マールともお別れにだ。
昨日は一日歩き続けて疲れるかと思いきや、マールは至って元気だった。聞けば運動部に所属しているので体力には自信があるそうな。対する俺はバイト三昧だがある程度は体力がある方だと思っていたが、基礎体力の違いというのか、ドッと疲れが出て夜は早々に就寝してしまった。
一応、設置型魔除けアイテム『破邪の霊石』をテントの周囲に設置したのでモンスターは寄ってこないと思うが、交代で見張りをしながら朝を迎えた。
「友達がすぐ見つかるといいな」
「はいっ、そうですね!」
友だちに会えるという高揚感からなのか、マールの声は朝起きたときから元気だった。本当に嬉しそうなマールを見るとこちらまで嬉しくなってくる。
「でも、町についたらワタルさんともお別れですね」
「そうだな。まぁ、今生の別れではないのだから、そのうちどこかで再会するだろ」
「そう、ですよねっ」
一瞬暗い顔をするもすぐに笑顔となったマールは足取りも軽やかに町へ向けて歩いていく。
「……ん?」
「どうしたんですか?」
ふと前方を注視すると土煙が見えた。
「いや、何かがこっちへ近付いて来ている」
「え? モ、モンスターですかっ?」
いや、違う。
モンスターではなさそうだが、ある意味で定番の存在を忘れていた。
「盗賊、かも知れない」
「とう――っ」
「可能性があるだけだ。ゲームでもイベントの一つとしてあったし、とりあえず――」
迫りくる土煙はかなりの速度で、真っ直ぐに街道をこちらへと向かってきている。
「ちっ――隠れようにも草原じゃどうすることも出来ないか」
「ど、どどど、どうしましょうっ」
膝丈の草が生い茂る緑の草原が周囲に広がるだけで、身を隠すには不適合だ。少し離れ場所に林があるのだが、こちらが視認出来たと言うことは向こう側もこちらを視認出来ている可能性があるわけだ。
迂闊な行動は避けるべきだろう。とはいえ、盗賊なら人間相手に戦うことになる。それだけは避けたいところだ。
「え? ば、馬車……ですね、あれ」
「ああ、そう……だな」
徐々に近づいてくる土煙。その正体は幌馬車であった。
先ほどまでの速度よりもやや落ちたのか、幌馬車の全体がよく分かる。それなりに手入れをされた幌馬車だが、御者をしているのが冒険者然とした風貌であることに気付き、警戒度を引き上げる。
「お前達っ、止まれ!」
速度を落とした幌馬車は俺達の前で停車した。
「もしかして、マデートへ行くのか?」
「はい、そうです」
「駄目だ。マデートは今モンスターの襲撃を受けている。早々に引き返せっ」
「――っ」
襲撃だと? 隣でマールの息を呑む音が聞こえ、俺も自然と息を呑む。
ゲームの中でも襲撃イベントはあった。だが、これはイベントではない。現実に起こっている事態なのだ。
「被害は――被害状況はどうなっているですかっ?」
「早朝、アンデットの群れが町を襲撃して冒険者や衛士達が応戦している。だが、冒険者は新米が多く、衛士だけではどうにも分が悪い。だから、アジオルへ救援要請に向かっているっ」
御者の男はそれだけを言うと馬に鞭を入れ、馬車を走らせる。
「いいかっ、町へは絶対に近づくなよっ――お前達では死んでしまうぞ!」
それは彼なりの忠告なのだろう。走り去る馬車を見送り、ふと訪れた静寂に心がざわめく。
「……みんな」
無事だよね? そう言いたげなマールの顔をみた瞬間、俺の中で何かが動いた。
今からアジオルの町へ向かっても、馬車でも半日近くはかかるだろう。往復で一日弱。間違いなく、間に合わない。
冒険者の慌てようから、かなりの劣勢だと推察するのは容易だ。
「行くぞ」
「……え?」
「ここにいても仕方ない」
そう言って歩き出す。マールの返事も待たずに。
「助けるんだろ? なら、早く行くぞ」
振り返らず、腕輪をタップしてインベントリから小瓶を数本取り出す。ようやく俺の言っている言葉の意味を理解出来たのか、ハッと息を呑むマール。
「これを飲んで」
「何ですか、これ」
そう言って小瓶と錠剤をマールに手渡す。
『高級体力増強剤』
レア度:Ⅳ 一時的にVITを二〇〇%に増強する強壮薬。効果時間一時間。
『高級敏捷錠剤』
レア度:Ⅳ 一時的にAGIを一五〇%引き上げる錠剤。効果時間二時間。
「VITとAGIを一時的に引き上げる調合薬だ。効果はVITが一時間、AGIが二時間持つようになっている」
「す、すごいですねっ」
「早く飲んでっ――走るぞ!」
「は、はいっ」
一瞬キョトンとしたがすぐに意味を理解して飲み干したマールと頷き合い、俺達は全力で町を目指して駆け出した。
☆★★★☆
同時刻――マデールの町。
怒声が飛び交い、血生臭い匂いが立ち込め、至るところで悲鳴が木霊する。そこは戦場だった。
「くっ――ゆ、
「だ、大丈夫! それより、
スケルトンの剣を盾で受け、背後に庇うローブを纏う少女へ声をかえる騎士の少女。
「あっちは
「太朗君ならあっちで衛士の人を治療しているわ」
「ったく、あのお人好しは――それより立って! 逃げるわよっ」
剣を押し退け、態勢を整えて剣を構える騎士の少女はローブの少女――有紀を促し、周囲を囲みつつあるスケルトンから逃げるべく、走り出す。
「
「町を出るのよ! 悔しいけど私達がいても役に立たないっ」
「――っ」
「で、でも――町の人がっ」
「私はまだ死にたくない!」
残酷ではあるが人間としてはとても自然な答えだった。
有紀も苦渋の表情を浮かべるも自身の力不足を誰よりも痛感しているため、それ以上は口を開かず明音に付いて走る。
「健児! 摩子!」
「明音っ」
駆ける先に弓を背負った少女を背に庇いつつ、ゾンビを相手に奮闘している拳闘士の少年が声を上げる。
「二人とも逃げるよっ」
「逃げるってどこへだよっ」
「町の外!」
「ちっ――分かった!」
拳を握りしめ、迫るゾンビを殴りつけた剣闘士の少年――健児は、グチャリとした感触に「うえっ」と声を上げて背後に庇う摩子の手を引いて走り出す。
「太朗はっ?」
「今から迎えに行くのよっ」
何を聞くのだと睨み付ける明音に健児は何とも言えない顔で頷く。姿が見えないから問うただけなのにと言う思いもあるが、状況を考えれば致しかないと納得する。
そして、四人は脇目も振らず駆け抜ける。
周囲でモンスターと戦う冒険者達を横目に、ただ逃げるために前へと進む。それを腰抜けだ、卑怯者だ、と罵る者もいるかも知れない。けれど、冒険者は基本自由な存在なのだ。
ギルドの規則に縛られてはいるが、その第一の規則が『生き残れ』である。
奇しくも、それを知らずに実践している彼女達を公に責めることが出来る者はいないだろう。否、責めている余裕などないと言えばいいか。
「太朗っ」
「明音ちゃん、みんな――」
「逃げるわよっ」
明音に声をかけられ、顔を上げた白ローブの少年は言葉の意味を理解するのに暫し要した。
それでも、白ローブの少年――太朗は手を休めることなく、負傷者の手当てをし続ける。
「逃げるって――」
「町の外よっ」
「無理だよっ。周囲をモンスターが取り囲んでいるってアルダさんが言ってたんだよっ」
「――っ。そ、それでも、どこか手薄なところがあるかも知れないでしょっ」
太朗の剣幕と現実にたじろぐ明音は癇癪を起こしたように喚く。
アルダとは衛士の長を務める男で、
マデートの町の奥。町長の屋敷がある一角には避難してきた住人が集まっており、その中にも怪我人もいた。至るところから聞こえる呻き声は耳を塞ぎたくなるもので、さながら野戦病院の様相を見せる光景に摩子と有紀の二人は顔色を悪くしていた。
「僕はいけない。けが人の治療を続けないといけないから」
「太朗っ」
「逃げるなら明音ちゃん達で逃げて」
町医者の息子である太朗は将来父の後を継いで医者になることを目指し、日々勉強を続けている。
漫画やアニメも見るが、医療系が主であり、ゲームであっても彼が選ぶのは僧侶などの回復系職業ばかりの筋金入りであった。そのおかげで、メニューの象徴・描写表現設定に気付き、五人は設定をONにしている。だから、女子にはかなり堪える光景が広がっているわけである。
「健児君、みんなを頼む」
「太朗……」
怪我人を前にして“逃げる”のは夢を捨てるのと同義であった。
太朗の決意は固いと見るや、健児は真っ直ぐに太朗を見返し、やがて小さく頷いて踵を返す。
「行くぞ」
「健児っ」
「太朗が残るって言ってんだよっ」
責めるような明音の声色に吐き捨てるように叫ぶ健児は拳を握りしめ、唇を噛む。普段は物静かな太朗が意地を、決意を見せているのだ。ここでそれを無理やり止めることは彼には出来なかった。
「タロー君、もういい」
だが、そんな中。静かに響く声があった。
声の主は傷だらけの鎧を纏った男で、大剣を片手で持ち真っ直ぐにこちらへと歩いてくる。
「アルダ、さん?」
「君も逃げるんだ。このままいけば、この町は全滅する」
それは彼にとっても認めたくない事実なのだろう。しかし、劣勢であることには変わりないのも、また事実。
この町にいる冒険者は駆け出しの者が多く、見る限りでは熟練の冒険者は数名しかいなかった。しかも、圧倒的に数ではモンスターが優位であり、徐々に劣勢へと陥り、現在は何とか町の中央にある広場で押し留めているが、いつこちらへ押し寄せてくるか分からない状況であった。
「でも、まだ怪我人が――」
「君はよくやってくれた。だが、これ以上は大人の出番だ」
それは、アルダなりの優しさだろう。あえて、“大人”という言葉を使い、彼に“子供”の出番は終わりだと告げたのだ。
「で、でも――」
「くどい!」
それでも食い下がる太朗をアルダは一喝。
「いいか。君に――いや、君達にお願いがある」
そして、一転して穏やかな口調と表情で太朗を、明音達を見つめる。
「住人達の避難誘導を頼む」
そう言い、頭を下げるアルダ。
「現在手薄になっているのは西門の方角だ。そちらへ向けて住人を避難誘導してくれ。先発して我々がモンスターの討伐を行う」
それだけを言うと異論は認めとないとばかりに、アルダは号令をかけ、衛士達が整列する。その名中にはたった今治療が終わったばかりの衛士もおり、満身創痍であるのは一目瞭然。しかし、その目は力強く、光り輝いていた。
「いいか、お前達! 町を護り、民を守ることこそが我らの責務! いくぞっ」
応っ! と気合のかけ声と共に衛士達がかけていく。そのうしろ姿を暫し呆然と見つめていた太朗と明音達だったが、太朗がいち早く動き出す。
「みなさんっ、集まってください! ここは危険なので避難しますっ」
喉を潰しそうな大声で叫びながら、住人に避難指誘導を行っていく太朗。
「もうっ、何なのよ! こんな馬鹿なことやってられないわっ」
「おかあさーん、どこーっ」
「何がゲームだっ、ふざけるな! 俺をここから出しやがれっ」
どのような内容を伝えられたのかは分からないが、ゲームに不参加である一般人達の苛立ちは募るばかりで、この状況は更に拍車をかける事態となる。
「健児、このままだとマズイよ」
「ああ、分かってる。――あっ、ゆっくり慌てずにお願いしますっ」
それを危惧して、太朗に次いで健児も声掛けをはじめる。
「皆さんで力を合わせましょう!」
「お願いしますっ。あ――子供やお年寄りを優先してくださいっ」
健児や太朗の必死な訴えに、次第に声を掛け合う人達も増えていき、徐々に人の列が出来て纏まりはじめる。
「健児」
「生きるぞ」
「うん」
ただそれだけ。二人は言葉を交わして、住人の避難誘導を開始する。
その様子をただ見つめながら動くことが出来ない女子三人。特に悔しそうな表情を浮かべてそぼを噛む明音は眦に涙が浮かんでいた。
――私はっ……
決して間違った決断ではなかった。あのとき、あの決断は最善だと自分でも思っていた。けれど、自分達だけが助かりたいがための行動だったのでは? と少し冷静になった頭で考え、後悔が過る。
「明音ちゃん、悩むのはあとにしよ」
「……摩子」
「今はやれることをやろうよ」
そう言って笑う摩子は小さな子供を連れた母親の元へと駆け出す。そのあとを追うように有紀も明音を一度振り返り、小さく頷いて駆け出し、その場に明音だけが取り残された。
何とかしなければと思った。
みんなが無事ならそれでいいと思った。例え、死んでも生き返るとはいえ、死ぬのは“怖い”。だから逃げることを選んだ。
それを間違っているとは思わない。けれど、それを一人で決断して行動して、押し付けてしまったのは間違いだったのか。
心のざわめきは急速に広がり、明音の心を蝕んでいく。
「麻由子、わたし……どうしたらよかったのかな」
ここにいない、大切な友人――麻由子を思い、頬を涙が伝い落ちる。
会いたい、ただ会いたかった。
仲良し六人組。その一人が欠けているだけで、どこかバラバラになっていくような錯覚に陥ってしまう。変化についていけず、けれど、状況は止まってくれず。
バラバラになるのが怖くて、それを必死に繋ぎとめようと試みた明音の心が、今悲鳴を上げてバラバラになろうとしている。
「――っ」
パンッと力強い音が響く。
自らの両頬を叩いた明音は涙を拭い、一歩を踏み出す。
向き合うことから“逃げる”のは駄目だ。これが終わったらみんなと話そう。話して、話して、これでもかっていうほど話して。
また、六人で楽しく過ごしたい。
その思いを胸に明音は住人の元へと駆け出した――
「た、助けてくれっ」
しかし、事態は急変する。
「ストーンウルフの群れが、また現れたんだっ」
駆けてきた冒険者の言葉に誰もが息を呑み、一拍の後に悲鳴が木霊する。
「ストーン、ウルフ……?」
「レアモンスターだよっ――くそっ、なんでこんなときにっ」
「レ、レアッ」
呆然と足を止めた明音の呟きに、健児は苛立ちを隠さず叫ぶ。
泣き叫び、逃げ惑う住人達を宥める術など彼らには持ち合わせていない。
――アオォオオオオンッ……
恐怖、焦燥、苛立ち……様々な感情を塗り潰す遠吠えが耳朶を揺さぶり、遠くて聞こえていた音もすべてやみ、辺りに静寂が訪れる。
――アオォオオオンッ……
それは、絶望。
突如として現れた、群れをなしてやってきた“絶望”に為す術もなく蹂躙されていく光景を幻視し、ただ震えることしか出来なかった。
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