第7話:現実となった幻想⑥

 食べ物屋はすぐに見つかった。というか、互助組織のアジオル支部がある建物の横に食堂があった。


「――で、これからどうする?」


 何度目になるか分からない質問を繰り返し、マールへ伺う。


「装備も新しくなったので友達を探しに行きたいですけど……」


 注文したおすすめ料理――肉入り煮込みスープとパン、野菜サラダを食べつつ、マールは言葉を濁す。


「行くのなら一緒に行くよ。迷惑じゃないければ、の話だけど」


 ここまでして、ここまで関わって、一人で送り出すのはさすがに無責任な気がするし、そもそも女の子を一人で旅させるのは色々と危険だろう。


「そ、そんなっ――迷惑だなんてとんでもないですっ」

「俺も妹と友達を探さないといけないし、一人旅ってのも寂しいだろ?」

「あ、言ってましたね。……確か、アカリさん? でしたっけ」

「ああ。マールと同い歳だけど、ちょっと落ち着きがないからなぁ……どこにいるのか分からんけど、無茶してなければいいなぁ」


 ワタワタと慌てながらも、サラダをモシャモシャと食べてポンッと手を打つマール。お行儀が悪いからやめなさい。


「ただ、移動するのは明日だな。今日は情報収集に徹した方がいい」

「明日、ですか?」

「ああ。周囲にいるモンスターがゲームのときと同じか、近くの町までどれくらいの距離があるのか、その辺は最低でも調べないと駄目だろうし」

「……あ」


 友だちに会いたい。その一心だったマールはその辺りを失念いたようで項垂れてしまう。もっとも、俺もそこに思い至ったのはほとんど偶然みたいなものだから人のことは言えないけど。


「それに、先住民というか元NPCというか、“リ・ヴァイス”の住人達のことを少し知る必要もあると思うからね」

「“リ・ヴァイス”の住人、ですか?」


 不思議そうに首を傾げるマールに、思いついたことを告げる。


「マールはギルドの受付嬢さんを見て、どう思った?」

「どうって……」

「普通だなって思わなかった?」

「え、ええ。とても綺麗な女性(ひと)だなと思いましたけど」


 何故そこでジト目で俺を睨むのでしょうか、マールさんや。あれは不可抗力ですやん。


「とても、ゲームのNPCには見えなかったよな」

「……あ」

「それに、食堂(ここ)の女将さんも料理も“普通”だろ。いや、料理は普通に美味しいから味覚もしっかりとあるってことだ。それに、あれを見て何に見える?」

「え?」


 俺が指差す先をマールは目で追い、不思議そうに首を傾げる。

 そこにあるのは、白い傘を被った円形の蛍光灯。見た目はそのまま吊り下げ式の蛍光灯であるが、傘は集光用なのか、表面よりも内側に光沢がある。


「蛍光灯、ですか?」

「見た目はそうだな。でも、ここがどこだか分かってる?」

「どこって……あ」


 ここまで言われて俺が言わんとすることを理解出来た様子のマール。

 ここは“リ・ヴァイス”の世界であって、俺達が住んでいた世界ではない。しかし、生活水準はかなり高く、天井から吊るされた蛍光灯のようなものは照明器具であることは間違いない。


 『魔導交換式吊り下げ照明器具』

 レア度:Ⅳ 魔導蓄積筒器マジック・カートリッジ交換式の照明器具。


 ゲームのときではお目にかかったことがないもので、聞き覚えのない単語がいっぱいの代物である。


「あの照明は電気ではない、魔導力で動くものみたいだ。詳細はさすがに分からないけど、文明はかなり発展しているような気がするし、そもそも、感情がないのなら生活の質に拘る必要はないと思う。不便を不便と感じないわけだからさ」


 分からないことが多いから、頭がパンクしそうだ。


「ん、と――話が逸れたね。それで、受付嬢さんを見てどう思った? それに、この食堂を、この町を見て歩いて、どんな風に感じた?」

「普通に会話をしてたし、ちょっと不機嫌な表情を浮かべることもありました。町は……その、木造の家が多いなくらいしか……で、でも、何か生活感みたいな、そこで暮らしているんだなって肌で感じました」

「ああ、そうだな。感情を持った人間と変わらない――いや、こんな区別をするのが間違っているのか……、とにかく、俺は彼女達は“リ・ヴァイス”で生きている住人だと思っている。町だって生きている住人がいるから生活感があるんだと思う」

「生きている……」


 この世界の住人であれば、“生きている”という表現に間違いはない。


「それに、五周年記念のアプデ完了告知、覚えている?」

「え、えっと……」


 NPC(ゲーム不参加の一般人)についての項目で、最後にこの一文があった。


 『こちらに明記された『NPC』とはゲームに参加していない一般人のことを指し、“リ・ヴァイス”の住人はその限りではありませんのでご注意ください』


 恐らく、この一文は“リ・ヴァイス”の住人には生命があり、そして死があることを告げているのだと思う。もし違うのならわざわざ“リ・ヴァイス”の住人と分けて明記する必要もないし、伝える必四方ないはずだ。

 しかし、“リ・ヴァイス”の住人には『死』がとても身近に存在する。死んだらそれまでが“当たり前”なのだ。今までの俺達がそうだったように。

 それをマールに伝えると、一瞬不思議そうな顔をしたが、ややあって理解したのか目を丸くしていた。


「つまり、私達の方がおかしいってことですか?」

「俺達が……ああ、そうかもね。死亡時もペナルティがあるだけで復活出来るし、確かにこれで“人間”かと聞かれたらおかしいな」


 マールの着眼点は中々面白い。

 確かにそうだ。死んでも生き返ることが出来る俺達と、死んだらそれまでの“リ・ ヴァイス”の住人。どちらが人間かと問われたら、間違いなく後者だと俺は答える。

 面白いけど笑えない話だ、これは……。


「どうした?」

「い、いえっ。ワタルさんは周りのことを見ているのに、わ……私は、自分のことばかりだなって思って」

「んー、まぁ……これは俺の癖みたいなものだからな。――とりあえず、冷める前にご飯を食べてしまおうか」


 落ち込みそうになるマールを励まし、食事の続きを堪能した。



 ☆☆☆☆☆



 食堂をあとにして、互助組織の支部へ向かう。

 食堂の女将さんに清算をしながらこの付近にいるモンスターの群生状況を聞いてみたが、ゲームのときと大差なかった。

 女将さんの対応もとても自然で、決められた台詞だけを話すゲームキャラとは違うと認識出来た。何より、お釣りを手渡してきたときに触れた女将さんの手は温かく、“生きている”ことを五感で実感でさせてくれた。


「……ストーンウルフ、か」


 ただ、予想外のモンスターが混じっていることに驚いた。


「ストーンウルフって、どんなモンスターなんですか?」

「んぅ……サバイバルセットを使うと低確率で現れるレアモンスターの一種だよ。それ以外にもクエスト進行中に出現する一種のレイドモンスター的な存在かな」

「レ、レアモンスターッ?」


 レアモスンターと聞けば確かに驚くのは無理もない。


「ストーンウルフは、名前の通り石の体毛で覆われた狼で、皮膚は石のように硬いから物理防御力はとにかく高い。……だけど、土属性だから風属性の攻撃に弱い一面を持っている」

「魔法防御は高くないってことですか?」

「いや、弱点属性だけだな。その他の属性魔法や矢のような遠距離攻撃には強いから。あと、打撃などの近接攻撃――ハンマーやメイスみたいな鈍器系の武器でないと有効打は期待出来ないから、剣とか槍での攻撃だと有効打にはならない」


 以前何度か戦ったことがあるので対策は出来ている。というより、ストーンウルフはレアモスンターの中でも比較的討伐は容易な方である。レベルや装備、あとは対策さえしっかりと出来れば、だけど。


「私一人だと、まず無理ですね」

「そうだね。マールのレベルだと一撃受けたら終わりだと思う」

「うっ」


 気休めを言ってもはじまらないので真実のみを伝える。


「まぁ、出てくることは滅多にないみたいだから大丈夫だと思う。下手なフラグ立てなければね」

「その言葉がフラグっぽいんですけど……」


 うん、言ったあとから気付いた。ごめんよ。


「で、でも! ワタルさんはカンストプレイヤーですし、出てきても大丈夫ですよね?」

「あー、レベルや装備的にはこの辺りのモンスターは問題はないと思うよ。ただ――」

「た、ただ……?」


 場の雰囲気を変えようとしたマールだが、言葉を濁す俺にゴクリと息を呑む。


「生身でモンスターと戦闘なんてしたことないから、どうなるか分からない」


 ただ、本当にただ真実のみを伝える。


「あ……そ、そう、ですよね」

「やる前から弱気でごめん」


 プレイヤーは例え死んでも復活出来る。

 この事実をどう捉えるか。それによって意識は大きく変わってくるだろう。いくら死んでも蘇生出来るとはいえ、死ぬのは怖い。

 蘇生出来る。生き返ることが出来るというのは、『死』という絶対的な不可避なものを軽視するものだと思う。

 もし現実世界で熊や狼に出会ったら、ライオンに出会ったら、勝てると思うだろうか? それは否と答えるだろう。けれど、勝てるだけの“力”を持っていたら話は別だ。その力を揮って挑むかも知れない。蛮勇は勇気ではない。ただの暴力であり、無謀は死を招く。

 だから、俺はそんな無茶はしたくない。

 臆病でもいい。腑抜けと笑われてもいい。堅実な道を歩み、まずは灯を探し出さないといけないのだから。


「だから、ちょっと予定変更して、外に出てみようと思っている」

「外って、町の外……ですか?」

「ああ、一度戦闘を経験しておいた方がいいと思ってね」


 昨日はどこかゲーム的な発想がまだあった。混乱していたのもあるのだろうけど、それでも何とかなるだろうと高を括っていた。けれど、今日色々と情報を入手して、そして改めて思い知らされた。


 ここは現実なのだ、と。


 お腹が空くし、生理現状ももちろんある。その当たり前のことを実感し、食堂の女将さんから話を聞きながら生身の戦闘というのを経験しておく必要があると思った。


「わ、私も行きますっ」

「無理はしなくてもいい。と、言いたいところだけど、先のことを考えたらそうも言ってられないし」

「は、はいっ」


 さすがにこれから少し間だが行動を共にしようと思っている相棒を置いていくわけがない。


「それじゃ、装備は、そのままで大丈夫だとして、ポーションなどの消費アイテムを確認してから行こう」

「はいっ」


 それから数十分。

 時間をかけて消費アイテムの確認をして、いざ気合を入れて町の外へと一歩踏み出した。



 ☆★★★☆



 同時刻、西の共和国――ウエス

 南の神聖国サウーラから遥か西。広大な荒野が領地の大半を占める獣人族が統治する国家。


「くそっ――追い付かれるぞっ」

「分かってるわよっ」


 その荒野を一台の幌馬車が何かに追われているのか、緊迫した男の声に女が怒鳴り返す。


「ショーゴ! 投げてっ」

「おうっ」


 馬車の御者を務める男と幌に掴まって背後を気にする女とは別に、馬車にはもう一人――鋼色の全身鎧を纏った大男が同席しており、指示された通り近くにあった木箱から円形の物体を取り出す。

 火気厳禁と書かれた木箱から取り出された円形の物体。


「んじゃ、とりあえず――」


 それを徐に投げる。

 激しく揺れる場所の中で立っていることもままならないはずなのに、ショーゴと呼ばれた大男――米倉祥吾はふらつくこともなく、綺麗な投球フォームで円形の物体を投げ放つ。


 シュパァァアアアアアァァァァン……


 風切り音が一度掻き消える。

 しかし、刹那。すべての音をかき消す爆発が後方で起き、次いで衝撃波が馬車を揺さぶる。


「くっ」

「きゃあっ」


 男と女が悲鳴を上げる中、祥吾はただその爆発を眺めながら小さく息を吐く。


 『簡易型爆裂弾』

 レア度:Ⅱ 対象に投擲し、被弾することで爆発する消費アイテム。

       連続投擲により連鎖爆発も可能。最大一〇連発。


 鑑定でその説明を読みつつ、木箱からもう一つ取り出す。

 まだ終わったわけではない。だから気を緩めるな。そう自身を鼓舞して噴煙を上げる先を睨み付ける。

 一秒、二秒……刻々と時間は過ぎ、その間も馬車は止まることなく進み続ける。


「ショーゴ!」

「大丈夫そうだっ」


 倒せわけではないだろう。だが、逃げ切るまでの時間稼ぎは出来たはずだ。


「何とも面倒な世界だな……」


 女に返事をしながら祥吾は独り言ちる。

 どうしてこんなことになったのだろう、と。

 どうして命を賭けてこんなことをしているのだろう、と――



 ☆☆☆☆☆



 馬車は走り続ける。

 披露した馬の速度は先ほどよりは遥かに遅いが、この場で留まるのは危険である。御者の男は申し訳なさそうに馬へ鞭打ち、一刻も早く死の荒野を脱出しようとしていた。


「ありがとう。助かったよ」

「いや、死にたくないからな」


 女に礼と共に手渡された水筒を受け取り、口を付ける。

 少し温い水が沁みこんでいくのを感じながら、生きていることを実感させてくれる。


「ショーゴと一緒に乗ったやつ等はみんな逃げちまうし、――ったく、冒険者の質も悪くなったもんだね」

「……すまん」

「いや、ショーゴは違うでしょ。こうして――」


 その言葉を聞きながら祥吾は昨日のことを思い返す。



 ☆☆☆☆☆



 『スマート・ワールド』五周年記念イベントは悪夢のはじまりだった。

 西の共和国――ウエスの首都アズラリは、冒険者達の怒号と罵声で阿鼻叫喚となっていた。その中に全身鎧に身を包んだ巨大な戦斧を背負う大男が一人佇んでいた。その威風堂々とした姿は本来であれば注目を集めるのだが、この状況では仕方ないと大男――祥吾は思う。

 アップデート前に素材が必要戸数集まったので早速友人である錬金術師に制作を依頼して装備を新調し、念願の“覇聖”シリーズが揃ったばかりで真新しい鎧に感慨もあるが、今はこの装備が出来たことに心から感謝していた。


「アズラリ、か……」


 祥吾がここでログアウトしたのは近くに旧・四強窟の一つがあり、そこのボスドロップを必要としているクランメンバーがいたため、パーティを組んで取りに行ったからである。新調した装備の性能を確かめる意味合いもあったのだが、こんなことになるのなら共に行動していればよかったと、親しい人達の顔が浮かび、後悔の念が押し寄せてくる。


 ――さて、どうするか……


 祥吾は周囲の光景を眺めながら、どこか達観した思いでいた。

 混乱はしていた。困惑もしていた。しかし、泣き叫ぼうともどうすることも出来ない。

 哀しみも、苦しみも、過去に幾度となく経験してきた。失ったものは帰ってこない。そう、永遠に帰ってこないのだ。

 だから、二度と失わないためにも“力”が欲しかった。

 ただの“力”でない。守ることに特化した力である。それが例えゲームの中であっても祥吾の信念は変わらなかった。

 これ以上失うのは御免蒙る。その決意を胸に祥吾は即断即決して行動へと移した。

 すでに『五周年記念イベント開始』の説明は一通り読み終えており、状況は理解出来ている。ならば、することは自ずと決まってくるというもの。


「あの人は……まぁ、大丈夫だろう」


 真っ先に浮かんだ人物は祥吾にとって家族にも等しい存在だった。だが、この状況で無茶に動くような性格ではないし、恐らくクランメンバーと一緒に行動しているはずだ。そもそも、一人でいるのは嫌だと常に誰かとチャットで会話しているくらいの寂しがり屋なのを思い出し、祥吾は苦笑いを浮かべる。


「問題は、渉か」


 渉は恐らく『ナイトメア・ハウス』に行っているはずだ。

 メンテ前に学校でした会話で『ナイトメア・ハウス』で素材集め中と言うのを聞いていた祥吾は、友人である渉の居場所を割り出した。

 南の神聖国サウーラにあるアジオルの町。


「なら、そこへ向かう手段の確保と、位置の把握が先決だな」


 そこから祥吾は街中を奔走し、数時間で移動手段を確保した。

 それは冒険者互助組織で見つけた、移動商人の護衛依頼。

 幌馬車で移動販売を行っている年若い商人夫婦の護衛依頼で、サウーラまではいかないが国境付近の村までは行く予定だと言う。期間は一〇日間ほどの工程らしく、祥吾はその依頼を受けた。

 そのとき、世界地図をみせてもらったが、まさしく日本そのままで正直違和感しかなく、ああ本当に現実なのだ。と再度実感した瞬間であった。


 現在いる西の共和国ウエスは関西地方に位置し、首都は兵庫県辺り。対する南の神聖国サウーラは九州全土を領土に持ち、アジオルは大分県の中ほどになる。詳細な位置は把握できなかったが、街道も整備されているので、サウーラに入国したあとで移動手段さえ確保出来れば問題ない。


 その後、護衛対象である商人の夫婦と会い、諸々の説明を受けた。

 冒険者は祥吾を含めて六名。出発は明朝。モンスターが出現した場合は討伐、素材はすべて冒険者へ譲渡。工程よりも早く到着した場合は報酬に上乗せあり。

 そんな説明を受けて、迎えた翌朝。

 待ち合わせの場所へ向かうと、商人の夫婦と数人の冒険者がいた。

 男が三人、女が二人。会話を交わしているところから顔見知りの様子だが、その調子はどこか軽い。恐らくプレイヤーだと見受けられるが、昨日の今日でよく動けるなと自身を棚に上げて祥吾は呆れていた。

 恐らく、ゲームの延長くらいにしか考えていない連中なのだろう。


 ――何とも嫌な予感がする……


 祥吾は直感で悟った。この依頼は失敗だった、と。

 しかし、今更辞退することも出来ず、商人の夫婦が全員揃ったところで軽く挨拶と自己紹介を行い、全員で馬車へと乗り込み、首都をあとにする。


 出だしは順調。

 午前中は問題なく過ぎ、一旦馬車を止めて昼食。無論、周囲を警戒するのも忘れないが、祥吾以外の冒険者達はそんな素振りを見せずに馬鹿騒ぎで危機感なし。

 呆れ顔の商人夫婦を尻目に好き勝手なことを言い出す五人組に辟易とするも、今更後の祭りである。このままこいつ等と一〇日間も一緒なのかと思うとうんざりだなと思いつつ、インベントリから取り出したパンを食べていると、突如地面が揺れた。


「きゃっ、な、なにっ?」

「な、なんだっ」


 五人組が突然のことに狼狽して叫ぶ中、祥吾はジッと周囲を見渡し、


「下だっ」


 一足飛びで後方へ飛び退いた。


 ドゥグゥウウウウン――


 ドゥンッと土が弾け飛び、土煙が立ち込める中。

 “それ”が現れた。

 突如地中から生えた一本の“大木”。太さは二メートルを優に超え、見上げれば五メートル以上の高さから表面に付着した泥と石が次々と落ちてきて祥吾達に降り注いでくる。


「な、なんだっ」

「きゃぁああっ」

「ちょっ――なんだよ、こいつっ」


 五人組は突然のことにパニックを起こし、右往左往するばかり。

 それを無視して祥吾は“それ”を観察する。予期せぬ事態なのは一目瞭然。ならば、次に行動するための情報を得るのは必須事項。すると、“それ”は突然全体を小さく震わせていき、ゆっくりと花弁が開くように先が割れていく。


「――っ」


 が、突如強烈な悪臭が鼻を付き、一歩後ずさる。

 その正体は開いた華から伝い落ちる粘度の高い液体なのだが、これがただの花であればどれほどよかったか。


「なっ――サ、サンドワームが何故こんな場所にっ」


 そんな中、出現した“それ”を見て商人の男が驚きの声を上げ、祥吾も状況を理解しつつあった。

 サンドワーム――

 体長一〇〇メートル近い巨大な蚯蚓みみずのようなモンスター。生息地域は主に砂漠で、地中を生息拠点としているため、目は退化しているが聴覚が異常発達しているため、地表を歩く獲物の足音を聞き分けて捕食する”見えざる狙撃手インビシブル・スナイパー”と呼ばれている。


 ――渉に感謝だな……


 職業の性質上、モンスターの知識を豊富に持つ友人に感謝しつつ、この状況を分析する。

大輪の花を咲かせたかのように見えたのはサンドワームの巨大な口であり、ゆっくりとこちらを向き、捕食態勢に入った。


「……結構、ピンチかも」

「早く馬車に乗って!」


 砂漠に生息しているはずのサンドワームが、何故荒野のど真ん中に出現したのか? それを思案する間もなく、商人の妻が力の限り叫び、事態は一斉に動き出す。


「逃げるぞっ――あれは恐らく“主”だっ」


 商人の男が御者台から身を乗り出して背後を振り返り、祥吾は馬車へと駆ける。


「あ、ちょっ――」


 だが、五人組は恐慌状態に陥ってしまったのか、馬車とは違う方へと駆け出したが、そこはまだサンドワームの捕食領域であり、ゆらりと揺れた花が次の瞬間、獲物を捕食するために動き出した。


 ――ちっ! ……


 自分勝手をした他人を助ける義理があるのか。それを考える前に、祥吾は背負っていた巨大な戦斧をサンドワームへ向け、身体を捻りながら渾身の力で投げつけた。

 筋肉が軋み、痛みを伴おうとも“失う”ことを恐れる少年は気にしない。失うことの痛みに比べれば、この程度の痛みなど何ともないのだから。


 ギャシャァアアアアッ――


 予想外の攻撃を受け、サンドワームは苦悶の叫び声を上げる。


「う、うわぁああああっ」

「ちょ、ちょっと待ってよっ」

「に、逃げろぉおおおおっ」


 さすがは冒険者と言うべきか、否、人間の生存本能と言うべきか。五人組は脱兎が如くその場を逃げ出し、脇目もふらず祥吾達とは反対側へ走り去っていく。


「早くっ、馬車に乗って!」


 そのうしろ姿を見つめながら、祥吾は言い表せない気持ちを胸に仕舞い込み、馬車へと飛び乗る。


 グシャアアアアアッ――


 手傷を負ったサンドワームは五人組から祥吾を捕食対象へと変えたようで、小さく唸りながらその身を低く地面を裂きながら猛然と迫ってきた。


「出してっ」

「行くぞっ――掴まってろ!」


 そして、決死の逃走劇がはじまった。



 ☆☆☆☆☆



 荒野をひた走る馬車と怒り狂ったサンドワームとの鬼ごっこは、とりあえず祥吾達の勝ちで幕と閉じた。負ければ腹の中でその人生が幕を閉じていたのだが。

 思い返すだけも今更ながら怖気が走る思いだと祥吾は嘆息する。


「さすがにこのまま進むのは無理だな」

「そうね……冒険者の件もあるけど、サンドワームのことを伝えないと大変なことになるわ」

「引き返すのも無理だろうから、オデマの町に急ごう。そして、早馬を出してもらえばいい」

「そうね。ショーゴ、あのね――」


 商人の夫婦が話し合いを続ける中、祥吾はこの先のことを考える。

 即断即決が失敗だったのか、それともただ運が悪かったのか。濁りそうな気持ちを振る払っていると、夫婦からこの先の町でサンドワームの件を報告し、冒険者を追加で雇うようになったと聞き、了承する。


 ――先が思いやられるな……


 旅ははじまったばかり。しかし、その旅は波乱に満ちたものになりそうだ。と、祥吾は内心で嘆息して進み出した馬車の揺れに身を任せて流れゆく景色を眺めていた――

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