第5話:現実となった幻想④

 一夜明けて。

 夢なら覚めているだろうと怖々と目を開けてみたが、風景は昨日のままだった。

 アジオルの町。

 突如現実となったゲームの世界。


「……はぁ」

「お、おはようございましゅ――はぅっ」


 重い溜息を吐いたところで、近くから声が聞こえた。見事に噛んで顔を真っ赤にしているが、そこはスルーしてあげよう。


「おはよう。眠れた?」

「は、はい。……テント使わせてもらってありがとうございました」


 ペコッと頭を下げるマールに「気にしないで」と返して毛布を畳む。女の子に野宿などさせるわけにはいかないからね。

 昨晩は食事を終えてマールもサバイバルセットを使用としたのだが、そこでちょっとした問題が起きた。


 テントを設置する場所がなかった。


 宿からあぶれたプレイヤー達が予想以上に多く、町の中はテントだらけになっており、俺達がいる一角もすでにテントで埋まっていた。

 ゲームに参加していなかった一般の人達はどうしたのだろうかと思ったが、何故か家を持っていることになっていた。恐らく、イベントの注意事項にあった、『ゲームに参加していない一般人の方には事前説明を済ませております』と言うのが関係しているのだろうけど、その内容を確認するのは現状ではさすがに憚られる。

 そんなこんなで、マールは自前のサバイバルセットを使うことが出来ず、俺のテントで寝ることになった。俺は外で毛布に包まって就寝して朝を迎えた。

 今更ながら周囲の様子にもう少し気を配るべきだったかなと思ったが、このような状況に陥った直後では馬鹿なことをする人はいなかったようだ。


「それじゃ、朝ご飯にするか」

「あ、手伝います」

「ああ、お願いするよ」


 簡易調理台に向かうマールを横目にインベントリから食材を出していく。

 『スマート・ワールド』には調理スキルというものは存在しない。体力回復などは“食品”アイテムを店で買うことになるが、自分で調理することは出来なかった。しかし、何故か“食材”アイテムがドロップすることがあり、一部の“食材”アイテムは生産でも使用することがあったから活用は出来た。その中でも高値で取引される“食材”アイテムもあったが、大半は用途不明のアイテムで店売りとなっていた。

 それがまさかこんなところで役に立つとは……。

 俺自身、インベントリに食材が入っているのは偶然だった。昨晩、二人になったのでもう少し食べるものがないかとインベントリ内を見ていたら食材アイテムがあることに気付いた。数日前から『ナイトメア・ハウス』に篭り、アイテム整理を後回しにしていたのだが、それが功を奏するとは思わなかった。

 で、まず疑問に思ったのが、この食材アイテムは“腐っていない”のか? という点だった。

 匂いや見た目は二人で確認してみたが問題はなく、普通に食べられそうだと判断出来た。

 ならば、次の問題――食材アイテムを使って実際に料理が出来るのか?

 マールと一緒に首を捻っていたが考えても分からないので実践あるのみと、マールが調理をはじめた。

 結果からいえば、大成功。

 ただし、これは予想だが調理に関してはリアルスキルが多分に関与していると思われる。マールに聞けば普段から家で料理はしていたらしいので手際も問題なく、いい匂いがしていた。俺も忙しい両親のおかげで家事関連は一通りは出来るようになったが、料理に関してはかなり大雑把な男料理だからな。そんな料理を灯は大好きだと言ってくれたが、灯りの料理は……うん、何も言うまい。きっと、これから伸びるはず! やれば出来る子だから、あの子は。


「これ使っていいから」

「あ、はい。……って、何の卵ですか? これ」


 インベントリから取り出したのは、パンと肉と卵だった。

 水に関しては生産で使用しているのが使えるのでは? と思い立ち、インベントリから出して確認してみる。


 『メシュリトの真水』

 レア度:Ⅱ “リ・ヴァイス”の一般的な飲料水。

       生活に、生産に、あなたのそばで活躍します。


 素材不明の半透明な瓶に入っているのだが、これも腐ってないのか一応匂いを嗅いで飲んでみた。昨晩の話なので、今のところ身体に異常はないところを見れば問題はないのだろう。

 そもそも、生きているのだから人間の生理的欲求は無視することは出来ない。それを実感して、ここが現実であることを再認識させられることもなったのだが、それ以上に“リ・ヴァイス”の生活水準が高いことに驚かされた。

 アジオルの町は上下水道が完備されている。上下水道という確証はないが、少なくとも上水設備があるのは洗面所で見慣れた水道の蛇口を見て判明している。捻って水も出したからな。

 剣と魔法のファンタジー世界。“リ・ヴァイス”の世界観から、そんなものはないと決めつけていたが、そういえばゲームのときも生活面の説明は皆無だったことなと思い至った。

 ゲームの中で生理的欲求などないし、水はアイテムとして販売されていた。その水がどういう経緯で瓶詰めされて販売されているのかなど考えもしなかった。

ただ、今度の生活にも直結する問題ではあるし、この辺りのことは早急に確認しないと駄目だろうな。


「ワタル、さん……?」

「ん? ああ、何?」

「いえ、この卵って――あの、大丈夫ですか?」


 どうやら考え事に夢中でマールが話しかけられたのを無視する形になっていたようだ。しかも、余計な心配をかけたようで謝罪を入れる。


「これはココルコの卵だよ。町中とかに鶏っぽい鳥がいたでしょ」

「ああ、あの真っ白な鳥さんですかぁ」

「そう、それ」


たまに茶色やら白黒の斑などもいるが、基本的に親鳥は真っ白なのだ。しかし、何故か卵はまっ黒。まるで温泉卵のようだなと最初は思ったが、割ってみれば白身と黄身も普通で見た目は鶏卵と同じだった。


 『ココルコの卵』

 レア度:Ⅰ 食材アイテム ココルコが生み落した卵。ごく稀にアタリがある。


 おい、何が“あたる”んだよ、何が。


「きゃっ」

「どうしたっ?」


 見たこともないアイテムの説明にツッコミを入れていたら、マールの悲鳴を聞こえて慌ててそちらを向く。


「……ぴよ?」


 が、そんな鳴き声に思わず間抜けな面を晒すことになるも、目に飛び込んできた光景についていけずにいた。


「か、かわいいっ……」


 だが、俺よりも先に状況を理解したのか、はたまた本能か。簡易調理台の上に鎮座する薄黄色の物体を見つめて目を輝かせるマール。


「ワ、ワタルさんっ――ひよこです、ひよこっ」

「そ、そうだな……」


 見間違うことなく、誰が何と言おうと、ひよこ様が調理台の上におります。


「ぴよっ」


 と、小さい羽を広げて存在をアピールするひよこ様に、マールはメロメロの様子で蕩けていた。


「しかし、何がどうなって……」


 もう状況に置いてけぼりを喰らいまくって周回遅れになっているが気にしないことにしよう。とりあえず、一つずつ事態を確認することにして。


 『ココルコの雛』

 レア度:Ⅲ 卵から孵った突然変異種。大事に育て上げてください。


 おいっ、説明が説明になってないぞ。仕事しろ、鑑定!


「そのひよこ、ココルコの雛らしい」

「へぇ……って、卵から雛が孵るんですかっ?」

「しかも、突然変異種だって」

「……え?」


 暫しの沈黙。


「ぴよ……ぴ、ぴよぉ! ぴよぉおおっ」


 ただ一人。もとい、ただ一匹。この状況を作り出したひよこ様は無邪気な鳴き声を上げてパンを突いてご満悦の表情を浮かべていた。



 ☆☆☆☆☆



 何とか気持ちを落ち着けて、朝食の準備を終えたマールと一緒に食事を済ませて、サバイバルセットを撤去する。撤去といっても半透過ディスプレイに表示される“撤去”をタップするだけなのだが、ちゃんと整頓してタップしないと大変なことになるようだ。

 昨晩、その事実に気付いた近くのプレイヤー達が試しに“撤去”して再設置をしたのだが、調理していた食事やたき火の灰などがテントに付着して使いものにならなくなったと嘆いていた。

 サバイバルセットは再利用可能となっているが、今回は食器類は処分するしかないだろう。洗うにしても水場が近くにないから不衛生であるし、色々と試してみたいこともある。


「それで、これからどうするの? やっぱり、友達がいる町へ行く?」

「え、えっと……」


 辺りを見渡してゴミがないかを確認しながら、マールへ今後の予定を確認する。頭の上に乗ったヒヨコが何ともシュールだがツッコミは入れない。すっかり気に入られたようで、マールから離れようともしないので、そのまま預けることにした。人はこれを丸投げとも言う。

 閑話休題。

 本来であれば昨晩にでも予定を確認するつもりだったのだが、あまりにも予備知識がないのでそれを教えるのに時間がかかってしまい、結局予定を確認できず仕舞いだった。


「友達に会いに行きたいんですけど……一人だと、その」


 昨日も行っていたけど、確かに一人だと怖いよな。一緒に付いて行ってやりたいが、こちらも妹を探すという使命があるのだ。


「倉庫が使えればなぁ……装備を制作してあげれるんだが」


 さすがにその装備では心許ないからな。必要ないかも知れないが、ただの自己満足だが受け取ってもらおう。


「え、倉庫使えますよ? え、制作? え、えっと……」

「……はっ?」


 マ……マールさんや、今何と言った?


「え、倉庫使えるの?」

「は、はい。一昨日に課金して倉庫機能を開放したので問題なく――」

「あっ――ああぁあああっ」

「ひゃあぁっ」


 突如大きな声を上げた俺にマールが驚き、周囲にいた人達の訝しげな視線が突き刺さる。だが、今はそれどころではない!

 そうだよ、課金だよ。

 何故忘れていた、俺! ちょうどアップデートの間に期限が切れるから、アップデート後に課金しようと思っていたのだった。


「そうか、そうだよ。……それで使えなかったのかぁ」

「使えなかったんですか?」

「あ、ああ――課金が切れて…………あれ?」


 そこで、ふと気付いた。


「課金ってどうやってするんだ?」

「…………あ」


 これは大変な事実かも知れない。

 腕輪をタップして半透過ディスプレイを呼び出し、メニューをタップ。“倉庫機能”をタップしてみるも、昨日と同じく無反応。


「何か……何か見落としていることが」


 恐らく多くの見落としがあるのだろうけど、それはひとまず置き、“倉庫機能”が使えるようにするのが先決だ。と、思い悩んでいたら、マールが唐突に口を開いた。


「この腕輪って、スマートフォンだったんですよね」

「ん? あ、ああ……そうだね」

「でも、通話も出来ないし、メールも出来ないし……なんか、ゲームの専用アイテムになっちゃいましたね。通話とかメールできれば友達とも連絡取れるのに」


 まぁ、確かにこの状態では通話もメールも出来ないよな。


「あ、す、すいません。余計なことを言って」

「いや、別に――」


 そうだ。そうだよ。

 ゲーム専用のアイテム。この腕輪は『スマート・ワールド』で冒険者が持つ身分証の役目を持つアイテムだ。冒険者にとって必須のアイテム。

 これがなくては冒険者と認めてもらえないほど、に。


「マール! ありがとうっ」

「え、え?」

「冒険者互助組織! ギルドだよ、ギルド! そこにいけばいいんだよっ」

「……え?」


 意味が分からず首を傾げるマール。


「とりあえず、行ってくる!」

「え、あっ――ま、待ってくださいよぉ」


 駆け出した俺のあとを追うように何とも情けない声でマールが追いかけてきているが、脇目も振らずに冒険者互助組織――ギルドを目指して全力で駆けた。



 ☆☆☆☆☆



 冒険者互助組織――ギルド。

 “リ・ヴァイス”全土に支部を持ち、共通の規則によって運営されている、敵対すれば国家の存亡も左右する巨大組織。


「いらっしゃいませ」


 街中を探索してやっと見つけた冒険者互助組織のアジオル支部。

 雰囲気のある木造二階建ての建物。逸る気持ちを抑えつつ、深呼吸をして中へ入る。背後で苦しそうに息を吐く人物がいるけど気にしない。「待ってって言ったのにぃ」と恨み節をぶつけられたけど気にしない。「ぴよぉ」とこちらも不満げな声を上げるヒヨコ様がいるけど無視だ。

 そんなことを思いながら建物内に足を踏みれたところで、凛としながら優しげな声が耳朶を揺さぶる。


「本日はどのようなご用件でしょうか?」


 気付けばカウンターの前。そして、その向こう側からニコリと笑顔のお姉さんが用件を問う。

 年の頃は二〇代前半。とても美人です。

 そして、見覚えがあります。

 この美人受付嬢さん、ゲームのNPCだ。受付嬢はランダムで出現するので、どこのギルドでも会うことが出来た。お気に入りの受付嬢に会うためにギルドを出入りする猛者もいたくらいだからな。


 ……違和感ないなぁ。


 見た目は人間そのもので違和感はない。表情も普通。

 現実世界の一般人ではなく、元からゲームにいたキャラクターである。つまり、先住民? みたいな存在だろう。

 受け答えは問題ないように思えるけど、これはテンプレ回答なのか、自発的なものなのか、少し探りを入れるべきなのかも知れないが、どう見ても普通の“人間”にしか見えない。

 下手に拘りを持って接すると妙な軋轢を生む可能性もあるから、ここは普通にしよう。


「もしかして、冒険者登録でしょうか?」

「え、あ――いえ、違います」


 思わずお姉さんの顔に見惚れてしまったが、小首を傾げるお姉さんもいい。


「ワタルさん……」


 背後から何やら怖い声がするのでさっさと話しを進めよう。


「すいません。倉庫をお借りしたいのですが」

「倉庫、ですか?」


 おや、お姉さんの反応が芳しくない?


「失礼ですが、お金の方はお持ちですか?」

「お金、ですか?」


 何とも単刀直入だが分かりやすい。


「はい。腕輪の個人倉庫を利用するためには五〇万エルンが必要となります」

「ご、五〇万っ?」


 その額にマールは驚きの声を上げるも、俺は特に驚きはなかった。

 五〇万エルンは、現実の通貨で言えば五〇万円。

 円換算で言えば途轍もない額だが、エルンであれば問題ない額だ。ゲーム内通貨であれば稼ぐ手段は多岐に渡るし、ゲームを続けていれば相当額を所持しているはず。現に、俺も腕輪に五〇〇万エルン以上所持しているわけで、倉庫には数億単位のエルンが保管されていたりする。

 ただ、そんな額を持っていると思われると面倒事が押し寄せてくれるなと思いつつ、周囲を伺うも職員以外は見当たらなかった。時間的に早いのか、それともプレイヤー以外の冒険者はいないのか。……いや、冒険者はプレイヤーしかいないとアップデートの告知にあったな。一部例外は除くとあったが、冒険者=プレイヤーと思って問題はないのだろう。鵜呑みにするのは危険かも知れないが、今はあの告知を信用するしかない。


「問題ありませんが、一つ聞いてもいいですか?」

「はい、何でしょうか?」

「倉庫の利用料金に期限はありますか?」


 ゲームのときは倉庫を利用するに月単位で五〇〇エルン必要だった。それが、今も適応されるとされるとさすがに厳しいなと思う。


「いえ、入金は一度きりで構いません。――失礼ですが、互助組織入会の際に説明をされませんでしたか?」

「あぁ……されたような、ないような。そのときは倉庫利用まで考えてなかったので、聞き飛ばしてしまったかも知れません」

「そうですか。では、個人倉庫の利用許可申請を行いますので、こちらへ腕輪をかざしてください」


 我ながら無茶苦茶な受け答えだなと思ったが特にそれ以上の追及もなく、お姉さんはこちらですと手を指し示す。その先には二〇センチ四方の黒い板状の物体があった。何やら仄かに感じるのだが、これは何だろう?


「これは?」

「こちらは魔導伝達装置デバイス・スキャンです。腕輪の情報をこちらの集積装置接続端末ターミナルへと送信して変更を行います」


 と、お姉さんが手で示したのは、一段下がっているカウンターにあるパソコンの薄型モニターみたいなものだった。


集積装置接続端末ターミナル?」

「集積装置は冒険者の個人情報を一元管理している本部にある冒険者情報集積装置のことです。こちらにあるのはその端末で、個人情報や各種機能の変更、入出金を行います」


 何やら知らない言葉がポンポンと飛び出してくるが、随分と近代的な名称が出来てきたものだ。


「あっと、すいません」

「いえ」


 少し訝しげな表情をされたので慌てて腕輪を魔導伝達装置にかざすと、ピポッと馴染みになりつつある音が腕輪から響く。

 冒険者としての“常識”を知らないのは色々と問題があるな。腕輪のメニューにヘルプはなかったし、少し調べてみるか。

 そして、テンプレ回答ではなく、どうやら自発的な――というよりも喜怒哀楽の感情を持っているように思える。さすがにこれだけの会話ですべてを把握するのは不可能だが、会話の流れに不自然な点がないように思えるし、やはり、下手な先入観は持たない方がいいのかも知れない。

 今の現実は“リ・ヴァイス”の世界。

 つまり、彼女――“リ・ヴァイス”の住人達が暮らす世界であり、俺達は別の世界から来た“異物”でしかない。


「では、確認致します。――『茶屋のほほん』所属、ワタル様でよろしいですか?」

「え? あ、はい」


 集積装置接続端末ターミナルに目をやりながら問うてくるお姉さんに間違いないので返事をする。

 そういえば、あの人・・・に押し切られる形で一時的にクランへ加入していたのをすっかり忘れていた。

しかし、大丈夫かな。

思い浮かべるのは、ちょっと抜けたところのあるが、おっとした雰囲気の優しい女性。クランマスターとしては有能な方だと思うがチャットでのお喋りがほとんどだから、レベルも確か七〇台で止まっていたはずだ。ゲームの楽しみ方は人それぞれだからいいけど、現実となった今は一人でいないことを祈るしか出来ない。ちょっと人見知りがあるからな……客商売しているのに。

まぁ、祥吾が探しているだろうし、あの人は任せておいても大丈夫だろう。


「それでは入金処理を行います。ご入金は現金で行いますか? 腕輪内のウォレットにあるエルンをお使いになりますか?」

「腕輪内の、ウォ、ウォレットで」

「はい。では入金作業に入ります。少々お待ちください」


 聞き慣れない単語に戸惑いながら了承すると、腕輪からピポッと音がして緑の宝飾が点滅して、半透過ディスプレイがいきなりポップアップした。


 『入金が確認されました。倉庫機能が使用可能になりました』


 突然のことに驚いたが、半透過ディスプレイに表示された文字を読みながら、やっと一つ解決できたかと安堵の息を吐いた。

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