第4話:現実となった幻想③
☆★★★☆
荘厳にして霊験あらたか。
白地の壁と木製の調度品で統一された室内。複数の人物が一〇人掛けの木製テーブルを挟んで座り、一様に眉を寄せていた。
「この状況は夢ではないんだよなぁ」
「その話、もう何度目よ。いい加減、現実を見るべきだと思うわ」
テーブルに肘を付いた紫色の忍び装束を着こんだ女性が足を組み直し、金糸の刺繍を施した真紅のローブを纏った魔導士然とした女性が呆れ顔で嘆息して首を振る。
「そうは言うけどなっ」
ダンッとテーブルを叩く忍び装束の女性。その勢いで装束を持ち上げている豊満な胸元がたゆんと揺れるも、魔導士の女性は再度嘆息。こちらも動きに合わせて豊かな胸元が負けじと揺れ動く。どちらも甲乙つけがたいものを持っている女性達なのだが、その顔は徐々に険しくなっていく。
「怒鳴っても意味がないでしょ。そもそも、このゲームのログアウトはあってないようなものなんだから」
「それはそうだけどさぁ」
『スマート・ワールド』はダンジョンや特定の場所以外ではどこでもログアウトが可能である。ただし、他のゲームと違って情報通信端末という性質上、緊急要件で通話やメールなどをする必要もあるのでそのたびにゲームを終了させるのは面倒。そのため、アプリを終了させるとログアウトするいう仕様になっている。
「創作物の定番“デスゲーム”って言ってしまえばそれまでだけど、デスゲームとも微妙に違うようだし、だからと言って、いつまでもこのままってわけには行かないわ。まずは情報ね」
「そう、だよな……って、ユカ? 大丈夫か?」
忍び装束の女性はふと未だ口を閉ざしたままの人物へ声をかける。
「……え?」
「いや、大丈夫か? って、大丈夫じゃないと思うけどさ、その、な」
ピクリと長い耳を揺らし、白地に銀糸の刺繍を施したドレスを着た女性は顔色が悪く、目は虚ろだった。明らかに憔悴しているのは分かるのだが、それでも他を圧倒する存在感は健在である。
「すぐに終わらせるから、ちょっと待ってくれな」
本来であれば部屋で休ませてあげたいのだが、この場で彼女を欠くことは出来ない。
何故なら、この場に集まる三人の中で、否、総数三〇〇名を超す氏族組織――クランを束ねる長である彼女抜きでは成り立たないのである。
『聖女』ユカにゃん。
五つしか存在しない
アバター名がちょっと痛い、そして、ちょっと人見知りだけど人一倍優しい女の子。それが、ユカにゃんである。
現実でも美女として周辺では有名であったが、現在の姿はそれに輪をかける形で美女指数が跳ね上がっていた。
妖精族の中でもエルフの身が持つ特徴である長い耳に、絹のような艶やかな煌めきを放つ金色の髪。翡翠色をした瞳に万人を魅了する美貌。スタイルも申し分なく、美の女神と称されることもあった。
顔自体は依然と変化などなく、髪と瞳の色が少々濃くなっている程度だが、存在感は圧倒的であった。何故なら慣れ親しんだ友人二人ですら、最初は魅了されてしまったほどの美貌である。
同性をそこまで魅了するのならば、異性はとんでもないことになる。
本来であれば幹部を集めて今後の方針を決定するべき会議なのだが、ユカの素顔を知る二人はいきなり大勢の前では無理だろうと判断し、三人だけで軽く打つ合わせをして本会議を行うことになった。
「まだ、ちょっと混乱してるけど大丈夫だよ。ミーちゃん」
「そっか。でも、無理はするなよ? ユカに何かあったら周囲がうるさいからさ」
ミーちゃんと呼ばれた忍び装束の女性――
「で、本当にどうするよ? リン」
「そうね……情報収集と並行して、他の『
リンと呼ばれた魔導士の女性――
「『英雄』に『獣王』、それに『魔王』……あとは『錬金術師』、か」
「ええ。彼らと合流出来れば戦力の大幅増強は問題ないと思うわ。うちは後衛職が多いギルドだから前衛職が多い『英雄』か『獣王』のところと早めに合流したいわね」
「確かに『スマート・ワールド』内でも上位ランカーばかりだが、一癖も二癖もある連中だぞ?」
凛子の言葉に美玖は率直な意見を返す。
強い力を持つ者は、往々にして“変人”となることがある。
「ワタル君は普通だと思うけど……」
「いや、彼が一番の“変人”だろ……主に、生産関係に関してだけど」
ぽつりと呟いた由香里に美玖は速攻でツッコミを入れる。手首をスナップさせるジェスチャー付きで。
「そ、そう……かな?」
「彼に作ってもらったそのドレスだって、持ち込みの素材だけだと満足いくものが出来なかったとかで、自分で集めてきたしな。そのおかげで今まで見たこともない高性能なドレスになったわけだが」
当時を思い出しながら呆れ顔をする美玖。そして、自身の着るドレスを見て頬をわずかに上気させる由香里。そんな二人を眺めつつ、呆れ顔やらからかいの笑みを浮かべる凛子。
そこには、いつもの三人の空気が流れていた。
「んじゃ、まずは情報収集からはじめるとしますか」
「そうね」
その雰囲気のまま、美玖は背伸びをし、凛子も肩をほぐすように回していく。
「わ、私もがんばるっ」
そんな二人に触発され、由香里は小さく握り拳を作って力強く頷く。その声に無言で頷く二人は静かに立ち上がり、最後に立ち上がったユカに目礼して部屋を後にする。
「二人とも、気を付けて……」
一人残された室内。
夜の帳が下りはじめ、室内に照明が灯る。力なく椅子へ腰を落とした由香里だったが、小さく身体が震えていた。
気心の知れた大学の友人三人組。
彼女たちは“
ただ、楽しくゲームが出来ればそれでよかった。なのにどうして? そんな思いが由香里の胸を締め付ける。
現実となったゲームの世界。それは現実といえども未知の世界であった。その先に待つのは一体何なのか? それを知る者は誰一人としていなかった――
☆☆★☆☆
一人倉庫消失騒動から数時間後。
辺りは夜の闇に包まれ、さすがに野宿をするわけにもいかないと宿に向かったがすでに満室だった。
宿は全部で三つあるが、それほど大きくない。町の規模や冒険者の動向を考えれば可もなく不可もなくなのだが、それはゲーム内での話だ。現実には物理的な問題がある。
「まいったねぇ……野宿決定かよ」
倉庫の一件で黄昏てしまったのがいけなかった。あれがなければ今頃は宿のベッドで眠っていたはずなのに。
「しかし、何故倉庫が機能していないんだ?」
謎だった。
ゲームの頃は特に問題なく使えていた倉庫が突然使えなくなった。他の人達はどうかは知らないが生産系職業にとっては死活問題だろう。何せ、ほとんどの人が素材を倉庫に保管しているはずなのだから。
……でも、何だったかなぁ。
何かを忘れているような、それが何だったかを思い出せず、こうして思案に暮れているのだが一向に思い出せない。
「おっと、焼けたかな?」
まずは腹ごしらえが先だな。
宿探しに奔走し、惨敗を期して元いた町の片隅へと帰還し、インベントリ内にあるサバイバルセットを広げた。
インベントリは正常のようで、半透過ディスプレイに表示されたアイテムをタップすれば出現するようになっている。何か確認が色々と前後している気がするけど、まだ混乱している証拠だろうな。
インベントリがもう少し要領に余裕があれば素材も入れて置けるのだが、各種ポーションや解毒薬などの調合薬剤。あとは切り替え用の装備にイベントアイテムなどが入ると、半分以上は埋まってしまう。そこにドロップ品が加わると素材まで持ち歩く余裕がないのだ。その不満を解消してくれるのが“倉庫機能”である。セーフティエリアやダンジョン内の休憩ポイントであれば利用可能なので、多くのプレイヤーが利用している。
『サバイバルセット』
レア度:Ⅱ 一般的な野宿セット。
どこでも野宿可能となるが、モンスターには注意しましょう。
再利用可能。消耗品は補充可能。
テント一式 毛布(二枚) 乾燥した薪(五〇本)
簡易調理機材 食器セット(一人用)
確かにゲーム内でもダンジョンの休憩ポイント以外で使用した場合、確率でモンスターが出現するシステムだった。もっとも、かなり確率は低いので遭遇すること自体稀である。ただ、遭遇するモンスターの中にはレアモンスターもいるので、その討伐に情熱を傾けたプレイヤーもいたりした。
それにしても、このアイテムも仕様が変わってるな。ゲームのときは消費アイテムだったのに、再利用可能となっている。つまり、何度も使えるってことだ。エコだねぇ。
そうなると、サバイバルセットを二〇〇〇個近く持っている俺は商売が出来そうな気がするわ。まぁ、倉庫が使えればの話だけどな、はははっ。
「さっさと次の町に移動した方がいいかもな」
焼けた肉に付属のタレをかけ、フォークでぶっ刺して、いざ実食。と思ったところで口元で腕が止まった。
……あ、あれ?
ごく普通に食べようと思ったけど、これって食べても平気なんだよな? もう正常なのか混乱しているのか正直分からないが、周囲を見渡して同じようにサバイバルキットを広げてたき火を囲んで食事している人達を見つけ、どうやら大丈夫そうだと結論付けた。
とりあえず、食事をして気分を落ち着けよう。
そして、色々と考えよう。決して現実逃避ではない。現実なのだからお腹が空くのだ!
「んむぅ……、……、……」
自己弁護をしつつ、気合を入れて肉を噛み切り咀嚼し、網の上にある肉を凝視する。
「……肉だ。うん、普通の肉だ」
『焼けた
レア度:Ⅲ 食材アイテム。
初回サバイバルセット使用記念のお肉。焼くと絶品。
うん、牛肉だったのか。しかも、意外とレア度が高い。……って、あれ? 半透過ディスプレイをタップしていないのに、何で鑑定結果が出てるんだ?
「あっ」
そうだよ。何で忘れてたんだ!
鑑定のスキル持ってるんじゃん、俺。
魔導力の消費なしで素材の詳細を把握することが出来る『鑑定』のスキル。魔導力の消費がないから使い勝手がよく、プレイヤーの初期スキルでも選択できるので使用頻度はかなり高い。生産職プレイヤー必須のスキルと言っても過言ではない。 まぁ、人物とかモンスターには使えない対物専用だから、ゲーム内で不満の声が幾度となく上がってた。
「はぁ……まだまだなぁ」
肉を咀嚼しながら辺りを周囲にあるものを鑑定していく。
その中でふと気付いた。一人片隅で膝を抱えたままの少女がいることに。
……あの子は。
革鎧を身に纏った少女。年の頃は一五、六だろうか。
「…………」
気付けば立ち上がり、歩き出していた。
突然動き出した俺に周囲から視線が集まるも、すぐに興味を失くして目を逸らす。そんな中、近付いてくる俺に気付き、不思議そうな顔をする少女が目に入る。
……灯。
この空の下。灯もどこかでこうして一人でいるのかと思うと、何故か足が勝手に動いていた。ただの自己満足なのは重々承知している。けれど、何もせず見て見ぬふりをするのは嫌だ。
例え、偽善者と言われようとも――
「大丈夫か?」
「……え?」
大丈夫なはずはないが、そう声をかけるしかなかった。
泣き腫らした瞼に憔悴した顔を向け、呆然とした様子で絞り出した声に元気など微塵もなかった。
「見た限り、初心者みたいだけど、サバイバルセットは持ってないのか?」
「……え? あ、えっと」
パチパチと瞬きを繰り返し、少女は慌て出す。突然話しかけられて戸惑っているのか、俺も普段であればこんなナンパ紛いのことはしない。しかし、状況を考えて女の子が一人で夜を過ごすのはどうかと思うわけだ。
これが灯だったらと考えたら、それは恐ろしい。あいつ、本当に無事だろうな……無茶してなければいいけど。
「持ってないなら、俺のところ来るか? いくら夏が近いとは言え、そのままでは落着けないだろ」
暦の上では七月。あと二週間もすれば夏休みだったのだが、今年の夏休みはサバイバルだなと自嘲気味にボケたところで、少女からの返事がないことに気付いた。
「どうした?」
「い、いえ……っ……なん、で……」
ええっ。なんで泣き出すんだよ!
俺何もしてないよ? 声かけただけだよ? ……って、ちょっと待て。この展開は非常にやばい。間違いなく俺が悪人認定されるパターンではないか。
「いや、ちょっ――おち、落ち着こう、なっ、なっ」
「す、すいま……ごめ、ごめんな……」
いやぁ、泣きながら謝らないでぇ。ますます悪人認定されちゃうから!
それから暫く少女を宥めながら周囲から感じる突き刺さる視線を極力無視し続けた――
☆☆☆☆☆
パチパチと弾ける音が響き、互いの顔を赤く照らし出す。
たき火を囲み、俺と少女はゆっくりと話をしながら食事をしていた。結局、少女が泣き止むまでに十数分かかり、そこからナンパ的な意味はないと説明すること更に十数分。そこから互いに自己紹介をして現在に至るわけだ。
少女の名前は、マール。
歳は灯と同じ一六歳。実家は、九州は福岡。本名が麻由子だからマールにしたと言っていた。さすがにいきなり名前を呼ぶのも躊躇いがあるので、アバター名であるマールで呼ぶことした。
騎士にしたのは友人の勧めであったが、身体を動かすのは嫌いではないので前衛職でも問題はないらしい。まぁ、ゲームはタップするだけだからほとんど関係ないと思うのだが。
「――で、友達がいる町まで行こうと思ったのですが、外はモンスターもいるだろうし……」
「確かに外は危険だろうな。アジオルの町は周囲が初心者エリアだけど――」
そう言ってマールの装備を見る。
「その装備は初期装備だよね?」
「え、あ、はい」
マールが装備しているの『見習い騎士の皮鎧』と呼ばれる騎士の初期装備である。
レベルが上がれば必然的に上質の装備に切り替えるのが普通なのだが、拘りがあるのだろうか?
「確か、レベル一〇になったばかりだと言っていたけど、青銅鎧を買うくらいは貯まってるよね?」
「あ、はい。でも、友達が青銅鎧よりも鉄鎧を買った方がいいって言うので」
ああ、確かに青銅鎧よりも鉄鎧の方が防御力もいい。
「確かに、防御力の面では青銅鎧は心許ないかも知れないが、鉄鎧よりもステータスやスキルが良質なのが付加されやすい」
「良質……?」
さすがにこの説明だけ理解するのは無理か。小首を傾げるマールへ説明を続けることにした。
「装備にステータスやスキルが付加されるのは知ってるよね?」
「あ、はい」
「そして、その数値や効果がランダムってことも知ってる?」
「ええ、でも、ある程度は固定だって友達が言ってましたけど」
確かに友達が言っていることも間違いではない。
ただ、付加されるステータスやスキルにはある程度パターンが設定されている。そのパータンの中で高数値のステータス補正や優良スキルを引き当てるのは並大抵のことではない。大抵はカンスト時点の装備で制作を繰り返すのが常だ。
それを初期にやるのはある意味で道楽以外の何ものでもなく。
「ほへぇ……そうなんですかぁ」
納得したように頷くマールに機嫌よくした俺は、初心者に必要な知識をゆっくりと教えていった。
この子を一人をするには何かと危険な気がしたので……。
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