潜入

西田とそれに同行した三島と鮫島は、大田広域市にあるイ・デホが潜伏していると思しきアジトの近くに急遽設置された韓国警察の本部にいた。

本部といっても民間会社のビルの空き室を急遽借りたもので、テーブルがひとつと人数分の椅子、警察無線、コンピューター、無線ルーターなどが入れられただけで、数多くの配線が床を這っている以外は閑散としていた。

そのアジトには、人質である由美が捕らえられている可能性が高いため、まずはそれを確認することが先決だった。

三人が加わった対策会議の結果、まずはイ・デホとコンタクトを取る必要があり、それにはハッカーであり、すでに今回の北陸電力での活躍でその実力と存在が知られることとなった鮫島裕也の力を借りるとなった。

「タカ、俺は、警察の手伝いでやってんじゃないからな。お前の妹さんを救うためだからな」

二人は雑然と散らかる床に置いた錆かけて安定感のないパイプ椅子に座って話していた。

「わかってるよ。裕也、韓国警察の動きも察知しながらやってくれ」

「ああ、任せとけ」

鮫島は、壁際に据えられら埃をかぶった折りたたみテーブルの上に無造作に置かれたコンピューターへ向かいすぐに取り掛かった。イ・デホのホストコンピューターへのアクセスを試みる。鮫島はしばらくカタカタとやっていたが、すぐに造作もなくアクセスすることが出来た。まず、作戦通りにこちらの要求を入力してみた。鮫島の後ろにいた三島と西田は、立ったままそれを食い入るように見ていた。


"そちらの要求を聞く前に、人質の安否を確認したい"


"・・・・・・・・・・"


応答なし、リトライしてみる。


"そちらの要求を聞く前に、人質の安否を確認したい"


"・・・・・・・・・・"


十分経過したが、応答はなかった。

「昼寝でもしてんじゃないか、クソッ」

鮫島がテーブルをバンッと叩くと、埃が舞い上がった。

「そのまましばらく待つしかないな」

三島は、せっかちな鮫島を落ち着かせるように言った。

三島、鮫島、西田の三人は、じっとコンピューターの画面を見つめていた。

韓国警察の捜査員らは各々折りたたみパイプ椅子に座って車座になり、怒鳴るような大声で話し合っていた。

二時間が経過し、全員緊張の持続も限界のころ応答が来た。

「来た!返事だ」

画面をまんじりともせず見つめていた鮫島は、もたれ掛かっていた身体を跳ねるように起こし言った。


"人質は安全に確保している"


"そんなのは、当たり前だろ!確認できなければ交渉できない"


「おいおい、あんまり刺激するなよ」

西田が鮫島をなだめるように慌てて言った。


続けて返事が届いた。

"これから映像を送る"


しばらくして、トルコの動画サイト"Haberturk"を使った映像が送られてきた。

由美が薄暗い部屋の片隅に置いた椅子に座っているのが見えた。傍らに覆面をして銃を持ったものがいる。由美はまんじりともせず、じっと座ってカメラの方を見ている。捕えられた時の服装のままなのだろうか、白のHANAE MORIのトレーナーにベージュの巻きスカートを履いていた。三十秒程で映像は終わった。

鮫島は、それを見て思った。

<さすがはタカの妹だけあって気が強そうだ>


"そちらの要求を聞きたい"

鮫島は続けて返事を送った。


"条件はハッカーの鮫島裕也との交換だ。彼が一人で来たら彼女を解放しよう"


"それがすべてか"


"そうだ"


そして通信は途絶えた。


「俺が行けば済む話しなら簡単やないか」

鮫島はそう言ってすぐに席を立とうとした。

「ちょっと待て、裕也。お前が簡単に行ったら相手の思うツボだ」

三島は席を立とうとした鮫島の肩に手をかけながら言った。

「じゃあどうしろと言うんだ、このまま彼女をほっとくのか?それとも強行突入するつもりか」

「仮に由美が解放されて無事が確認できたら、お前はどうやって脱出するつもりだ?」

三島は、思い立ったら即行動という鮫島に疑問をぶつけた。

「大丈夫だ。タカ、お前程じゃないが俺もそれなりに修羅場を生きてきたからな。いろいろと身体中に仕掛けを仕組んでいるんだよ」

鮫島は頑固に行くつもりでいた。

「警察としては、どうするつもりですか」

西田に向かって三島が聞いた。

西田は、鮫島とイ・デホの通信内容を確認した上で、韓国警察の作戦リーダーであるイ・ホンギュと通訳を介して協議をしていた。

「この状況下で人質が交換されるだけでは条件は一緒だが、交換のタイミングを見計らって一瞬の隙がつけるかどうか・・・とにかく、周りに特殊部隊を配備させる。彼には小型の発信器を持って行ってもらおう」

「了解、じゃあいいな」

鮫島は、それだけ言うとさっさと席を立ち準備を整え本部を出て行った。


本部から敵のアジトまでは距離にして約二百メートル、建物から手前に一本の道路がビルに挟まれて続いており、先方からは完全に見通しが利く。特殊部隊の配備と言っていたが、相手からは完全にその動きは読まれることが予想される。

三島は、モニターで鮫島の動きを追っていた。大きな足取りで躊躇なくズンズンと歩いていた。

鮫島は、ほどなくしてアジトの玄関に辿り着いた。玄関の呼び鈴を鳴らす。

一呼吸おいて、ドアが内側へ開いた。人一人がようやく通れるだけのスペースで、その状態では、中の様子は伺えない。

鮫島は、ドアが開いた状態のまま外から声をかけた。

「人質はどこだ!」

しばらくして、鮫島と中にいるであろう敵とが何か言葉を交わしている。そして、鮫島が手を差出すと同時に、奥から手が差し伸ばされた。

それを鮫島がしっかりと掴み外へ引っ張ると同時に、鮫島は奥へ消えて、外に由美が現れた。

と、同時にいきなりドアがバタン!と閉じた。

外へ開放された由美は、駆け足でこちらに向かって走ってきている。三島は、待機する特殊部隊を掻き分けながら、由美の元へ全力で駆け出した。

由美が駆け寄るよりも早く三島が辿り着いた。三島は、由美の体をしっかりと抱き寄せた。由美は緊張の糸が途切れたのか言葉にならない声で泣きじゃくっていた。


無事に由美は解放されたが、代わりに鮫島が拘束された。敵の筋書き通りになってしまったが、三島は鮫島の動きに一縷の望みを賭けていた。

<あいつなら何とかこの事態を打破してしてくれるはずだ。裕也、必ず助けに行くからそれまで耐えてくれ>

三島はそう思いながら、西田と次の動きを画策していた。


鮫島は、キム・デホのいるアジトの地下にいた。

「俺を拘束したまではよかったが、あいにく聞き分けの悪い男でね」

鮫島は余裕の表情を浮かべながら言った。

「まあまあ、鮫島君、とりあえずゆっくり寛いでくれたまえ。何か欲しい物があったらそこの係に伝えてくれればいい。遠慮なく言ってくれ」

キム・デホは鮫島が捕えられている部屋の中を覗き込むように、逆光の光を背に受けながら鋭く光る眼光を向けてやんわりと答えた。

「じゃあ、銃と部屋の鍵を貰おうか」

鮫島は挑発するように言った。

「それは君次第だ。じゃあ後ほど」

それだけ言い残して、今度はイ・デホが余裕の笑みを浮かべながら部屋を出て行った。


鮫島は、鉄格子の部屋に入れられ監視の下にあった。無機質な部屋には何もない。

ただ四角いスペースの部屋があるだけで他には全く何もない。ただ、煌々と照らすルームライトと外の見張りと連絡を取るインターホンのみだった。

鮫島はゆっくりと目を閉じた。そして、胡坐をかいて深く呼吸を整えた。

<これは一種の拷問だな。何もないところで、時間の経過もわからずどれだけ耐えれるのか我慢比べということか・・・おそらく手荒な真似をしたところで思い通りにならないと踏んでのことだろうな>

<どうこうしたって無理な話、俺という人間を甘く見てたな、残念だったなキム・デホ>

鮫島は、部屋の中央にどっしりと座り微動だにしなかった。


その頃、地上ではアジトの周辺を韓国警察の特殊部隊が取り囲み作戦本部からの支持を待ち待機していた。

「今、聞いた話では正面から強行突破する計画のようだ」

西田は、本部の進捗情報を三島へ伝えた。

「いきなり、強行突破ですか?いずれはとは思ったが・・・」

三島は思いあぐねていた。もはや、韓国警察にとっては鮫島の命を救うことよりも、犯人逮捕が優先であることは明白だった。

キム・デホがやろうとしていることを阻止するためには、日本人一人が犠牲になるのは仕方のないことという考えが作戦本部の中に先行していた。

<この状況はまずい、何とか韓国警察の動きを阻止しないといけない。どうする、このままほっとくと犯人もろとも裕也も銃弾の嵐になる>

三島は、西田へ思い切って提案を投げかけた。

「西田さん、韓国警察へ伝えてもらえないでしょうか。中にいる裕也を救うために俺をまず交渉に行かせてほしい」

「えっ?民間人であるあなたが出る幕ではないでしょう。それと、交渉と言っても素人のあなたじゃ無理だ。三島さん、気持ちは分かるが、ここは警察にまかせて」

「西田さん、あなたは今、日本の警察という社会的な枠の中で動こうとしている。それは当然のこととして理解できる。しかし、人の命というのはそういう枠を超えたところにあるんじゃないでしょうか。このまま韓国警察の動きを黙認してたら裕也は間違いなく巻き添えを食らう」

西田は、三島が思いも寄らないことを言い出したために一瞬たじろいだ。

確かに、西田はあくまでも警察という国家権力の中で生きている。その中で最大限、国家に忠誠心を誓い、あらゆる悪に対峙している。

そして色々な状況下において、時には取捨選択を迫られる時がある。それが今まさにそういう時であって、でも三島が言うのは、人一人の命はそういう社会の規則を凌駕するということなのか?

それでも西田は、三島の言うことに全面的に同意するわけにはいかなかった。

「三島さん、あなたの言うことは一理ある。それもわかる・・・・私が行くから、あなたは聞かなかったことにして勝手に行動すればいい」

西田は意を決して言った。

三島は無言で西田とハイタッチで答えた。


鮫島が拘束されて二時間が経過しようとしていた。

<さあて、そろそろ始めるとするか>

鮫島は外の見張りにインターホンを使って言った。

「おい、腹減ったから食事だ」

<まずは腹ごしらえしとかないとな>

見張りが食事の用意を伝えるために現場を離れた瞬間、鮫島は大きく口を開き下の歯に手をかけ左右の奥歯を取り外した。手際よく奥歯を引っ張ると中から極小の送信機を取り出しスイッチを入れ靴の内側に取り付けた。

西田の上着のポケットに入れていた受信機が鳴った。

「うん?鮫島からの送信連絡が入った。ちょっと待ってくれよ、今から場所を確認する」

鮫島からの送信機の位置が西田の受信機モニターに映し出された。

「え~と、これは地下だな、北西の方向の地下にいる。場所がわかった。作戦変更だ。よし行こう」

西田の問いに三島も続いた。

一刻の猶予もない。作戦変更で一気に攻め入ることにした。

西田と三島は韓国警察へ鮫島が捕らえられている場所を伝え、特殊部隊五名と共に潜入を試みることにした。

アジトの周りは、玄関まで低木の植樹があるだけで、近づけば敵に察知される。潜入は陽が落ちて夜になるのを待つしかなかった。


その頃、鮫島はもうひとつの奥歯から別の発信機を取り出し、インターホンの受話器を取り外しその中に設置し受話器を外したままにしていた。

二人の見張りが独房の外にいたが、その見張りの傍にあるインターホンから音として感知できない強力な電磁波が流されていた。

鮫島が、裏ロムを作る際に暇を見つけて作っていた高周波エネルギーの電磁波を発する発信機で、それを人体攻撃できるものにまで作り上げていた。

二人とも、最初は正気を保っていたが、やがてその強力な電磁波を受け徐々に苛立ちを覚え、落ち着きがなくなってきた。やがて頭痛がしだした。

「おい、ちょっと頭が痛くなってきてどうしようもないから、代わりの者を呼んでくれ」

一人が言った。

「いや、実は俺も頭痛がしてるから二人来てもらうようにしよう」

もう一人が言った。

見張りの二人は上司である仲間へ連絡を取った。

「ちょっと、交代してもらいたいんですが、実はこっち二人とも地下室にいるせいか頭痛がひどくて・・・・」

「頭痛?何を寝ぼけたことを言ってるんだ、ちゃんと見張ってろ!」

にべもなく断られ電話は切れた。

しょうがなく二人とも頭痛に耐えながら見張りを続けた。が、しかし一人がしばらくしてあまりの頭痛に堪えられず床に崩れ落ち動かなくなった。

そしてもう一人もすぐに崩れ落ちた。

鮫島は外で見張りが崩れる音を聞いて、今度は耳に入れていた発信機から細いワイヤーのようなものを取り出した。そして、そのワイヤーを使い鍵穴に入れて二三回カチャカチャといじっていたが、すぐに造作もなく鍵が開いた。

<だから、俺を甘く見すぎるって。これぐらいの拘束じゃ俺を閉じ込めておくのは無理だって>

そう言いながら、鮫島は倒れた見張りから銃を取り上げ、その場を離れ一階へ向かった。


あたりは暗闇になり、西田と三島、それに韓国の特殊部隊五名が正面玄関のすぐ横にいた。

「合図で一斉に入る、いいな」

無線機に本部からの連絡が入る。

「レディ、ゴー!」

特殊部隊が一気にドアを蹴破り中へ押し入った。

「奥左の下だ!」

西田が無線で伝えた。三島もそれに続く。一気に階段を駆け下りようとしたところ、下から駆け上がってくる人の気配がした。特殊部隊は一斉に銃を構えた。

「待て!人質だ、撃つな!」

三島は慌てて言った。三島には、それが鮫島だとすぐにわかった。

「裕也、キム・デホは?」

三島はすぐさま聞いた。

「下にはいない。おそらく上の階かもしれん」

全員すぐさま階段を駆け上がった。二階へ上がり、つきあたりのドアを蹴った。

部屋には誰一人としておらず、もぬけの殻だった。

誰もいないテーブルの上にあるコンピューターのモニターがカウントダウンの時を刻んでいた。

「しまった、全員退避だ。逃げろ!」

鮫島が大声で叫んだその時、コンピューターに仕掛けてあった時限爆弾が爆発した。


三島は、深い眠りの中にいた。やがて傍らで三島を呼ぶ声が聞こえ、その声に導かれるように静かに目を開いた。

そこには、由美がいた。隣に西田がいるのがわかった。

「お兄ちゃん、わかる?私よ」

由美は意識が戻った三島へ呼びかけた。

「・・・・ああ・・・・そうか、あの時、爆弾だったんだ。・・・・?裕也は、どうした?」

由美は無言で首を左右に振った。

「西田さん、裕也は・・・」

「・・・ああ、彼は爆発物のすぐ近くにいて助からなかった。即死だった・・・・」

西田は沈痛な声で言った。

三島は、それに答える言葉が見つからなく、しばしじっと天井を見つめていた。

<なんてこった。あまりに無謀すぎた。・・・・そうか、イ・デホの狙いはそうだったのか。最初から裕也が思い通りにならないことは承知の上。新井を打ち負かした裕也の存在は彼にとって脅威だったんだ>

<最初から、裕也を誘き寄せ彼を抹殺することが狙いだったのか。裕也、お前を巻き込んでしまって・・・・申し訳ない・・・>

「西田さん、イ・デホの足取りは」

三島は今の今まで病室のベッドで昏睡状態だったと思えないほど、強い口調で言った。

「今、韓国警察とも連携しながら足がかりを追っている。それより、しばらくは安静にしておいた方がいい。まだ傷が完治するには日数がかかるだろうから」

三島は、西田にそう言われて初めて背中に激痛が走り傷を負っていることに気づいた。その痛みも、鮫島という親友を失った悲しみが打ち消して、むしろイ・デホに対する怒りが湧き上がっていた。

<あいつは、まだ何かを企んでいる。きっとまた何かを仕掛けてくるはずだ。このまますんなりと相手の思うようにはさせない。鮫島裕也の弔い合戦だ!>

<裕也、必ずイ・デホを捕まえるからな>

三島は固く誓った。

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