逃走
三島は、イ・デホが逃走したと思われるタイヤ痕を頼りに車を走らせていた。
新井の話から推測すると、三十分も立ってなかったことから、おそらく五十キロメートルも離れていない。このまま最速で走らせれば追いつくかも知れない。
ただ、タイヤ痕が認識できたのは、最初の数十メートルだけで、あとは闇夜に紛れて砂埃と共に消えていた。
このまま、この方向を信じて追いかけるしかない、そう思いつつも、この暗闇をこのまま突き進んでいって大丈夫なのか?
イ・デホが逃げたと思われる方向が正しいとしても、この先に何があるというのか?そこには大勢の敵が待ち構えているかもしれない。
ただ、逃げる先があるからには、イ・デホはそこで何かをしようとそれなりの確信があってのことで、三島はそう信じることにして突き進んでいた。
砂漠の中を車で走り続けて二時間が経過しようとしていた。
静寂の中を掻き分けて進んでいく車のエンジン音だけが駆け抜けていく。
砂埃の間に目を凝らすと、闇夜が明ける薄明かりの中、ぼんやりと一件の建物らしきものが見えてきた。
うっすらと、何かライトのようなものが認識できた。その光はしだいに地上から解き放たれるように、ゆっくりと上昇しつつあった。
やがて、その光はぐんぐんと上昇し、三島の進む方向へ向かってきた。
<何だ?あれは。・・・・・・格納庫? 飛行機だ! まさか>
やがて、爆音を立てながら三島の頭上を真っ黒な塊が飛び立っていった。
<しまった!逃げられたか・・・・>
三島は飛び去っていく飛行機を振り返ったまま、茫然として眺めていた。
新井雄二は、北陸電力へのコンピューターシステムへの不正侵入の罪で逮捕され、日本へ送還された。三島は、その後モンゴルのウランバートルで待つ七名と合流し、無事に日本へ戻ることができた。事件は、ハッカーである新井雄二の逮捕で一件落着したが、首謀者と思われるイ・デホの消息は掴めないままだった。
イ・デホは、新井と同様、北陸電力へのコンピューターシステムへの不正侵入の罪並びに監禁拉致の罪の疑いで国際刑事警察機構を通じて加盟国(百九十ヶ国)に対し国際手配されることになった。
モンゴルのウランバートルから成田空港へ着いた一行は、詰めかけた報道陣のフラッシュを浴びていた。そして、休む暇もなく今回の監禁拉致事件に関する共同記者会見が行われようとしていた。
ただ、この一連の逃亡劇では韓国籍の監禁拉致実行犯四名が亡くなっており、韓国の法律に基づき実際の殺害実行者である三島貴之と山根和博も身柄を拘束され事情聴取を受けたが、現地の司法当局からは正当防衛が認められ、処罰を受ける事なく日本に帰国していた。
三島をはじめとする八名は確かに疲労困憊しきっていた。捕らえられてから逃走する間ろくすっぽ食事も睡眠も取っていなかった。
しかし、それ以上に皆一様に何かしらの達成感を感じているのも事実だった。
それはとりもなおさず、人質として監禁拉致され、あの絶体絶命の状況下で奇跡とも思える生還を果たし、こうして再び日本の地を踏むことが出来た事への喜びに他ならなかった。全員、生きていることへの喜びを噛みしめていた。
そして三島以外の七名は、もし三島貴之という男がいなければ無事生還することは到底不可能であったという思いと、そしてあらためて三島の尋常ならざる危機対応能力と困難に立ち向かっていく力強さに敬服していた。
そうして、成田空港第二ターミナルにある待合室で急遽報道陣に対する共同記者会見が始まった。冒頭に、担当部署である警察庁組織犯罪部国際捜査管理官から事件の概要についての説明があり、経過と共に犯人逮捕の様子が語られた。
「では、順に質問をお受けします。挙手でお願いします」
一番前の席にいた毎朝新聞の記者が口火を切った。
「毎朝新聞の浅川といいます。今の説明では、首謀者であろうと思われるイ・デホ容疑者は逃亡を図って国際手配中ということですが、そもそも彼の狙いは何だとお考えですか」
「まだ、新井雄二容疑者への尋問などこれからですので、いまここで憶測で申し上げることではありません」
「イ・デホ容疑者は前回の日本での大規模な停電騒ぎと今回の北陸電力のシステムダウンについても関与しているとお考えですか」
「それも現段階では新井雄二容疑者への尋問を終えてからです。ただ、確実に言えるのは、イ・デホ容疑者が新井雄二容疑者へ対して北陸電力のコンピューター管理システムへの不正侵入を支持したのではないかということと、日本人八名を監禁拉致したのではないか、この二点の疑いがあるということです」
担当官は言葉を選びながら応答していた。
「現代新聞の岬といいます。新井雄二容疑者が実際の実行犯ということですが、イ・デホ容疑者の拉致の目的は新井雄二容疑者のハッカーとしての腕が欲しかったということですか」
「おそらくそういうことだろうと思われますが・・・」
担当官は、まだ直接的に新井の尋問を終えていないため歯切れが悪かった。
「事件の全貌については、先ほども説明申し上げたとおりで、何度も繰り返しますが、直接的に新井雄二容疑者への尋問がまだですので、事件の核心に関してはこれからの調査が必要となります。・・・・・・よろしいでしょうか?また、詳細に関しましては適時ご説明させていただきますので、本日はこれにて会見を終了させていただきます」
担当官は一方的に早々話を切り上げて席を立った。
大勢の記者がざわつく中、三島ら八名は質問に答えることなく記者のフラッシュを浴びながら会場を後にした。
大勢の記者らの怒号と批難の声が飛び交う中、三島を呼ぶ聞き覚えのある声が聞こえた。
「おーい、タカ!おーい!」
三島が声の聞こえる方へ振り向くと、そこには見覚えのある懐かしい顔があった。
「・・・・ん?裕也、裕也か!」
三島と鮫島二十数年ぶりの再会であった。
「よう!タカ、やっぱり不死身の鉄人やなお前は」
鮫島は記者らを掻き分け三島の肩をどつくように叩いた。
「裕也、久しぶりじゃないか。何年ぶりか・・・どうしてここにいる?」
三島は再会の嬉しさと同時に、なぜここに鮫島がいるのか理解できなかった。
「やや、知らんのか、なぜ俺がここにいるのか。話せば長くなるから、ちょっと外に出ろうやないか」
二人は再会を喜びつつ、会場を出て同じフロアにある喫茶へ入った。
「何だって、お前がハッカー?で、今回の新井のハッキングに対抗した張本人ということか」
「そうよ、かなり手強かったがな」
鮫島はぶっきらぼうに答えた。
「いやあ、それはそれは。新井という男は、ハッカーとしての腕前は相当なもんだったらしいけど、その新井を打ちのめしたんだからお前も凄いよな」
三島は本心から関心しながら言った。
「何をおっしゃいますかね。拉致監禁されて逃亡を図り、敵を倒して生還する方が数倍難しいって。ゼロゼロセブンかよ、お前は」
鮫島は笑いながらも、半分本気で言った。
二十数年ぶりに出会ったにもかかわらず、高校生の時の、おい、お前、に戻れるというのも不思議な感覚である。二十数年の期間がばっさり切り取られたような、あの時のままの二人に戻っていた。
二人は、当時の思い出話に腹を抱えて笑い、他の同級生の動向を語り合った。
「しかし、その新井という男はハッカーの世界で知られた存在なのか」
三島が真面目な顔をして聞いた。
「ああ、北朝鮮の工作員で本名はチェ・ジョンイルという男だ。以前、北朝鮮とアメリカがサイバー戦でやりあった時の中心人物だ。そいつが、長崎県の職員になりすましていたというのもびっくりだがな」
鮫島は北朝鮮のハッカーである新井雄二=チェ・ジョンイルを熟知していた。
「今回の拉致監禁の目的が新井のハッカーとしての腕にあったと思うが、果たして、イ・デホがそのハッカーと新井という人物を特定していたかはわからんな」
三島は気にかけていたことを話した。
「ん、どういうことだ?ハッカーを探していたが、それが新井じゃなかった可能性もあるということか」
「ああ、ひょっとしたら、最強のハッカー鮫島裕也を探していたんじゃないか」
三島は冗談とも本気とも取れるように答えた。
「よせよ、悪いが俺はな、世間から見ればアウトローやけど、人様に迷惑をかける悪に染まったりはせんよ」
「ああ、わるいわるい悪じゃなくて悪ガキだったな」
「お前ほどじゃないけどな。でもタカ、そのイ・デホってやつは飛行機でどっかへ消えちまったんやろ?また性懲りもなく何かやらかそうとしてるかもしれんな」
「確かに。キザで粘着性のある顔をしてたよ」
「イケ好かんやっちゃなぁ」
二人は冗談を交えながらも、今回の事件が事件なだけに、イ・デホがどこへ消え何をしようとしているのか、その動向が気がかりだった。
そうして再び事件は起きた。
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