展開
イ・デホは、発信装置のナビ計器を確認する部下からの報告を受けていた。
「彼らは今、南東方面ここから三百キロメートルのところ中国との国境まで四百キロメートルのところを走っていると思われます。時間にして約二時間の距離です。それで計算すると今のところ彼らは時速六十キロで進んでいますから、このまま行けば約一時間半で追いつく予定です」
RV車には、追跡の発信装置が取り付けてあった。
「わかった。国境まで行くと厄介なことになるから、必ずその手前で捕らえるんだ。いいな」
「了解です。急ぎ対応します」
発信装置の動きを見ていた部下は、追跡する車に指示を送った。
「さて、新井さん。早速だが、早急に取り掛かって欲しいことがある。まず、日本の各電力会社の電力系統監視制御システムへ侵入し電気の供給をコントロール出来るようハッキングして欲しい」
回転椅子をぐるりと廻したイ・デホは脚を組んだまま、新井へ振り向きざま事も無げに言った。
「進入し、供給コントロールが出来る場所へ辿り着いたとしても、すぐに対応策が講じられるからコントロールを持続させることは出来ないと思えるが」
新井はイ・デホの問いに、切れ長の眉をひそめ眉間に皺を寄せて答えた。
「その時は、またセキュリティを攻撃すればよい」
当然だろうと言わんばかりにイ・デホは威圧的に答えた。
「攻撃しても更に対応策が講じられるはずだ」
前回の停電騒ぎが一時的なもので、甚大な被害をもたらす程のものではなく、それ以上でも以下でもないことが分かっていた。おそらく、進入してコントロールするところまでは、イ・デホでも出来るのだろう。問題はその後、対抗策に対してどう対応していくかだった。
「それでも攻撃し続けるんだ。そして、その対応策を破壊し続ける強固なウイルスで対抗して行くんだ」
イ・デホはギラギラした眼をして異常なまでの執着心で答えた。
三島は砂漠の中を走りながら、何とか通信機能が繋がるポイントに辿り着くように何度もアクセスを試みていた。
「出発地点からの距離と方向をしっかりと把握しておいて下さい」
三島は砂漠の中を車の助手席に揺られながら、ハンドルを握りしめ運転し続けている山根に理解を求めるように言った。走行距離と太陽の光との角度を確認し通信が繋がり次第すぐにイ・デホがいるアジトを伝えなければいけない。そして、彼らがやろうとしていることを早く日本へ伝えなければ。アクセスをリトライしながらそう思っていた。全員、疲労と空腹と睡魔でずっと押し黙ったままだった。
ソウルにいる西田は、イ・デホに関する資料を捜査室の中で調べていた。
韓国大田広域市出身、ソウル大学卒業後プログラマーとしていくつかの会社を渡り歩き大田広域市にある大学研究室でコンピューター言語の開発者。
これが彼の経歴の全てだった。経歴を見る限りは何もおかしいところも手がかりとなるようなところもなかった。西田は大田広域市にある彼の研究室へ向かった。
研究室といっても、コンピューター関連の研究所だったから五十畳程ある広さの部屋には、いくつかのテーブルが並んで置いてあり、デスクの上にはコンピューターが置いてあるだけである。その周りをいくつもの配線が縦横無尽に引かれていた。
研究室には、研究員が何人かいた。西田は、そのうちの一人、イ・デホの助手としてコンピューター言語の開発に携わる四十代の男性プログラマーに話を聞くことができた。
「ここでどういった研究開発をされているか教えてください」
西田が雑然とした配線が引かれている間に立ちつくしたまま聞いた。
「おもにコンピューター言語の開発とプログラムの開発です」
男性プログラマーがパソコンのモニター画面を前に答えた。
「例えばどういったものですか」
「最近はクラウドに関するものが多いです」
「クラウド?」
西田のコンピューターに関する知識は皆無に等しかった。
「ええ、クラウドとは雲の意味です。 今までは、ユーザが自分の携帯電話やパソコンの中に、ソフトウェアやデータなどを保有し、使用・管理していました。 しかし、クラウドの場合は、ネットワーク上にあるサーバの中に、ソフトウェアやデータが存在し、ユーザは必要に応じてネットワークを通じてアクセスし、サービスを利用します」
「なるほど、その際のユーザーのメリット、デメリットはどういったものですか」
「メリットはユーザーのコンピューターに負担がかからないということです。大容量データでもネットワーク上にあるわけですから。逆に、そのネットワーク上のサーバの中にあるため、それを悪用しようとするサーバー管理者がいれば、それを防ぐ手立てはありません。それがデメリットです」
「失礼ですが、イ・デホさんが開発されたクラウドで実際いま稼動しているものはあるんですか」
「あります。conquest(征服)という名のクラウドがあります」
「conquest(征服)?そのサーバーを置く施設はどこにあるんですか」
「モンゴルのゴビ砂漠です」
「ゴビ砂漠?そこの場所はわかりますか?そこへ行くことは可能ですか」
「ええ、ウランバートルから車を走らせるしかないですけど、可能です」
西田は目的とするクラウドサーバーの正確な位置情報を得てから研究室を後にした。その情報はすぐに韓国から日本の警視庁へ、行方不明者捜索対策室へと飛んだ。情報は更に在モンゴル日本国大使館を通じてモンゴル警察庁へと流れた。
西田は、福岡にいる大崎へ電話をかけた。
「まだわかりませんが、イ・デホがいるかもしれない場所がわかりましたよ」
「えっ、何ですって、分かりました?」
大崎は予想外とでも言いたげな驚きの声で答えた。
「モンゴルのゴビ砂漠の中です。おそらくそこに居るのではないかと思われます」
ゴビ砂漠は、中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる砂漠で、東西約千六百キロメートル、南北約九百七十キロメートル、総面積は約百三十万キロ平方メートルで、世界で四番目の大きさを誇る。
大陸性気候で、非常に高緯度にあるにもかかわらず、夏である五月~九月までの間の最高気温は四十五度を超えることもある。
「これからモンゴル警察が現地へ向かうことになるので私も急遽同行する予定です。インチョン空港から二時間半後にはウランバートルへ到着し合流できると思います」
「そうですか、わかりました」
西田からの連絡を受けた大崎はデスクへ戻って思った。仮に、現地にイ・デホがいたとしても普通に開発研究所として稼動しているだけで、三島らが捕らえられている保証はない。むしろ、イ・デホがそこまで計算ずくであれば、痕跡すら残さないであろう。それは、西田も同じ考えであった。
新井は、イ・デホの指令を受けて富山県にある北陸電力の電力系統監視制御システムへなんなく進入していた。これで後は、システムをシャットダウンさせるだけであった。
問題はその後で、すぐに進入していることに気づかれて対抗策が取られることであった。それに合わせたウイルスはすでに準備してあった。
対抗策に対してそれを破壊し続けるウイルスだった。ただ新井としては、そのウイルスがどの程度まで破壊し続けるのか、まだ実戦で使ったことがなかったため推測することは出来なかった。
対抗策がどの程度のものか、破壊と対抗のまさにサイバー戦であった。
「北陸電力から順にシャットダウンさせていこう。あとは対抗策に対して、ウイルスがどこまで破壊し続けるか、とにかく実行だ」
イ・デホは不適な笑みを浮かべながら力をこめて言った。
それを聞いた新井は、新しいゲームソフトを始めるかのような手軽さでコンピューターのエンターキーをカチリと押した。
北陸電力の中央給電指令所の中は、いつものように静かに作業が行われていた。
中央給電指令所では、電力系統全体を把握して運用方針の大綱を指示するほか、主として需給調整業務、各電力会社間の接点業務を行う。
その中の仕事といっても自動制御されており、通常は問題なく進行していればそれをチェックするだけであった。
所長の中井誠一が、席についてモニターを眺めながら電気の生産と消費のバランスをチェックしている時だった。突然にシステムがダウンした。
<またか、この前の大規模停電の時と同じだ>
中井はすぐさま全職員へ向けて緊急コールを告げた。
”ファーン、ファーン、ファーン”
緊急事態を知らせるサイレンが管内全体に鳴り響いた。
「すぐにバックアップに切り替えろ!」
中井が大声で叫んだ。
中井の指示のもと係りがすぐにバックアップに切り替えた。
が、反応しない。バックアップの動作に繋がらない。
「中井所長、反応しません」
指令所を司るコンピューターの電源を切り離し、充電による再起動で立ち上げるとすぐに新種のウイルス感染が確認された。
「コンピューターをスキャンしてウイルスを駆除するんだ!」
モニターを凝視する中井はすぐさま答えた。
何度かスキャンを試みるもウイルスを駆除するどころか、たちまち拡散しようとしていた。
「駄目です、あらゆるファイルに拡散していってます」
<どうする?このままだと北日本全域が大停電になる。どうしたらいい>
中井は自問自答を繰り返していた。
<本部の応援を要請している暇はない。一刻の猶予もない>
中井は焦った。焦りながらも必死でこの窮地を救う手立てを考えていた。
強固なウイルスバスターをものともせず次々とウイルスが浸食していった。
<そうだ、あいつだ、あいつしかこの窮地を救ってくれるやつはいない>
中井は急遽、旧知の仲でサイバー戦の経験を持つハッカーである鮫島裕也を思い出し、藁をもすがる思いで連絡を取った。
その頃、鮫島裕也は新宿にいた。今の彼は、地下スロットなどの基盤に入れる裏ロムを作る仕事をしていた。裏ロムとは、パチンコやスロットなどの遊技台の内部に分からないように、チップを取り付けたり、基盤と呼ばれる、遊技台の心臓部のデーターに手を加えて思った通りに大当たりをさせたり、あるいは、どれだけお金をつぎ込んでも全く当たらなくさせたりする事が出来る違法なチップのことである。
つまり、鮫島裕也は違法行為に手を染めていた。
長身でトレンチコートに長髪をなびかせ、細長の強面の顔をしギョロっとした目つきで仕事先に行くと、一見してその筋のものと勘違いされる風貌をしていた。
鮫島の才能はコンピューターにハッキングし意のままにすることが出来ることだったが、結局オモテの世界でそれを生かすことはできなかった。
そうして、彼は違法な世界に身を置く現状に甘んじていた。
鮫島は、中井からの久しぶりの電話に出た。
「おう、何や、久しぶりやないか、中井。また東京へ来る機会でもあんのか。それとも酒の誘いか」
鮫島は火を点けてないショートホープを口に咥えたまま悠長に答えた。
「いや、裕也、急遽お前の力がいる。すぐに来てくれ!すぐにだ」
中井は愛想のいい答えをする余裕などなく言った。
「えらく焦っとるやないか、すぐったって三、四時間はかかるぜ。何事かね」
鮫島はそっけなく言った。
「中央指令所のコンピューターにハッカーが侵入した。ウイルス駆除が出来ない。新種のウイルスだ」
「はあ?それは、それは。この前の停電騒ぎの続きかいな。この分やと東京電力も時間の問題かね?」
鮫島は、さっきからライターを探しているが見つからず、何ヵ所かのポケットに何度も手を突っ込みながら答えた。
「悠長なこと言ってる場合じゃないんだ。とにかく頼む、至急だ。時間が無いんだ、頼む、待ってるから!」
中井は緊迫した声で一方的に言ってから電話を切った。
この非常事態を切り抜けられるのは裕也しかいない。サイバー戦士、鮫島裕也なら何とかしてくれる。中井はそう信じていた。
鮫島は、中井誠一の切羽詰まった電話を受けて、急遽、北陸電力中央給電指令所のある富山市へ向かう新幹線の中にいた。
鮫島と中井は高校時代の同級生であった。中井が東京へ出張で行った折には、今でもちょくちょく会って酒を一緒にしていた。
ある時、お互いの仕事の話をしている時に、鮫島が冗談めいて
<俺はな、実はハッカーなんだよ>
と言ったことがある。
中井は笑いながら、じゃあうちのシステムがダウンしたらお願いするよと言っていたが、中井がアメリカのシステム研究所へ行った際、セキュリティ対策講義の時に要注意人物リストの中に鮫島の名前を発見し、驚愕して聞いた。
「おい、裕也。お前本当にハッカーだったのか」
実際に鮫島が、中井をサイバー戦の最中に立ち合わせ、それ以来、中井は鮫島の実力を知ることになった。
そういえば、もう一人同窓生で最近話題になっていた韓国での日本人行方不明者の中に三島貴之の名前があったのを鮫島は思い出していた。
中井とは東京へ出てきてからちょくちょく会う機会があったが、三島とは高校を卒業してからずっと会っていなかった。それだけに、三島貴之という名前が出たときは一瞬、まさかと思ったが、すぐに旧友の顔を思い出した。
鮫島は、高校時代から不良っぽい行動をしていたが、ただそれは力で他人を威嚇し悪事をするような不良ではなく、校則をことごとく破る自己完結型の不良学生と言えた。その点では、三島とは共通点が多く、お互い”なんだこのやろう”と意識しながらも、美術の時間に高校に隣接した公園でスケッチのはずが、それぞれ駅前のパチンコ屋に行き、学生服を裏返しに着てサボってて鉢合わせしたり、三島が授業中に居眠りをしていて廊下に立たされると決まって鮫島が先客でいたりして、いつしか次第に仲良くなっていった。
そうした間柄だったが、三島に対してはしだいに一目置くようになっていった。
何がそうさせたのか、ただ三島には単に腕力ということではなくて、皆を引っ張っていく力強さがあった。特に、他校の不良グループと一戦交える時は、必ず三島が先頭に立って向かって行ってた。理不尽なことに対する反骨心の塊、それが三島貴之であった。
<タカは今頃どうしているんだろうか?無事に生きていればいいけど。まああいつはタフだったから絶対に戻ってくるはずだ>
鮫島はそう思いながら、これから始まるサイバー戦の予感に、血液が逆流するのを感じた。
「三島さん、何か近づいてくる音がしませんか」
山根は運転しながら三島へ聞いた。
「ちょっと、車を止めてエンジンを切ってみて下さい」
三島は窓を全開にしながら答えた。
<・・・・・・・・>
かすかに、車の音が聞こえた。明らかにこちらに近づいてきているのがわかった。
「あの岩陰に移動しましょう。そして体力が残っているものは車から降りて岩陰に隠れて下さい」
三島は全員に聞こえるように言った。
「三島君、追っ手が来てるとしたら、逃げられっこないんじゃないかね」
中谷は、諦め気味に言った。
「中谷さん、諦めたら終わりです。こうなったら戦うしかないんです。捕まったら帰れなくなるんですよ」
三島は全員を鼓舞するように言った。
急遽、車を岩陰へ移動し、全員その岩陰の奥に隠れた。
闇夜が月の明かりを照らす中、全員押し黙ったまま微動だにせず息を潜めていた。
いつもであれば、家の中で家族と一緒に就寝している時間である。それなのに、なぜここにいるのか?この非現実の世界は、あたかも夢の中の出来事のようだった。
はっと目が覚めたらいつもと同じ朝を迎えて、何だかいやな夢を見たなあ、と家族に打ち明けるのだろう。きっとそうに違いない。もうちょっとしたら夢から目が覚める。
<久美はどうしているだろうか。いつものように荒井由美の"ひこうき雲"を聞きながら、俺の散らかした机の上を片付けているのかな>
異国の地の闇夜に映された満天の星空を流れる雲を見て、三島は妻の久美のことを思った。久美とは、学生時代に知り合い部活の先輩後輩の間柄だったが、音楽について語り合ったりしてお互い好きになった。どこにでもある普通の学生時代の延長のままの結婚をしていた。
お互いにじっと押し黙ったまま、皆きっと同じように日本にいる家族のことを考えているのだろう、そう三島は思った。
段々と車の音が近づいてきた。あたかもこちらの居場所がはっきりとわかっていると言わんばかりにグングンとエンジン音が闇夜を切り裂いてきていた。
それに呼応するように、全員の鼓動も高鳴っていった。
新井は、北陸電力の中央給電指令所のシステムへ難なく侵入し、対抗策をガードするウイルスを設置していった。
コンピューターを前にハッカー攻撃を始めると、善悪の区別などなく自らの卓越した才能に溺れてしまっていた。まるでロールプレイングゲームをする感覚である。
そこで怪獣が現れたら武器を使って倒していく。そして仲間を増やし王国を築いていく。子供のころにやってたこととなんら変わりないことだった。
北陸電力が済んだら、次は東京電力だなと思っていた。と、突然設置したウイルスが削除された。対抗策を攻撃する強固なウイルスのはずが、簡単に削除されてしまった。
さらに、各ファイルに配置したウイルスが次々に消されていった。
<誰だ、ハッカーを雇ったか?新種のウイルスを簡単に駆除できるハッカーはそうざらにいるもんじゃない>
新井は、対抗して次々にウイルスをばら撒いていった。が、しかし今度は設置出来なくなった。
<駄目だ。このウイルスはもう使えない。まあいい、ここまでは想定されたことだ。改良したウイルスを用意するしかないな>
新井は、すぐにフィリピンのダバオ市にいるハッカー仲間の"ホセ"に連絡を取った。ホセは、ダバオの街中を走るトライシクルのサイドカーに乗り、振り落とされないように手摺りに摑まり移動中だった。
「ホセ、この前のウイルスの改良型をすぐに送ってくれ」
「何だって、改良型?ちょ、ちょっと待ってくれ。今移動中だから一時間後に送る」
ホセは、ダバオ市内北側の海に近いところにあるアギダオ市場でトライシクルを飛び降り、生鮮食品が所狭しと並べられた屋台をすり抜けオフィスへ向かった。
さらに新井は、マレーシアのヌグリ・スンビラン州にあるリゾート地ポートディクソンのホテルにいた中華系マレー人のクリス・ヨーにも連絡を取った。
「やあ、クリス、バカンスの最中にすまないが、この前のウイルスの改良型をすぐに送ってほしいんだが」
「今度は、何処とサイバー戦なんだ?いくつか作ったのがあるからすぐに送る」
ホテルの中庭にあるプールサイドにいたクリス・ヨーは、飲み掛けのテーオーコソンをテーブルに置き部屋へ入った。
北陸電力へ着いた鮫島のすぐの対応により、ウイルス駆除を終えたシステムは再び稼動しだした。
「ありがとう、さすがだな。いとも簡単に駆除出来るとは、やっぱり凄いな、裕也」
中井は、改めて鮫島のハッキングスキルに感心して礼を言った。
「いや、これは向こうもさらに改良型を作って対抗策を出してくるんじゃないかな。ここで引き下がるとは思えないけどな。戦いの火蓋は切られたばかりだろう」
ショートホープに火を点けた鮫島は、オンラインゲームを始めるかのように、これから始まるサイバー戦に備え次の手を模索し大きく煙を吐き出した。
新井は、ダバオとポートディクソンから送られてきた言語を書き換えたウイルスを用意して次の手に打って出た。改良された新しいウイルスを次々にばら撒いていった。
<破られるのは時間の問題かも知れない。さらに次の改良型ウイルスを準備しないといけないな>
「これは、いたちごっこだな。新しいウイルスが次から次に現れる」
鮫島は長髪を片手でかき上げキーボードを叩きながら中井へ言った。
「休む暇もなく現れているのか」
中井は不安そうに聞いた。
「そうだ。これは結構手ごわい相手だ。執拗に設置してきている」
「どうしたらいい?このまま戦い続けるのか」
「いや、このまま根競べをやっていても埒が明かない。おそらく改良を加えているのだと思うから、基本的なところに攻撃しないといけない。ちょっと時間を要する」
「こっちから相手に対して攻撃するというのか」
「そうだ。目には目をだ。毒には毒をもって制すわけさ」
そう言うと鮫島は、咥え煙草のまま高速ブラインドタッチでキーボードを叩き始めた。
北陸電力のシステム回復が目的だが、そこにいる鮫島は、まさにサイバー戦の前線にいる兵士だった。防護壁から放たれる砲弾の嵐を掻い潜りながら必死で応戦していた。
「感染・侵入パターンが確立されていて、それぞれに基礎となるプログラムコードが存在している。こちらのセキュリティホールが発見されると既存のワームのソースコードを改造している」
まさに、蠢く細菌のように感染被害を広げようとしていた。
車が止まり、追手達が降りて来た。運転手も入れて全部で四名いる。全員手には自動小銃を持っている。
万事休す!誰もがそう思った。到底彼らの銃に逆らえるはずもない。ホールドアップで全員捕らえられるのは時間の問題だ。
追手達は捕虜が乗っているはずの車を覗き込んだ。が、いないとわかると口々に叫びながら周囲を探し始めた。
三島は岩陰の上にいた。炊飯器ほどの大きさの岩石を両手で抱えて隠れていた。
一人の追手が岩陰のところへ近づいてきた。
追手が岩陰を覗き込んだその時、岩石を抱えた三島が崖の上から追手の後頭部目掛けて飛び降りてきた。
グキッという音と共に追手は崩れ落ちた。すぐさま三島は追手から銃を取り上げた。
三島はそのまま岩陰へ隠れ、崖上には山根が先ほどよりも大きな岩石を抱えていた。
今度は二人の追手がこちらへ来ていた。同様に一人の追手が岩陰を覗き込んだ。
大柄の山根が岩石を抱えて追手目掛けて飛び降りてきた。山根の岩石を頭上に喰らった追手は紙芝居のように崩れ落ちた。
一瞬、気をとられたもう一人の追手がひるんだ隙に、三島は追手へ向けて発砲した。
追手はもんどりうって倒れた。最後の追手が銃声を聞きつけ、慌てて駆けつけてきたところ目掛けて山根が更に大きな岩石を投げつけた。
追手は後頭部へ岩石を喰らい前のめりで倒れた。追手四名全員が倒れていた。
山根は、三島を見て思った。この人は平凡なサラリーマンなんかじゃない。訓練された兵士なんじゃないか。捕虜として捕らえられ、そこから脱走して追手を撃退するなんて、素人技じゃ到底出来ない。相当に訓練された兵士じゃない限り、まず精神力がついていかない。山根は三島を見て身震いがしてきた。
「よし、私は今来た道を戻る。みんなはこのまま追手が乗ってきた車でウランバートルを目指してくれ」
三島は全員へ向かって言った。
「えっ?三島さん、どうするつもりですか」
山根が慌てて聞いた。
「恐らく、アジトに残っているのはそう多くないはずです。イ・デホと新井の企みを阻止しようと思います」
「三島さん一人で?あまりに無謀ではないですか?警察が動いているかもしれないし、私らは全員このまま戻った方がいいでしょう」
「彼らは、ハッカーである新井と共同で日本へのサイバー攻撃を企てているかもしれません。こうしている今でもすでに攻撃を始めているかもしれない。だから少しでも早く阻止しないといけない」
「だからと言って、素人同然の三島さんが動くなんて・・・・」
山根は、考えを巡らせていた。単身乗り込んでいくからにはそれなりの勝算があるというのか?ただ、これまでの三島の動きを見ていて、ひょっとしたらこの人なら出来るんじゃないか?何かそう思えるオーラが三島にはあった。
まるで映画の主人公みたいな、見ている側はこの人は主人公だからなんだかんだ言っても結局死なないし、最後は悪役がやられるんだよなという風に思わせるような、そんな雰囲気を漂わせていた。
ウランバートルへ到着した西田は、モンゴルの警察と合流し、イ・デホが運営しているというゴビ砂漠にあるクラウドサーバーの研究所を目指していた。
「ここからどれぐらいかかりそうですか」
西田はモンゴル警察が手配する運転手へ聞いた。
「そうですね、ナビの案内では約三時間半後になります」
ウランバートルから約五百キロメートルの距離にあった。
三島と別れた山根達七名は追手から奪った車で一路ウランバートルを目指していた。
「また、車の音が聞こえないか?山根君」
助手席に居た中谷が、運転する山根の方を向いて心配そうに聞いた。
「ちょっと待ってください。エンジンを切ります」
急遽、車を止めエンジンを切った。
静かに耳を立てるとかすかに車のエンジン音がこちらへ向かってくるのがわかった。
しかし、今度は向かっている方向から聞こえてきた。ひょっとしたらと思ったが一応念のために岩陰へ全員隠れることにした。
彼らの心配は杞憂であった。その車は西田を乗せたモンゴル警察の車だった。
無事にモンゴル警察へ保護された七名は、西田へこれまでの経緯と状況を説明した。そしてイ・デホの企みと事件の全貌が明らかになった。
「何ですって?じゃあ三島さんという方は単独、そのアジトへ丸腰のまま向かったと言うんですか」
「はい、何度も制止したんですが、急がないと大変なことになるの一点張りでして・・・・」
山根はその時の状況を西田へ説明した。
「わかりました。あなた方はこのまま警察の保護の下、ウランバートルまで戻ってください。その後に日本へ戻る直行便で帰ることになります」
西田はそう山根らに伝え、モンゴル警察数名とともにイ・デホがいるアジトへ向かった。
三島は一路イ・デホがいるアジトを目指していた。
どう立ち向かうのか、どうしようとしているのか、三島自身にもよくわからなかった。ただ、三島の内なる声がこのまま日本へ帰ることを許さなかった。
このまま向かっていって討ち死にするかもしれない。でも今の三島にはそういう考えすら起こらなかった。とにかく阻止しないといけない、ただその一心で向かっていた。
鮫島は必死で応戦しながらも、攻撃を仕掛けるワームを設置しようと新井が操作するコンピューターへの侵入を図った。
鮫島のワームは、効率よく感染を広げるために事前探知を行うが、新井が対抗するガードはこの事前探知をトリガーにして鮫島の不正侵入をキャッチしていた。
そして、ポートスキャンを検出すると、実際には存在しない仮想端末の応答パケットを返した。
鮫島はその応答を受けて、一方的な接続を開始しようとしたが、新井のガードは、その端末を攻撃者であると判断する。
以降、その端末から別セグメントへの通信を、一定時間遮断し、シグネチャやパターンファイルのメンテナンスを行わなくとも、ワームによる脅威からネットワークを保護していた。
「どうだ?こちらから攻撃できそうか」
中井は、キーボードを叩き火花を散らせている鮫島に期待を込めて聞いた。
「磐石の態勢をしているみたいだな。ワームの設置が出来ない。でも大丈夫だ、手はある」
鮫島は一発逆転の取って置きの仕掛けをもくろむ子供のように浅黒い顔に笑みを浮かべ不敵に答えた。口に咥えた煙草の先がいまにも落ちかけていた。
新井は恐れていた。新井のガードは、鮫島の攻撃を遮断していたが、これで終わるはずはないと思っていた。むしろ、鮫島が新井のワームに対抗するだけでなく攻撃してきたことへの恐怖だった。
<なんてやつだ。対抗策を講じるどころか攻撃してきている>
「ホセ、すぐに次の改良型を準備してくれ。相手も攻撃してきている」
「何だって!誰なんだ?そいつは」
「わからん。とにかくスキルレベルの高いやつだ」
新井は、北朝鮮の対外諜報・特殊工作機関である朝鮮人民軍偵察総局内の「一二一局」に所属していた頃、アメリカのサイバー部隊と戦った時のことを思い出していた。確かその時アメリカ軍の中に一人の日本人ハッカーがいた。
新井はその日本人に壊滅的な被害を被っていた。
イ・デホの試みでは、北陸電力の中央司令室をコントロールし、順に東京、九州へと侵入コントロールを図る予定だった。それが、北陸電力で意外にも手間取っていた。想定外の事態になっているのは、アメリカ国防省が極秘としていた鮫島裕也という最強ハッカーの存在であった。
新井は世界屈指のハッカーで、彼をしのぐものなど日本にいるはずもない、そう思っていたが現実はそうではなかった。少なくともイ・デホの知りうる情報ではそうであった。ひょっとしたら、探していた最強のハッカーは新井ではなかったのではないか、イ・デホはふとそう思った。
「ずいぶんと手間取っているようだな」
イ・デホはしびれを切らしたように新井へ聞いた。
「今、お互いにガードで守りに入っている状態だ。予想外に手強い」
「次の東京電力へ行ったらどうだ」
「相手は、こちらのIPアドレスから地域やホスト名を記録、閲覧する管理機能を持っている。すでに察知されてしまっている。だから相手のガードを崩してしまうしかない。そうしないといずれこの場所がわかってしまう」
新井が仕掛けたことによって、姿を丸裸にされようとしていた。
「とにかく耐えるんだ。そして更に攻撃を続けるんだ。いいな」
イ・デホはそう言い残して一旦部屋を出た。
新井もまた鮫島の執拗な攻撃に必死で対抗していた。
鮫島は、Confickerというワームを用意した。
Conficker は、ネットワークのエンドポイントを標的とするネットワーク ワームで、スパムの送信やエンドポイントから機密情報を盗み出すために使用されるボット フレームワークを構築する。
完全にセキュリティーが侵害されると、機密情報の漏洩、生産性の損失、ネットワーク セキュリティーをさらに危険に曝してしまう。
更に、Windows Server サービスの脆弱性を悪用し、ワーム自身のコピーをネットワークとリムーバブル ドライブに設置、またワーム自身のコピーを脆弱なパスワードを使用するネットワーク共有に設置する。
まさにアメーバの如き難攻不落のワームであった。そしてそのワームは放たれた。Confickerは瞬く間に増殖していった。
<駄目だ!コントロールが効かない!クソッ!なんてやつだ。ああ、駄目だ、ワームのコピーが・・・>
新井は必死にもがいていた。
その時、コントロール室のドアが開いた。三島が倒した一味を楯に部屋へ入ってきた。
「新井、観念しろ!手を上げるんだ」
三島の持った銃口が新井を捕らえていた。
新井はコンピューターを操作していた両手を上げた。
「パク・デホはどこだ!」
「知らない、今いたが部屋を出て行った」
部屋には、新井が一人いるだけであった。
三島は、コンピューターへ向けて銃を乱射した後、部屋を出てイ・デホを追った。
部屋には放心状態の新井が一人残されていた。
西田がモンゴル警察と一緒に研究所に駆けつけたときには、倒れた一味が一名と新井が壊れたコンピューターの前にうつ伏せていた。
イ・デホと三島は消えていた。
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