真実

三島ら九名が地下室に閉じ込められて三日目になろうとしていた。

食事とトイレ以外は、ただ、淡々と時間が過ぎて行く。みんな最初はいろいろと話し合っていたが、蓄積する疲労から徐々に口数が少なくなり、更には閉塞感が嵩じてくると同時に全員疲れ果て、体力精神ともに限界状態に達しようとしていた。

突然、ドアが開いて銃を持ったものが二名入ってきた。

「モドゥ アプロ イドハンダ チシルルダル!」(全員これから移動する。指示に従え!)

銃を突きつけられ、全員疲労困憊したままぞろぞろと移動し、重い脚を引きずりながら階段を一段ずつ上がり、地上の駐車場らしきところへ出た。そのまま、駐車場に用意してあった中型のマイクロバスへ乗り込んだところで眼前のシャッターが開いた。

突然、現れた風景は砂漠だった。見渡すかぎり地平線の彼方で、どこまでも黄褐色をした荒涼な砂漠だった。

三日前までは、いつもと変わらぬ慌ただしい都会の雑踏にいて、さらに反する無機質な閉塞感のある部屋に三日間閉じ込められていたのが、突然、それから切り離された人類社会とは無縁な、凛々しいまでの自然の静寂さが眼前に横たわると、全員人質として捕らわれているにも拘わらず、それを忘れさせるかのような心を洗われるような不思議な錯覚に捉われた。


三島ら人質全員を乗せたマイクロバスは荒涼な砂漠の中をひた走りに走り続けた。

二時間程走ったところで、太陽の薄明光線の中を伸びる影の先にぼんやりとドーム状の建物らしいものが見えてきた。車は砂埃を立てながらその建物の駐車場へ入って行った。全員が銃をつきつけられ車を降り、スライド式の鉄格子に覆われたエレベーターでそのまま地下へ降りて行った。

"ガクンッ"とエレベーターが止まりゆっくりとドアが開くと、地下フロアにひとりの男が立っていた。それは、三島がよく知っているセジョン旅行のパク・デホだった。

「ようこそ、みなさん。あなた方は現在人質になっている。我々がこれから日本に対して要求することに対しての人質である」

パク・デホは眼鏡の奥に眼光鋭い光を放ち、大袈裟に両手を拡げながらテレビ番組の司会者のような様子で話し出した。

「これから、話す内容をよく聞いていただきたい。実は、皆さん方の中にひとりシステムプログラマーの方がいらっしゃる。その人物は、どうやら北朝鮮のスパイで観光関連の人間として潜り込んでいることが判っている。この中の誰かだ。さらにただのプログラマーではなく世界でも名うてのハッカーということらしい。皆さん方の中に紛れ込んでいることに我々もいささか驚いているが、実はその人間に手伝ってもらいたい事がある」

パク・デホは、立ちつくした九名の前を一人ずつ眺め左右にゆっくりと歩きながら、プレゼンテーションをしてるかのように話した。

この中に世界名うてのハッカーがいる?三島は、今回の拉致の目的がぼんやりと見えてきたのを感じた。

パク・デホの言うとおりこの人質の中にそういう人物がいること自体考えにくい話である。北朝鮮のスパイということからするとその人物の現在の姿は仮の姿なのか。その人間は何の目的でこの中に紛れ込んでいるのか。三島以外は、皆それぞれ日本の地方公務員である。その人物がハッカーとして暗躍していたのか、あるいはもともとハッカーだった人物が、その公務員を抹殺し成りすましてたのか。

「いまここで名乗り上げてもらえれば話は早いが、すぐにおいそれとそうもいかないでしょう。条件を出しましょう。協力していただければ、それなりの待遇で我々の組織の上層部にお迎えしよう。更に将来的に生涯何不自由ない生活をお約束しよう。どうでしょうか?まだ時間はたっぷりとある。ゆっくり考えていただいて、後で答えていただければ結構。それでは後ほど」

パク・デホは一方的に話してドアの奥へ消えて行った。

全員また、地下の無機質な大部屋に入れられた。

<生涯何不自由ない生活、組織の上層部?犯罪組織に染まったところでどうなるという。何を担保に約束するというのか。犯罪人のいう言葉など微塵も信用するに値しない>

三島は、パク・デホの話を聞きながらそう思った。

結局、名乗り出る者はいなかった。

<北朝鮮のスパイ?一体誰なんだ・・・・・・>

七名のうち、長崎県と宮崎県、福岡県の三名は三十代、大分県、佐賀県、熊本県、鹿児島県の残り四名が四十代。全員柔和な顔をした比較的おとなしい人達であるが、中でも長崎県観光課の職員はホテルにいた時からみんなの和に溶け込まず、長身で細身のひとり寡黙な人物だった。彼の名前は、新井雄二、三十二歳である。その彼が突然、大部屋の真ん中に立ち、痩せて細長の顔を上げ全員に問いかけるように言葉を発した。

「みなさん、さっきの人物の話だと、この中の誰かがハッカーということですが、彼の話を一方的に信じれば、ですが。仮に私がそのハッカーだとしましょう。そうすると、名乗り出たあと他の全員はどうなると思います?」

「用がないから解放されるんじゃないですか」

新井のすぐそばに座っていた一番若そうな宮崎県の職員が希望的観測で言った。

「あるいは、抹殺されるか...」

隣りにいた神経質そうな大分県の職員が悲観的に言った。

「ま、まさか君がそのハッカーなのか?」

中谷は興奮しながら唐突に新井に向かって言った。

「勘弁して下さいよ中谷さん、仮にそうだとしたらと言ったまでです。あなたがハッカーの可能性もあるでしょう」

新井はホテルにいた時の寡黙な雰囲気ではなく、妙に中谷を威圧する様相を醸し出していた。

「わ、わたしは生涯県の職員だしそんなハッカーだなんてとんでもない」

中谷は脂ぎった顔に動揺の色を浮かべうろたえながら言った。

「中谷さん、わたしは全員がその可能性があると言ってるだけですよ。それにさっきの男が勝手に言ってるだけかもしれませんしね」

新井はニヤニヤしながら中谷を弄ぶように言った。

三島はそのやり取りを見ながら思った。

<何なんだ、この新井という男は。さっき迄の寡黙な雰囲気とは明らかに違う。このような状況において、この場慣れした様子は、この自信に溢れ威圧的な態度は何処から来るんだ。こいつ本当にハッカーかもしれない。こいつの正体は・・・・>


捉えられてから四日目の朝を迎えようとしていた。

拘束されている部屋は、会議室になっていて、壁際にベンチ式の椅子が並んでいた。日本人九名はそれぞれが思い思いに横になったりしていた。

三島も少しでも疲労を減らそうと横になり天井を眺めていた。

<この状況下で、打開策は見当たらない。相手はマシンガンを装備した者が二名いて、とても対抗できるとは思えない。でも、何かあるはずだ。落ち着け、冷静に考えろ>そう三島は頭の中で反芻していた。

<チャンスがあるとすれば、食事が運ばれてくる時とトイレに行く時だ。いずれもかなりの至近距離になる。ただ、いずれも銃装備した者が二名必ずいる。この銃に対抗できなければ、銃を奪うしかないだろう。でも二名いるから、ひとりから上手く奪ったにしてももう一人にどう対抗するか、銃の扱いに関していえば、圧倒的に不利だ。腕力も圧倒的に向こうの方が上であろう。その場で撃ち殺されてジ・エンドだ。

でも自分と同じ行動を取れる者がもう一人いれば可能性はある。このひ弱な民間人の中でそんな映画のワンシーンのようなことが出来るかどうかと言えば、限りなく不可能に近いだろう。でも、必ずしも不可能ではない>

三島は仕事で緻密な作業をするかのように、冷静にひとつひとつの可能性を探っていた。このまま拘束されて行き着く先が全員処刑されるかもしれないという最悪の事態を迎える可能性と敵から銃を奪うという破天荒な考えとを両天秤にかけていた。

<彼らが日本に対してやろうとしていることを考えた時に、それを阻止できるのは、ここしかないのではないか。ここから打破していくしか他に方法がないのではないか。>

少しずつ三島の考えは、火中の栗を拾うようなものになりつつあった。

食事の時間になり、ワゴンに乗った食事が運ばれてきた。配膳をするものが二名、テーブルの上に食事を並べていく。その配膳係二名から約十メートル離れた距離に銃を持ったものが一名、もう一人銃を持ったものがドアの入口付近にいる。

<これが拘束される者と拘束する者とがお互いに兵士であれば、かなりの緊張感を持って対応しているのであろうが、民間人相手ということもあり、やや形式的に銃を構えている風にも見える。俺たちが銃を奪う行動に出るとは考えにくいのであろう>

やれるとすればここしかないと思った。

三島は、一旦その配膳のタイミングは見送ることにした。

<彼らが入ってきて出るまで約十分ちょっとといったところであろう。もし、銃を奪ったにしても問題はその後だ。我々民間人が威嚇したところで相手はそれに屈するだろうか?本当に取り返そうと襲いかかってきた時に本気で銃を発射できるのか?引き金を引いて本当に弾が出るのか?色々と考え出すと極めて困難な状況にある。でも何もしなければ自分達だけでなく、日本が危機的状況に陥ってしまうのではないか>

ここは、一か八かやるしかない、三島はそう決意した。

まだ次の食器の回収の時間まで一時間ぐらいある。その間にもう一人手伝えるものを見つけて相談しなくてはいけない。ただ、問題はこの中にいるハッカーだ。彼は、公務員と偽ってこの中にいる。彼らと同調しようと考えているなら、この計画を阻止しようとするだろう。だから協力者とは秘密裡に話をしないといけない。三島は、中谷を除いた七人の中で、日頃から仕事での付き合いもあり人柄をよく知る一番恰幅のいい正義感の強そうな福岡県の職員、山根和博にまず当たることにした。

彼は、幸いに部屋の隅の方にいた。一番近くにいる人間とは約三メートル離れている。小声で話せば周りに聞き取れない距離だ。三島は、周りに気づかれないよう彼の正面ではなく横に座って話しかけた。

「ちょっといいですか?そのまま正面を向いたまま私の話を聞いて下さい」

「あ、はい。わかりました」

彼はちょっと三島の方を向こうとして慌てて正面を向き直した。

「これから話す内容を落ち着いて聞いて下さい」

三島は、まず周りに気づかれないよう、世間話をしているように振舞うように、と注意した上でその計画を話した。

イガグリ頭をした山根はその話を聞いてるうちにみるみる額に汗を滲ませ出した。彫りの深い大きな目は一点を見つめたままで、指先を忙しなく小刻みに動かしていた。

話を聞き終わると決意したように三島へ尋ねた。

「それ、本気ですか?」

「本気です」

三島は、今までも最後の最後まであきらめずにギリギリのところまで行くタイプだった。何事も可能性がある限り、その可能性を引き当てるかもしれない。ほとんどがダメでも可能性があるなら、その可能性に賭けなければ道は開けないというどちらかと言えば八方破れな考えを持っていた。今までもそれで随分と損な人生を歩んできた。確かにそのほとんどが駄目な場合に終わるわけで、しかし、三島は自分が突き進む道を信じてきたから、損な人生だが、自分に対して満足の行く人生を送ってきた。決して後悔しない人生だと思う。

山根は、三島の返事に対して大きく頷いた。彼もまた決意していた。


配膳の回収の時が来た。いつものように配膳係が二名と見張りが二名の計四名が入ってきた。

三島は何気に配膳を見ている風にして見張りの後ろにいた。山根はドアの横にいる見張りの脇に立っていた。機は熟した。

三島は相手の後ろから一気に銃を掴み取ると同時にそれを梃に敵の腰の部分を思いっきり蹴った。敵は勢い余ってテーブルの角に頭を打ち、もんどりかえって倒れた。もう一人の見張りが慌てて銃を構えようとするやいなや、山根が横から銃を奪い体ごと体当たりした。

山根は身長百八十センチ、体重八十キロでがっしりとした体つきをしていて学生時代はラグビーで鍛えていた。山根に体当たりされた見張りは吹き飛ばされテーブルの端に腰のあたりをいやというほど殴打した。

山根は間髪入れず倒れた相手に馬乗りになり、銃身で敵の喉を締め付けた。

「みんな、ロープで縛るんだ!早く」

三島は部屋にいた全員に大声で叫んだ。

全員、一瞬の出来事であっけに取られていたが、三島の大声を聞いて一斉に身近にあるネクタイや紐状のものを使って敵を縛り上げた。

「全員外に出るんだ!山根さん、見張りが持ってる部屋の鍵を」

三島は部屋の鍵を山根から受け取ると、全員を部屋の外に出し鍵をかけた。

「みんな後ろについて来るんだ。このまま脱出する!」

三島の号令に全員藁をもすがる思いで従った。


その頃、福岡県警の西田隆一は福岡空港にいた。正式に福岡県の依頼を受け行方不明になった九名の捜索に韓国と協働であたることになった。

西田は福岡空港を出発し、仁川国際空港からソウル市内に着くやすぐにインターコスモの若菜と前村に接見、これまでの経緯と状況を詳細に確認した。

まずは、会場の予定となっていたホテルベストインの調査から始めた。韓国ソウル地方警察庁捜査部捜査課のキム・ソウォンが西田に同行し調査が進められた。

ホテルベストインは広報課のミン・ヒョンスという男が対応した。すらりとした一八五センチの長身で、銀縁メガネをかけ、色白で神経質そうな風貌をしていた。

「初めまして、韓国ソウル地方警察庁捜査課のキム・ソウォンです。こちらは日本の福岡県警刑事部捜査一課の西田隆一さんです」

「初めまして、ホテルベストイン広報課のミン・ヒョンスです」

ミン・ヒョンスの長身から見下ろす態度に西田は威圧感を感じた。

「さっそくですが、インターコスモ社の話によれば、こちらの会場で韓国の旅行代理店向けに日本旅行の説明会が行われる予定になっていたという話ですけど・・・・」西田は、早々に用件を切りだした。

「前回もインターコスモの若菜さんという方からお問い合わせいただき、同じ質問をされたのですが、全くもって、そういった予約は入っておりません」

「会場の予約が入ると、予約リストか何かに記入されますか」

「もちろんです」

「ちょっとそのリストを見せてもらってもいいですか」

エクセルファイルでつくられたファイルに日付毎の会場別リストが入っていた。問題の九月十五日は、全会場ともパーティーや会議で埋まっていた。

「これをプリントアウトしていただけますか」

西田はプリントアウトしてもらったリストを翻訳してもらい、まずは、問題の九月十五日の会場使用をしたリストを出してみた。

パーティー会場が大小併せて六件、会議室が十二件の全部で十八件のリストが並んでいた。使用した代表社名、担当者名、連絡先が書いてあった。

仮に、本当に旅行代理店向けの説明会が行われていたとすれば、少なくとも五十名は収容できるところでないといけない。

その会場は、パーティー会場の二箇所だけということになる。

<この二箇所だ>

西田はすぐさま会場を使用した会社へ連絡することにした。

一件は、市内にある保険代理店の説明会で、これはすぐに当日の結果報告書や写真などもあり確認が取れた。

もう一件は、ソウル特別市明洞区にある「ネイバーフード」という食品会社で、そこのイ・ホンギュという担当者が電話に出た。

同行のキム・ソウォンが単刀直入に聞いた。

「おたくの会社は九月十五日、ホテルベストインのパーティー会場を使用したことになっているが、間違いないですか?ちなみにどういう目的での使用でしたか」

「ああ、ホテルベストインですね。得意先を集めての新商品の発表会ですよ。盛況でしたけど、結果がいまいちでしたね。何かありましたか」

「ああ、いや、その時にお客で覚えている人はいますか」

「もちろん、招待状のリストはあるので誰が出席したかは全員わかりますけど」

「そのリストの写しをいただけませんか」

「いや、ちょっと勘弁してほしいですね。警察の方から得意先に問い合わせがあったら、うちの会社に何か問題があったかと思われてしまいますよ」

イ・ホンギュは不服そうに言った。

「隠しだてされても困りますね。事件となれば強制的に捜査資料の提供を求めることもできるんですよ」

「事件ってなんですか?冗談じゃないですよ。うちが何かやったみたいな言い方ですけど、とにかくうちは信用第一ですから。今日のところは勘弁して下さいよ」

慌てふためいた様子で、一方的に電話が切られた。

<ここは、問題ありだな。ひょっとしたら何かあるかもしれない>

西田は刑事としての勘でそう思った。


テレビ放映のニュース特集の中で、犯人らしきものからの荒唐無稽なメッセージは日本中の話題になっていた。それだけに、みんな馬鹿げていると思いながらも、内心ひょっとしたらという思いがあるのもまた事実だった。

特に、日本人九名が行方不明になっていることもあり、日本中が大パニックにならないまでも、何らかの要求に対する脅しはあるんじゃないか、そういう思いが蔓延していた。

大崎も同様の思いだった。未だに三島の安否が確認できないこともあり、靄がかかって視界が遮られているような思いだった。

若菜と前村は、西田に詳細な経緯を伝え、あとは警察に任せることにして日本へ戻ってきていた。

「ご苦労さん、あとは警察に任せるしかないな。ともかく、どんな些細な動きでも何かあればすぐに連絡してくれ」

大崎としては、そう伝えるしか他に最善の策が思い浮かばなかった。

「ひとつ重大な事がわかりました。会社の登記簿謄本で調べたらホテルベストインの会長の名前がイ・デホだったんです」

「何、イ・デホと同姓同名?」

大崎はそれを早く言えと言わんばかりに聞き返した。

「そうなんです。ですから本人か親類あるいは同族の可能性もあるかもしれません。もしイ・デホ本人だとするとホテル側が九名の拉致を隠していることが考えられます。同姓同名は韓国でもそうそうにはいないでしょうから」

「そもそも、イ・デホという名前自体が偽名の可能性だってあるだろ」

「そうですね。どっちが本名なのか、あるいはどっちも偽名かもしれませんし」

大崎はすぐに会長名がイ・デホであったということを西田に伝えた。

西田は、ネイバーフードを出て韓国警察庁へ戻る途中その連絡を受けた。

急遽、予定を変更し、再びホテルベストインへ行くことにした。


西田はホテルベストインのフロントに韓国警察のキム・ソウォンと一緒にいた。

フロントにすばり聞いた。

「警察ですけど、会長はいらっしゃいますか」

「少々お待ちください」

フロントの係りが慌てて事務所の奥へ消えた。

ほどなくして、広報課のミン・ヒョンスが現れた。

「先ほどはどうも。今度は会長に用事がおありのようですけど、どういったご用件でしょうか」

「会長に二、三聞きたいことがあります。すぐに連絡を取ってほしいのですが、用件は直接会ってから話します」

西田は有無を言わせない態度で答えた。

「用件をお伝えいただければ、私の方から伝えますが」

「本人と直接話をしたいからその必要はありません」

西田は強硬に答えた。

「わかりました。今から連絡を取りますので少々お待ちください」

ミン・ヒョンスは西田の強硬な態度に抗しきれず応じることにし再び奥へ消えた。

しばらくすると、ミン・ヒョンスが内線電話の子機を持って現れた。

「今、会長と繋がってます。どうぞ」

「こちらは、日本の警察の西田といいますが、イ・デホ会長でしょうか」

「はい、イ・デホですが、どういったご用件でしょうか」

イ・デホはいかにも会長風情とした落ち着いた声で答えた。

「先日、こちらでインターコスモという会社の説明会が行われたはずですが、お宅の説明によるとインターコスモという会社名で会場予約は行われておらず、そういった説明会はなかったという回答ですが、その件はご存じですか」

「いや、そういった日々の案件に私が係わることはまずありませんよ。担当のものが対応しますからね。よほどの問題でもない限り、私のところへ話が上がってきませんがね」

「なるほど、ただこれがよほどの問題になりつつあるから、私がこうしてわざわざ日本から来てるんですよ」

「ほほう、どういった問題でしょうか」

「こちらの会場で説明会に参加したかもしれない日本人九名が失踪してしまっているんですよ」

「それは、どういうことでしょうか?私のところはその会社の記録すらないといってます。お宅の方はうちのホテルで説明会が行われたと言われる。それ以上のことを聞かれてもどうしようもありませんが」

「あなたは、日本語が達者でいらっしゃるが、日本の会社と関わり合いが多々おありのようですが」

西田は矛先を変えた質問をした。

「日本のお客様は沢山いらっしゃいますから当然でしょう。それが何か」

西田は、こいつはとぼけていると思った。電話の向こうでほくそ笑んでるイ・デホがいた。


部屋を脱出した三島らは、廊下に出て階段を上に上がった。確かここへ連れて来られて地下へ降りたはずだった。上に上がれば地上へ出るはずだ。三島はそう思った。階段を上がり突き当たりのドアへ差し掛かった時に、振り返って全員を確認のため見渡した。

<自分を含めて九名のはずが、八名しかいない。待てよ、誰だ、誰がいない?新井だ、新井がいない!>

<しまった。このまま事の状況を報告に行く気だ。逆方向か?いや、部屋へ戻ったかもしれない>

しかし、一刻の猶予もない、ここで引き返すわけにはいかなかった。三島は思い切ってドアのノブに手を掛け内側へ開け放した。

駐車場のようだった。キーがついたままの八人乗り大型RV車が一台、好都合に置いてあった。


その頃新井は、地下にあるイ・デホの部屋にいた。

「やっと決心が着きましたか、新井さん」

「ああ、言われたとおりの条件であればな」

「実際あなたは北の世界にいるのはもったいない人だ。かと言って南へ亡命することもままならないとなれば、我々と一緒にやっていった方が得策でしょう。一緒に日本を乗っ取ろうじゃありませんか」

<こいつ、何を言ってるんだ。本気で日本をコントロール出来るとでも思っているのか?仮に出来たとしてもアメリカが黙っちゃいないだろう。アメリカに喧嘩を吹っかけようというのか>

新井は闇を支配するハッカーだったが、その新井もアメリカサイバー軍が本気で稼動したら一網打尽になることをわかっていた。

新井が北のサイバー部隊にいた頃、アメリカとのサイバー戦争になり壊滅的打撃を被った経緯があった。

サイバー戦争とはインターネット及びコンピューター上で行われる戦争行為のことである。クラッカー等の集団や国家によって組織されたサイバー軍により、敵対する国家、企業、集団、個人等を攻撃する。

主に想定される「敵」やその他の第三者が管理するサーバー及びコンピューターを目標とする。「敵」の場合には侵入、諜報、企業のイントラネットに不正アクセスして技術情報や意思決定等のデータを収集、サービスの停止、もしくは破壊が行われる。「第三者」の場合には他のコンピューターを攻撃する為の踏み台として侵入、乗っ取り、バックドアの設置、攻撃拠点としてのプログラム、ウィルス、ワームの設置を行う。


「それよりもさっき人質が脱走したぜ、大丈夫なのか」

新井は、自分の用件が済んでから人質脱走の件を言った。

「なに!脱走だ?おい、どうなってるんだ」

部下はすぐに監禁している部屋を調べに向かった。

「逃げられました!誰もいません」

「すぐに追え!」

予想外の新井の言葉に驚き、イ・デホはあらんばかりの声を荒げ、そばにいた部下に命令した。数名の部下が慌てて部屋を出て人質を追った。

「ここは、広大な砂漠の中だ。逃げても無駄だ。すぐに追いつく」


その頃、三島らはRV車で砂漠の荒野を走らせ逃走中だった。三島は隠し持っていた携帯電話をようやく取り出した。電波状態は悪く繋がらない。ナビも同様だった。

「太陽の位置からすると、この進行方向が東で、おそらくここは陸続きで移動させられたとすると、ゴビ砂漠じゃないだろうか。とにかく東へ走らせよう」

三島は運転している山根へ言った。


どれぐらい走っただろうか。とっくに陽は落ちて闇の中に浮かび上がる茶褐色の砂丘をひた走りに走っていた。

「三島君、今頃は日本は大騒ぎになっているかもしれないかな」

車のシートにぐったりと座った中谷が自分でつぶやくように三島へ聞いた。

「どうでしょうか、私が送ったメールがどうなっているか、我々が行方不明になっているのは明らかだから、きっと捜索は始まっているはずですよ」

三島は否定と肯定をない交ぜにした返事をした。全員疲労感はとっくに通り越して、ただひたすらに生き延びることに執着していた。

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