不明
インターコスモはアジアを中心とする企画提案を事業とする一方、福岡県との委託契約による事業を補足する意味で、海外からのアウトバウンド旅行者への対応などの理解を受け入れ側である福岡県内に深めるため、言わばサービス事業として独自のメルマガを作り配信していた。そのメルマガを書いているのが大崎雄一郎だった。
メルマガの内容は、アジア各国との文化や慣習、歴史の違い、現在のアジアの経済状況などであったが、特にスポンサーである福岡県の示す企画主旨に反して、大崎の独断的意見が多分に反映されていた。
なかでも、第二次世界大戦時の日本軍による大東亜共栄圏の実態についての下りの部分については、アジア各国との文化の違いを理解する上では避けて通れないことであり、当時の日本軍のやり方はその方法と手段が間違っていたことであるとし、これからは日本が中心となりアジアの国々と手を繋いでアジア共栄圏を確立していくべきだという風に書いていた。そういうマインドコントロールするかのような文章となっていた。
大崎は、一昨日からの三島ら捜索の件でかなり参っていたが、とにもかくにも会社にかかわる重大事であることから、それに対して全神経を尖らせていた。
それに反して日々のルーティンワークに近いそのメルマガを書くことには、全くと言っていいほど身が入っていなかった。
そのメルマガの参考に読者からの意見も受け付けている。一応は、毎回全てに目を通すのだが、今は全くと言っていい程流し読みに近い状態だった。
捜索の件での対応に追われながらも、いつものようにブラウザ画面のカーソルを上下に移動させ、件名だけを目で追っていたその時、大崎の目に引っかかる文字が飛び込んできた。
《ー 人質は預かった ー》
件名に一行だけそう書いてあった。
文字を凝視した大崎は、慌ててその件名をクリックし本文を開いた。
《ー 九名の人質は預かった。これから起きることに対し冷静に対処されたし ー》
それだけだった。これだけでは、ただのイタズラの文章である。
しかし、三島らの失踪と符合するように受信したその文面には、"九名""人質"という事件に関わりのあるもの以外絶対に知り得ない文字が並び、無碍に出来ない事件の信憑性を帯びていた。
大崎は、いまなぜこのタイミングでこの内容が来たのか、考えあぐねた。
本当に、人質として日本人九名を監禁拉致した犯人だとしても、あまりにも中途半端な内容のメールである。犯人グループは人質を盾に何をしようとしているのか。
要するにこれは、三島らは単なる強盗にあったんではなく、何らかの人質とされているとこちらに理解させるためのメールなのか、あるいは、誰かが三島らの失踪を嗅ぎつけた悪戯なのか。
とにかく大崎は、大至急福岡県警刑事部捜査一課の西田隆一へメールの件を伝えるため連絡を取ることにした。
大崎から事情を聞いた西田は、そのメールアドレスを受けたパソコンを県警のサイバー犯罪対策本部に廻した。どのサーバーを使って来たかの接続記録は直にわかるであろう、大崎も西田もそう思っていた。ひょっとしたらパソコンの特定も可能かもしれない。いずれにしても時間の問題だ、そう思っていた。
サイバー犯罪対策本部の捜査員はすぐにインターコスモのパソコンを持ち込み調査に取り掛かった。そうして西田へ届けられた捜査の結果は、まず、インターコスモのパソコンが遠隔操作ウイルスに感染していること、そしてウイルス感染したパソコンに指示する際、複数の海外サーバーを経由させた上で、国内のインターネット掲示板に指示内容を書き込み、感染パソコンがその掲示板を自動的に読み込んで犯行のメールを実行する仕組みにしていた。
つまり、パソコンに海外サーバーを経由して指示を出す際、海外サーバーにパソコンを直接接続させない特殊な手口を使っていたことになる。
通常、ウェブサイトへのアクセスやメールの送信(メールサーバーへのメール転送)を行なうと、サーバー側にアクセス元のIPアドレスが残る。このIPアドレスを日時と併せて確認すると、だれがアクセスをしたのか特定できる。
ところが今回これには匿名通信システム「Tor(トーア)」が使われていた。
Torは、「The Onion Router」の頭文字を取った略称である。このアクセスの際に残るIPアドレスから、ユーザーの特定を不可能にするための技術で、もともとはアメリカ海軍が研究を行なっていたものだった。Onionはタマネギのことであるが、この名前はTorの仕組みにかかわっている。暗号化を多段にかぶせ、それを各リレーで一枚一枚剥いてゆくような動作は、あたかもタマネギの皮が重なっているかのようにみえる。これがオニオンルータの名前の由来である。
発信先はネットの闇の中へ消えて行った。
若菜と前村はテジョン市にあるパク・デホ(イ・デホ)が移転したとされる住所に辿り着いた。
研究機関が集まる地区だけあって、白を基調とした無機質な建物が整然と建ち並んでいた。ゴミひとつない通りに違和感のある犬が一匹うろついているのが見えた。
若菜は、名前と職業を偽っていたものが、移転先にのうのうといるはずはないだろうと思いつつも取りあえず住所にあるオフィスのチャイムを鳴らした。
「はい、どちら様でしょうか」
インターホン越しに受付らしきぶっきらぼうで冷たい響きの女性の声が聞こえた。
「インターコスモの前村と言いますが、あのう、恐れ入りますが、こちらにパク...イ・デホ教授はいらっしゃいますか」
悠紀子は恐る恐る応答ボタンを押しながら聞いた。
「.....ええっと、彼は、いまこちらにはいません。学会の研究会議でヨハネスブルグに行ってますが」
「えっ、ヨハネスブルグですか...いつ...お戻りでしょうか」
「さあ、戻りの日程は聞いてないのでわかりませんが?どういったご用件ですか」
「ええ、実は、イ・デホ教授にホテル会場の予約を頼んでいたんですが、その会場が予約されてなかったものですから....それをお尋ねしようと」
教授にホテル会場の予約を頼むというのも変だがと思いつつも一応聞いた。
「さあ、それは、こちらでもよくわかりません。彼が戻ったら一応伝えておきますが、よろしいでしょうか」
「あ、...はい、...わかりました。すみません、失礼します」
<南アフリカのヨハネスブルグ?>
とてもじゃないが、現段階でそこまで行くのはとても無理な話だった。はっきりとした確証があれば別だが、彼(イ・デホ)が三島らの失踪に関与しているかどうか、まだ確証を得ていないいま、インターコスモ社としてそこまでのアクションは起こせなかった。
若菜はすぐに日本にいる大崎に連絡を取り一連の状況を報告した。
「...ああ、わかった。ご苦労さん。八方塞かもしれないが、もう少しソウルに留まってくれないか」
大崎は、一縷の望みをかけてそう言った。
「そうですね、三島さんらがソウルにいる可能性は大なので、このまま戻るのもどうかと思ってましたから」
「うん、実は、妙なメールが届いてね」
大崎は例のメールの件を若菜に話した。
「そのメールとの関連性は大いに考えられることだと思う。わざわざ、うちのパソコンにウイルスが感染してきたぐらいだから。ましてやこのタイミングだし」
「じゃあ、大崎さんもイ・デホが首謀者で三島さんらを監禁してるとの考えですか」
「そう、目的が何かは全くわからないが、限りなくその可能性は大だと思う」
大崎にそう言われ、若菜も確信に近いものを感じていた。
大崎は、可能性としてイ・デホの存在と一連の若菜の報告を合わせて、福岡県警にいる西田に伝えた。
西田としては、三島ら九名の失踪と悪戯とも取れるメール受信、この二件が事実だが、それだけで事件として捜査するわけにはいかなかった。
インターコスモの会場押さえが出来てなかったかもしれないこと、これはインターコスモの仕事上の問題なので、警察がどうこう言う問題ではない。そこは、あくまでも切り離して考えなくてはいけない。
ただ、刑事としての勘が事件性を帯びていることを徐々に感じ始めていた。
その頃、韓国向け観光誘致の九州各県担当の部署では、出勤してくるはずの担当者が連絡取れないことから慌ただしい対応が行われていた。それぞれの九州各県の関係者を通して福岡県企画政策部国際課の中谷の担当部署、そしてインターコスモへも問い合わせが殺到していた。
中谷の担当部署は全員が連絡不能なことを受け、福岡県から福岡県警察署、駐福岡大韓民国総領事館を通じ安否の確認を急ぐよう急遽要請することとなった。
韓国のソウル地方警察庁捜査課では、イ・デホに対し参考人への事情聴取という形で、彼への出頭要請がなされた。
韓国の警察庁捜査課からヨハネスブルグでの研究会議の会場へ問い合わせがなされたが、イ・デホの消息は掴めないままだった。テジョン市のイ・デホの事務所関係者に事情聴取がなされたが、彼の足取りは不明だった。
三島らの失踪は、行方不明の事件としてニュースで報道され、日本中を駆け巡った。朝の情報番組や昼のワイドショーなどでも
「日本人九名が失踪!監禁拉致の疑い。犯人の目的は何なのか?」
「彼等は韓国内で拘束されているのか?」
などというタイトルで特集の番組が組まれ、大崎はその関係者ということでテレビに引っ張り出された。大崎は、少しでも情報の手掛かりが欲しいのもあり、昼のバラエティ番組ではあるが出演依頼があった福岡のテレビ局への出演を了承した。
大崎は番組への出演要請を受け、控え室で本番三十分前の待機中だった。
突然に、携帯のメール受信を感じるバイブの振動を感じた。メールを開いた。
《ー これから次の内容をテレビで話せ。日本の電気配信システムは我々が乗っ取った。これから二十四時間以内に日本は機能不全になる。全員国外へ退去せよ ー》
<・・・はあ?>
こんなメールを見せられても、ただのいたずらで一蹴されるだけである。日本全体を機能不全にするなんてことは誇大妄想も甚だしいし、電気が止まったところで国外へ退去する理由もない。馬鹿げてる、と大崎は思った。が、すぐに番組プロデューサーである野村公彦のもとへそのメールの件を伝えに行った。
メールの件を聞いた野村は、慌てて不安そうな大崎に対して、ゴルフ焼けで浅黒くなった顔をにこやかにして軽い調子で言った。
「大崎さん、うちのこの番組は主婦向けなんで、あまり固苦しい話題は取り上げないし、今回の事件みたいに世間を震撼とさせている話題でも出来るだけ明るく取り上げるというのがコンセプトなんですよ。番組のメインクライアントのヤマガ食品さんの手前もあるしね。わかります?あ・か・る・く、です。だからこの件も事件に乗じた愉快犯路線で進めようと思いますけどいいですか」
何がコンセプトだ!と思ったが、野村にクライアントの手前という部分をことさら強調して一方的にまくしたてられた大崎は否応もなく納得させられてしまった。
編成室にいたプロデューサー野村の指示を受けフロアディレクターのキューで番組が始まった。司会者とアシスタントの挨拶から、番組の冒頭に今日の特集である今回の事件について簡単に触れ、その関係者として大崎雄一郎が紹介された。
司会者からの今回の事件に関する経緯などを質問され、それに対して大崎はひとつずつ説明をしていった。
「じゃあ、そのメールの内容がこれからの予告をしていた、ということですか」
普段からバラエティ番組で芸能ネタを得意とする司会者が聞いた。
「ええ、そうです。実は、たった今、番組が始まる直前に私の携帯にメールが届きまして、その内容が実に馬鹿げてるというか...」
といい、内容を話した。報道番組と違い司会者の意見が多々入りこむ。
司会者もアシスタントも、それはちょっと、という面持ちで、これはもうただの愉快犯に違いないと決めつけるような受け答えをした。
司会者は、その話は横に置いといて、行方不明者の安否に関して情報の呼びかけに移り、更には、"停電の時、これだけは準備しておきたい!"と題した事件の本筋とは大凡かけ離れた話題に移った。
「大崎さんのご家庭なんかでは、停電の時はどういった準備をされてますか」
「ええ、まあ普通に懐中電灯とかラジオとか」
司会者の質問に、大崎はちょっと苦笑いをしながら答えた。
特集終了時に一応情報として、再度大崎へ届いたメールの内容を司会者がバラエティ番組特有の軽快なノリで繰り返した。
「え~、先程インターコスモの大崎雄一郎さんの携帯電話に犯人らしき人物からメールが届きました。内容は、”これから次の内容をテレビで話せ。日本の電気配信システムは我々が乗っ取った。これから二十四時間以内に日本は機能不全になる。全員国外へ退去せよ”という内容のメールだったということですけど、どうですかこれ、田沼さん」
大崎の隣に座っていた別のコーナーのゲストである福岡市中央区青少年健全育成協議会の田沼義明が答えた。
「まあ、最近は子ども達もスマホ持ってたりしますからね。だから私共は、出来るだけ自然と触れ合うということを中心に活動してるわけです。まあ、今回のこれはおそらく事件に乗じたいたずらメールと思われますけどね」
ここでこの事件と全く関わりの感じられないゲストへの質問というのもプロデューサーである野村の子どもを持つ母親を意識した指示であった。
「まったくその通りですね」
大崎もバラエティ番組という軽さもあり期待する合いの手を述べた。
「まったく、ひとつの事件が起きるとそれに乗じた愉快犯というのは必ず出てきますからねえ」
司会者の答えにアシスタントが頷きながら、コーナー終了の合図がディレクターから出された。
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