捜索

仁川国際空港は、地上から上空にかけて霧がかかったような黄褐色に染まっていた。

若菜と前村は、空港を出てすぐさまタクシーに乗り込みアジアを代表する国際都市ソウル市内へと向かった。午後七時になり、ソウルの街は夕闇に変わろうとしていた。漢江(ハンガン)沿いを走るタクシーの窓からは建ち並ぶ高層ビルの明かりがダイヤをちりばめたように煌めいて見えていた。

「あのう、今回の仕事の中身をまだ聞いてないんですけど・・・・」

前村悠紀子は飛行機の中で疲れ果てて眠りこけていたため、寝ぼけ眼の瞳をこすりながら改めて用件を聞いた。

「うん、それが実は、突然のことで驚くと思うけど、三島さんが行方不明になっていて、彼を探しに行くのが目的だ」

若菜はいつもの仕事の調子でさらりと言った。

「えっ?行方不明ってどういうことですか」

寝呆け眼をこすっていた手を止めた悠紀子は、若菜からいきなり三島が行方不明と言われ耳を疑った。

「ほら、あの停電があったじゃない。実はあの後、三島さんからありえない内容のメールが来てて、それが、”強盗に全員襲われた”、という内容で、それっきり三島さんとは連絡がつかない。携帯電話も不通になっている。なぜここまで来たかと言うと、協議会のプレゼン開始時間と被るんだけども、その会場であるはずのホテルベストインが、会場ではそういった説明会は行われてないし、インターコスモでは全く予約も入ってないという返事なわけで・・・・・」

「ええ?そ、そんな、突然、強盗とか言われても・・・・」

日常業務と関わりのない非現実的なことを言われ、悠紀子は完全に眠気が吹き飛んでいた。

「それに、ホテル側が何も知らないって、・・・・ありえないでしょ」

悠紀子はいささかヒステリックに言った。

「うん、しかもそれだけじゃなくて、会場の手配をお願いしてたセジョン旅行も音信不通になってる」

ナチュラルブラウンに染めた髪をかきあげながら、悠紀子は理解しようにも理解しずらいことの連続で、考え込むように黙り込んでしまった。

二人を乗せたタクシーは、ソウル市内の中心街に入って行き、多くの屋台が並ぶ南大門(ナンデムン)から芋の子を洗うような人混みで賑わう明洞(ミョンドン)界隈を通り過ぎ、忠武路街にある目的のホテルベストインに着いた。


その頃、大崎は博多区東公園にある福岡県警察署に三島の行方不明の捜索願いを出しに来ていた。

「手掛かりは、このメールの文面だけですか?他には」

応対に出た福岡県警刑事部捜査一課の西田隆一は、たったこれだけなのかとでも言いたげに無愛想に答えた。

失踪人の捜索は、生活安全課や地域課でもやるが、誘拐や事件絡みで抹殺された疑いがあるなど本人に動機のない行方不明は刑事部捜査一課が中心となり行われる。

「ええ、これだけです。それと説明会の会場予定になってるホテルが全くの知らぬ存ぜぬなもんですから.....」

大崎は鷹揚に答える西田に対して立ったまま答えた。

西田は短く刈り上げた頭を大崎の方へ向け、受け取った紙に目を落としていた。

「会場が急遽変更になったとか、いたずらメールということもあるでしょうし」

「仕事で行政関係の方達も一緒に行っていて、いたずらはないでしょう。それに会場変更の場合は本人からこちらに連絡があるはずですから」

大崎はちょっと憤慨気味に言った。

「・・・・・・わかりました。国外でもありますから、韓国領事館を通じて捜索願いを出すようにしますが、いまあちらに行かれてる社員の方から何かわかったことがあったら、すぐに連絡して下さい」

西田は往々にしてこの手の捜索願いの場合は、不正か何かを働いた社員が蒸発するか、女と駆け落ちしてたとか、とにかく人騒がせなケースがほとんどであることをよく知っていた。ましてや韓国でのことで事件でもないし、ことさら今すぐに動けないな、と思った。

大崎は、西田のやる気のなさを重々承知していたが、取りあえずは届け出だけでもやっておかないと、と思いながら申請書類に必要事項を書いて提出した。

そして、大崎もまた、きっと何かの手違いか、何か不測の事態で強盗とは関係ない話だろうという気持ちに傾いていた。


若菜祐樹と前村悠紀子は、ホテルに着くや否や、フロントへ行きすぐに聞いた。

「日本のインターコスモという会社ですが、今日の十一時からこちらの会場で旅行代理店への説明会を行っているはずですけど、弊社の担当者を呼びたいのですが」

フロントの女性は、にこやかな笑顔で応対した。

「はい、インターコスモ様ですね。少々お待ち下さい」

受付の女性はメモ書きを持って、事務所奥に消えた。

待つ間、若菜は後ろを振り向き、フロアの様子を窺った。日本人観光客らしき人達が数組立って談笑している。これからソウルの街へ繰り出す段取りでも話しているのか、みんな終始にこやかである。若菜は、ひょっとしたらこの中に三島がいるかもと思いロビーを眺めていた。

ほどなくして、黒縁の眼鏡をかけて髪を七三に分けた太り気味の男性フロント係が応対に出てきた。

「お待たせしました。誠に申し訳ありませんが、インターコスモ様では、予約は入っておりませんし、本日会場でそのような説明会も行われておりません。どちらか別のホテルとお間違えではないでしょうか」

「いや、予約の申し込みを行ったのは、実際にはセジョン旅行という会社ですが、正式にはインターコスモで申し込みをしてるはずです」

「そうですか.....手前どもでは、予約があると確認のメールを送信させていただいてますが、その予約メールは届いてますか」

若菜は、セジョン旅行を信頼していたので、直接ホテルに確認してなかった。

「いや、セジョン旅行にお願いしていたので、先方から予約しましたという連絡を受けただけです。直接そちらからのメールはいただいてないのですが・・・・・」

「それでは、私共もそれ以上は、何とも調べようがありませんが」

男性フロント係の答えは電話での応対と同じだった。

若菜は、それ以上追及しても埒が明かないと思い前村と共にフロントを後にした。

「若菜さん、説明会の会場は最初からここではなかったってことですか」

悠紀子は宿泊先である明洞のホテルへ戻るタクシーの中で若菜に聞いた。

「うん、でもそれだとプレゼン開始時間迄に三島さんから連絡があるはずだろ?それか、急遽変更で連絡する暇もなかったのか・・・・」

いずれにしても、今日はこれ以上どうしようもないため、二人は明日の朝一番から動くことにした。

「明日の朝からセジョン旅行へ行ってみることにしよう。じゃあ、明日八時半にロビーで」

若菜は、宿泊するホテルのフロントから鍵を受け取り前村に渡した。

「今日は、眠れそうにないです。まさか、こんなことでソウルに来ると思ってなかったから・・・・・・」

「うん、大変だけどよろしく頼むよ」

ため息まじりに言った若菜は、どこからどう調べたらいいのか、皆目見当がつかないままではあるが、ともかく何としても三島さんを探さねば、という思いだった。


セジョン旅行は、ソウル南東部の江南区(カンナムク)にあった。

江南区は、一九六三年にソウル市に編入後、郊外の農村だったこの地に区画整理がなされた結果、一九七十年代以降、おびただしい数の高層アパートが立ち並ぶようになった。その中には一軒あたりの面積の広い高級アパートも多く、高学歴層・専門職に就く者・中産階級や上流階級など、韓国において最も富裕な人々が暮らしていることで知られる。いわゆる江南の中心にある。

一九八十年代後半以降、高学歴層や土地長者、留学帰りの若者など裕福な人々の消費文化を背景に、狎鴎亭洞(アックジョンドン)に高級デパートや若者の集まるブティックなどが集積し、江南はソウルで最も高級で新しい繁華街として注目を集めるようになった。二十一世紀に入り、地下鉄江南駅や三成(サムスン)駅周辺は、大企業やIT企業が本社を置く高層オフィスビルが立ち並び、コエックス(COEX)など大きな国際会議場・展示場が位置するなど、韓国におけるビジネスや商業の新たな中心地となっていた。

若菜と前村は、セジョン旅行が入ったソウルメトロ二号線が走る江南区三成駅近くにある高層オフィスビルの前でタクシーを降りた。

「ここの二十三階に入っているはずだ。行ってみよう」

五階建てビルの高さほどあるロビーを通り、十台程あるエレベーターのひとつに乗り二十三階へ行った。

二人は、エレベーターを降りて、二十三階のフロア案内図のあるところに来た。

「え~っと、セジョン旅行、セジョン....あれ、ないですよ」

前村悠紀子は、間違い探しをするかのような顔をして言った。

「ちょっと待って、よく探してみて」

若菜も指でフロア図をなぞりながら言った。

ない!間違いなくセジョン旅行の表示など、どこにもなかった。

「若菜さん、どうしましょう」

悠紀子は心細そうに言った。

「前村君、このフロアの会社のどこでもいいから、セジョン旅行を知らないか聞いてくれ。あっ、それと、パク・デホの写真がある。メールで添付して送るから、それを見せてこの人を知らないか聞くんだ」

若菜はすぐに写真を添付して悠紀子に送った。

「わかりました」

悠紀子は小走りで、向かいにある会社に飛び込みすぐに受付に尋ねた。

「すみません、あのう、この二十三階のフロアにある会社でセジョン旅行という会社をご存じないでしょうか」

「セジョン旅行?いや、聞いたことないねえ」

応対に出た刈り上げカットの髪型をしたサラリーマンが答えた。

「それじゃ、この人はお見かけしたことはないでしょうか」

悠紀子は、携帯の画面を見せながら言った。

「うん?....ああ、この人はイ・デホ教授ですよ」

写真を見たサラリーマンはよく知っているという口調で言った。

「イ・デホ教授?ですか」

悠紀子は切れ長の眼を見開き、キツネに抓まれたようような顔をして言った。

「ええ、間違いなくそうですよ」

サラリーマンは断言して行った。

「あのう、教授って、何の・・・」

「彼は、コンピューターの権威ですよ。コンピューターのプログラミングに関しては彼の右に出る人はいませんからね」

サラリーマンは、自分の事のように得意げに言った。

「それじゃ、その人は今このフロアにいるんですか」

悠紀子は焦る気持ちでつい、尋問口調になっていた。

「いや、いませんね。先週から確かテジョン市に移動したと聞いてますけど。そちらへ行かれたらどうですか。場所はわかりますから」


パク・デホ(イ・デホ)は名前も職業も偽っていた。なぜにそうする必要があったのか。彼が予約したはずの会場は押さえられてなかったのか。そして、三島と会場に行ってるはずの関係者全員はどこへ消えたのか。

不可解なパズルが幾重にも重なり合い、高層オフィスビルから見えるソウル市内の黄砂で覆われた空が不気味な予感をさせていた。


その頃、日本では同時多発的大規模停電の原因について、連日メディアでの報道が過熱していた。

大規模停電の原因は電力会社のシステム障害によるものであるが、海外からのハッカーによる不正侵入ではないかと取り沙汰されていた。ハッカーが電力各社のコントロール制御に侵入し何らかのシステム障害を起こしたという説が多数であった。電力会社も、何者かによるコントロール制御システムへの不正侵入と発表していた。

大崎は、仕事帰りに立ち寄った小料理屋”和多屋”のテレビの報道ニュースを見ながらも、韓国からの若菜の経過報告を受けてどうしたものか思いあぐねていた。

「あら大崎教授さんは、今日もまたぼんやりと考え事ですか」

和多屋の女将、妙子が小鉢の料理を箸で整えながら聞いた。妙子は、すぐに考え込む大崎のことをいつも教授と呼んでいた。

「いや、何でもないよ。仕事がね...」

確かに仕事ではあるが、その仕事が予想外の展開を見せて大崎の許容範囲外になろうとしていた。

「でも浮かない顔であんまり詰めてばかりだと、ストレスが溜まるばかりでしょうもん。今日は三島さんとは一緒じゃなかったんですね」

妙子は大崎の杯に酒を酌みながら言った。

「彼は、いま韓国に行ってるよ」

それから先は話が長くなるからさすがに言えなかった。

「あら、そうですか、じゃあ今頃はあちらでおいしいもんでも食べとうしゃっとでしょうね」

「ああ、かもしれんね」

大崎は、注がれた酒を"ぐいっ"と飲み生返事で答えた。


若菜と前村は、テジョン行きの高速鉄道KTXに乗るためソウル駅構内にあるタリーズコーヒーの席にいた。パク・デホ(イ・デホ)を見つけるのは、COEXの会社で聞いた移転先の住所だけが頼りだった。

「彼が偽っていたことと、三島さんらがいなくなったことは何か関係があるんでしょうか」

悠紀子は若菜に疑問を呈した。

「どうだろうか、まだ何ともいえないけど。ただ....」

若菜の頭の中でぼんやりとだが、ひとつの仮説が形になろうとしていた。

「ただ、なんですか」

「三島さんらを襲ったかもしれない強盗一味とパク・デホが関係するとしたら、今回のプレゼン自体が何かの目的のための仕組まれた罠だったかも・・・・・・」

仕組まれたとは言っても、何の目的のために、地方公務員と民間会社の人間を拉致したところでどうなると言うのか、若菜は自問自答していた。

「もう時間だ、行こう」

KTXでソウルから約一時間、福岡からだと広島迄ぐらいの距離である。

果たして、テジョン迄行って結論を得ることができるのかわからないが行くしかない、普段であれば、スポンサーからの連絡に右往左往しながら仕事をしているはずなのに、列車に乗った二人はそう思いながら次々に消え去っていく窓の景色をぼんやりと眺めていた。


三島らが音信不通になってから二日目の朝だった。九名が拘束されて四十八時間が経過しようとしていた。

無機質な二十畳程の部屋に入れられ、トイレ以外は外へ出ることは出来ない。トイレも部屋を出て数メートル先にあり、監視付きなのでどうすることも出来ない。所持品はすべて取り上げられ外部との連絡は一切とれない状態である。一人であれば、精神的に参ってしまう状況にあるが、幸い全員九名いるので、たまに話をすると何かと気がまぎれはする。

ただ、それも徐々に疲労の蓄積と、今後の展望が開けない閉塞感で長続きはしない。

「三島君、確か今日で四十八時間になる。ということは、今日夕方には帰国予定だったから全員の家族や会社が連絡不在に騒ぎ出すんじゃないか」

中谷は、希望的観測を持って三島に問いかけた。

「それはそうです。四十八時間どころかすでに捜索は始まってるんじゃないかと思います。...実は、メール送信をギリギリのタイミングで出来たんです」

三島は、盗聴されてるかもしれないと思い、中谷へ小声で耳打ちした。

「えっ、メールを?何て」

中谷の声は急に大声になった。

「しっ、中谷さん、小声で。彼らが急に入ってきた瞬間、とっさに“強盗におそわれた”とだけ書いて会社へ送ったんです」

「本当に?じゃあ望みは持てる?」

三島に言われ急に小声になった中谷は顔を三島へ近づけた。

「それがどう伝わったかですけど、一縷の望みはあると思います」

本当にどう伝わったか、三島は確信が持てなかった。日常の仕事でありえない事柄を書いていたからである。これから自分達はどうなるのか、これはいわゆる人質のようなものだから、彼等強盗一味がどこかと何かを交渉するための人質なのか、あるいは、身ぐるみ剥れて抹殺されるのか、それは誰にもわからなかった。徐々に九名の疲労は限界に達しようとしていた。

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