おばあちゃんの折り紙

 誠士まさしは祖母の葬式のため親戚の家に来ていた。母の話では、この家が母方の本家にあたるらしい。一通りの儀式(葬儀場でのお経、喪主の話、火葬など)が終わり、一旦家に戻ってきたところである。祖母には小さいころからよく懐いていたので、訃報を聞いたときはとてもショックを受けた。最後にあったのは一年前だ。もう一度会って話したかったと後悔した。とても悲しかった。しかし、この家に来てから悲しみが薄れてきた。なぜだか祖母がまだ近くにいる気がしたのだ。祖母はここにいる。それは、だんだんと確信に変わっていった。

 そして今、誠士は退屈している。長時間何もせずに座っていたので疲れてしまったのだ。もう中学生なので顔には出さなかったが、じっとしていることにうんざりしていた。

 小さい子どもが法宴の準備をする大人の足元をうろちょろしている。小学1、2年生くらいの男の子。一見、利発そうだが、どこか抜けている感じもする。きっと普段はおとなしい子なのだろう、とぼんやり思った。それでも、子どもは子どもである。家に戻ってきて少し緊張が解けたのか、母親にまとわりついては煙たがられている。周りの大人は皆忙しそうにしていて、かまってやる暇はないようだ。可哀そうに思ったので、声をかけて一緒に遊んでやることにした。退屈しているのは誠士も同じだ。

 遊ぶといっても走り回るわけにはいかないので、部屋の隅で折り紙を折ってやることにした。誠士は小さい頃は折り紙が得意だった。最近発展している複雑で精巧な折り紙ではなくて、昔ながらの折り紙だ。中学生になってからはほとんど折っていないが、まだ思い出せるだろうか……。誠士は記憶を辿り始めた。


 まずは簡単な亀を折ってみる。我ながら上手にできたので満足だ。男の子も作りたそうにしているので、一緒に折ってやる。そして、何気なく話し始めた。

「亀はね、長生きだから縁起がいいんだよ」

「うん、知ってるよ。本当は万年も生きないけどね」

「昔は甲羅を占いに使っていたんだって」

「それも知ってるよ」

「物知りだね」

 知識があることを鼻にかけていて、可愛くない。自分も昔は生意気だったのだろうか。男の子と話しながら誠士は祖母のことを思い出していた。

 折り紙は祖母に教えられた。折っているものにまつわる昔話や、ことわざなどもたくさん話してくれた。それらは今でも大体覚えている。誠士は飲み込みが早かったので、よく褒められた。『お前は私の後継者になれるよ』と度々祖母は言っていた。意味も分からず『コウケイシャになる!』と無邪気に張り切っていたあの頃が懐かしい。今の自分なら、たかが折り紙と思ってしまう。


 次は、鶴。男の子には少し難しかったようで、たくさん手伝ってやった。男の子が一人で練習している間に、さらに誠士もいくつか折る。

「鶴は、天まで声が届くと言われているんだよ。夫婦円満ともね」

「知ってる。折り紙上手だね」

「おばあちゃんが教えてくれたんだ」

「鶴はちょっと難しいよ」

「そうだね。僕もきれいに折れるようになるまで、何回も練習したよ」

「おばあちゃんと仲良しだったんだね」

「とっても仲良しだったよ」

「僕はほとんど会ったことないんだ。だからね」

 そうか、祖母をあまり知らないのか。誠士は男の子を少し可哀そうに思った。

 誠士がまだ小さい頃、祖母は近所に住んでいた。おばあちゃん子だった誠士は、よく祖母に遊んでもらった。しかし寂しいことに、小学3年生になったときに祖母は遠くに引っ越してしまったのだ。その後は年に1回ほどしか会っていない。それでもたまに会えば、いつでも優しくしてくれた。祖母が引っ越した理由は記憶にないが、仕事の関係だと聞いたことがある。80歳を過ぎた祖母がしていた仕事を誠士はよく知らない。誰からも教えてもらったことがない。今思えば不思議である。年寄りが、一体何の仕事をしていたのだろうか。後で母に聞いてみようと誠士は思った。


 次は、カエルや、吹きゴマ、紙風船など動かして遊べるものを何種類か折る。折り方を忘れていないか心配だったが、案外思い出せるものだ。男の子もカエルを跳ばして喜んでいる。折って眺めるだけじゃなくて、実際に遊べるものが好きなようだ。

「やっぱり、誠士お兄ちゃんすごいね」

「ありがと。あれ?僕の名前、言ってないのによくわかったね」

「さっき教えてもらった」

「誰に聞いたの?」

「忘れちゃった。あはは」

「じゃあさ、君の名前も教えてよ」

「僕の名前はね……ないしょ。もっと面白いのを作ってくれたら教えてあげる」

 素直じゃない。やっぱり、なんだか可愛くない子どもだ。

 誠士の名前は、祖母が付けた。しかも祖母の名前から一文字もらっている。祖母の名前は誠子まさこという。物心ついてから、その話を聞いたときはとても嬉しかった。以来、自分の名前はずっと気に入っている。一時期、おばあちゃんと名前が同じだということを友達に馬鹿にされたりもしたが、全く気にならなかった。そう思うと、自分は本当に祖母のことが好きだったのだと改めて感じる。


 もっと面白いものを作れと言われたので、変形させた鶴を折ってみる。男の子がじっと手元を覗き込んできた。先程までと目つきが変わり、視線が誠士の指先に集中していく。まるで師匠から技を盗もうとする弟子のようだ。その眼は異様に熱を帯びていて、誠士は気圧された。折ったのは大きい鶴の尾の上に、小さい鶴が乗っている変わった折鶴だ。完成品を見た男の子は目を丸くした。

「村雲っていうんだよ。下の鶴が雲で、上の鶴が高い空を飛んでるように見えるでしょ」

「すごい、すごい!」

「練習すれば君もできるようになるよ」

「でも、とっても難しそうだよ」

「時間はかかるかもね」

「すぐにできなきゃ嫌だ!」

「地道に努力することも大切なんだよ」

「あ、そうだ!誠士お兄ちゃんの手をちょうだい。それなら、すぐに僕もできるようになるよ」

「それはだめだよ」

「なんで?お兄ちゃんの手があればできるよ」

「物はあげられるけど、体の一部はあげられないでしょ」

「そうかな~。できるとおもうけどな~」

「だめだよ。僕の手をあげたら、僕が困るもの」

「手くらいいいじゃん。ケチだな」

「でも折り紙を折れなくなっちゃうでしょ」

「その分、僕が作ってあげるよ。だからさ、お願いだよ」

 男の子がしつこく食い下がってくるので、誠士は少し面倒くさくなってきて、こう言った。

「じゃあ、これで騙されなかったら、僕の手をあげるよ」

 誠士はだまし船を折ると、帆の部分を男の子に持たせる。

「絶対帆を放しちゃだめだよ」

「うん、わかった」

「目をつむってね。1・2・3!はい、目を開けて」

「あ!持ってる場所が変わってる!」

「はい、残念でした。僕の手はあげられません」

 この話は終わりと、誠士がさりげなく流そうとすると、

「なんちゃって、僕これのタネ知ってるよ」

 と言って、男の子はだまし船を誠士の手からさっと取り上げた。そして可動部をパタパタと動かして見せる。

「本当に何でも知ってるんだね」

「まあね。でも、そんなことはいいからさ」

 ますます可愛くない男の子の瞳の奥が怪しく揺れる。そして突然、不自然に低い声でこう吐いた。



「貴様の其の手を早く寄越せ」




 誠士の中で、先程から感じていた違和感が一瞬で恐怖に変わった。触れてはいけないものに触れてしまったことを、第六感が察した。そうか、そういうことだったのか。感情が恐慌状態に陥る一方で、逆に情報は整理されていく。そして、半ば無意識に手が動き始めた。

 以前、何度か祖母の友人の家に、遊びに行ったことがある。友人と言いながら、祖母も相手も他人行儀で、幼心におかしいと感じた。その時も祖母は紙を折っていた。いつになく真剣な顔で。こんな記憶、今まですっかり忘れていた。

 祖母に教えてもらったそれを必死で思い出す。『相手に自分の恐怖を感づかれないように』という祖母の声がよみがえり、テキパキと紙を折るしわくちゃの手がよみがえる。これまでに無いほど正確に、素早く折り目がついていく。

 誠士の手は勝手に動いて、瞬きする間にそれを折り上げた。

「さあ、できたよ。最後にこれをあげる」

 震えそうになる声をなんとか抑えて、誠士は折り紙を強引に手渡した。

「うわっっ。あ、ありがとう……」

 最後の折り紙が男の子の手に触れた瞬間、と音がして元の無邪気な笑顔が戻った。これで正解だったようだ。誠士は心底ほっとした。

 最後に折ったのは、足が三本ある黒い鳥だった。『八咫烏と言ってね、導きの神様なんだよ。烏は黒いけれど、太陽の使いでもある。誠士が困ったときには、道を照らし、闇を払ってくれる』確か祖母はそう言っていた。

 すっかり元の様子に戻った男の子に誠士は名前を尋ねた。

「それで、君の名前はなんていうの?」

「僕は、真人まことだよ」

「いい名前だね」

「うん。遊んでくれてありがとう」

 そういうと真人は、自分の母親のところに駆けて行った。

「見てー、お母さん!誠士お兄ちゃんに作ってもらったよ。これお母さんにあげる!」

「あー、はいはい。かわいいわね」

 未だ忙しそうな真人の母親は、よく見もせずに折り紙を近くの机に置いた。すると折り紙は、近くを通り過ぎた人の裾にあたって、机の下にあったゴミ箱に落ちていった。不穏な空気がじわりと広がる。

 真人は何もなかったかのように、にこにこ笑って誠士を振り返った。きらっと眼の奥が光る。真人の口が「ツギハ、オマエカ」と動いた気がした。誠士の背筋がぞくりと震える。これまで知らなかった世界が大きく口を開けていた。

「怖いのか誠士?」と自分に問う。そのとき、思わず振り向きたくなる程はっきりと、祖母の気配を背中に感じた。

「おばあちゃんがついている。僕は後継者になるんだ。これは武者震いだ」もう一人の自分が答える。

 こうして誠士の戦いは始まった。

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