謹慎


「貧乏の良いところは、変な人につけ狙われないことよね。財布が軽くなるほどに心が自由になるわ」


「貧乏がすぎると米櫃こめびつから破れ家具までを持ち出されますよ?」


「そうそうないよ」


 ほのぼのと朔は朝茶に塩を入れて、湯呑みを傾けた。こくりと小さく喉を鳴らす。福が増した気がした。


 朝にいただくお茶は、今日一日の災いから守ってくれるものだ。飲み忘れると縁起が悪い。故に朝茶だけはたとえ大災害が起きたとしても止めないだろう。


 畳に座る鷹爪が、対面で同じように茶を飲みながらほっと一息洩らしていた。


「貧困は必ずしも憎むべきものではないと?」


「そうそう。それにたとえ無一文になっても私という財産が残っていれば良いと思うな。あとは笑いあえる家人がいれば大満足だよ」


「そうですか。富くじの全てを町の復興に当てたことに後悔はないのですね? 少しも手元に残さず、挙げ句のはては安請け合いの大盤振る舞いのうえ詐欺にあわれたのに……反省もないのですね?」


「たしかに懐は干からびたかのようにスカスカだよ。でも火事で燃えてしまうよりは有意義な使い道じゃないかな?」


 どちらにせよ宵越しの銭を持たない方がよいと朔は思っている。盗人に目をつけられては迷惑だ。お金を預ける機関でもないかぎりは大金など危険な爆弾でしかない。


 そう思い清清しい顔をすると、鷹爪が綺麗な顔を般若のように一瞬歪めてから盛大なため息を落した。


「では、そろそろ現実をお話しましょう」


「その前にご飯を片しましょう。それと私は茄子のヘタも集めたいし」


 ここの町の者は火事が怖いので、一日分のご飯を朝にまとめて炊く。玄米や雑穀は腐りやすいので、用意するのは白米だ。


 その一日分の食料に蠅がたかりでもしたら、気分が泥沼の中に沈む。また、退治に追われることもしたくない。腹を叩いて蛆とお目見えした日など白米を敬遠したくなる。

 早く蝿帳に入れて食料を守りたいと朔は腰を浮かせていた。


「ご安心を。飯の方は先程蝿帳に入れておきました。茄子のヘタは朔さまが飼っている動物の餌にしようと皿に避けてありますよ。見ていたでしょう?」


「鷹爪が透明になっていたから見えなかったかな?」


「ご冗談を」


 咄嗟にうまい嘘がつけない自分に朔は苦笑した。


 たしかに同じ部屋にいて相手の動きが見えないなどありえない。


 この家の隠れられる場所を挙げるならば枕屏風で囲った寝床だけ。行灯、鏡台、火鉢に箪笥たんすに蝿帳。そして家族分のたらい。朔に親はいないので二個ぽっきり置いてある。物が少ない部屋だ。


 ここは長屋。


 それぞれ独立した二部屋程度の九尺二間ある住戸とした物だ。ここで朔と鷹爪は共同生活を送っている。


 中層以上の商家などは表通りに独立した店を構えているが、朔たちはそれ以外の町人であり職人。ほとんどが裏町の長屋に借家住まいだ。


 大家は親も同然。店賃たなちん店子を家持ちにおさめるのもまた当然。


 そのお金の分愛情があるのか本当の我が子のように扱ってくれる。居心地はそこそこの良き空間である。


 長屋は部屋を並べているような母屋だ。全部が似たような構造で、それぞれの住戸には入口の近くに台所となるかまどや流し台、水瓶がある。そこが土間であり、残りは畳敷の生活空間だ。


 そこで、朔が掃除のために茶殻を撒けば部屋を汚す子ども、はたきを掛ければお遊戯に見えるそうな。身長の小さな朔が白米を炊いたお釜を持ってぴょんぴょんと跳ねていると呆れられる。

 

 必ず鷹爪に火事全般を奪われるのは朔が不満としているところだ。


 悔しいのでできるかぎり見ないふりをしている。


 ご飯は勝手に出てきて勝手に消えるのだ。


 そう思わなければやっていけない。共有空間で仕事を分担できない悔しさに負けてしまう。

 女の子として家事一般はできるつもりだが、身長だけがどうしても足りない。包丁を持っていても周りが心配しない老けた顔が欲しいと常々願っている。


 ちなみに炊事場の隣はすぐ玄関。直接接道など外界に接している。外には溝があるので慌てて飛び出すときには要注意だ。

 その玄関は他の住戸と共有していないので自分の部屋のように気楽にくつろげる。


 だがお隣とは家が繋がっている。


 声が漏れ聞こえるほどに。いざとなれば隣人同士で助け合う。長屋住人の絆は極めて固い。病気の者がおれば篭屋が医者を迎えに走る。

 だが、悪く言えば色事にふけると丸聞こえなので気をつけねばならない。


 火事あった当日でも長屋の家族は朔と鷹爪を迎え入れ、優しい言葉をかけてくれたものだ。


「お隣にすむお菊さんの話では朔さまの店に放火した者がいるとの話でしたね」


「私も火事の噂を大家さんから聞いているよ。なんでも倒壊した現場を掘り返す人がいたとかなんとか……」


「それは私ですね。使えるものが残っていないかと探しておりました。それよりも放火犯を探しますか?」


「……止めておこうかな?」


 此度は朔の店が燃えた。


 それは絶望がのし掛かるかのように辛い出来事だった。従業員の殆どが焼死したのだから、今でも心が痛む。

 

「従業員の大半が焼死したのにですか?」


「うん」


 朔は見世物小屋を展開していた。珍しい動物を博覧してもらい日銭をひび稼いでいたのだ。言い換えれば動物図鑑を営んでいた。多種類の動物に曲芸を教え陳列していた。


 一度見ておけば孫の代までの語り草。見せることで救い、救われる。そんな浄化としての見世物である。


 町人も普段見れない動物を見るのは愉しかったのだろう。お客が絶えずそれなりに盛況だった。


 しかし、朔の集めた動物は体が欠陥している捨て猫や鳥が多い。それでも前向きな猫や孔雀やペリカンたちと頑張って来たのだが、檻の中にいたために火事に巻かれて天へとつれて行かれた。


 動物に芸を仕込んだ。


 お客様への心構えを根気よく仕込んだ。


 命を預かることを生業としていた。だが、それは殆どが消し炭となった。この悲しみの渦は深い。


 二十匹を越えて賑わっていたお店の動物たちも、今は立ったの二匹。その子は今土間で丸くなっている。


 二匹の周りはいつも厳かなほどの静寂に包まれていた。


 どこの誰がやったのか刃物で喉を斬られ生き埋めにされていた小型犬、茶茶ちゃちゃ。命はとりとめたが声を出せない可愛そうこだ。

 いつも山吹の手拭いを傷の残ってしまった首に巻いてやる。大人しくも、どこか賢い名犬だ。


 もう一匹はナマケモノのりょく

 一日のほとんどを木にぶら下がり過ごす餌を全く摂らず、風から栄養を摂取する動物だと考えていたが、草を食べる姿に初めは驚いたものである。


 その子たちを見ていると何度も悔しさがこみ上げる。しかし、朔は無理に放火犯を探そうとは思わなかった。脳が行動しようとしない。何かを恐れている。


「火事は重罪だもの探したら死罪になる。そんなのは見たくないかな。それに私たちは平日失火の火災の軽度による罰として、十日間の押込の罰を申し渡されたんだよ? もういいと思わない」


「……そうですか。では、私の心にだけ放火犯がいたと止めておきましょう」


「なぜ、こだわるの?」


「納得できないからですよ」


「そう……」


 水の神が作り給うたこの国は火の手をとことん嫌う。放火は町中を馬で引き回しの刑となる。依頼放火は火炙りの死罪。平日失火は災の軽度によりけりだが、十から三十日間の押込となる。


 故に朔たちは謹慎を申し使っていた。だが、放火犯を目撃した証言により今は名目だけのものだ。長屋の外へ飛び出しても問題はない。もちろん町をお散歩しようとは思えなかった。


「現実逃避はもう十分でしょう。朔さまはご自分の店が燃えたのですよ。そろそろ今後の身の振り方を考えてください」


「そう、だよね……」


 富くじを使いきったことで起こる問題もある。零落して困窮しているのだ。

 今日は良くとも、明日は路頭に迷うかもしれないといった、漠然とした恐怖が常につきまとっているのだ。


 朔は土間で過ごす、火事の中辛くも生き残った店の従業員を見た。おいでおいでと手を振ると茶茶が朔の膝の上に乗ってきた。

 柔らかい毛並みを撫でながら朔は言葉を紡ぐ。


「この子たちの食費を考えないとね」


 急な失業。無一文。にもかかわらず養い子がいる。鷹爪に今後を心配されても仕方のないだろう。


 もちろん艶宿の戸を自分で叩く勇気はなかった。

 自暴自棄になるほど人生を投げたり悲観したりもしていない。ならば必要なのは心の準備のみである。


「商売をするか、または貴人や金持ちに雇われて生活の礎にするか、どちらになさいますか?」


「私は……商売をしようと思う。富くじを当てた神明宮の参道沿いで水茶屋を開業したいかな」


「峠ではなく町中にですか?」


「そうよ。露天か掘立小屋での開業を考えているの。それなら費用は安くすむよね」


 朔はすくりと立ち上がっていた。目指すは蝿帳。


 中にある茄子のヘタを取り出した。


「もうすこしで謹慎は解けるわ。それから人を生かす茶のお店を始めましょう。まずは茶葉を用意しないとね」


「茶葉と言いながら、茄子のヘタを持たれても説得力はありませんね」


 おやつを探す子どもにでも見えたのか、鷹爪に茄子のヘタを奪われ朔は少しむっとする。


「駄目だよ。私の趣味は不可侵の約束でしょ」


 強気に出て茄子のヘタを取り返す。


 茄子のヘタにはイボや歯槽膿漏しそうのうろうなどに効く薬効として知られている。おやつにならなくとも使い道は多用にある。取られたくはない。


「それで鷹爪はどうするの? 口入れ屋に足を運んで仕事を斡旋してもらうのかな」


「いえ、私は特に金銭が入り用ではないので、朔さまに同行します」


「そう」


 今は黙って新たな一歩となる門出を喜ぶことにしておいた。家人からの反対はないようだ。


 復讐よりも生活費。それが朔のすべて。今はそうである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る