薬膳茶で一服の
@nripusy
富くじ
遥かな昔。
どこまでも続く世界の終わりは、紅色の紗をかけたように鈍く霞んでいた。灰色の空に水なるものが存在しなかった頃。
飢餓により人から
子の名は、
やがて子らは父の知恵を請い、父の力を伝心し、母の想いを継ぎ、摩可不思議な力を駆使して乾いた土地を潤したみくさを助けた。
やがて彼らは、人と交わり子を宿すもその天命に導かれ常世の国へと渡り行く。その四つの子、大気に溶け込み、土に帰り、水へと還り、人々の礎となる。
しかし、残された父は悲しみに暮れた。ままならぬ気持ちのままに、孫を受け入れる国を築いた。
子の名を預けた四水の国。それは千年の歴史過ぎし今でも神眼が遠き血縁の曾孫を見つめているという。
💧💧💧
いづれの御時にか。
染みの多い長屋の屋根を見上げて
「富くじって人生と似ていると思う」
齢十弱に見える少女朔は、擦りきれた畳にぺたりと座りこみ呆然と一枚の紙切れをいじっていた。正座している膝の上にある富札が憎くて憎くて仕方がない。手が震えてしまう。
「富くじを今日ほど憎んだことはないかもしれないかもしれないね。縁起の良い茶柱がぼっきり折れてお茶の中に沈んで行くかのように最低だわ」
「しばらくは塩をなめて暮らすことになりそうですね」
朔の言葉に同意を示したのは、長屋の同居人。年の頃は二十ほどの青年、
朔は男と同居していることになるが今のところ浮いた噂は出ていない。
なにせ朔は子どもにしか見えず大人びた彼のあぐらの中に収まっても違和感がないほどだ。親子にしか見えないとのもっぱらの噂でありありがたいことだった。
彼は苦茶を飲んだかのように顔を歪めている。
問題は富くじにあった。
それは一攫千金を夢見る者たちが端金を集めて買う、宝のくじである。
買わなければ当然当たらない
当たる事を願いながら、あるいは諦めを持って大衆は購入する。
それが富くじである。
富くじで心が踊る庶民は多い。それは様々な夢を呼び起こす。しかし、その競争率たるや猫の額ほどもない希望。
なにせ一等の褒賞金は百両。
一両あれば一石の米が買える。一石はおよそ一人の人が一年間に食べる米の量。百両あれば食うに困らないのは間違いない。
そんな夢の札をそうそう手にはできないだろう。
それでも当たる気満々の庶民は夢をもたらす富札を手に神社に押し掛け、人混みで半分潰されそうになりながら狂わんばかりの狂喜にて、抽選の番号を待つのである。
都に住まう民の多くは、貧しくも食べるに事欠くことのない生活を送っていた。しかし、彼らとて己の生活に不満や不安がないわけではない。だが、水の帝や雲上人に訴える勇気もない。
その日その日を刹那的に生き抜く者たちは、生き辛さや世知辛さを、一時だけでも忘れさせてくれる娯楽を求め富くじへ殺到する。時には夢に惑わされ大枚をはたき身を滅ぼす者まで現れる。
大金を手にする事ができる人はほんのわずかなどだと知りながらも、その可能性にかけて。
そして、そのわずかな幸運を引き当てたのが朔であった。初めはお気楽な道楽程度だった。
抽選の当日は先程。
重々しい太鼓の音から始まり僧侶の読経に続いて、寺社奉行の役人が入場、箱を点検すると共に中を良くかき混ぜていた。進み出た僧侶が箱に入れた木札を
余談だがその手法ゆえに富くじは別命、富突きと名付けられている。
最後の札が『突き留め』と言い100両が当たる金の札である。
その時を今思い返しても気まぐれで買ったとしか思えない最後の百両富を前にして朔は『鶴の千二百三十三番かぁ。当たる人がうらやましいなぁ』などと呑気な言葉を紡ぎ軽い気持ちで札と番号を一字ずつ確認していたのだ。先程までは。
しかし、今ではあまりの行幸が恐怖を呼び家人の鷹爪と共に長屋で震えていた。
「富突きの当たり札。これは大恐慌の前触れですね。私と朔さまはこれから家を失い、食料も手に入らず道端にて野垂れ死ぬことでしょう」
「縁起でもないことを言っては駄目だよ。……でも、色々と警戒しないといけないかな。私が現金を手にするとなぜか不幸が重なるもの。鷹爪、あした私の代わりに受け取りに行ってきてくれる?」
「御意に」
男が百両を取りに行くのだ。よからぬやからの対処も万全と言えるだろう。
富くじは、当たった木札に対応した紙札『富札』と交換、賞金を受け取る。
それは通常翌日交換に行くのが規定である。
ちなみに百両が当たったならば、一割の十両が奉納金として没収され、さらに次の富を五両分買わされる。祝儀として神社寺院関係者や札売りに五両引かれ、結局二割が天引きされる。
残りの八十両が受け取り賞金だ。
「富くじの八十両は何に消えるのでしょうか?」
「そうそう変なことは起こらないでほしいけれども」
「いえ、朔さまが考える使いみちをお聞きしたいのですが……」
不意に鷹爪が言葉を止めたのは外がうるさくなったからである。半鐘が連打で鳴らされていた。
それは火事が起きている合図。半鐘が一回だけだと現場は遠い。二打の場合には大火になる恐れがあるという知らせ。
そして此度の連打は、火元が近いことを知らせている。外から地震が起きそうなほどに慌ただしい逃げ惑う足音が聞こえた。
「嫌だ。私が富くじを手にしたから周りに不幸が……」
「朔さまはお金を見ると不幸になる。そして、お金のために不幸になる、変わった星をお持ちですからね。こんなこともありましょう」
ありえない。そう朔が青ざめていると長屋の入り口が開かれた。血相を変えた長屋の隣人がのっぴきならない早口で挨拶も詫びもなく口を開いていた。
「大変だ! お朔。鷹爪の店から煙があがっているよ!」
「そんな!?」
「あのお店から煙? 火の手など上がるはずがないのですが……」
「そんな場合じゃないでしょ! うちの子たちが!!」
恐慌とした。朔は素足で外へと飛び出した。状況の鱗片を探す。桶を持って走る一家の主たちが流れるように黒い煙を目指している。人の言葉は何よりも速い連絡網。素早く耳を澄ませた。
「火消しを呼べ!」
「黒い煙が上がっている。火消し、
水蝋は町の火消人。火事を鎮火するために『い、ぼ、た』でそれぞれの組を持つ火消だ。町の大人数が所属している。
その組が消火のために走る。
あまりの俊足に追いつけない朔は走りすぎで頭がくらくらしていた。それでもなりふり構わず必死に駆けるしかできなかった。
着物の裾が楚々と歩けと抵抗してくる。それがあまりにも歯痒い。たくしあげた。
「迅速・いの一番のい組が出るなんて。店のみんな。いま行くから無事でいて」
店のことを考え朔は背筋がゾクリと粟立っていた。
ここは火事が頻発する。長屋づくりで狭い土地に密集して町ができていたために、一度火災が発生するとあっというまに近隣にまで燃え広がってしまう。
故に火消しの仕事は火事を消すことではく破壊活動なのだ。
急速に広まる火を止めるために、火を消すのではなく、火元を破壊したり、隣の家をつぶしたりして、火事の広がりを抑えるのだ。
それは速さが命。
では建物の中にいる者はどうなるだろうか。
火に巻かれていれば希望はない。たとえその最悪の事態になっていなかったとしても倒壊に巻き込まれてしまえば未来は消える。
赤い火を放ち黒煙を放ち続ける朔の店。
全身にたっぷりと水を被った火消したちが慌ただしく走り回っている。また、ありとあらゆる人間が野次馬となりひしめき合っている。人垣が燃える家を守るかのように取り囲んでいた。
朔の小さな体では割り込めない。それでもなんとか飛び込むと覚悟を決めたとき、家が倒壊した。
やがて消し旗が屋根の上に立てられ町火消し水蝋の勲章となった。
しかし、今日ほど火消しがいらないと思った日はない。いつもは素早さを誉め惜しげもなく拍手喝采を浴びせるのだが、そんな気にはとうていなれなかった。
夢を手に入れた朔は、同時に現実を失っていた。
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