第4話【3】鬼の門

「転入生の女の子に負けたという噂は本当なのかい?」


 風紀委員長の伏見は、旧校舎の校長室に入って来るなり、強い口調で言い放った。どこか不機嫌さが感じられる。いつも沈着冷静な伏見にしては珍しい。北野の事件の時でさえ、もっと落ち着いていたと、華子は記憶している。


「いえ、それは……誤解だとは思うんですけど」


 桜花堂学園高等部一年、風紀委員( 暗号屋出向中)の鳥羽華子は、その勢いに気圧されながら、どう説明すべきか悩んだ。


「新たに探偵屋を開業した転校生に勝負を挑まれた末、暗号屋が謝罪した。学園内で、もっぱらの噂になっているけど」


 おそらく噂の発端である探偵屋の千代は、一言も嘘を吐いていない。ただ聞いた相手が勝手に勘違いするよう、故意に重要な部分を省略しているに違いなかった。


「探偵屋の知恩院千代が作成したパズルに挑んだ暗号屋(の鳥羽華子)。宇徳安吾は知恩院千代に『ごめんなさい』と(正解を)伝えた」


 あとは尾ヒレを付けて、噂が勝手に一人歩きしてくれるのを待つだけ。もちろん彼女の目的は、この学校に新規参入した探偵屋の宣伝にあることは言うまでもない。


 ただし風紀委員の立場からすれば、暗号屋と探偵屋が勝負の末にどちらが勝ったとか、そんなことは与り知らぬ話であるはず。問題があるとすれば、学校の備品を賭けの対象にしたことぐらいだろう。


 そのことにしたって、依頼の報酬として自分の部下を差し出すことに比べれば、ずっと罪は軽いと思う。それに千代が言っていたことが本当なら、隣の職員会議室を探偵屋に提供したのは伏見だ。


「伏見先輩はどっちの味方なんですか?」


 その真意が分からず、華子は思い切って尋ねてみた。


「それは……中立だよ。中立に決まっているじゃないか」


 普通に質問しただけなのに怒られた。


「言いたい奴には言わせておけ。今さらこちらが何を言おうと、第三者には負け惜しみを言っているようにしか聞こえないだろ」


 今まで背を向けていた安吾が、くるりと校長用チェアーを回転させて言った。


「それで良いのかい?」


 デスクの前まで進み出た伏見は、デスクに手を衝いて言う。華子にはその姿が、学校から泣きながら帰ってきた子供を玄関先で出迎えた母親に見える。


 お菓子作りが趣味の伏見は、結婚すれば良いになりそうだった。


「まんまと罠にハマったのは本当のこと。その真意を見抜けなかったのは俺のミスだ。静かにじっと待っていれば水に浮く体だって、どうにかしようとジタバタ手足をむやみに動かせば水中へと沈んでいく」


 たしかに安吾が言うことも分かる。もしもこちらが少しでも周囲に事情説明をしようものなら、彼女が録音した安吾の 「降参を示す『ごめんなさい』だ。何度も言わせるな」という台詞が公表されることになるだけだろう。


「それでも許せることと、許せないことのラインがあるだろう」


「ああッ、もうちょっと冷静になってくださいよ。今日は何か用事があって来たんじゃないんですか?」


 華子は興奮した伏見の前に割って入り、場の空気を入れ替えようとした。伏見が風呂敷包みを手にしているのを見て、本当の用件は別にあると踏んだわけだった。


「そうだったね、僕としたことが取り乱してすまなかった」


 伏見は煮え切らない安吾の態度に落胆の溜息を吐いた後、応接テーブルの上に、その風呂敷包みを置いた。


「さて本題に入ろう。今日は入院中の北野先生に頼まれて、その代理として安吾に依頼を持って来たんだ」


 そう言って包みをほどくと、お中元のハムが二つ入ったセットぐらいの木箱が現れた。片手ではちょっと心許ないが、両手なら軽く持てるサイズ。テレビのお宝鑑定番組で見たことがある。こういった箱の中身は、皿や茶器などの焼き物と相場が決まっている。


「北野先生の御実家で、蔵の整理をしていたところに出てきた物だそうだ。これが本物かどうか。安吾に鑑定してもらうように言われたのだけど」


 そして木箱のフタ部分には筆による草書で何か書き込まれていた。かすれて消えかけている箇所もあるが、読めないほどじゃない。


「この弥一郎さんというのは、北野先生の御先祖様にあたる方だそうだよ。立派な方だったらしい」


  ―――――――――――――――


日露戦争での功績を認められ、

明治天皇より勲章と共にこの品を賜る


   明治三十八年十一月  北野弥一郎


  ―――――――――――――――


 ずいぶんと由緒正しい物らしい。華子の記憶が正しければ、そこに記されている日付は、日露戦争が終結した翌々月。日本史の教科書にも載っていた。


「へえ、安吾先輩は骨董の鑑定まで出来るんですね」


 感心する華子。しかし安吾はチラッと木箱を見ただけで、平然と言ってのけた。


「そんなものできる訳ないだろう」


 これには華子だけでなく、伏見までが驚いた。


「えっ……じゃあ、どうして北野先生は安吾に鑑定を頼もうとしたのだろう。とにかく中身を見てから……」


 伏見は丁寧な手つきでフタを開けようとする。


「見たって同じだ」


 安吾は手のひらを突き出し、それを制止した。


「最初から諦めるなんて安吾らしくない。やっぱり新入生に負けたことを引きずったままでいるんじゃないのかい?」


「俺がそんなセンチメンタルに見えるのか?」


 伏見は肩をすくめながら首を横に振った。


「だったら小太郎、その鑑定依頼を隣の探偵屋へ持って行け。きっとそのほうが良い結果を生むはずだ」


「本当にそれで良いのかい? 後悔しないんだね」


 安吾との付き合いは華子よりも長く深い。その性格については華子以上に知っているはず。


 いくら言っても無駄だと根負けした伏見は、結局のところ箱の中身を一度も安吾に見せることなく、重い足取りで部屋を後にした。


「ちゃんと小太郎が隣へ行ったか、ちょっと覗いてこい」


 安吾に指示された華子は、渋々ながら扉を数センチだけ開いて、廊下の様子を探った。伏見が職員会議室の扉をノックしているのが見える。


「千代ちゃんのトコへ入っていったみたいですよ」


 ほどなくして部屋の中へ消えていった伏見を確認し、それを安吾に報告。


「それで……安吾先輩は一体何を企んでいるのですか? いくら千代ちゃんが、解けない依頼があったら自分を頼ってくれと言ったからって……」


「あれは偽物だ」


「へ……? だって鑑定はできないって言っていたじゃないですか。それにどうして伏見先輩に教えなかったんですか。名誉挽回のチャンスをみすみす逃すなんて。いや、その前に安吾先輩は現物を見ていないのに、偽物だとか決めつけちゃって良いんですか」


 もう何がどうなっているのか、それすら分からなくなってきた。


 いくつもの疑問が次々に湧いては、後から押し寄せる新しい疑問に押し出されていく。そんなことがコンマ数秒間で繰り広げられると、華子の頭の中は空っぽになってしまった。


「ハナは本当に真面目だな。何でも素直に信じる」


 そう言うと安吾は、ホワイトボードの前に移動した。


 先ほどの骨董鑑定に関係ある解説が始まるものだとばかり思って見ていると、そこには絵が描き始められる。


 大きな砦に門が三つ。それぞれの門の前にはツノの生えた鬼が立っていた。丁寧なことに三匹ともトラ柄パンツを履いている。


「さて……世の中の楽しみを知らないまま、ハナは死んでしまった」


「いきなりッ! しかも死亡ッ?」


「問題の中での話だ。続けるぞ。ハナが死後の世界を進んでいくと、大きな砦に行く手を阻まれてしまった。どうしたものかと立ち止まって考え込んでいると、そんなハナに案内係の鬼が声をかけてきた」


  ―――――――――――――――


【案内係の鬼】

「あの砦にある三つの門は、それぞれ天国・地獄・現世へと続く門だ。どの門にも鬼が一匹ずつ門番を務めているのだが、一匹だけ、いつも必ず嘘を吐く鬼がいる。そして他の鬼は、絶対に本当のことしか言わない。さあ、好きな門を選べ」


【赤鬼】

「この門は天国に続いているぜ。生まれ変わったって良いことはない。この門を選べ」


【黄鬼】

「この門は天国でも地獄でもない。やり残したことがあるんだろ? だったらこの門だ」


【青鬼】

「この門はだけはヤメておけ。天国へはいけないぞ」


  ―――――――――――――――


「天国と地獄は言葉の通り、まさに天国と地獄。現世への門を選べば、別の人間として新たに生まれ変わることができる。嘘を吐いている鬼を見抜き、ハナが望む道を進め」


 どうやら出題された問題を解けと言っているらしい。選択肢の中から一つを「嘘吐き」だと仮定した場合、条件に矛盾が生じないかを考えていく。よくある論理ロジック問題だ。暗号屋の専門分野ではない。


「追加で鬼たちに質問するのはアリですか?」


「ナシだ。鬼たちは何か質問されても、同じことを繰り返して答える」


 ゲームの中で定められた言葉しかプログラムされていないNPCと同じだ。華子は各情報を簡潔にまとめる。


  ―――――――――――――――


【それぞれの鬼が言っていること】

赤鬼→天国

黄鬼→現世

青鬼→現世か地獄


【赤鬼が嘘吐きの場合】

(黄鬼・青鬼は本当のことを言っている)

赤鬼→現世か地獄

黄鬼→現世

青鬼→現世か地獄

   天国が存在しない。

   ※矛盾が発生する。


【黄鬼が嘘吐きの場合】

(赤鬼・青鬼は本当のことを言っている)

赤鬼→天国

黄鬼→天国か地獄

青鬼→現世か地獄

 赤鬼が天国、黄鬼が地獄、青鬼が現世。

   ※上記で成立する。


  【青鬼が嘘吐きの場合】

(赤鬼・黄鬼は本当のことを言っている)

赤鬼→天国

黄鬼→現世

青鬼→天国

 天国が二つで、地獄が存在しない。

   ※矛盾が発生する。


  ―――――――――――――――

 

 できるだけ余計な情報を除外していくと、答えは自然に見えてくる。


「矛盾が生じないのは黄鬼が嘘吐きだった時だけ。その場合、赤鬼が天国、黄鬼が地獄、青鬼は現世です。私は生まれ変わりたいので、青鬼の門を選びます」


「そうか……残念ながら、ハナの地獄行きが決定した」


 安吾は嘆いた。華子には安吾先輩が閻魔大王に見えた。だけども華子の答えは完璧なはずだった。嘘を吐いているのは黄鬼。


「まさか、この現世も地獄と変わらないってオチですか?」


「いいや、正解は『来た道を引き返す』だ」


「そんな馬鹿な答えがあってたまりますか」


 華子の抗議を遮る安吾。


「誰が『門を選べ』と言った? 俺は『望む道を進め』と言ったはずだ。忘れたのか? 以前にも鬼の門は縁起が悪いって話をしたことがあるだろう。ちなみに三つの門はどれも地獄へ続いている。つまり嘘を吐いていた鬼は、最初に出会った『案内役の鬼』だ」


 そんなのアリか?


 華子がそう思っていると、安吾は問題の意図を説明する。


「ようは中身に捉えられ過ぎて、外側に重要なことが隠されている可能性を忘れるなということだ。実際に問題と同じ状況に遭遇したとしたら、自分が馬鹿正直に、三つの門からひとつ選ぶか考えてみろ?」


「たしかに案内役の鬼も疑います。だってツノが生えていて、トラ柄パンツの鬼だもん。簡単には信じられない。話しかけてきた時点で逃げ出します」


「それでは、ここで本題に戻ろう。北野の鑑定依頼の話だ」


 危うく忘れるところだった。


「注目すべきは中身の真贋ではなく、箱に書かれていた文章だ」


 華子は先ほど目にした文章を、頭の中に思い浮かべた。


「明治天皇がその名前で呼ばれるようになったのは、大正時代に入って以降。つまり明治時代に『明治天皇』という名称が使われていることが、まず有り得ないことだ」


「なるほど、言われてみれば、その通りです」


 今の天皇を「平成天皇」とは呼ばない。だが将来、代替わりした後には、きっと「明仁様」や「明仁天皇」ではなく、そう呼ばれることになるだろう。


 天皇陛下の呼称なんて、日本の学校でも授業では習わない日本史だ。日本で育った華子でも気がつかなかったのだから、海外で育った帰国子女には無縁の知識。


 今頃、隣の部屋では中身を眺めながら、ウンウンと悩んでいるところに違いない。


「外側に嘘があれば、あとは三匹の鬼と同じだ。いくら話を聞いたって無意味。鑑定結果は『偽物』で十分だろ。というか俺は、そこらの骨董市あたりで買ってきたものを箱に詰めて、北野自身が偽物を作ったとさえ疑っている」


「北野先生が……ですか?」


「見る人が見れば嘘はすぐにばれる。真実なら飾り立てる必要はない。北野のヤツ、どうせ見舞客あたりから今回の噂を聞いて、俺のことを励ますつもりでメッセージを送ってきたのだろう。そんな手の込んだことをするぐらいなら、見舞い品のフルーツ詰め合わせぐらい、お裾分けに寄越しやがれって話だ」


 憎まれ口を叩いてはいたが、安吾の表情は嬉しそうだった。


 千代が校長室を訪れたのは、それから数分もしない内だった。


「暗号屋さん! ちょっと頼みたい仕事があるんだけど」


 あらかじめ安吾の指示で淹れておいたダージリンティーを応接テーブルに並べてから、華子は彼女を招き入れた。


「私なら簡単な依頼なんだけど、ホラ、最近ちょっとウチが評判になっているの知っているでしょ。おかげで他の依頼が沢山舞い込んでいて、一人じゃ手が回らないの。だから暗号屋さんにも仕事を回してあげようかなと思っちゃったりしたわけでさ」


「へえ、どんな依頼なの?」


 千代が抱えている木箱を見て、華子は笑いを堪えるのが大変だった。

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