第5話【1】校庭の数字
私立桜花堂学園で、またしても事件が起きた。
いつもと変わらない朝だと信じてやまない生徒たち。彼らが登校して各々の教室に向かうと、そこにあるはずの机がなくなっていた。高等部の一年生から三年生までの全クラスだ。
生徒たちは激しく動揺した。
でも彼らの机は、とても目立つ場所にあったので、すぐに発見された。
主に高等部の教室が入っている十二号校舎。その窓から校庭のグラウンドを見下ろすと、そこには自分たちの机を使って、巨大な数字の『9』の形が並べられていたのだった。
携帯電話の持ち込みが制限されていない桜花堂学園では、授業中にさえ電源を切っていれば、他の時間は自由に使うことが許されている。だからグラウンドから校舎を見上げると、その様子をカメラ機能で写真に収めようと、携帯電話を構えた生徒たちで教室の窓が埋め尽くされていた。
しかし一点だけ、生徒の顔が見えない場所があった。それが伏見や安吾が籍を置く、桜花堂学園高等部三年三組だった。
他の教室では登校してきた生徒の数が増えるのと比例して、声の総量も大きくなっていった。しかし三年三組だけは特別。いつまでたっても静かなまま。始業の時刻になってもそれは変わらなかった。
三年三組の生徒全員が、同時に失踪したのである。
数字の『9』に並べられた机、そして失踪した三年三組。今のところ二つの事件に関連性は見つかっていないが、偶然に同じタイミングで起きた別の事件だとは考えにくい。
机を並べた犯人は三年三組の生徒たちではないかという憶測も飛び交ったが、学校側が各家庭に確認したところ、その全員がいつもの登校時刻に家を出ていることが判明している。
つまり時間的な矛盾が生まれ、信憑性に欠ける短絡的な噂でしかなかった。
そして事情が分からない今の段階では、校庭に並べられた机を勝手に教室へ戻すわけにもいかず、あまりの異例な出来事に、本日の授業は中止にされた。それに次いで先ほど、騒ぎのあった十三号館の高等部だけでなく、中等部以下を含む学園全体を休校にする決定が下されたばかりだ。
部活動なども禁止され、ほとんどの生徒が学園の敷地から外へと追い出されている最中である。
桜花堂学園高等部一年、風紀委員( 暗号屋出向中)の鳥羽華子は、消えた三年三組の手掛かりが残っているのではないかと、旧校舎校長室を訪れた。
今回の事件との因果関係は不明でも、安吾が在籍するクラスの生徒たちが消えたのだ。無関係なはずがないと、華子は踏んでいた。
ただし華子にも、学校からは帰宅指示が出ている。教室を出た後、その足で旧校舎へ向かったことは、周囲には秘密である。
ところが……、
「よォ、ハナ。丁度良いところに来た。珈琲を淹れてくれ」
いつもと変わらないソファーの上、いつもと変わらない寝そべった体勢、いつもと変わらない口調で、安吾はそこにいた。
「ど、どうして? どうして安吾先輩がいるんですか」
「おかしなことを言う奴だな。ここが俺の部屋だからに決まっているだろう」
「おかしなことを言っているのは安吾先輩のほうです。今、この学園で何が起きているか、まさか知らないんですか。安吾先輩のクラスの人たち、みんないなくなっちゃったんですよ。なのに、どうして安吾先輩だけがいるんですか」
そこで安吾はパタンと本を閉じた。
いくつもの足音が聞こえ、この部屋の扉の向こうで止まったからである。かなり不躾な足音で、旧校舎に対する敬意に欠けている。華子はそう思った。
直後、勢いよく扉が開く。今まで誰が訪れた時よりも激しく、そして誰が訪れた時よりも威圧的な開け方だった。
「高等部三年の宇徳安吾くんだね」
華子の知らない男の人たちだった。学校の関係者は身分証明プレートを首から下げる決まりになっているが、それらしき物を身に着けている様子はない。つまりは部外者。
「ちょっと話を聞かせてもらいたいことがあるのだが、一緒に来てもらえるかな?」
まだ入室の許可が出ていないにもかかわらず、男たちはズカズカと奥まで足を踏み入れ、安吾のソファーを取り囲んだ。
「誰だ?」
「警察の者だ」
無愛想に尋ねた安吾に、先頭で入ってきた男が答えた。安吾は華子に視線を向ける。
「私じゃありません。通報なんてしていません」
ぶるんぶるんと大きく首を横に振る華子。
「でも朝から大騒ぎになっていることと関係しているかも」
北野が職員室で襲われた一件の際には、一般の生徒に情報は知られていない。だから学園は内部処理で済ませた。だが今回は事情が違う。全校生徒が事件の存在を知り、ひとつのクラスの生徒全員の行方が分からないままだ。警察に相談しないわけにはいかない。
「来てくれるね」
命令にも等しい確認。複数の刑事たちが立った位置から安吾を見下ろし、ジッと視線を外さないでいた。しかしその態度がむしろ安吾を頑なにさせる。
「強制ではなく、任意なんだよな」
「ああ、キミの言う通りだ」
「だったら断る。俺は行かない」
安吾が明白に拒絶すると、刑事は苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべた。
「そうか、ならば仕方がない。駆け引きをしている時間はないので、現在の状況と我々の考えをはっきりと示しておこう。この学園に先ほど、爆発物を仕掛けたことを示唆する怪文書が届いた」
「爆発物ッ?」
華子は驚嘆した。
学園内で現在起きている事件は、校庭に並べられた机の『9』と、消えた三年三組だけではなかったのだ。
これが真に生徒たちが自宅に追い返されている理由。
「その怪文書の一部に、暗号と思わしき一節がある。ここの生徒なら分かっていると思うが、この学園は広い。もしも爆発物が本当に仕掛けられていたとするなら、闇雲にその場所を探し回ったところで、おそらくは間に合わないだろう。つまり解決の糸口は、その暗号しかない」
「つまり安吾先輩に依頼したい……と?」
華子の問い掛けに、刑事は首を横に振った。
「この学園で暗号と言えば、暗号屋の宇徳安吾。質問した全ての相手がそう答えたよ。しかもキミは消えた三年三組の生徒だ。我々はキミが何らかの形で関与していると考えている」
刑事は言葉を選んでいた。けして「犯人だと疑っている」とは言わない。もしも間違っていれば後で問題になるからだ。「関与している」だけなら、後でいくらでも言い訳ができる。
ただし刑事の目は明らかに、安吾の犯行だと疑っていた。協力を仰ぐ態度ではない。
「ほう、学園全ての者が、俺を暗号屋だと認めたのか」
ムクリと起き上がり、安吾はソファーから立ち上がった。
「暗号について何か知らないかと、こちらから尋ねた相手からキミの名前が挙げられただけだ。全校生徒ではないし、暗号屋がどうという話ではない」
今まで強気だった刑事が、安吾に詰め寄られてたじろいだ。
「なるほど『桜花堂学園の関係者全員』が俺のことを『暗号屋だと認めた』のなら、刑事さんを無視するのは良くないことだ。この暗号屋宇徳安吾、事件解決のために話を聞こうじゃないか」
安吾は一部を強調して刑事に応じた。かなり強引な解釈だ。安吾は必ず後でこれを利用する。学園中が俺を暗号屋だと認めたからこそ、俺は警察に連れて行かれた……と。
「協力を感謝する。では後は場所を変えよう」
しかし警察の立場からすれば、暗号屋が公認か非公認かなんて知ったことではない。事情聴取さえできれば良い。迷うことなく数人の刑事が安吾を取り囲んだ。
すなわち華子の目の前で今、暗号屋が国家を通じて桜花堂学園から公認されたのだ。
安吾を連れ出す刑事たち。茫然と事のなりゆきを見守るしかできない華子。
「生徒たちの避難が始まっている。ここは中心部から離れているから心配ないが、万が一ということもある。キミも早くここから出なさい」
最後の去り際、刑事が華子にそう勧告してから扉を閉めた。
そして華子だけが一人、旧校舎の校長室に取り残された。廊下の足音が遠ざかっていく。そしてついには元の静寂が訪れた。
「どうしよう。でもまさか……でも安吾先輩なら十分にありえる」
安吾が犯人だとは思わない。
思わないが、安吾のイタズラがまだ続いている可能性は十分に考えられる。
たとえば刑事も仕込みで、部屋のどこかにカメラが隠されているのだ。そしてどこか別の場所で、オロオロとする華子を見て喜んでいるのかもしれない。
もちろんその場合、机の『9』も安吾の仕業となる。
そうやって考えてみると、さっきの刑事は身分証明を提示していなかったような気がする。自らが警察の者だと名乗ったに過ぎない。老け顔の演劇部員だったのかもしれない。安吾の人徳で協力する者はいなくとも、安吾の脅迫で協力させられている者なら沢山いそうだ。
「うーん」
華子は腕を組んで、打開策を考える。そして鏡の裏の小扉を思い出した。安吾が死体のフリをしていた時に見つけた物だ。
「秘密の扉、覗いちゃおっかなぁーッ」
わざと周囲に聞こえるよう大きめの声で言う。どこかで安吾が聞いているのなら、これで黙っていられるはずがない。
何か反応がないか様子を伺いながら、華子は例の鏡に手を掛けた。
「ヨイショっと。あー、開いちゃうな。このままだと確実に開いちゃいますよぉー」
安吾を焦らすつもりで華子は大きな声で喋り続ける。
鏡を床に下ろすと、以前にも見たことのある扉が再び姿を現した。指まで掛けて、華子はその扉を開く素振りを見せる。
「後で文句を言ったって知りませんからねー」
やはり返事がない。そう思った矢先、
「ニャー」
すぐ足下から突然の鳴き声。虎ジマ猫の虎島さんだ。
「うわぁぁッ!」
ダイナマイトを飲み込んだように、華子の心臓がドクンと大きく弾けた。
周囲の気配には気を回していたはずなのに、猫の忍び足は恐ろしい。虎島さんがそんな近くまで来ていることに、華子はまったく気がついていなかったのだから。
「大変な事件が起きている時だというのに、何を呑気に一人で遊んでいる? それとも日本で流行っている呪術か?」
腰を抜かして床の上に座り込んでしまった華子の前には、不思議な物を見る目で顔を覗き込む千代が立っていた。
「あまりにも騒々しいから様子を見に来たら、扉の前で、彼が中に入りたそうにしていたのよ」
それで千代は扉を開けてやったらしい。きっと今日の華子は虎島さんに挨拶する暇もなく、急いで玄関を通り過ぎたからだ。つまり虎島さんのほうから「何か大切な物を忘れてやしませんか」と、催促に来たわけだ。
「驚かせないでよ」
抗議の声を上げながら立ち上がる。しかし千代の興味は、そのわずかな時間で早くも他へ移っていた。彼女の視線は華子を通り越した先、後ろの壁に向けられている。その視線が意味するところに思い当たる華子は、慌てて振り返った。
両開き式の扉がゆらり。指を掛けたまま飛び退いたせいで開いてしまっている。
「お宝発見!」
開いた先にはバイクのヘルメットが収まる程度の収納スペース。
千代は扉の中身に目を輝かせていた。華子が初めて扉の存在を知った時に想像した通り、案の定、そこには手持ちタイプの簡易金庫が入っていたのだ。
錆び具合やデザイン的なことから、古い年代物だと分かる。おそらくは部屋の応接セットと同じく、安吾が占拠する以前からあった物に違いない。ただし金庫の中は、きっと安吾が暗号解読で稼いだお金だろう。
「駄目だってば。安吾先輩に見つかったら、どんな目に遭わされることか」
手を伸ばす千代を制止する。が、それを聞き入れるような千代ではない。
「暗号屋サンも、みんなと一緒に失踪しちゃったんでしょ。だったらイイじゃん、ここから何か分かるかもしれないし。それに暗号家業は目の前の暗号を解くだけで良いかもしれないけど、探偵の仕事は手掛かりを探すところから始まるのよ」
「安吾先輩だけは失踪したわけじゃないんだけどね」
華子が全部話したほうが良いのか迷っていると、すでに千代は遠慮なく手を奥に突っ込んでいた。彼女ならきっとバンジーのジャンプ台からでも、足に括りつけたロープを再確認する時間も要せず、空中へ身を投げ出すに違いない。
「はい、どうぞ」
千代は取り出した手持ち金庫を華子に向かって突き出した。金庫を開けるか否か悩む華子。
しかしよくよく考えてみれば、扉を開いた時点でもう遅い。ダイエット中にケーキを食べてしまい、最後の一口を食べるか残すかで迷っているようなもの。
「学園の備品を好き勝手に使っているんだから、これぐらいで文句は言わせませんよ、安吾先輩」
華子は念のために宣言しておいた。そして、あっさりと金庫を開いて中を覗く。
以前と比べて華子は変わった。
安吾と出会う前の華子がバンジーのジャンプ台に立たされたら、何度もロープの結び目や繋がっている先を確認し、散々迷った挙句に色々と理由を探して結局は飛ぶのを取りやめていた。
そのことに自分でも気がついて、華子は『いろはメール』を思い出した。暗号部分ではなく、表面上のほうの歌の意味だ。
この世に変わらない物は存在しない。
華子は金庫を受け取り、応接テーブルまで運んだ。金庫は上面が開く形状になっていて、鍵は掛かっていない。
開けると、真っ先に目に飛び込んできたのは、白い封筒の表書きにあった『挑戦状』の文字だった。
「これは只事じゃないね」
華子と一緒に覗き込んでいた千代が言った。華子の喉がゴクリと鳴った。
封筒の下には銀行の預金通帳と印鑑なども重なって入っている。おそらくは安吾が今までに暗号解読で稼いだお金が入金されているのだろうけど、とりあえずは興味が湧かない。
それよりも今は封筒の中身。
華子が封筒を開くと、中からは一枚の紙きれが出てきた。
―――――――――――――――
【死神と彼に添う愚者へ】
このまま術式を続けても
摂生しないといけません
社会が飽くまで
校庭に残していきましょう
でも全員じゃないので
今日こうしているだけです
―――――――――――――――
そこに書かれていたのは、意味の分からない文章。おそらくは暗号だ。他には解読の鍵となるようなものは何も書かれていない。ここにあるだけが全て。もしかすると刑事が言っていた怪文書の暗号と同内容かもしれない。
「この中で気になる部分は『校庭』だけど、これだけじゃあ、今回の騒動に関係しているかどうかも分からないね。千代ちゃんのほうは、どう?」
華子が封筒の中身を見せようとすると、いつのまにか千代は預金通帳を勝手に開いていた。
「餅は餅屋。暗号は暗号屋。解読については任せる。でもひとつだけ分かったわ」
千代は最後に記帳されたページを華子に見せた。想像していた以上の残高金額に驚かされるが、注目すべきはそこではない。
「ほら、最後に預金したのは、昨日の日付になっているでしょ」
「それが何か関係しているの?」
「この通帳は昨日、ここから外へ持ち出されているということよ。そして封筒は、金庫の中で通帳の上に重ねられていた」
「通帳を金庫に戻す時、封筒の下に入れたとも考えられると思うけど。私だったら大事な物は引き出しの一番奥にしまうよ」
「几帳面に用心しているなら、まずは金庫に鍵を掛けるべきじゃない? 使った物を無造作に上へ積み重ねていたと考えたほうが、ずっと自然。もしくは通帳を戻す時に、封筒も一緒に金庫へしまったのかもしれない。つまりこの封筒は比較的新しい物ということになる。特に昨日から今日にかけてが、もっとも怪しい。そうなるとこの暗号、今日の事件に関係している可能性がかなり高い」
「さすが千代ちゃん。ただのホームズファンじゃなかったのね。その調子で暗号も、ずばーっと解いちゃおうよ」
「それはダメ。だってほら、ここにも『死神と彼に添う愚者へ』と宛てられている。これは暗号屋さんと、ハナのことでしょ。二人だけしか知らないことが、鍵になっている可能性も十分に考えられる。そうなると第三者にはお手上げ」
安吾については容姿も含めて『死神』の称号がお似合いだと華子は思う。が、自分が『愚者』だとは納得がいかない。そもそも二人ワンセットの扱いが腹ただしい。
「絶対に違います」
「まあまあ、そんなに気にすることはないじゃない。タロットカードの『愚者』はそんなに悪い意味じゃない」
千代は率直に感想を述べた。
タロットの『愚者』はたしかに『知識を持ち合わせていない』ことを表現している。しかしそれは頭の悪い者や、愚か者のことではない。たとえば赤ん坊のような者のことを意味している。
何にも染まっていない状態。余計な情報に惑わされていない無邪気で純粋な状態。だから『無限の可能性を秘めている』といった意味合いで使われる。
まさに『愚者』は、華子に最も相応しいカードなのである。
「なるほど、タロットか」
ただし華子はタロットのことを深くまで知っているわけではない。そのため『愚者』の意味を正しく理解できていなかった。少し不機嫌な調子で答えたのは、そういう理由からだ。
余談ではあるが、一般的にタロットカードとは占いに用いる絵柄の付いた22種のカードとして認識されている。が、正式な物は大アルカナと呼ばれる22枚に、小アルカナと呼ばれる56枚を加えた計78枚で構成されたデッキのことを指す。
また小アルカナはワンド(杖)・ソード(剣)・カップ(杯)・コイン(金貨)の4組に分かれ、それぞれに1から10までの数字とペイジ(従者)・ナイト(騎士)・クイーン(王妃)・キング(王)の14枚のカードがある。つまり14枚×4組で56枚。
これをゲーム用に改良した物がトランプだとも言われており、ワンドがクラブに、ソードがスペードに、カップがハートに、コインがダイヤに変化したとされている。
「タロットカードといえば、確かそれぞれのカードに数字が割り振られていたよね」
正確なところまで自信のなかった華子は、念のため自分の端末でネット検索を利用して調べてみた。それを黒板に書き写していく。
―――――――――――――――
0 愚者 11 力
1 魔術師 12 吊るされた男
2 女教皇 13 死神
3 女帝 14 節制
4 皇帝 15 悪魔
5 教皇 16 塔
6 恋人 17 星
7 戦車 18 月
8 正義 19 太陽
9 隠者 20 審判
10 運命の輪 21 世界
―――――――――――――――
「やっぱり『死神』は13番なんだね」
イメージ通りの忌数字。日本では『4』が最も縁起悪いが、西洋では『13』だ。
これはキリストを裏切ったユダが十三番目の弟子であり、十字架に張りつけられたのが十三日の金曜日だったことに由来する。
「ねえ、そこに載っている『吊るされた男』の絵柄、上下が逆さまになってない? 知らない人だと、正位置の方向を間違いやすいんだよ」
千代は華子の携帯端末を後ろから覗き込んで言う。
12番の『吊るされた男』は、逆さ吊りにされた死刑囚のカード。主に『忍耐が試される』ことや『試練を受ける』といった意味合いを表す。
「4番は『皇帝』か。死の校庭……なんていう意味なわけはないよね」
華子のオヤジ臭いギャグを聞いて、千代の視線が冷たくなった。
「いや、ごめん。冗談だから気にしないで」
「ん……ちょっと待って。もしかすると、それ、正解かも」
千代はそう言って、暗号文の『摂生しないといけません』の部分を指差した。
「ハナ、ここを見て。『皇帝』だけじゃないでしょ。ほら、ここに『節制』だってあるじゃない」
「本当だ。全然気がつかなかった。探してみれば、もっと見つからないかな」
そんな時には、当然、平仮名変換する。
―――――――――――――――
このままじゅつしきをつづけても
せっせいしないといけません
しゃかいがあくまで
こうていにのこしていきましょう
でもぜんいんじゃないので
きょうこうしているだけです
―――――――――――――――
「おお……これは千代ちゃん、大発見です。もう6個も見つけちゃったよ」
「何を言っているの。私は7個よ」
―――――――――――――――
このままじゅつしきをつづけても
せっせいしないといけません
しゃかいがあくまで
こうていにのこしていきましょう
でもぜんいんじゃないので
きょうこうしているだけです
―――――――――――――――
「そうか『戦車』が一行目と二行目にまたがっていたのか。見落としていたなあ。でも、この文章の中に七つのタロットカードが含まれているということは、これはもう偶然ではなく、意図的だと考えて良いはず。それならあとは、それぞれの番号に置き換える……と」
―――――――――――――――
魔術師 1
節制 14
戦車 7
悪魔 15
皇帝 4
隠者 9
教皇 5
―――――――――――――――
「数字に変換ができれば、あとは今までの経験から文字を当てはめるだけ」
華子は数字の隣に、その順番にあたるアルファベットを並べていった。
―――――――――――――――
1 A
14 N
7 G
15 O
4 D
9 I
5 E
―――――――――――――――
「ローマ字読み? いや……違う。コレは!」
日本語に訳せば『安吾は死ぬ』。
挑戦状と銘打たれているのだから、暗号の中に爆発物を仕掛けた場所が記されているものとばかり華子は思っていた。犯行を止めたければ暗号を解け、みたいに。
しかし手元にある暗号から読み取れるのはそこまで。お手上げ。根本的なところから見直す必要がありそうだった。
華子はまさに両手をバンザイさせて、応接ソファーのいつも安吾が横たわっている位置に倒れ込んだ。
「ああ、行き詰まった!」
そのまま手足をバタつかせてみたって、何も解決しないし、何も進展しない。
「これってさ、つまり今起きている事件は、暗号屋さんの命を狙ったものだという意味じゃないの。『爆発によって死ぬのは安吾だ』ってさ。だから私は、いつも探偵屋さんがいる場所に爆発物は仕掛けられていると思うんだよね」
千代の呟きに、二人の視線は華子の座っているソファーに向いた。
「……まさかね」
するとソファーの下から虎島さんが何かを引っ張り出してきた。電気街で部品を買ってきてテレビのリモコンにゴテゴテと組み立てたような謎の物体。
「虎島さん、それ何? ちょっと見せて」
華子は虎島さんからリモコンを取り上げるために、体をソファーから浮かせようとした。
「待って! 動いちゃダメ」
千代は慌ててそれを止める。そして床に這いつくばり、華子の真下を覗き込んだ。
「え、なに? どうしたの? お願いだから教えて、千代ちゃん」
千代の行動に激しく動揺する華子。
「嬉しいお報せと、残念なお報せがあります。鳥羽華子さんはどちらから聞きたいですか?」
千代が改めて言う。その口調が嫌な予感を引き起こさせる。
「じゃあ……嬉しいほうで」
「今、爆発物が見つかりました」
「ということは残念なほうって……」
千代はコクリとうなずいた。
「多分、座った時に重さを感知するタイプだったんだと思う」
「……だった?」
過去形で話す千代に、華子は体を硬直させて尋ね返した。
「これはきっとタイマーが起動したばかりね。残り時間は5分……正確には4分32秒。ハナが立ち上がって逃げようとした場合には、残り時間に関係なく、その瞬間に爆発すると思う」
華子は思い出す。警察が安吾を訪ねてきた際、安吾はいつもと逆のソファーに座っていた。その時にも何か違和感を覚えたが、それどころじゃなかったので、今まで気がつかなかった。
「どうして座る前に言ってくれなかったのよ」
「でも心配しないで。私たちにはアレがある。あのリモコンが停止ボタンになっているに違いないよ」
千代は華子にリモコンのことを言った。
するとそこでは、虎島さんがリモコンをオモチャにしてジャレているところだった。
「あわわわ、ちょ、ちょっと」
間違ってボタンが押されては大変だと、千代は急いで虎島さんからリモコンを取り上げた。
「良かった。千代ちゃん、早く私を自由にして」
華子は胸を撫で下ろして、大きく息を吐き出した。ところが千代は眉を八の字にして、困った顔をしていた。
「ハナは、どれを押せば良いと思う? こういった場合、間違ったボタンを押せば、その瞬間に爆発する仕組みのような気がするんだけど」
テレビのリモコンなので、設定ボタンや音量など色々とボタンが付いているが、それらしきボタンはやはり中央のチャンネルだ。『1』から『12』までの数字が配列されている。
「安吾先輩のヤロウ……」
暗号を解いた上で、いつものソファーを避けていたのだから、当然、ソファーの下に設置された装置を見つけていたはずだ。おそらく解除ボタンについて考えていたに違いない。もしかするとすでに正解に辿り着いていたかもしれない。
「警察に連れて行かれる前に教えてくれたって良かったのに」
「どうする、ハナ?」
千代に催促され、華子は決断せざるを得ない状況に追い込まれた。ただ思い当たる数字と言えば、校庭に並べられた机ぐらいしかない。
「きっと二つの事件は同一犯によるもの。だったら正解は『9』でしょ」
「分かった。じゃあハナの言う通り、9番のボタンを押すよ。もしも爆発したって、私も一緒。恨みっこナシだからね」
しかしどうにも引っ掛かる。これで良いのか、自問自答する華子。
校庭の数字がそのまま停止ボタンだなんて安直すぎる。
それに暗号を解きはしたが、リモコンを見つけたのは虎島さんの偶然からだ。
わざわざ挑戦状で場所を示し、停止ボタンまで用意して助かる道を残したのは、犯人と安吾のどちらがより優れているかをはっきりさせるために違いない。
それならば偶然に頼って爆発を停止できるような仕掛けを用意するだろうか。
もしも華子が犯人の立場なら、超難関の暗号を用意する。しかもプライドをかけて、正解のボタンを押すと爆発するような騙しは一切ナシだ。
その時、千代にリモコンを取り上げられた虎島さんは、次なるオモチャを求めて珈琲豆の入った袋を引きずり出していた。
「千代ちゃん、残りの時間はあとどれぐらい?」
「2分17秒……」
安吾の真似をしてカフェインを摂取するために、珈琲を淹れている時間はない。
「そこの豆を持って来て」
「豆? 珈琲豆をそのまま?」
「急いで!」
言われたままに従う千代。虎島さんが爪で引っ掻いたせいで袋が破れ、床に散乱していた豆をひとつかみした。
炒ってはあるが、まだ粉に挽いていない状態。でも華子は千代から受け取ると、迷わずそれを口の中へ放り込み、歯で噛み砕いた。
安吾を越えるカフェイン摂取方法。口の中に苦味が広がる。
瞬間、電気が走ったかの様に華子の脳内を数字が駆け巡った。
校庭に並べられた机は『9』。
しかしそれを見下ろすことができる高等部の教室が入っている校舎は『12』号館。
そして12番目のタロットカードは『吊るされた男』だ。
そこに描かれた男からは、本来あるべき景色が逆さまに見えているに違いない。
よって全員が『9』だと思い込んでいた校庭の数字は逆さま。本当は『6』だということになる。
ちなみにタロットカードの6番が示すカードは『恋人』。それは『選択する』ことや『試練を克服する』ことを暗示するカード。
「千代ちゃん、6番。6番のボタンを押して!」
ピッ。リモコンのボタンが押下された音が聞こえた。
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