第20話 嫌いだよ

 リオノスを奪われて一週間が経つ頃になると、ダルディンが訪れるとき以外は、退屈が一番の敵になっていた。話し相手もいなければ、気を紛らわせる手段もない。塞ぎこむしかない時間の中では、ダルディンの訪問を心待ちにしてしまう自分を否定できなかった。そしてそんな自分に自己嫌悪を募らせる悪循環。

 彼を悪者にできれば、もっと心は楽なのかもしれない。普通に過ごしている限り、彼は悪い人間には思えなかった。あたしを気遣っているのがわかるし、会うたびにできるかぎりの気晴らしを用意してくれている。

 リオノスを奪い、トキタカを傷つけたかもしれない相手なのに。どうしても憎みきれない。本心を言えば、イクタ王子のことでさえ、まだ、信じたいと思っている――。

 深夜、あたしは眠るのを諦め、ベッドの上に身体を起こした。不毛な思考を頭を振って追いだそうとする。ひとりの時間が増えれば、不毛な考えを巡らせる時間も増える。せめて、話相手がいれば。リオノスか……でなければトキタカが一緒だったら――。

 それこそ、叶わない望みだ。

 不意に、あたしは物音を聞きつけて顔を上げた。遠くの物音ではない。部屋の中――いや、ほんのすぐ近く。音の出処を探ろうと、息を殺し、耳を澄ます。

 コツコツと音がなっている。窓を叩く音だ。

 幻聴ではない。確かに、音が聞こえる。

 あたしはベッドを降り、忍び足で窓に近づいた。カーテンを勢いよく開く。

 月明かりのある夜だった。窓の下は断崖絶壁。見下ろせば、暗い海面から、波が岩肌に打ち付ける音だけが聞こえる。誰もいない。いるはずがない。

 雨音が窓を叩くような音をだしたのだろうか。

 だが、窓を開いてみても、雨の気配は感じられない。

 不思議に思って顔を突き出した瞬間、至近距離に人の声を聞いて、あたしは反射的に窓から飛び退いた。窓の上方から、身軽な動作で何者かが部屋の中に飛び込んでくる。

 小柄な影は中腰の姿勢から、ゆっくりと背を伸ばした。暗がりの中で、青い目が光った。その顔には見覚えがある。褐色の肌と、金の髪を持つ美少年。

「……ハエル!」

 今なら、彼の身体的特徴からウェトシー出身者であろうことがわかる。だが、ここに――しかも王宮の中にいる理由はわからない。ハエルはあたしに駆け寄ると、唇に指を当ててあたしの口を塞いだ。

(あなたを助けにきました。衛兵に気づかれる前に、早くここを出ましょう)

「言葉がわかるの……!?」

 思わず再び大声を出しそうになって、慌てて口を塞ぐ。ハエルはあたしの様子に苦笑して頷いた。

(念話です。あなたの思考を読んでいるの。でもなるべく言葉に出してくれた方がいいわ。間違って心の底を覗いてしまうこともあるから)

 あたしは言われて初めて、ハエルが声を出していないことに気づいた。同時に彼が魔法使いであるということを思い出す。だが、違和感もあった。声が聞こえないことで、念話の主がハエルであることが疑わしく思えてくる。この心の声は、あまりにもハエルにそぐわない。念話だから、肉声が聞こえるわけではないが、だからこそ余計に本人の性質が強く現れているように思える。

「あなたは……誰……?」

 あたしは声を潜めて訊いた。

 我ながら、唐突な質問だと思う。一方で、この状況にもっともふさわしい質問という気もした。

 ハエルがこの場に現れたこと自体が、明らかに異常だった。

 初めからわかっていたことではあったが――彼は普通の少年ではない。

 ハエルは秘密を湛えた微笑みを浮かべ、あたしの腕に触れた。瞬間、あたしはなぜか確信していた。この少年は、違う。顔は同じだけれど、リオニアで会った少年ではない。

 ――まったくの、別人……。

(わたしの名前はネシュフィ。ウェルルシアの女王ネシュフィ。いまはわけあってこの子の身体を借りています)

「ネ、ネシュフィって、じゃあ、あなたは……」

 ――イクタ王子の婚約者。

 驚きのあまり、何を言えばいいかわからない。到底、簡単に飲み込める事実ではなかった。トキタカが予想していた通り、ハエルはウェルルシアのスパイ――それどころか、本人だったわけだ。

 イクタ王子と親密にしていた理由も、アウスンが二人の仲を疑った理由も、それで理解できる。肉体は別人ではあるとはいえ、婚約者として接していたのだとすれば……。

 そうだったとしても、頭の痛くなるような事実には違いないけれど。

(本当はイクタについていくつもりだったけど、あなたの身が危険に思えて、ヴァノゴールに残ったの)

「あ、あの……どうして、あたしを」

(イクタを助けるには、あなたの力が必要だから。残念だけど、いまのわたしでは彼を止められない)

「……」

 イクタ王子の名を聞いて、自分でも表情がこわばるのがわかった。それに気づいたのか、ハエル――ネシュフィが暗がりの中で微笑んだ。あたしの手を引いて、開け放たれた窓の方へ向かおうとする。

(助けに来るのが遅くなってごめんなさい。王宮にいるのはわかっていたけれど、あなたを市場で見かけるまで、正確な居場所がつかめなかったから。でもよかった。無事のようで)

「無事――じゃない」

 あたしはネシュフィが窓から脱出しようとしていることに気づいて、足を止めた。その先が断崖だから、ではない。まだ、逃げられない。

「トキタカを……トキタカを助けないと」

(二人目の勇者……? 居場所はわかってるの?)

 あたしは首を振った。

「でも、あたしと同じように監禁されているはず。たぶん、このどこかに……」

 ――殺されていなければ。

 口にしなかった思考を読んだのかどうかはわからなかったが、ネシュフィは真剣な面持ちで頷いた。

(少し予定が狂うけど、やむを得ないようですね。探しまわっている時間はありません。手っ取り早く、知っている人に聞くとしましょう)



 寝込みを襲われたダルディンは、最初こそ抵抗していたものの、年端もいかない少年に触れられるだけで簡単に昏倒させられることに気づいて、無駄を悟ったらしい。ハエル――いや、ネシュフィの魔法の力だった。

 ついでにいえば、どんなに騒いでも護衛はいない。王宮中の人間は、ネシュフィが花びらを使って振りまいた甘い香りで眠らせてしまった。目覚めているのは、ネシュフィに魔法を打ち消された三人だけだ。

(行きましょう)

 ネシュフィが両腕を縛られたダルディンの背中をナイフで小突きながら、あたしの腕に触れて言った。どうやら、念話は身体的接触がないと使えないらしい。

「トキタカの居場所がわかったの?」

(ええ。彼は地下牢にいる。案内してもらいましょう)



 ダルディンに案内されて、あたしたちは地下牢に足を踏み入れた。入り口の衛兵から鍵を拝借し、扉を開ける。かびくさいこもった空気を感じる。あたしは薄暗い地下牢に目を凝らした。並んでいる牢屋のうち、つかわれているのは一番奥の一つだけだった。案内を待たずに、奥の牢へ駆け寄る。

「トキタカ!」

 寝台の上に眠る黒髪の少年の姿が目に入った。制服姿ではなく、見覚えのない簡素な服を身に着けている。彼はこちらがどんなに叫んでも目覚める気配がない。

 あたしは手間取りながら、正しい鍵を探した。牢の鍵を開き、寝台に駆け寄る。

「トキタカ!」

 目覚めない。あたしはその肩を揺さぶった。

「トキタカ!」

(待って。魔法が効いてるだけ)

 ネシュフィはあたしの肩に触れて言うと、トキタカの額に軽く指を触れた。

 目蓋が動いて、トキタカがうめき声を上げた。ぼんやりと視線を彷徨わせたあとで、あたしの顔の上に視線を止める。

「……キヌカ……?」

 少しやつれているものの、どうやら無事らしい。安堵のあまり涙が出そうになる。それからあたしはハッとして学ランの血糊を思い出した。

「だ、大丈夫!? 怪我は……?」

 あたしは服の上から彼の胸に触れた。いきなり触れられて、トキタカがぎょっとした顔をする。どうやら学ランの穴のようには、刺された様子はない。勝手に触っているうちに、首元から包帯が覗いていることに気づく。

「やっぱり怪我してる……見せて!」

「お、おい……や、やめ……っ」

 服を脱がせようとしたものの、トキタカの断固たる抵抗を受けて、あたしは我に返った。十分元気なようだ。

「大した怪我じゃない。ちょっと腕を斬られただけだし……手当もされてる」

 トキタカは左肩に手を当てながら言った。明らかに学ランにあった穴の場所とは違う。

「じゃあ……やっぱり、嘘だったんだ」

 あたしは安堵で力が抜けるのを感じた。あの血痕や破れ目は、トキタカが死んだようにみせかけるために、ダルディンが演出したものだったのだ。腕を傷つけたのは学ランに血をつけるためだろう。

 ダルディンが死体そのものではなく、学ランを見せたのは、あまりにも作為的すぎた。その点だけでも、トキタカの生存を信じる理由には足りる。だけど、この目で無事を確かめるまでは、彼が死んだ可能性は決してゼロにならない。ゼロにならないかぎり、水中で息継ぎし続けるような苦しみはなくならなかった。あたしは生まれて初めて水中から陸に上がったような心地で、涙が出そうになるのを堪えた。

「これ……洗っておいた」

 部屋から持ってきていた学ランをトキタカに手渡す。

「あ、ありがとう」

 トキタカは怪訝な様子で学ランを受け取った。上下が揃っていないものの、羽織だけでとそれなりに様になっている気がする。

「どうして、あんたがこれを……?」

「それは……」

 あたしは口ごもって背後を振り返った。

 そこにいる人物を見て、トキタカが顔色を変える。

「あ、あいつ……!」

 トキタカはあたしを押しのけて立ち上がると、牢屋の外にいるダルディンに食ってかかった。

「おれたちをはめたな! ウェルノスをどこへやった!」

 胸ぐらを掴み、壁に押し付ける。ダルディンはトキタカの剣幕にも動じなかった。それが彼の激高を誘った。

 あたしは慌てて、拳を振り上げたトキタカとダルディンの間に割って入った。

「待って! この人は、多分、あなたの命を救った」

「……どういう意味だ」

 ダルディンを睨みつけたまま、トキタカが言う。

「その学ラン……彼はあなたの血がついた学ランをあたしに見せて、あなたが死んだと思い込ませようとした。どうしてそんな嘘をついたと思う?」

「そんなの知るかよ」

 そう吐き捨ててから、トキタカは拳を下げて、あたしを見た。

「あんたを孤立させるためか?」

 トキタカの視線に気遣いの色を感じて、不意に胸が苦しくなる。彼の方がきっとつらい思いをしていた。あたしは牢屋に入れられていたわけでもないし、完全に孤独だったわけでもない。それでも彼は心配してくれるのだろう。そして、これから言うことは彼をきっと傷つける。それを自分の口から言わなければならないのが苦痛だった。

「イクタ王子が……あなたを殺すようにダルディンに命じたから。ダルディンがあなたが死んだと本当に思い込ませたかったのは、イクタ王子なんだよ。でも、これはあたしの推測。……ネシュフィ、ダルディンに、本当のことを聞いて。あたしたちをどうするつもりだったのか」

 ネシュフィは頷くと、ダルディンにテルミアの言葉で問いかけた。聖獣の翻訳と違って、リアルタイムに何を言っているかはわからない。

 二人が話している間に、トキタカが目で問いかけてくる。

「ネシュフィ……ううん、ハエルがあたしたちを助けてくれたの。彼は念話が使えるから、あたしたちの言葉もわかる」

「ネシュフィって、ウェルルシアの女王だろう」

「そう、説明が難しいんだけど……ネシュフィはウェルルシアからハエルを魔法で操ってるみたい……」

 トキタカが信じられないといった顔でネシュフィを見た。丁度ダルディンとの会話を終えたネシュフィが、あたしたちふたりに念話を送り込んでくる。

(あなたの推測通りだった。イクタ王子用には、ニセの死体も用意してたそうです。でも、あなたに腐乱死体を見せるのは忍びなかったからって)

 他人事だからって、簡単に言ってくれる。トキタカは顔を歪め、気持ちの悪いものでも触ったように、ダルディンを突き飛ばした。彼にとっては決して気分のいい話ではないだろう。床を転がりながら、ダルディンが低く笑った。簡単に計画を教えてくれるあたり、自棄になっているのかもしれない。

(キヌカはイクタ王子が戻り次第、リオニアに引き渡す約束だったそうです。それでは、ウェトシーにはなんの旨味もない。だから彼はトキタカを殺したふりをして、密かに自国に確保しようとした)

「なるほど、つまり俺はこいつの野心に救われたってわけか」

 トキタカは冷ややかに言った。自分が死んでいたかもしれないことを聞かされても、彼は取り乱してはいない――そう安堵した瞬間、その想いはダルディンのうめき声に打ち砕かれた。トキタカが床に転がったダルディンを蹴りつけたのだと気づく。

 鈍い音が地下牢の壁面に響く。ダルディンが身体を丸めて咳き込む。自分のことのように、胃が痛くなる。

「や、やめてったら」

「随分こいつの肩を持つんだな」

 向けられた視線の冷たさに、身体が硬直した。図星を指されたからかもしれない。監禁されている間、しかたなくとはいえ、ダルディンと親しくしていたことを彼に感づかれたくない。

「もういいでしょ。行こう」

「まだこいつに訊いてないことがある。聖獣の居場所だ」

(それならさっき彼の心を覗いておいた。聖獣は港の船の中にいる)

 こともなげに言うネシュフィに、トキタカが疑わしげな目を向ける。だが、ネシュフィの言葉でダルディンの形相が変わったのを見て、納得したようだった。

「じゃあこいつは用済みだな」

 トキタカはダルディンを引き立てると、自分がいた牢屋に押し込んだ。ウェトシーの王太子が牢屋に入れられている姿は滑稽ではあったが、トキタカがそれだけで済ませてくれたことにほっとした。ダルディンの肩を持つわけではないが、単純にやりかえして胸がすくような気持ちになれるわけでもない。

 出口に向かう二人の後を追う前に、あたしはもう一度牢屋を振り返った。

 ダルディンの顔には何の表情も浮かんでいない。どこか達観した表情。去るものを見送るのに慣れた表情。その視線が僅かに動いて、あたしは制服の胸にブローチをつけたままにしていたことに気づいた。それが彼の唯一の感情の動きといえるものだった。

 あたしは半ば衝動的にブローチを制服の胸から引きちぎり、手を振り上げた。

 ダルディンがこれをあたしにプレゼントしたのも打算なら、あたしが制服の胸につけたのも打算だ。

 そんなものは、突き返してしまえばいい。

 ――だけど。

 わからない。人の行動をそう簡単に色分けできない。あたしの心ですら、そうなのだから。

 あたしは腕を下ろした。

「ありがとう」

 それだけ言って身を翻す。ブローチはスカートのポケットにしまった。



 あたしたちは王宮の裏手を目指して駆けた。魔法の効力が切れたのか、王宮の入り口の方で騒ぎが起こっている。

 走っている途中で、ネシュフィがついてきていないことに気づく。振り返ると、彼女が背後の廊下に倒れているのが見えた。

「ネシュフィ!」

 慌てて戻って抱き起こす。

(少し長居しすぎたみたい……限界……この魔法は、ハエルの体力を大きく消耗する……長くは使えない……)

 まるで電波が途切れるように、念話がぶつ切れになる。ネシュフィ/ハエルが気を失ったのだ。

「ど、どうしよう」

「とにかく、逃げるしかないだろ」

 トキタカが眠った少年を背負い、再び走りだす。人の声を避けて、手近な窓から建物の外に出る。ウェトシーの王宮は南を入り口とし、他三方を崖に囲まれている。出入りできる道は南にしかない。ただし、北には徒歩でのみ通ることのできる細い道があることを、あたしは一度ダルディンに案内されて知っていた。追手が回されていなければ、そこから逃げられるかもしれない。

 なんとか道を見つけて降りるものの、足場の悪さと月明かりのみの視界の悪さ、加えて初めて通る道の不慣れさで,行程はうまく進まない。

「いたぞ!」

 悪条件に苦戦しているうちに、背後に追手が迫る。さらには、崖下にも松明の灯りが現れ始めた。

「挟み撃ちかよ」

「トキタカ、こっちに道がある」

 あたしは横道を見つけて、トキタカの腕を引いた。

「そっちは海だ」

「わかってる」

「わかってるって、どうするつもりだよ」

「飛び込もう」

「はぁっ!?」

 トキタカが驚きの声をあげて、足を止めた。

「正気か」

「他に方法がない」

「岩に頭をぶつけてカチ割るのがオチだ! 下から強行突破しよう」

「無理だよ。リオノスもいないのに、戦えない。昼間にずっと海を眺めていたから、地形は覚えてる。どのあたりの海が深いのかもわかる」

「そんなもの、博打だろうが……」

すぐそばに衛兵の足音が迫る。なしくずし的に、あたしたちは海の方へと追いやられた。

 ほとんど岩肌につかまるようにして、細い足場を移動する。トキタカは文句を言いながらも、あたしについてきていた。

「大丈夫なのか」

トキタカが今にも震えだしそうに細い声で聞いてくる。

「わかんない」

 トキタカの表情を見て、あたしは正直に白状してしまったことを後悔した。嘘でも大丈夫だと言っておくべきだった。

 ほとんど死にそうな声で、「死んでも俺を恨むなよ」と背中のハエルに呼びかける声が聞こえる。縁起でもない。

「ねえ」

 あたしは暗い空気を変えようと、強いて明るい声を出した。

「たしか、あなたも好きだったよね」

「え……? 何」

「あたしも好きだよ。スカイダイビングとか、死ぬまでに一度してみたいと思うし。だからこれも、結構楽しいはずだよ。そのう、スリリングで」

「――はぁ?」

 トキタカの反応が、考えていたのと違う。

 もっとこう……ノリノリになってくれる、はずだったのに。

 あたしはあてが外れて焦りながら、暗がりからトキタカの手を探り当てた。彼の手は正直に震えていた。恐怖で強張る顔を見つめながら、あたしは自分の勘違いを認めざるを得なかった。

 どうして彼も『好き』だと思ったのだろうか。自分がなぜその思考に至ったのかさえ、思い出せない。

「せーので、いいよね」

 あたしは強く手を握りしめると、有無を言わせない口調で言った。もうこうなれば、考える時間を与えないに限る。返事はなかったが、右手に握り返す感触があった。

「せーのっ」

 同時に、あたしたちは壁を蹴った。浮遊感はほんの一瞬で、あとは心臓を握られるような落下の恐怖感。水面が近づいてくるのさえわからない、暗闇の目隠しが恐怖を増幅する。だけど、滞空時間はほんの一瞬に過ぎなかった。気づいたときには、あたしは海水に抱擁されていた。必死にもがいて、水面に顔を出す。しっかり握っていたつもりだったのに、水面にぶつかる瞬間、トキタカの手を離してしまっていた。息を吸い込みながら、必死に水面を見回す。次の瞬間、海水を跳ね飛ばしながら、ほとんどすぐ横にトキタカが顔を出した。後ろにはハエルの姿もある。

 彼は少し咳き込んでから、恨みがましい目を向けた。そして、律儀に答えた。

「俺は……、高いところは、嫌いだよ」

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