寄り道編

第13話 あたしも好き

「……も好き」

 これでもかと飾り付けられた教室の窓。立て札と張り紙にうめつくされた廊下。吊り下げられた看板の文化祭というでかでかとした文字。

 こういう行事ごとが特段好きなわけではないが、やるからには自分に迷惑が被らないよう、なるべくさっさと、なるべくいい形で終わらせたいと思う。だから普段よりもクラスの連中に接触する機会は増えるわけで、俺がそこまでしても、結局思い通りには事は進まない。

 文化祭準備期間中の数々のトラブルを思い出すと、いまでもイライラする。

 しかし、不愉快な記憶を思い出したことには、意味がある。

 無意識のうちでは、すでに答えを掴みかけている。あのとき。雑多な記憶の中から、声だけがすくい上げられる。あそこには誰かがいた。

 女子の声が、俺に語りかける。

 瞬間、何もかも思い出したと思った。

 あの子が、俺を見上げて言った。

「――あたしも好き」


 ――!

 俺は歓声を上げるような心地で飛び起きた。硬くて粗末なベッドの上。木造の宿屋の一室。着っぱなしで薄汚れた学ランが壁にかかっている。すでに日が登っているのか、外が明るい。

 俺は跳ね起きた体勢のままで呆然とした。思い出したと思った情景は、喜びの記憶だけを残して掻き消えていた。

 残ったのは、その言葉だけだ。

 ――あたしも好き。

「……何が?」

 俺はもう一度ベッドに寝っ転がり、しばらくの間悔しさで悶絶した。もう少しで、思い出せそうだった。そもそも、どうして忘れてしまったのか。

 情けない話、可愛い子との会話や女子との楽しい出来事などの数少ない記憶は何度も反芻され、忘れられることはないはずだ。そもそも忘れるほど数が多くない。もちろん彼女なんてものがいたこともない。

 とすれば、答えは簡単だ。

 俺にとって、その記憶はあまりいいものではなかった。どちらかといえば、忘れてしまいたい類の、愉快ではない記憶だったということだ。

 不愉快な記憶は、不愉快な記憶として、いつまでも脳裏にこびりついているはずなので、やはり覚えていてもいいはずなのだが。

 ――一年のときの文化祭。あのときに、何か、あった……?

 そこまでは思い出せたものの、キヌカに水を向けてみるつもりにはなれない。記憶をつなぎあわせていけば、連鎖的にふたりとも思い出すかもしれない。だが、自分にとって歓迎されざる記憶を彼女が思い出してしまうリスクをとりたくはない。

 俺はため息をつくと、観念して床を出た。

 朝食は宿屋に併設された食堂でとる。食事代はもちろん宿代も代金は王子様持ちだから遠慮は無用だ。まともなベッドで寝られるし、食うにも困らない。不案内な一人旅と違って、現地人の案内人つき。いままでの、ウェルノスを枕にしてのその日暮らしとは雲泥の差だ。キヌカは異世界にやってきてすぐに王子様と出会ったらしいので、ずっとこの調子だったようだ。

 妬むわけではないが、境遇の差にちょっと愕然とする。

 俺がテルミアにやってきたのは、奥深い森の中だった。まず、人里がなかなか見つからない。その時点で軽く死にかけた。魔物に殺されかけたのも、一度や二度ではない。食料もなく、一人で森を彷徨い続けた。最初はウェルノスも魔法が満足に使えなかったから、なおさらだ。だが、魔物を倒すことで、こちらも魔法が使えるようになると気づいたあとは少し様子が変わった。

 勇者には確かに神からの授かりものというべき力が与えられている。

 一つは、聖獣ウェルノスが変身する、魔法の武器。この刀身はあらゆるものを切り裂く力がある。とんでもない代物だ。もう一つは聖獣の魔法の力。ほとんど万能に近いように思われる魔法だが、一応得意不得意があるようで、ウェルノスは地中に潜って移動したり、岩や土を操ったりといった魔法をよく使う。

 人里を見つけてからは、ウェルノスを見た住民が勇者への捧げ物を持ってくるようになったので、食べ物には困らなくなった。反面、魔物討伐のお願いをされたりといった面倒があったが。俺もその頃には戦いにも慣れてきていた。魔法で無力化し、剣でとどめを刺せばだいたい倒せる。そうしながら、俺はドラゴンを探した。結論からいえば、ウェルルシアのドラゴンは見つけられなかった。ドラゴンは秘密主義のウェルルシア王家が所有しているらしく、一般の民衆は王家の居場所すら知らないらしい。どうせ他国のドラゴンも倒すのだから、ウェルルシアは後回しでも構わないと思い、俺はリュトリザに向かった。

 リュトリザでは勇者の伝説はあまり有名ではないらしく、捧げ物は期待できなくなった。魔法を犯罪に使うのは気が引けたが、背に腹は変えられない。盗みで食いつなぎながらドラゴンの情報を探し、ヒームインへ向かい、そこでもう一人の勇者と出会った。


 俺はテーブルの向かいで食事をする同級生に目を向けた。髪は肩より少し短いくらい。綺麗というよりは愛嬌を感じる顔立ち。でも、学校の廊下ですれ違っても、目に止めることはないのかもしれない。正直、そんなに目立つタイプではない。それをいうなら俺は、もっと絶対の自信を持って断言できる。別のクラスの女子が俺を知ってるようなことは、ない。絶対。あり得ない。

 あり得るとすれば――。

 悪い噂。悪口。

 ――根暗。キモイ。ガリ勉。

 正直、疑っている。俺を知ったきっかけを忘れたというのも嘘で、何かネガティブな噂でもあったのではないかと。

 ため息が出そうになる。

 どうせ異世界に来るのだったら、俺のことを誰も知らない場所で勇者になってちやほやされて、可愛いお姫様とフラグのひとつやふたつ立てたかった。

 似たようなことを実際にやってのけた人物はいるが。

 俺の視線に気づいて、キヌカが首を傾げる。俺はさっと視線を外した。こんなのは、平等じゃない。

 こちらは浮浪者同然、あっちはいきなり超絶美形王子に拾われてリオニア王家の客人。理不尽なまでの待遇差。

 だが、もっとも納得がいかないのは、彼女は俺を知っているのに、俺は彼女のことを何も知らないことかもしれない。

 彼女は知っている。俺が、どうしようもなく地味で根暗で勉強くらいしか取り柄がなくて、友達のひとりもいないような人間だってことを。そして軽蔑している。そうに違いない――。

 ネガティブに傾いた思考を弄んでいるとき、見覚えのある顔を見つけた。王子様の従者のアウスンという少年だ。彼は二階の宿に続く階段をとぼとぼと降りてくるところだった。いつもの溌剌とした表情はなりをひそめ、心ここにあらずといった様子でこちらに近づいてくる。

「アウスン?」

 キヌカも彼の様子に気づいたらしい。

 少年はキヌカの呼びかけにも答えず、俯いている。

「イクタ王子は?」

 キヌカが重ねて訊いた。それで俺は、アウスンが上階に王子様を呼びに行ったことを思い出した。いつも早起きのはずの彼がいつまで経っても食堂に姿を見せないので、アウスンが様子を見に行ったのだ。

「王子が……」

「イクタ王子がどうかしたの?」

 アウスンは首を振ると、苦悩を込めて言った。

「イクタ王子が――部屋に男を連れ込んでいるんです!」

「男」

「男」

 同時に呟いて、キヌカと目が合う。キヌカは赤面すると、アウスンを責めるように言った。

「な、なんてこと言うの、アウスン」

「不潔です。王子があんなやつとベッドを共にするなんて――」

「あ、あんなやつって――?」

 そのとき、騒ぎの元凶であるイクタ王子が階段に姿を現した。銀髪に白磁の肌という、ネトゲでありがちな美形をCGで作ったような見た目の男だ。異世界だからそういうやつもいるだろうと納得したいところだが、テルミアの基準に照らしても完全に浮いている外見だ。そういう見た目だから、彼が男と寝ているといわれても、まったく意外ではないが、俺は彼が背後に従えている人物を見て、思わずキヌカと一緒に動揺してしまった。

 仮にも王子は立派に責任能力のある年齢の男なのだし(現代日本だと未成年だが、この世界の常識では――それから俺の印象では、そうだ)、誰と何をしようと知ったことではない。

 だが、彼が連れいてるのは、どうみても子どもだった。

 アウスンよりも年下――せいぜい十歳かそこらだろう。アウスンの言葉がなければ、女の子だと思っていたかもしれない。チョコレートのような滑らかな褐色の肌と、大きな緑色の瞳を持った愛くるしい顔立ち。鮮やかな金髪の頭に青いターバンを巻き、白い服の腰にも同じ色の布を巻いている。

 俺の脳裏に“犯罪”の二文字が過ぎった。

 とはいえ、異世界だし、王子だし、そのくらいの無法は許されるのかもしれない。それと倫理的に許されるかどうかは別の話ではあるが。

 あまりにも脈絡のない少年の出現に、キヌカも俺もリアクションを取りそこねていた。少年は、リュトリザ人にもリオニア人にも見えない。そういう商売に身をやつしているようにも見えない。

 イクタ王子が昨夜部屋に入ったときには、確かに姿は見えなかった。どこかから湧いて出てきたとしかいいようがない。ひとつ救いといえそうなのは、アウスンの反応からして、別にこれが王子様のいつもの性癖であるといわけではないらしいことだが、まさか、この状況でそれが目覚めたとでもいうのだろうか。

「王子、どういうおつもりですか」

 アウスンが険しい表情で問い詰める。

「おまえにそんなことを言われるのは初めてだ」

 イクタ王子は嫌疑の重さに比べて幾分のんきな感想を漏らした。

「確かに、ぼくは今まで王子がどんな高貴なお方やどんな美女やどんなウワッという女性と一緒にいようと見てみぬふりをしてきました。でも、少年趣味はいただけません!」

「たとえおれが――いや、よそう。アウスン、勘違いだ」

 イクタ王子は付き合いきれないといった風に首を振り、俺たちの隣のテーブルに座った。連れの少年も当然のような顔でその隣に座る。アウスンはほとんど挑発的な態度でその正面に座った。

「……」

 気まずい。気まずすぎる。王子様の味方をするつもりはないが、俺は彼が否定したのなら、もうそれでいいだろうという気持ちだった。アウスンもキヌカもそれを許してくれそうな雰囲気ではないが。

「そうですね、申し訳ありません。いくら王子が節操なしと言っても、そこは信用します」

 怒りを引っ込めるかわりに、冷え冷えとした表情になって、アウスンが頭を下げる。おそらくわざとやっているのだろうが、この短時間で知りたくもない王子様の性生活がだいぶわかってしまった。

「でも、そいつは誰なんですか」

 直球の問いかけに、イクタ王子はテーブルに肘をついた状態で硬直した。しばらく考えこんだ後で、答える。

「…………親戚の子……?」

「……!!」

 ――言い訳にしても雑すぎる!

 王子と子どもを除く全員が同じ感想を抱いたものの、あまりに堂々とした嘘であるため、逆に突っ込めない。

「名前はハエル」

 アウスンは怒りを抑え、あくまで丁寧に言った。

「ぼくにおっしゃって頂ければ、ちゃんと別のベッドをご用意したのに」

「急なことだった。仕方がない」

 夜中に急に旅先で親戚の子どもが現れる事情などまるで想像できないが、彼は説明する気はなさそうだ。

 そのとき、ハエルがイクタ王子の袖を引いて言った。

「イクタ。わたしはあれが食べてみたいです」

 壁に張られたメニューを指差す。アウスンの顔が引きつる。一ミリも敬意を抱いていない俺ですら、なんとなく王子様呼びをしているというのに、少年はそれを平然と無視した。

 しかし、イクタ王子はまるで気にしないどころか当然のことのように頷くと、アウスンに目を向けて言った。

「アウスン。ハエルにあれを。おれはいつもの通りでいい」

 その瞬間のアウスンの忍耐力は賞賛していいかもしれない。彼は無言で席を立つと、あるじの朝食を注文するために厨房に向かった。


 当然のように、ハエルという名の謎の少年は俺たちに同行することになった。ここまで疑惑を持たれたあとも、王子様はハエルを自分の馬に乗せ、宿は同室とやりたい放題だ。もっとも、この一行を主導しているのは王子様なのだから、誰を連れて行こうと好きにすればいい。だが、世話役のアウスンが不機嫌になり、キヌカもなぜか釣られるようにふさぎ込み始めたので、俺としては大迷惑だった。

 リュトリザの国境を超え、リオニアの首都クースまであと数日ということろにきて、全員の足並みが乱れ、行程の進みまで鈍くなっている。俺とキヌカに至っては、聖獣を使えば一瞬で済むはずの行程をわざわざ馬の足に合わせてやっているのだから、余計にストレスだった。

 いっそ王子たちなど放っていきたいところだが、いくらなんでも彼不在でリオニアの城に乗り込む度胸はない。リオニアの金銭的バックアップなしでは、死にはしないまでも、劣悪な旅になるのは必死なのだから、二人だけの行動を提案したときキヌカがどう思うかは考えるまでもないだろう。

 とはいえ、今の状況が誰にとっても辛いのは事実だ。

 最初に我慢の限界を迎えたのは――やはり、アウスンだった。


 その日、誰の所為ともいえない遅延が積み重なって、一行は次の町にたどり着く前に日暮れを迎えていた。仕方なく野宿することにして、俺は唯一十二分に活躍できる焚き木集めに精を出した。途中、ウェルノスと棒投げ遊びで時間を潰してしまったため、野営地に戻る頃にはすでに夕食の準備はだいぶ済んでいたが。アウスンが美味しそうな匂いのするスープを煮込んでいる。若いながら、アウスンの料理の腕は確かで、こういう状況でも味には期待が持てた。普通なら一番口数が多いはずのアウスンとキヌカが黙り込んでいるため、楽しい食事とはいかない以上、せめて味くらいは楽しませてもらいたい。実際、スープの味は、期待に違わなかった。俺は野菜の他に干し肉ではない肉の塊が入っているのに気づいて、思わずアウスンに問いかけた。

「これはなんの肉なんだ?」

「わたしが魔法で仕留めた兎です」

 アウスンが口を開く前に、ハエルが答える。

「魔法が使えるんだ? あんた、魔法使いなのか?」

「ええ、そうです」

 少年はこともなげに答えたが、それがとてつもないことだということは俺にもわかった。ヒームインでは、湖畔の魔法使いのバアードがやたらと自分の修行時代の苦労を吹聴しており、彼の修行を受けていた巫女たちはそれこそ耳にタコができるほど聞かされていたらしい。長い修業を積んで、白髪髭モジャのじじいになってやっと一人前の魔法使いを名乗れるくらいが普通ということだ。彼が多少盛っているにしても、それを十歳やそこらで使いこなしているのは、相当なものだろう。ということは、やはり王子様の連れは見た目がいいからという理由だけで連れられているわけではないらしい。

「何か使ってみてくれよ」

 そう水を向けたのは、いじわるな気持ちが半分と、柄にもなく沈みがちな周囲に気を使って、沈黙を嫌ったからだった。それに俺は、ハエルが魔法を使うところを見ていない。ハエルは気分を害した様子もなく、少し罪悪感を覚えるほどにこやかに頷いた。

「これを見てください」

 焚火を受けて、緑色の瞳が妖しく煌めく。ハエルが手元を示したにも関わらず、俺は吸い寄せられるようにそれを見つめた。つくづく美しい少年だ。その正体も含めて、ミステリアスな空気を纏っている。俺はその空気の源泉がどこにあるかに気づいた。彼のまなざし――どこか老成して、子どものそれではない。

 ぼこぼこという水音がして、俺はようやくハエルの手元に視線を移した。

 彼の手に握られた空の木のカップ。そこにどこからともなく水が湧き出している。縁から溢れた水は、熱した鉄に触れたように端から白い霧に変わる。立ち上る霧は霧散することなく、中空に留まった。霧がどんどん濃くなり、ハエルの顔も見えなくなった時、ふっと周囲が暗くなった。焚火の火が消えたのだ。そしてぼんやりと霧の粒子が発光し始める。

 プロジェクターに投影されるように、霧のスクリーンに何かが映しだされているのだ。

 暗くうねる模様。それは、水だ。水面が映しだされている。水面を割って、何か大きな物体が姿を現す。青い鱗。細長い身体。わかるのはその程度だ。あまりにも大きすぎて、霧のスクリーンには映しきれない。不意にスクリーン上に現れた船の存在で、俺はその巨体の実際の大きさを知った。巨体のうねりによって、船が木くずのように波に飲まれて消える。やがて、ぬるりとした光沢に覆われた蛇の顔が見えた。するどい牙の並ぶ口を開き、海の中に消えていく。

「これはドラゴンなのか……?」

「ロウロルアだ」

 イクタ王子が呟いた。

 錯覚ではなく、どうやらこの場にいるものすべてが同じ映像をみているらしい。

 スクリーンに目を戻すと、すでに海の映像は消えていた。かわりに、闇が映しだされている。目を凝らすと、ぼんやりとした赤い光が見えた。闇の奥で、何かがうごめいている。不意に、赤い目が一対現れた。その下に闇を引き裂くように、赤い切れ目が走る。溶岩を飲み込んだように燃える口内だと気づく。そこから吐き出された炎が、ドラゴンの身体を映し出す。トカゲのような扁平な形のドラゴンだ。音はないが、そいつは苦しみを訴えるようにもがき、暴れている。しかし、思うように身体が動かないようだ。太い鎖がドラゴンの身体を幾重にも巻きつき、自由を奪っている。

「じゃあ、これがプリシーズ?」

 キヌカが誰にともなく言う。ウェルルシアにいるとされる、隠されたのドラゴン。この場の誰も、正解はわからないのかもしれない。

 霧の結束が緩んで、向こう側にいるハエルの姿が透けた。映像は、それで終わりらしい。焚火の火が手品のように再び勢いを取り戻す。

 俺は消えかけの霧にまだ何か映しだされていることに気づいた。誰かの人影。長い髪。おそらくは、女だろう。祈るようなポーズで、俯いている。彼女が顔を上げた。瞬間、目が合った気がして、一瞬ドキリとする。整った顔立ちの少女だ。まだ、若い。

 ――誰……?

 もっと目を凝らそうとした瞬間、霧が乱れて映像が見えなくなる。俺の他には誰も最後の映像に気づいていなかったのだろうか。その疑問は、アウスンが立ち上がって霧を散らしたために、確かめることができなかった。

「ぼくへの当て付けなら、そうおっしゃってください」

 アウスンの声は怒りを通り越してむしろ淡々としていた。

 その目が、まっすぐにイクタ王子に注がれている。

「なんの話だ」

「ぼくが用済みなら、そうおっしゃればいいと言っているんです」

「なんだって?」

「魔法使いの従者なら、さぞ役に立つことでしょう。ぼくなんかよりも、よほど」

「ハエルは……」

 言いかけるイクタ王子を遮って、アウスンが言う。

「もいいんです。もう……」

 アウスンは首を振ると、深々と頭を下げた。

「長い間、ありがとうございました」

 驚くほどのあっけない宣言だった。躊躇のない足取りで、アウスンが焚火から遠ざかっていく。やがて夜の街道を走り去る馬の蹄の音が聞こえる。

「待って、アウスン!」

 事態の深刻さを悟ったキヌカが立ち上がって叫んだ。彼女はイクタ王子に厳しい表情を向けたあと、何も言わずにアウスンの後を追った。そのあとをリオノスがのそりとついていく。

 俺は――。

 動くタイミングを見失って、焚火の前に座ったままでいた。王子様と魔法使いの少年とともに取り残されて、勘弁して欲しいという気持ちしかない。当の王子様はというと、追いかける素振りも見せず、座ったまま動かない。

「追いかけないのかよ」

 思わず聞いてしまう。従者と勇者に見放されるなんて、相当な事態のはずだが、彼の表情に動揺の色はない。鉄壁の無表情を保ったまま、冷静に宣言する。

「今はロウロルアを倒すことが最優先だ」

「正直言って、同感だが……」

 美容院に行けずに伸びすぎた髪の間に指を差し入れて掻き回したあとで、嘆息する。

 彼のいうことは正論だ。従者ひとりのわがままに付き合っている場合ではない、というわけだ。まったくもってその通り。いい心がけだ。好感が持てるとすら言える。

 俺自身、単独でもドラゴン討伐に支障はない。このまま進んでも構わない。

 が――。

「ま、俺は追いかけるとするか」

 ――一緒に帰るって、約束したし。

「ウェルノス」

 森に潜んでいた狼が音もなく足元に擦り寄ってくる。その背に飛び乗り、飛ぶような速さで駆け出す。昼間は聖獣を使って堂々と街道を通ることができないため、わざわざ道を外れているのだが、人通りの少ない夜なら許されるだろう。

 ウェルノスが匂いをたどり、キヌカたちを追いかける。彼らは首都へ向かう街道を横道に逸れていた。

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