第14話 世界でただ一人だけ

「おい」

 前方にアウスンとキヌカの姿を見つけて、俺はウェルノスを降りた。黒狼は普通の犬サイズに身体を縮めて、俺について走ってくる。そうしないと馬が驚いて暴れるからだ。キヌカもすでにリオノスをひっこめ、アウスンとともに手綱を引いて歩いている。

「どこに行くつもりなんだ」

「トキタカも来たんだ」

「来たんだ、じゃないだろ。どこへ行くつもりなんだよ」

「だって……」

 少しキツく言いすぎてしまったせいか、キヌカは目を伏せ、ここにいない相手に非難がましく言う。

「イクタ王子は……何か事情があるにしても、何も説明しないなんて、ひどいと思う」

「この先に父の領地があるんです。よろしければ、泊まって行ってください」

「なんだ……」

 アウスンがすましていうので、俺は思わず拍子抜けした。感情的になって飛び出して行ったようにみえて、案外彼は冷静なのかもしれない。

「申し訳ございません。キヌカさんたちまで、こんなことに巻き込んでしまって。でも、どうしても耐えられなかったんです」

「イクタ王子を置いて来ちゃって、平気なの? その、あとで打首獄門とかにされたりしない?」

 本当に意味をわかって言っているのだろうか、と思うようなことをキヌカが尋ねる。

「どんな責めも甘んじて受けるつもりです。……もっとも、王子は何もされないとは思いますが」

 信頼というよりは諦めが色濃い声色で、アウスンが言った。何もしないということは、罰しないが追いかけてもこないということで、アウスンの推測は当たっている。俺はすでに彼の答えを聞いてきてしまったことを告げる気になれず、黙っていた。

 すでに夜は更けている。俺たちは月明かりを頼りに、森を抜け、農耕地帯に出た。青い作物が生い茂る畑のあぜ道を進みながら、キヌカが妙に改まった様子でアウスンに問いかける。

「ねえ、アウスン。聞いても良い?」

「なんです?」

「ウワッていう女性って、何?」

 ――それ、ずっと気にしていたのか。

 内心ズッコケたものの、顔には出さない。アウスンは真面目くさって答えた。

「キヌカさんの頼みでも、王子の名誉のためにお話できません」

 三行半を突きつけてきたわりに、忠誠心は失われてはいないらしい。

「あの王子様は別にあんたに不満があるとかじゃないと思うけどな……」

 王子様を庇うつもりはさらさらないが、俺は半ば義務的に仲裁を試みようとした。一緒に旅を始めてから、まだ数日しか経っていないが、少なくとも、彼が任務に対して一切私情を挟まないタイプであることは明らかだった。というか、キヌカたちが普通に接してるのか不思議になるくらい個人の意志というものが感じられない。そんなぐあいなので、彼が個人的な好悪でアウスンの扱いを変えるとは思えなかった。

 アウスンの行動は、客観的に見てもかなり早まったものに思える。ハエルと行動をともにすることと、アウスンを解任するのはまったく別の話だ。とはいえ、一緒にいるのも我慢ならないほどハエルの存在が気に食わないというのなら、とりなしようはないのかもしれないが……。

「王子がどう思っていようと、関係ありません。あと一月で、どのみちぼくはお払い箱なんです」

「どういうこと」

「王子は、一月後、ウェルルシア女王ネシュフィのもとに、婿入りするんです」

「えっ」

「普通に……勤め上げようと思っていたんですが……。ダメですね。別れなきゃいけないと思うと、一緒にいるのが、つらくて」

 アウスンは足を止め、袖口で目もとを拭った。そのまま、いつまで経っても、顔を上げない。やがて、その肩が震え始めた。彼はついに声を上げて泣き始めた。

「婿入りって……け、結婚するってこと!?」

 だいぶ遅れて、キヌカが叫んだ。



 真夜中に尋常じゃない様子で帰ってきた息子に対して、アウスンの両親はあまり詮索せずに受け入れた。彼はほとんど家に帰ることなく、イクタ王子と国中を旅し、近くに寄ったときだけ顔を出す生活だったらしい。突然の来訪には慣れているのだろう。

 家族への挨拶と朝食を済ませると、俺たちは一晩経って落ち着いたアウスンから、昨日の事情を詳しく聞くことになった。

 アウスンは浮かない顔だ。昨日泣いたせいで、まだ目が腫れている。

「イクタ王子とネシュフィ女王は九年前から婚約しています。ずっと昔から決まっていたことです。ぼくと出会うずっと前から……」

 キヌカと出会ったときから遡れば、はるか昔ということになる。

 言わずもがなの事実を考えながら、俺は隣の少女の様子を盗み見た。

 昨晩、婚約の事実を知らされたとき、彼女は明らかに狼狽しているように見えた。もっとも、あれだけの美形が横にいたら、女の子なら何も感じないというとはないのかもしれないが――。

「王子様だもんな、そりゃ政略結婚のひとつやふたつあるよな」

「……」

 俺の軽口など聞こえない様子で、キヌカは唇を引き結んだまま、黙っている。

「九年前……ぼくがまだ小さい頃の話ですが、リオニアとウェルルシアの間で大きな戦争がありました。戦争は長引き、どちらの国も疲弊していたときいています。当時、戦争とは無関係の出来事でウェルルシア王と王妃が亡くなり、それをきっかけにして、両国は和平を結ぶことになりました。その条件が、ネシュフィ女王とイクタ王子の婚姻でした」

「結構、おおごとじゃねーか」

 破談すれば、最悪、両国が再び戦争することすらあり得る話だ。当然、イクタ王子個人の意志でなかったことにできるような類のものでもない。

「イクタ王子に仕えるとき、ぼくは生涯を捧げる覚悟でした。ウェルルシアでも、どこにでもついていくつもりでした」

「ウェルルシアでだって、身の回りの世話をする人は必要なんでしょう? どうしても別れなくちゃいけないわけじゃないんじゃない?」

 キヌカの言葉に、アウスンが首を振る。

「でも、ダメです。ネシュフィ女王が、ぼくの同行を許してくださらなければ、どうにもなりません」

「どうしてその人が……女王が許さないってわかるの。直接訊いたの?」

「王子ですら、九年前に一度お会いしたきりだそうですから、ぼくなどのお目通りが許されるはずがありません」

「ちょっと待てよ、じゃあ、もしかして、ハエルは――」

 俺の言葉を引き継ぐように、アウスンが頷いた。

「ええ。おそらく。ウェルルシアの人間です。女王の縁者かもしれません。ウェルルシアはテルミアでもっとも魔法の研究が進んだ国だと言われていますし。それ以外、あの若さで魔法を使いこなせる人間は考えられませんから。彼がウェルルシアから派遣された従者なら、ぼくは必要ありません」

「なるほど……それで王子様がハエルの正体を隠した理由もわかった」

「ど、どういうこと」

 キヌカだけがピンと来ない様子で問いかけてくる。

「いや、あいつはただの従者って感じじゃない。ウェルルシアから秘密裏に派遣されてくるくらいだから何か理由があるんだ」

「理由って?」

「さあ……」

 それ以上のことは、俺にわかるわけがない。

 ただ、アウスンの葛藤はわかる。王子がウェルルシアに婿入りすれば、彼は向こうの国の人間になる。両国間が友好な状態が続けば問題がないかもしれないが、敵対すればリオニアとの縁は切れる。イクタ王子についていくということは、要するにアウスンもまた祖国を捨てねばならないということだ。そう簡単に決断できることじゃない。

「アウスン、このままイクタ王子と別れて、本当に、いいの?」

 キヌカの問いかけに、アウスンは首を振った。

「イヤですよ! でも……本当は、ウェルルシア女王の許可なんて、関係ないんです。イクタ王子は、ぼくを連れて行かないと、決めています……。いつか心が変わるかもしれないと、ぼくが未練がましく期待していただけです」

 再びアウスンの両目に涙が滲むのをみて、キヌカが絶句する。それは王子様の親心だろうと俺は思った。ウェルルシア王になるイクタ王子はともかく、ただの従者として異国にいっても、アウスンに輝かしい未来があるとは思えない。彼も前途有望な若者をそんな道に引き入れるようなことはしたくはないだろう。

 アウスンも、それがわかっていて、未練を断ち切るために彼のもとを離れたのではないか。

 俺は重い空気に耐えかねて、部屋の窓に近づいた。ちょうど正面玄関の上にある部屋で、屋敷に続く道を一望できる。そこを一騎の騎馬が進んでくる。

 俺はかなりの驚きをもって彼の姿を眺めた。

 ――一度言ったことは翻さないタイプだと思ってたのに。

「アウスン、諦めるのはまだ早いかもしれないぜ」

 銀髪の王子が、馬を降りて玄関に向かってくる。馬上にはハエルの姿もあった。

「押してダメなら引いて見ろ、かな?」



 イクタ王子の姿を認めた後のアウスンの行動は素早かった。部屋を飛び出し、真っ先に彼を出迎えにいく。

 アウスンを追いかけて一階に降りた俺は、誰かに手を引かれて、入り口の前で立ち止まった。見ると、キヌカが扉の影から外のふたりの様子を伺っている。覗き見みたいな真似は気が引けるが、確かにここで出て行くのも野暮なので、キヌカの隣に並ぶことにする。

「王子……どうして?」

 アウスンの問いかけに、イクタ王子はいつもの通り、感情の読めない顔で軽く肩を竦めた。

「おまえがいないせいで、おれは今朝生煮えのスープを飲むはめに」

 ありありとその様子が想像できてしまい、俺は内心笑いを堪えた。

 王子なりの冗談なのだろうが、アウスンは笑えなかったらしい。即座に膝を折り、頭を下げる。

「……勝手にお側を離れて、申し訳ございません」

 イクタ王子はイケメンか王子にしか許されないしぐさで――要するにすべてを許された者として――アウスンの顎に指を添え、顔を上げさせた。

「気にするな。おれには、おまえが必要だ」

「王子……!」

 従者の少年の声はすでに鼻声になっている。麗しい主従愛というわけだ。まるで作り話のように、主人が従者にいかに支えられているかに気づき、円満解決。

 他人の幸せから急速に興味が失せて視線を外した俺は、ついで聞こえてきた声に耳を疑った。

「じゃあ、ぼくもウェルルシアについて行っても構わないのですね」

「いや、それは駄目だ」

 アウスンの笑顔が凍りつく。イクタ王子はまったくの無表情で――というか最初からずっとそうだが――冷たく言った。

「ウェルルシアになんて来て、どうする? 知り合いも、味方もない。二度とリオニアの土は踏めないかもしれない」

「それでも構いません。今までと何が違うんですか? 誰に疎まれても、嫌われても、ぼくだけが、ずっと王子の味方でいました。ずっと、二人でやってきたじゃないですか」

「おれを心配しているのか?」

 王子の問いかけに、アウスンが答えを躊躇した。

「心配ない。これからは、おれを真実必要としている人間のもとにいくのだから」

「王子は……ぼくが必要だと……」

「必要だ、少なくとも、あと一月は」

 あやすようなしぐさで、王子の指がアウスンの涙を拭った。優しい動作とは相反する言葉に、アウスンの顔が強張る。だが、彼はもう泣かなかった。

「それでは、最後のときまで、できるだけ長く、おそばにいさせてください」

 それは諦めに似た服従だった。

 俺は一番無難な結末を避けようとしたアウスンの気持ちがわかる気がした。

 彼はもとよりあるじの心を試すつもりなどなかったのだ。立場の違いがある以上、彼が折れる以外にない。それが嫌なら、無断で飛び出すしかない。稚拙な反抗だが、それしか方法はなかった。だから、アウスンにとって誤算だったのは、イクタ王子が迎えに来たことの方だったのだ。

 イクタ王子は望みを聞き入れた従者の頭を抱き寄せた。

 傍目には、麗しい主従愛――の、二回目としか映らないだろう。だが、感度の良すぎるウェルノスの魔法は、本来ならアウスンだけが聞くはずだった言葉を、俺たちのもとにまで届けてしまう。

「おれのことを本当に理解しているのは、世界でただ一人だけだ。おまえじゃない、アウスン」

 王子がどこか虚ろに呟く。

「おれ自身にもわからないんだからな」

 俺は隣にいる少女をそっと盗み見た。

 その言葉は、意図せずに別の人間までも傷つけたかもしれない。

 ――やはり、異世界で都合よく美形の王子様とフラグが立つような事態は起こらない。

 あるいは、始まる前から終わっている。知らぬ間に忘れ去られてしまった俺のように。

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