第10話 わかりきったことを

 遊牧民の白いテントの中は温かく快適だった。分厚い絨毯が敷かれ、夜の冷え込みを感じさせない。野宿するにも逃げる途中で馬車や物資を失ってしまっていたあたしたちは、大胆にもヒームインに戻り、イクタ王子がいつの間にか買収していたトマクト族の一家のテントに間借りしていた。

 オーフたちは村周辺の見回りを強化していたものの、あたしたちの捜索自体はすでに打ち切っていた。テントから出なければ、おそらく見つかることはないだろう。

 状況が状況なので、トマクト族の一家とは互いに詮索をせず、黙って明日の準備をした。そんな中でも、彼らはあたしたちに馬肉を挟んだパンと温かいミルクを振る舞ってくれた。

 彼らに話しかけるのはルール違反かもしれないと思いつつ、あたしは食事中、一家の家長と思われる男性に質問をぶつけてしまった。

「あたしたちを匿ったりして大丈夫なんですか?」

 ――これからあたしたちはルビリムを殺そうとしているんですよ。

 イクタ王子がどこまで話をしているかわからないので、後半の言葉は飲み込む。そうでなくても、裏切りのリスクは重いはずだ。あたしたちの所為で彼らが窮地に立たされるようなことがあれば、知っておきたいと思ったのだ。

 アウスンがあっという顔をしたが、イクタ王子はとくに咎めることはなかった。

 あたしの質問に、トマクト族の男性がテルミアの共通語で答えた(トマクト族の一家同士の会話は知らない言葉だった。あたしにはリオノスの翻訳があるので共通語じゃなくても理解できてしまうけれど)。

「ルビリムは気まぐれな神だった。いつ訪れるかわからない奇跡であり、災厄でもある。わたしたちはそれをはるか昔から受け入れてきたんだ。だが、ルビリムを呼び出す魔法を得てから、オーフたちはルビリムの恵みを支配し始めた。その恩恵によって、一族を従わせようとしている。これは正当な状態ではない。――もっとも、あんたたちに金をもらって言える立場じゃないかもしれないが」

「災厄って……?」

「恵みと災厄は表裏だ。オーフたちが支配しているのは恵みだけではない、ということだ。祭りが終わったら、私たちはノエリサートにいくつもりだ。あそこでは、どんな部族のものも受け入れられるときいている」

 もう少し話を聞いてみたかったが、イクタ王子が不意に立ち上がって言った。

「明日は早くなる。もう寝た方がいい」

 そして本人はテントの外に出てしまった。オーフたちの動きを監視するために、今夜は不寝番をするらしい。

 こういうことはヒームインに来るまでにも何度かあった。やむを得ず野宿するときには見張りが必要ということで、いつもイクタ王子自らが引き受けていた。不慣れな旅路で、あたしは横になるとすぐに意識を失ってしまっていたので、どこかの時点で休憩しているのだと無理やり納得していたけれど、多分そうではないのだろう。

 灯りの落とされたテントの中、ヤギの毛皮にくるまって雑魚寝しながら、隣の寝床のアウスンに小声で話しかける。

「イクタ王子は寝なくて平気なの……?」

「王子はまあその……あまり普通じゃないので」

 ――普通じゃないのはわかってるんだけど。

 何がどう特殊なのか、確認したいとは思いながらも、今まで放置していた疑問だ。第一、普通じゃないとか、特殊だとか、どうやって本人に問いかければいいかわからない。

「キヌカさんは王子がお嫌いなんですか?」

「えっ……」

「あまり話をされていないようなので……」

 そんなことはない、と言いたいところだったけれど、事実だった。あのときのことを、無理やりイーブンということにしたけど、だからといってすぐに仲良くなれるわけじゃない。でもことさらマイナスの感情があるわけでもない。アウスンの心配はもっともだけど、その微妙な関係性を言葉にするのは難しい。

「イクタ王子は誤解されやすい人なんです。本人はあまり気にしていないようなんですが……。いつもあの調子で素っ気ない感じなので、人を怒らせたり、怖がられたりして。でも、王子のあの姿を見たあとでも普通に接してくれる人は、キヌカさんが初めてかもしれません」

「それは、まあ……」

 言われてみれば、殺されかけたのにそのあとも普通に接しているあたしは菩薩並の優しさかもしれない……いや、そういう話ではないか……。

 アウスンが暗闇の中でフフ、と笑った。

「ぼくはキヌカさんと一緒に旅ができて嬉しいんです。ずっと王子と二人きりだったから……」

 二人が旅慣れていることは、一緒にいてよくわかった。アウスンは食事作り、王子は馬車の操縦や見張りといったように、もはやいちいち確認する必要もないくらい、仕事の分担が出来上がっていて、あたしの入るスキがないくらいだった。もっとも、あたしはスキがあろうとなかろうと、旅についていくので精一杯のお荷物でしかないのだけれど。

 大国の王子という肩書きからすると、イクタ王子の旅慣れ方は奇妙ではあった。王子様はお城にいて、騎士に守られて優雅に暮らしているものというイメージとはだいぶ開きがある。

 それに、バアードが言っていたあの呼び名。

「ねえ、“魔狩り王子”って、どういう意味?」

「ああ、聞いてしまったんですね。それはイクタ王子の異名です。本人の前では言わないでくださいね。もともとは称号だったのかもしれませんが、いまでは畏怖の象徴といえるかもしれません」

 バアードの反応からして、その名前に力があることはあたしにもわかった。そこに恐怖が伴っていることも。

 マートアにいた兵士の吐き捨てた言葉。ストレックを倒しても、与えられることのなかった賞賛。

 リオニア滞在中に感じた、彼に対するどことなくよそよそしい扱いも、おそらく気のせいではないのだろう。

「アウスン、教えて」

「別に隠しているわけではありません。十年くらい前、魔物の数が増加していたことを受けて、王子はリオニア国内の魔物退治を始めたそうです。わたしが同行するようになったのは、三年前からですが。魔物は魔力の痕跡に惹かれて集まってくる性質があります。皮肉な話ですけれど、王子が魔物を倒せば倒すほど被害が拡大するような側面があったんです。今ではもっとうまくやれますが、最初の頃は相当苦戦していたそうです」

「それで、恨まれてるってこと……?」

「たぶん、もっと単純で、根本的な理由なんだと思います。怖いんですよ。強大な力を持っているイクタ王子が」

「怖い……」

「でも、キヌカさんに関しては心配要りませんでしたね。だって、イクタ王子に勝るとも劣らない力を持った、勇者様なんですから……」

 それは違う、と反論しかけたが、ほどなくアウスンの寝息が聞こえてきたので、あたしは会話を打ち切った。

 あたしはただの普通の女子高生だ。テルミアに来た後でもそれは変わらない。ただ、とてつもない力を持った聖獣リオノスが、あたしの武器になってくれているだけの。

 イクタ王子のことも、ただ目を逸らしていただけなのかもしれない。

 ――ドラゴンに変身する王子。

 わかりきったことを、ようやく認める気になる。

 普通の人間であるはずがない。



 まだ暗いうちにイクタ王子に叩き起こされて、あたしたちはヒームインから少し離れた丘で待機した。夜明け前の少し前、薄靄の中を、ヒームインからたくさんの馬が一斉に出発する。

 儀式に参加するのは、トマクト族全員ではなく、大半が働き盛りの男たちのようだった。その中に砂色ケープの一団も混じっている。湖畔の魔法使いバアードもそこにいるはずだが、背格好からして女性も混じっているようだ。

「あのスピードで走られたら追いかけるのだけでも一苦労ですね。優れた馬と、優れた馬術を使って全力疾走して撒くつもりかもしれません」

 どこかに隠れていたらしい他の遊牧民の部族たちも、ルビリムの秘儀を狙って追いかけ始めるのが見えた。それをクマクト族のしんがりが矢を射かけて追い返している。

「近づき過ぎれば射たれる。遠過ぎれば見失う、か」

 他人事のように言って動かないイクタ王子に不安を覚える。大体、こちらにはリオニアから荷馬車をひいてきた平凡な馬二頭しかないのだ。

「どうするの?」

「問題あるまい。キヌカ、上空からおれたちを誘導してくれ」

「……あ、そっか」

 障害物のない平原だけあって、上空からの追跡はかなり容易だ。地上からは視認できない距離があっても、十分に追える。

 あたしはリオノスに乗って空に登り、砂色ケープを囲むようにして走る騎馬の集団に目を凝らした。似たような地形の連続する平野を迷いなく走り抜けていく。

 彼らは小高い丘に囲まれた平野の奥へと突き進んだ。日が昇り、雲ひとつない晴れ空と枯草の黄色い平野が色彩を帯びていく。

 あたしはトマクト族の先頭集団が馬を止めた地点を見定めてから、イクタ王子たちのもとに戻った。

 十分距離をとりつつ、地面から半分ほど突き出した岩の後ろを待機場所に決める。ルビリムが現れれば、かなり遠くからでもわかるとはいえ、砂粒くらいの人々に目を凝らすのはなかなか不毛な作業だった。

「ねえ、もっと近づいちゃだめ? 空からなら気付かれないかも」

 痺れを切らしてリオノスに跨がろうとするあたしに、イクタ王子が近づいてくる。

「一緒に行っても構わないか?」

 てっきり止められるものと思っていたので、意外な申し出に、ドキリとした。

(ボクはイヤだな~。だいたい、聖獣はそう軽々しく勇者以外のひとを乗せるものじゃないからね~)

 あたしはリオノスのたてがみをポンポンと叩いてから、彼を振り返った。

「リオはいいって」

(わーっ! 嘘つき、嘘つき!)

「べつに減るもんじゃないでしょ」

(横暴だーっ)

 どうせ他人には聞こえないものと無視していると、観念したのか、リオノスは二人乗りしやすいように身体のサイズを大きくしてくれた。

「ぼくだけ置いてきぼりですか」

「おまえはルビリムが現れても来なくていい。どうせ役に立たない」

「うっ……」

 イクタ王子にはっきりと言われて、アウスンがうなだれる。確かに、ストレックのような巨大なドラゴンが現れたときに、普通の人間にできることがあるとは思えない。あたし自身、リオノスと魔法の鎌に頼ってるだけで、何かできるわけじゃないけど……。

 これから本当に、ドラゴンが現れるのだろうか。そう考えると、緊張してドキドキしてくる。ストレックのときは、緊急事態だったし、あまりことの重大さを理解していなかったので、勢いで突っ込んでしまったところがあった。次も同じことをできるかと言われたら、あまり自信がない。

 イクタ王子があたしの後ろに跨ると、リオノスはいつもどおりの軽快さで空に飛び上がった。十分高度を取りながら、トマクト族の頭上に近づく。

 よくみると、そこには土を盛って作った舞台のような物があった。舞台を砂色のケープの一団が取り囲み、そのうちの一人が舞台の上に立っている。少し離れて、トマクト族の男たちが見守る。

 舞台上の人物が砂色ケープを外した。鮮やかな衣装が顕になる。

「あの子、あたしが万引き犯と間違えた子だ」

 艶やかな黒髪の美しい少女だ。おそらく間違いない。彼女が秘儀の中心になっているらしいことは、意外だったけど、それであたしが連行された理由もはっきりした。

 ――そんな重要な子をいきなり押し倒したら、一発で牢屋行きね……。

 周囲の砂色ケープの一団が笛を吹き鳴らし始めると、少女は舞台上で舞い始めた。そうしながら、舞台上の決められた位置に馬の頭蓋骨を配置したりしている。

「ルビリムの秘儀って、結局なんなの?」

「魔法の一種だろう」

 思わず出た問いかけに、イクタ王子が答える。あまりにも端的に言われてしまって、まるで理解できない。あたしの困惑を察して、イクタ王子が言葉を付け足す。

「人の扱う魔法のほとんどはドラゴンからもたらされたものだと言われている。呪文や儀式やらやり方は様々だが、その手順も、引き起こされる効果も、少しも動かすことはできない。単純な火球を生み出すにしても、威力を変えるようなアレンジすら、人には不可能なんだ。それは、魔法の理が人には理解できないためだ。だから、ルビリムを呼び出すというだけの魔法ですら、自力で編み出そうとすると相当な困難が伴う。ルビリム自身に与えられたのでない限りはな。だからこそ、その魔法の手順は厳重に秘匿される。この儀式にしても、真の手順がわからないようにブラフが混ぜられているのだろう。実際のところ、覗き見したところでそう簡単に盗めるものじゃない」

「そう、なんだ……」

「この魔法ばかりはおれにも使えない。ルビリムを知らないからな」

 ――つまり、知っていれば使えた?

 言外の意味することろに気づいて、ハッとする。

(ちなみに、今の話はボクには当てはまらないよ。だって、聖獣であるボクは魔法の理を知っているもの。ボクは魔法を理にしたがって、その場で作り出せる。たぶん、イクタ王子自身も)

「うん――」

 さらなる補足を付け加えたリオノスの声に、あたしは密かに頷いた。

 分かる理屈と、分からない理屈がある。

 狂い、暴れるドラゴンを倒さなくてはいけないということ。

 それが勇者の使命であるということ。

 ドラゴンが狂っていくという異変のこと。

 イクタ王子が人間じゃないということ。

 リオノスは、あのときこう言っていたのだ。


(――彼は殺しておくべきだ。ストレックのようになる前に――今、ここで)


 だとすればあたしは――。

 湿った風に煽られて、心がかき乱される。

 風向きが変わった。

 雨の匂いが南から運ばれてくる。冷たい空気が肌を撫でる。地平線から、雷雲が見る間に迫ってくる。

 雨が、巨大なドラゴン連れてきたのだった。

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