第9話 王子様はいない
(逃げないの、キヌカ)
「たぶんこれはチャンスなんだよ。ここで、湖畔の魔法使いってやつに会えるかもしれないし。イクタ王子はあたしが彼から情報を引き出すのを期待してるんだと思う」
――だから、助けなかった。
イクタ王子が本気を出せば、トマクト族に連行されるあたしをあの場で助け出すくらいなんてことはなかったはずだ。それをしなかった理由は、これしかない。
――はず。
とはいっても、小さな部屋に監視つきで押し込まれているとだんだん不安になってくる。
(まあ、危害を加えられることはなさそうだね)
リオノスがのんきに言う。実際、トマクト族は自分たちの祭りをつつがなく運営しようとしているだけのようだ。監禁されてはいるが、今のところ身の危険は感じない。
「最悪、明日いっぱい拘束されるだけみたい。それも大問題だけど……」
モフモフの姿になったリオノスが、他の人に見つからないように服の奥に入り込んでいるため、くすぐったくて両手を縛られたままもぞもぞと身体を動かす。掻けないと思うと余計に気になってしまう。
「ねえ、あんまり動かないでよ、リオ」
(ちょっと足場が悪くて……)
「何よ足場って」
そんなことを言っているうちに、部屋の外に人の気配がして、ふたりの男が部屋に入ってくる。
どちらも壮年から中年くらいの年齢だ。一人は黒くて強い髭を顎全体に生やした小柄の男で、もう一人は万引き犯と同じ砂色のケープをまとった長身の男だ。あたしは彼が“湖畔の魔法使い”であることがすぐにわかった。クマクト族に比べて色白肌、髪もブラウンの直毛で、明らかにリュトリザの平均から外れている。近くでみると、砂色のケープは黄色い糸で細かい刺繍がされていて、あたしはようやくその服が何らかの階級か役職を示すものだと気づいた。この人が万引きして全力疾走していたとも思えないので、多分別の人なんだろうけど。
――ルビリムの秘儀はともかく、なんだかあたし、万引き犯の素性に近づいてる気がする……!
(いや、別に万引き犯をあそこまでして捕まえる必要なかったよね?)
リオノスに茶々を入れられてムッとするが、さすがに今は尻尾を踏むことができない。
「こんな小娘がリオニアの密偵とは信じがたいですね」
「他にも仲間がいたが、取り逃がしたようだ。ただの雑用だろう」
「なんにせよ、話を聞けばわかるでしょう」
二人があたしをひとしきり観察して好き勝手なことを言い合う。二人はテーブルを挟んで向かいに腰掛けた。砂色ローブの方が口を開く。
「わたしの名はバアード。こちらはトマクト族族長オーフだ。きみの名前を聞かせてもらえるかな?」
バアードが優しげな口調のつもりの猫なで声で言った。尋問といっても、一方的に脅そうというわけではなく、一応こちらの心情に配慮する気はあるらしい。あたしとしても情報を引き出すチャンスだ。
「あたしの名前はキヌカ。異界の勇者なの」
「……」
小部屋に微妙な空気が流れる。オーフが髭を撫でる手を止めて、ぎろりとあたしを睨んだ。
「なんだと?」
オーフの怒りを察して、バアードが少し慌てた様子で解説する。
「異界の勇者とは、リオニアに広く流布する伝説です。冗談で言っているのでしょう」
イクタ王子も最初は微妙な反応だったし、異界の勇者のネームバリューはかなり限定的なもののようだ。とはいえ、聖獣リオノスという切り札のあるあたしには自信があった。
「嘘じゃないし。証拠を見せてもいい。でも、ちょっと話をしてからね」
「生意気な娘だな。部族の娘であれば、すぐにでも根性を叩きなおしてやるところだ」
体育教師の百倍は恐ろしい気迫で呟くオーフに、あたしは首を竦めた。もちろん、ここで引き下がるわけにはいかない。
「あたしはミア様とかいう神様の力で、ドラゴンを倒すためにこの世界に連れてこられたの。リオニアではストレックとかいうドラゴンが暴れてたから倒して……あなたたちのドラゴンだって、いずれ同じようになるかもしれない。だから、あたしはあなたたちを助けようと思ってきた。悪いことをしに来たわけじゃない」
「ストレックを倒しただと?」
あたしの言葉をきいて、バアードが顔色を変える。
「あ、倒したっていうのは、あたしひとりじゃなくて、イクタ王子ってひとの協力もあったんだけど」
「イクタ――リオニアの魔狩り王子か!」
バアードは大声を上げて立ち上がると、裏からクマクト族の若者を呼び寄せた。
「今の話の裏をとれ。リオニア方面に詳しいやつを探してくるんだ」
バアードが話をすると、部屋の外も騒然となった。何がそんなにすごいことなのか、いまいちピンとこない。
「おまえと一緒にいたのは、リオニアの第二王子で間違いないか? やつはどこにいる?」
「そう……だよ。あなたたちに捕まって、はぐれちゃったから、居場所はしらない」
居場所を知らないのは事実だったけど、情報を引き出すつもりが、逆に自分たちの情報を明かす結果になってしどろもどろになる。オーフは疑いの眼差しを向けつつ、それ以上追求しなかった。
「どのみち、平野に逃げられたら探しようがないな。おそらくそう遠くには行っておるまい」
「魔狩り王子は百年もの長きに渡りリオニアの守り神であったストレックを殺し、さらにはわれらのルビリムまでも手に掛けようというのか? リオニアは力を得て驕りきっている。神への反逆にも等しい!」
大仰に頭を振って嘆くバアードに、オーフが醒めた様子で問いかける。
「小娘のいうことを信じるのか?」
「事実かどうかは、すぐにわかるでしょう。何にしても、魔狩り王子がここにきているとなれば、放置はできません。むろん、彼がルビリムを倒せるとは、万に一つも、あるとは思いませんが……」
「――あたしの言うことを、信じないのね? ルビリムがいずれあなたたちに危害を加えるかもしれないって言っても。ドラゴンを倒すために、ミア様があたしを遣わしたって言っても――」
そう言いながら、あたし自身、その言葉の説得力のなさを感じていた。リュトリザとリオニアとは単純に言って文化が違う。神様や勇者の受け止め方も違ってくる。
郷に入っては郷に従え――自分の知らない世界の考え方にいちいちツッコミを入れていたらキリがないと思っていたけれど、やっぱりあたし自身の認識も彼らとは違っているのだ。
アトレン王子がそう言ったから、ストレックが凶暴なドラゴンでリオニアの人たちを苦しめていたから、それが勇者の使命なのだ――と言い切るには少し根拠が足りない。神様とやらをこの目でみたわけじゃないし、はっきり指示されたわけでもない。
あたし自身がそう信じて行動する分には、ギリギリ……でも、この人たちを説得するには全然足りない。
オーフはあたしの言葉への不信を隠さない反面、真面目に尋問する気も失せたようで、若干砕けた様子で口を開いた。
「ミア神がテルミアの最上位の神であることは否定しないが、われわれトマクトにとっては、ルビリムこそもっとも身近で重要な神なのだ。平原を彷徨い、遊牧民のもとを気まぐれに訪れては、恵みをもたらして去っていく。この平野に暮らす遊牧民はその生活をはるか昔から受け入れてきた。トマクトはルビリムを呼び出す秘儀を生み出しはしたが、それを乱用はしない。われわれがルビリムに恵みを乞うのは年に一度、祭りの日のみ。他の部族どもは不当な独占だと批判するが、われわれが求めるのは一族が生きていくのに必要な恵みだけだ。リオニアのものたちが何を信仰しようと知ったことではないが、邪魔立てされる謂れはない。――もっとも、こんなことをおまえなどに言っても仕方ないが」
オーフは意外にも本音を言ったらしい。髭の下に自嘲を浮かべている。
「あたしにはわからないけど……あなたたちの事情は――」
あたしはこの世界のことにあまりにも無知だ。ストレックがリオニアの守り神であったことも知らなかった。
でも、言うべきことは言った――というか、あたしには警告以上のことはできないとわかった。
相手の言い分も、聞くだけは聞けた。
「あたしが確実に言えるのはひとつだけ――あたしが異界の勇者だってことは、あたし自身にもどうにも否定できないみたいだってこと!」
瞬間、あたしの服からこっそりと抜けだしていたリオノスが、翼獅子へと変化し、あたしの腕の縄を噛みちぎった。
「ガウウ!」
ライオンの姿でリオノスが吠える。オーフとバアードは完全に不意を突かれ、半ば腰を抜かし、半ば椅子から落ちるようにして、背後の扉まで引き下がった。
「この猛獣、どこから現れた!」
自由になって立ち上がると、あたしはリオノスに手を差し出した。
リオノスが変化して手の中に鎌が現れる。
「じゃあ、帰るから」
あたしは背後の壁に向かって鎌を振り下ろした。さほど厚くもない壁が真っ二つに割れて、吹き飛ぶ。唖然とする人々を残して、あたしはリオノスに乗って飛び上がった。
すでに夜が更けている。ヒームインを離れると、暗い平原が果てしなく続くばかりで、容易に自分の居場所を見失いそうになる。
適当なところでリオノスを旋回させた。数えきれないほどの夜空の星々とは対照的に、地上の光はヒームインに集まる幾つかの点だけというあまりにも心もとない光景がある。戻ればまた捕まるだけだし、イクタ王子たちにも追っ手が掛かっているだろうから、村にはいないかもしれない。とはいえ、近くの人里は馬車で何日もいったところにしかない。
「どうやって合流しよう? 携帯電話がないと不便ね……」
そういえば、携帯電話は屋上のカバンに入れっぱなしだった。何にしても、異世界じゃ使えないけれど。
心細さと寒さで震えが下半身から上ってきた。暗闇の中に取り残される不安で胸が塞がる。
(誰かこっちに向かってくるよ)
リオノスに言われて、地上に目を凝らす。松明の光がひとつ、こちらに近づいてくる。速さからして、騎馬だ。近づくにつれて、馬上の人物が明らかになる。あたしはリオノスを地面に下ろすと、そちらに走り寄った。
騎馬の人物もまた、馬を降りている。彼は外套のフードをとり、顔を露わにした。長い銀髪が背中へと流れ落ちる。その顔を見た瞬間、その場に崩れ落ちそうになる。なんてことないつもりでも、一人拘束されたことが恐ろしかったのだということがいまさら意識させられて、足の力が抜けてしまった。
あたしは暗い平野の途中で立ち止まった。目算で測ったよりも長い距離を走ってきて、息が切れている。
あたしが途中で立ち止まったことを不審に思ったのか、イクタ王子が問いかけてくる。
「大丈夫か」
松明と思ったのは、イクタ王子が魔法で生み出した炎だったらしい。宙に浮いた炎が、こちらを照らそうとするのを、咄嗟に手を顔の前に翳して避ける。眩しいふりをして、本当は顔を見られたくなかった。なんだか、情けない顔をしていそうで。
「ごめんなさい。ルビリムの秘儀の情報、何も聞き出せなかった。湖畔の魔法使いに会えたのに」
「そんなことはどうでもいい。おまえが無事なら」
ならどうして助けに来なかったのかと詰問したい気持ちと、素直に嬉しい気持ちが混ざりあって、言葉にならない。
あたしが答えないでいると、彼が近づいてくる気配がした。イクタ王子の手が、顔を隠しているあたしの腕に伸びる。
白馬に乗って助けに来てくれる王子様はいない。そんなものは期待していない。
でも、期待していないという強がりが、顔を見られたらきっと看破されてしまう。
顔を見られたら、きっと泣き出してしまう。
イクタ王子の手があたしに触れる――瞬間。
「キヌカさん!」
名を呼ばれて、身体に衝撃を感じる。走ってきたアウスンに半ば飛びつくように抱きしめられたのだと気づくまでに数秒かかった。
「心配しました! お怪我はありませんか? 連中から身を隠しながら、ずっと連れて行かれた建物を見張っていたんです。よかったです……本当に」
もうすでに涙を浮かべているアウスンをみたら、涙を堪える理由がなくなってしまった。
つられて目を拭ったあたしを見て、アウスンが余計うろたえる結果になった。
「大丈夫ですか!? 何か変なことされませんでした?」
「ごめん、全然平気――。悪い人たちじゃなかった……と思う」
むしろ悪いのはあたしたちの方かもしれない。彼らを守るためにルビリムを倒すのだと言っても、それを証明できないのだとしたら、あたしたちはリオニアからやってきて彼らの恵みの神を殺そうとする悪いやつということになる。
それを、イクタ王子はわかっているのだろうか。
「明日は予定通り、トマクトの儀式を監視する。その場でルビリムを仕留めるかどうかはおれが判断する」
イクタ王子はいつもと変わらない淡々とした声で告げた。
彼は迷わないのだろうか。
トマクト族に悪だと罵られても、自分の方に正義があると、信じているのだろうか。
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