第4話 振るだけでいい

「助けてくれー!」

 男の人の叫び声が聞こえて、あたしはそちらの方角に目をやった。ワイバーンの一匹が口に人の足を咥えたまま、上空に舞い上がっていく。

「やめてくれ! 誰か!」

「ああっ」

 ワイバーンが口を開くと、男性は数十メートルの高さから落とした。絶叫が響いて、思わず目を閉じる。落下音は聞こえなかったのは幸いだった。あたしは蒼白になりながら、彼が落ちたと思われる場所に急いだ。

「アウスン!」

 路地の奥に全身鎧の少年を見つける。彼は振り返って首を振った。彼の向こう側に、落下した男性の足が見える。

 あたしは手で口を抑えた。

 地響きを立てながら、ワイバーンが少し先の通りに舞い降りた。周辺の家々よりも堅牢な石造りの建物に向かっていく。ワイバーンは無残に破壊された扉から建物内に頭を突っ込み、身をよじって何かを齧るような仕草をしている。でっぷりとした腹が挟まってそれ以上中には入れないらしい。

「あいつは何をしているの?」

「生き残りを探して遊んでるんです。もう食べきれないくらい食べたから」

「食べ……」

 何をとは聞けなかった。

「ストレックがいたらこんなものでは済まなかったでしょう。イクタ王子は間一髪、町が襲われる前にやつを南の平原に連れ出したそうです。きっと、今もそこで戦っているはずです」

 あの空を覆うほどの巨大なドラコンの胃にどれだけの“食べ物”が収まるのかを想像して気分が悪くなる。

「あの聖堂内に逃げ遅れた人たちがいます。ぼくがワイバーンをおびき寄せますので、その隙に中の人を逃がしてください」

 アウスンが大きな円盾を構えて言った。ヘルムの切れ込みから覗く目が、たった数十分くらいの間に急に大人びてしまったように思えて、息が詰まる。

「大丈夫なの?」

「きみが勇者なら……頼むよ」

 答えにならない返答をして、アウスンが駆け出す。彼はワイバーンの背後に回ると、盾を剣でガンガン叩いた。

「来い! デブの竜め! おまえの腹をこの剣で引き裂いてやる」

 頼まれてしまったからには、あたしも走るしかない。建物を回りこんで、聖堂の裏にでる。ワイバーンがアウスンに気づいて、身体の向きを変えた。

 重い足音を立てて遠ざかるワイバーンを横目に、あたしは聖堂に飛び込んだ。薄暗い室内で、物陰からこちらを伺う白い顔がいくつか浮かんで見える。

「今のうちに逃げて! 彼がワイバーンを引きつけてるうちに。はやく!」

 叫んだものの、人々の反応は鈍い。怯えきっていて、動けないのだ。こんな状況では無理もないけど、歯がゆいことこのうえない。

「お願いだから逃げてってば!」

「ここにいた方が安全だろ」

「きみも隠れた方がいい」

「ここもいつまで持つかわからないのに?」

 焦りのあまり半ば腹が立ってきたとき、頭の中でリオノスの声がした。

(キヌカ、鎌を掲げて)

「何、こんなときに」

(いいから)

 あたしは言われたとおり、頭の上に鎌を持ち上げた。もともと恐ろしく美しいきらめきを持つ金属製の鎌だったが、不意にそれ自体が発光し始めた。

 金色の輝きが聖堂内を明るく照らしだす。

「この光は……」

「ミア様の輝き……?」

 誰かが呟いた。

 あたしは光に照らされた聖堂の奥の壁をみた。その壁面に、空を飛ぶ金色の翼獅子と、さらにその上、天空から地上を慈愛に満ちた表情で見下ろしている、光り輝く美しい女性が描かれている。

 ――あれが天空の神ミア……。

「そう、あたしはミア様のつかわした異界の勇者! あなたたちを助けに来た。今すぐここを逃げて! 城門から外に出るの」

「ミア様がわれわれを助けてくださった……!」

「ありがとうございます、ミア様」

 人々の表情に希望が浮かんだ。一人が物陰から出てくると、つられるように次々と聖堂の外へ向かう。

「ありがとう、リオノス」

(ま、光らせるくらいはね)

 全員が逃げるのを見届けてから、アウスンとワイバーンを追いかける。彼らの居所は、ワイバーンの鳴き声の方角に向かうとすぐに見つかった。

「アウスン!」

 アウスンがワイバーンによって建物の角に追い詰められている。逃げ場を封じられたアウスンの剣が、ワイバーンの爪に弾かれてアウスンの手を離れる。ついで、ワイバーンの炎が、アウスンを覆った――いや、丸盾の影に隠れて凌いでいる。ワイバーンは炎を吐き終わると、鋭い牙の生えた顎で丸盾に齧りついた。鋼鉄の盾はひしゃげ、重みでアウスンが地面に押し付けられる。

「このままじゃアウスンが……!」

(キヌカ!)

「ああああっ」

 あたしは鎌を構えて走った。勢いのまま、闇雲に鎌を振り回す。偶然か、神のご加護か、鎌は見事にワイバーンの脇腹に突き刺さった。

 リオノスの言うとおりだった。

 鎌はほとんど手応えもなく、ワイバーンの身体をチーズのようにやすやすと切り裂いて突き抜け、あたしはたたらを踏んだ。身体に切れ目を入れられたワイバーンがどっと倒れる。

「……やった……!?」

 瞬間、ワイバーンの身体が光り、消えた。見えない力へと還元される。その力――魔力は、イクタ王子が牛の魔物を倒したときのように、あたしの方へと殺到した。

 あのときと違って、力はあたしではなく、鎌の中に吸い込まれた。

「うわっ」

 驚きのあまり、手を離してしまう。鎌はすべての力を吸い込み終えると、金色に輝き、もふもふへと姿を変えて地面に着地した。

(やったね、キヌカ。あともう一匹を倒したら、もとの姿に戻れそうだよ)

 言われてみれば、確かに一回りほどもふもふが大きくなっている。

「あともう一匹……?」

 あたしは肩で息をしながら、もう一匹のワイバーンを探した。仲間が死んだのを察したのか、鋭い鳴き声が耳を刺す。

「もう一匹は警戒してなかなか降りてきません」

 ワイバーンの残りカスの下に埋もれていたアウスンが、ひしゃげた盾を放り出して這い出して来る。

 彼の言うとおり、もう一匹は羽を休めるにしても、高い塔の上や城壁の上を選んで降りているようだ。

「どうする……?」

(次は魔法が使えるよ。鎌本体を当てなくても、ある程度狙いを定めることができれば、魔法で倒せる)

「魔法で……? でも、さすがに地上からじゃ無理じゃない? 遠すぎる」

「キヌカさん。あの建物が使えませんか」

 アウスンが町の中心部にある建物を指差した。

 高い塔の横に三角の屋根が連なる建物だ。塔部分以外も四階建てで他の建物より頭一つ抜けている。領主の家か何かなのかもしれない。

「あの屋根に登りましょう。あそこでワイバーンを呼び寄せるんです」

 アウスンの提案に従って、あたしたちは町の中心へと向かった。

 住民が避難して空っぽの建物に入り、塔の窓から屋根へ降りる。三角の屋根は急だけど、頂点部分には人一人歩けるくらいの幅がある。

 盾を失ったアウスンが、どこから拝借してきたのか鍋の蓋を叩いて叫んだ。

「おい、こっちを見ろ! おまえの兄弟を殺したのはこの勇者さまだぞ!」

「こんな作戦でうまくいくのかなあ……て、来た!?」

 城壁の上にいたワイバーンが羽を広げ、宙に飛び出した。一度様子を見るように上空を旋回してから、まっすぐにあたしたちの方へ向かってくる。

(キヌカ、合図したら鎌を振って。魔法の制御はボクがやるから。キミは振るだけでいいから)

「振るだけでいいって……」

 手の中でリオノスが鎌へと姿を変える。手のひらに冷たい感触を感じながら、あたしは以前よりも輝きを増したように思える魔法の武器を構えた。

 遠くにいたはずのワイバーンがあっという間に間近に迫る。弾丸のような速さだ。あんなものがここに突っ込んできたら、あたしたちなんてひとたまりもない。

「グオオオーッ!」

 間近に迫ったワイバーンの咆哮に身体が震える。

(――キヌカ!)

「キヌカさん!」

 鋭い牙の並んだ顎が目の前にあった。次の瞬間、アウスンに突き飛ばされ、あたしたちは屋根の上をもつれるように転がった。身体が空中に投げ出される。アウスンの手があたしの腕を掴む。

「キヌカさん……!」

 アウスンは歯を食いしばって、あたしの身体を屋根の端に引き上げた。心臓がどくどくとして、身体が震える。さっきはワイバーンの後ろから鎌を振り回しただけだったからわからなかった。向かってくる敵に対峙することの恐ろしさが。自分よりも何倍も大きな、凶暴な生き物ならなおさら。

「大丈夫ですか?」

 顔を覗きこまれて、あたしはアウスンが身を挺して助けてくれたことを思い出した。

「アウスン、怪我……」

「ちょっと爪で引っ掛けられただけですから、平気です。鎧もありますし」

 アウスンの肩の鎧が一部外れて、血が流れている。

「今、治すから……すぐに」

 もふもふの姿に戻って転がっていたリオノスを呼び寄せ、傷を治すようにお願いする。さっきワイバーンを倒して魔力のストックがたくさんあるせいか、リオノスは渋りはしなかった。

「すごい……! あっという間に治りました。傷あとひとつないです」

(キヌカ、キミの傷も治そうか?)

「大丈夫……」

 あたしの傷は、屋根を転がったときについたかすり傷だけだ。あたしはのろのろと屋根をよじ登り、もう一度屋根の天辺に立った。

(キヌカ、もう一度、できる?)

「たぶん……」

 ワイバーンは頭上の高いところを旋回している。こちらに気づいたのか、鳴き声を上げて方向を変える。

「念のために聞くけど、アウスンにやってもらったんじゃ、ダメなんだよね」

(うん。鎌は使い手を変えることはできない。ボクはキミの精神と繋がっている。そうなるように、変化したから。ボクが消えるときまで、それは変えることができないんだよ)

「それって、あたしの心が読めるってこと?」

(ボクとキミは一体ってこと)

「何、それ」

 リオノスと契約して、何か変わったという実感はない。リオノスの心が読めるわけでもない。そもそも、このモフモフの精神がどんなものかもわからない。

 ワケのわからない会話を頭から追い出して、あたしは精一杯強がって見せた。

「来なさいよ。あたしはまだ死んでないんだから」

 先ほどとは違い、真上の方から落下するような角度でワイバーンが接近する。竜はそうしながら口を大きく開けた。喉の奥で赤い光がちらつく。

「――火!?」

(避けなくていい)

 吐きかけられた炎が見えない空気の層に阻まれ、目の前で止まる。髪の毛が熱でちりちりする。でも、見えてる。炎を吐き終えたワイバーンが滑空し、再びこちらに向かってくるのを。

(今だ、キヌカ)

 ――振るだけでいい。

 あたしは空中に居残った炎を切り裂くように鎌を振り下ろした。

 手応えはない。

 ただの素振りと何も違わない。

 だけど――。

 凝縮された力の刃が鎌から放たれ、いとも簡単にワイバーンを引き裂いた。肉体が二つに分かれて、あたしの左右の屋根へとぶつかる。建物の破片が撒き散らされるのと同時に、その肉体はまるごと空中に消えた。質量を失う代わりに、別の力となって、渦を巻いてあたしに向かってくる。

 さきほどと同じように、魔力を吸い込んで鎌がじん、と熱くなる。

「リオノス」

 鎌が変形して、獣の姿になる。でも、その姿はいつものモフモフじゃなかった。最初に見た姿――翼のある獅子の姿で、その大きさに驚いて危うく屋根から落ちかける。あたしにのしかかるようにして、成獣のライオンは鋭い牙の並ぶ口を近づけた。

(がおーっ)

 顔をざらついた舌で舐められて、少し脱力する。

「リオノス……脅かさないで」

(やっともとの姿に戻れたよ。これでキミが勇者であることを疑うひとはいないはず)

「あなたを見せれば、イクタ王子もあたしが勇者なのを否定できないってわけね」

 言ってから、思い出した。

「そういえば、イクタ王子は?」

「王子は今もストレックと戦っているはずです」

 アウスンが町の外の方に視線を移して答える。

(どうするの、キヌカ)

「どうって、あのドラゴンと戦えって?」

 むりむりとあたしは首を振った。

「イクタ王子が負ければ、この町はおしまいです。この町だけじゃない、リオニアだって――」

「そんな、大げさな」

 大げさに言っているわけではないのは、アウスンの目を見ればわかった。それに、ストレックがワイバーンの何十倍もの大きさがあったことを考えると、決して悲観しすぎとは思えない。

「リオノス、あたしを乗せて飛べる?」

(さっきも言ったけどボクは賛成しないよ)

「様子を見てくるだけ。あたしだってあんなのと戦えるとは思わないよ」

(だといいけど)

 リオノスの棘のある言い方に少しカチンとする。彼はあたしが無謀な戦いをしないか疑っているのだろう。別にあたしだって、命を投げ打って人助けをするような趣味はない。でもこの状況にあたしを追いやったのはリオノス自身だ。勇者になんてならなければ、そもそもこんなことはしなかった。

 そんなもやもやは、あたしを乗せたリオノスが階段を登るように宙に飛び出した瞬間、消えてなくなった。

「なにこれ、気持ちいい!」

 あたしを乗せていることなどさほど問題でもないのか、羽ばたきごとにすいすいと上昇し、屋根の上のアウスンの姿がすぐに米粒のようになる。物理法則をやや超越しているような気がしなくもないので、リオノスの翼にはなにか魔法の力があるのかもしれない。お尻も痛くならないし、馬よりも遥かに快適な乗り心地だ。全身に風を受けて、屋上にいるよりもずっと気分がいい。

 リオノスはマートア上空を大きく旋回した。上から見渡すと、二匹のドラゴンが争った破壊のあとが、マートアの南側に点々と残されているのがわかる。

「行こう、リオノス。あたしもっと飛びたい」

(遊びに行くんじゃないんだけど)

「もしかしたら、今頃イクタ王子が勝っているかも」

 それが希望的観測だったことは、すぐにわかった。

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