第3話 どんな魔法でも使える
遠くでドラゴンの咆哮が聞こえる。そして、地平線の向こうから立ち上る煙。
何か大変なことが起こっているのはわかるけど、概ね現実離れした世界観で、一体どこまでが非現実でどこまでが日常なのかわからない。もしかしたら、この世界の人間は全員ドラゴンに変身する性質があるのかもしれないし。
「あの煙は……!?」
全力疾走している馬の上でお尻が痛くならない体勢を模索しながら、あたしはアウスンに問いかけた。
「多分マートアが襲われているんでしょう。イクタ王子は数日前からストレックの襲撃に備えて、町に討伐部隊を駐留させていました。今日は近くの村で魔物の被害があるときいて、イクタ王子とぼくとで魔物退治をしていたのですが……」
「ストレックって、あの黒いドラゴン?」
「大陸最強のドラゴンとも言われる祖竜ストレックです」
空を飛んでいったドラゴンの威容を思い出してあたしは身震いした。いくら兵隊がいるといっても、あれと人間が戦うなんて、無謀ではないだろうか。
だから、イクタ王子はドラゴンに変身したのかもしれないけど。
小高い丘の上に城壁に囲まれた町が見えてくる。家財を背負って逃げてくる人々の群れが先の道を塞いでいるのを見て、アウスンは道を外れた。舗装路よりも揺れが激しくなり、あたしは閉口した。
町の上空を、ストレックについてきた小さな竜が旋回しているのが見える。城壁の内側からはもくもくと黒煙が立ち上り、城壁にもところどころ損害が出ていた。
イクタ王子と黒いドラゴン――ストレックの姿は見えない。
「くっ……ワイバーンか」
マートアの様子にアウスンが眉を顰め、より激しく鞭を入れた。最後の力を振り絞って小高い丘を駆け上ると、アウスンの馬は崩れ落ちるように倒れこんだ。
「あわわっ」
あたしは半ば投げ出されるようにして地面を転がった。アウスンはもっと器用に着地して、開け放たれた城門の方に駆け出していく。
入口付近は避難してきた人々でごった返していた。その中に混じっている甲冑をつけた兵士をアウスンが捕まえる。
「何をしている! 持ち場にもどれ!」
「バカ言うな! 司令官もいないってのに」
「他の兵は」
「とっくにみんな逃げちまったよ。悪いがおれもいくぜ。あんなのと戦えるかって!」
吐き捨てるように言って、兵士がアウスンの手を振り払う。
「所詮は烏合の衆! 金に目がくらんだ寄せ集め部隊だ! 貴様らの手など借りない! ぼくは一人でも竜を倒す!」
半ばやけくそ気味にアウスンが宣言し、腰の剣を抜き放つ。
「“魔狩り”王子なんてやっぱろくなもんじゃねえ。ストレックがこの町を襲ったのもあいつのせいだ! 疫病神め!」
兵士は後退りながら叫ぶと、アウスンの怒りを察して全速力で駆けていった。
町の中ではワイバーンが暴れまわっているのか、悲鳴と建物が崩壊する音が響く。兵士も民衆も城門に殺到し、混乱は増すばかりに思える。アウスンが戻ってきて、同じ場所に這いつくばったままのあたしを助け起こした。
「勇者キヌカ、こんな状態でお構いもできず申し訳ありません」
「一人で戦う気?」
アウスンの若い顔に一瞬絶望が過ぎった。アウスンは肯定のかわりにヘルムの顔を閉じた。
いや、バカな質問だった。彼はあたしを異界の勇者だと思っている。助力を得られるかもと思って、馬を潰してまでここまで連れてきたに決まっている。
残念ながら、力になれるとは到底思えないけど。
アウスンも現在のあたしの姿を見てさすがにそれは無理だと悟ったらしい。
なにしろ、全力疾走する馬に長時間乗せられたせいでお尻の痛みで立ち上がることすらできないのだ。
「ここで待っていてください」
「アウスン」
あたしは心配になって四つん這いのまま彼の名を呼んだ。
「ストレックはイクタ王子がきっとなんとかしてくれます。ぼくの役目はあのワンバーンを倒すことです」
彼はヘルムの中で気丈に微笑んだ(ような気がした)。でもそれはすぐに厳しい表情にかわり、一人城門へと向かう背中からは悲壮な決意すら感じさせる。
「ど、どうしよう」
今町で暴れているのは、さながらジンベイザメにくっついているコバンザメのように、ストレックと一緒に飛んできた小型の竜――ワイバーンというやつらしい。スケールが大きすぎて小さく見えるが、おそらく人間の2、3倍の大きさはある。
「アウスン、勝てるのかな? 魔法とかでなんとかなるんだよね?」
(どうかなあ~)
あたしの制服の中に潜り込んでいたリオノスが肩の上に登ってきて頼りないことを言う。
(この世界には、イクタ王子みたいに魔力を操って様々な事象を起こす人々がいる。でもあんなことができるのはこの世界でもほんの一握りの人間だけだよ。アウスンにそんな力があるとは到底思えないけど)
「あれが魔法……? じゃあ、イクタ王子がドラゴンに変身したのも魔法なの?」
(あれは――彼はかなり特殊な人間らしいね……)
リオノスはなぜか言葉を濁した。
(それより、キミこそ本当に特別な存在なんだけど。なにしろ、聖獣の契約者なんだから。どんな魔法だって使いたい放題なんだよ)
「なにそれ。だったら、さっさとワイバーンを倒そうよ。ストレックとかいうあのでかいドラゴンも。あの鎌で真っ二つにすればいいんでしょう」
適当なことを言うリオノスに半ば怒りを感じる。
(だからそれはできないんだよ。魔法を使うには魔力を蓄える必要がある。少しずつ弱い魔物を狩って力をつけて行かないと……いきなりドラゴンを相手にするなんて無理だよ)
「じゃあ、ここで見てろっていうの?」
城門近くでは、悲鳴や怒号がひっきりなしに聞こえてくる。逃げている人々は誰もが恐怖とパニックで顔を強張らせていた。怪我をして血を流している人もいる。親とはぐれて泣きわめく子どもも一人や二人ではない。
「なんとかならないの、リオノス!」
あたしは半ば八つ当たり気味に、もふもふを詰問した。
(そりゃあ、キミがワイバーンを殺せるのが一番いいよ。そうしたら相当な魔力が得られるだろうし、ボクの力も戻る。でもキミが死んだら元も子もない。勇者は、レベル1から地道にレベル上げしていけば、この世界の誰にも負けることはない。そういうふうにできているんだよ。今戦う必要なんかないんだ。勇者を導く役目としては、そんな危険な賭けはできないよ)
「バカね、リノオス。ゲームのたとえなんて意味ないから」
リオノスに反対されて、逆に弱気が晴れた気がする。
現実には攻略のための回り道なんてない。
今確信した。リオノスは、あたしがやるといえば、止めない。止められない。
「リオノス……もしかして、怪我を直す魔法とか使える?」
(できないことはないけど……本当に魔力量がギリギリなんだ。できて一回。軽傷に限るよ)
「じゃあ、あたしのお尻を直して! 絶対青あざになってるし、たぶん太ももも擦れて傷になってる。こんな状況でなかったら痛くて泣いてる」
(まあ、ボクも四つん這いの勇者はいやだけど……)
リオノスが手の中で魔法の鎌に姿を変えた。頭の中に直接リオノスの指示が送り込まれてくる。
(この鎌を傷にかざして)
さらに間抜けな姿勢になるのを我慢して言われたとおりにすると、鎌が光輝き、あっという間にお尻の痛みが消えた。
「やっとまっすぐ立てる……」
(本当にもう力はないよ。魔法でサポートできない。キミだけの力でやるしかない)
「……どうしてあたしなんかを勇者に選んだの。ちょっと――恨むからね」
あたしは金色の魔法の鎌を握りしめて、城門の中に入った。逃げられる住民はあらかた逃げたのか、町から出てくる人の数は減っている。
町の惨状を目にして、あたしは唇を噛んだ。
崩れた家の瓦礫が道に散乱し、ところどころで煙が立ち上っている。
(キヌカ……でも、勝ち目のない勝負じゃないよ。これは魔法の鎌だから。斬れないものはない。当たれば、ワイバーンを一撃で葬ることができる)
「当たればって――」
あたしは煙でくすんだ空を見上げた。
二匹のワイバーンが町の上を旋回し、時折火を吐いて町の建物を燃やしている。
「一体、どうやって……?」
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