田辺 マリ(32) 4月28日 ②

「すると、その戸井田さん、今回の渦中の人だね。その人が何故暴力を振るうことになったのか、ということだよね」

 お酒もだいぶ進んできたところで、ダンナが切り出してきた。

「うん、みんなの話だけでは、いくらなんでも本気で殴りかかる程のこととは、ちょっと想像しにくくて」


 メモの内容は見せずに、私はダンナの秀明に取材を通じて見聞きしてきたことをかいつまんで説明した。

 確かに、一つ一つの悪評を重ねると、ちょっと問題の多い社員だと誰しもが思う内容ではあるけど、特に今回の事件を引き起こしてしまうような強い「犯行の動機」にはなり得ない。

 戸井田さんは、どうやら私が退職してから3つの段階を経ていたようだった。


 まず、女性社員への猛烈なアプローチ。人によっては、ちょっとしたストーカーのような執拗さが嫌がられたのだろう。次第に社内での噂が広まり、それでも新人が入社する度に戸井田さんは同じようなアプローチを繰り返し、で、何年か後には役員会議で取り上げられた(という噂らしいけど)とまで言われている。


「ストーカー騒ぎまで、とは穏やかじゃないなあ。僕がマリから聞いていた昔の戸井田さんの印象だと、ひたすら仕事一筋、って人なのかと思ってたくらいだけどね」

「うん、でも戸井田さんの同期の女性も何人かいたけど、デートに誘われたりとかしてはいたみたい。最も、戸井田さん本人は仕事の話の延長をしたくて誘ってたみたいで、男女お構いなし、っていう風にも見れたなあ。単純に『俺はサシで話すのが好きなんだ』って言っていた通りに、仲良くなりたい相手をそういうピュアな気持ちで誘ったりメールしたり、とか。そんなイメージなら私もしっくりくるんだけど」


 軽く溜め息をついて、デキャンタのワインを注ぐ。そろそろカラになりそう。

 顔がほんのり紅色に染まっているのが分かる。ダンナも同じペースで飲んでいるはずだが、この人は顔に出ないので酔っているのかいつもよく分からない。

「でも、マリちゃんが辞めた後の評判からすると、単なるコミュニケーションにしては度が過ぎていると僕も思うよ。平井さん、だったかな? 毎日30〜50通もメールが男の先輩社員から来続けたら、内容が仕事の話だけだとしてもちょっと警戒してしまうよ。ましてや同じ営業というだけで仕事はほとんど絡むこともない、となると余計にね」

「平井さんも、新人だったから『こういうものなんだ』って思ってしまっていたから、よりエスカレートしちゃったみたいだし。ただ、戸井田さんはこの後もおなじようなことをしているんだよね…」


  平井マナミさんの一件は、彼女の上司への相談から大事になり、なんと役員会議にまで話が上がってしまったらしい。

 結果、戸井田さんは東田本部長から大目玉を食らう羽目になり、以後も厳重注意ということになった。

 それからしばらくは、目立った噂もなく、その内戸井田さんが結婚することになったこともあり、周囲の見る目も次第に変わってきた。


 …かのように思われていたのだが、去年の新人女性社員の2人に対して、またも過剰とも言えるメール、電話が始まっていた。しかも、彼女達の内1人は、同期の川谷さんの部下だったという。

 平井さんの当時の上司もまた、同期の前島さんだったことから、今度は同期の3人で話し合いが持たれた。

 が、ここで交渉決裂、戸井田さんはあくまで「彼女達の仕事の面倒を見ているだけ。そもそも上司が頼りないからいけない」といった半ばケンカ腰な姿勢を取ったらしく、再三の説得も聞く耳持たず、だったと言われている。

 そして、戸井田さんは同期2人とも口を聞かなくなってしまったそうだ。


「うーん、このエピソードからすると、戸井田さんは同期の人達と関係がこじれてしまったのは、その、女性関係の件が原因なんだね。でも、それだけで修復不能な位にまでなってしまうのかなあ」と、ダンナが疑問を投げかける。

「そうなの、私がいた頃は、むしろ仲の良い先輩達だったな、っていう印象なんだ。特に川谷さんとはよく遊びに行っていたし、男子だけで合コン行ったりとか普通にしてたよ。それに…」

 戸井田さんがメール&電話魔だったのは、私達の代に対しても似たようなものだった。かくいう私自身、月に何回かは戸井田さんと夜中電話で色々話した。仕事の話が大半だったが、正直言うと当時は彼氏だったダンナについての相談もあったりして、自分としても話を聞いてもらっていた所も少なくはない。

 だから、少なくとも私は、戸井田さんの熱烈なコミュニケーションに対して嫌な思いは抱いていない。むしろ、救われた部分さえあると思っている。

 もちろん…、ダンナにはこんなこと言えないので、言葉を飲み込んで代わりになる言い方を探す。


「それに、戸井田さんは誤解されやすいけど、本当は優しいヤツだって川谷さんも前島さんも昔はよく言っていたよ。もし、本当に戸井田さんと同期2人が仲が悪くなってしまったのなら、もっと別の理由があったんじゃないかな、って思う」

 会話に夢中になるあまり、テーブルの料理もすっかり冷めてしまっている。追加で頼んだ小エビのアヒージョと、ダンナの好物の牛肉のフィレステーキは半分以上残ったままだ。

 私は、残った鮮魚のカルパッチョを小皿に移しながら続けた。

「やっぱり、一番の原因は、2年前のなんだろうね」

「ああ…、部下が休職してしまったっていう、あの話か…」


 そう、あの後からはっきりと、戸井田さんは「パワハラ上司」と露骨なまでにみんなから恐れ、煙たがられるようになってしまったようだった。


 私は、再び手帳を開き、メモに目をやった。

「・悪評その②…2年前、元部下の一人が鬱病になって休職、そのまま半年後に退職してしまった。戸井田さんのパワハラじみた暴言、恫喝が原因」

 パワハラ、か…。

 私は、あの頃、20代前半の戸井田さんのムキになって声を荒げる姿を思い浮かべた。あの位でパワハラなどと言うのなら、周りにも似たような人は何人もいたよな…。


 私達は、今度は2年前の戸井田さんの状況について語り始めた。彼にとっては最も忌まわしいであろう、過去の過ちについて…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る