川谷 スグル(33) 4月22日 ②
「島谷さん、こっちではやること沢山っすよ! 首都圏でも北の方はバクダン抱えてますからね。派遣の近藤さんとか、めちゃくちゃ送り込みまくってますから。結構書店さんから怒りの電話来てるみたいっすよ」隣の席の新井ショウタが、戸井田の話となるや、即座に乗っかってきた。
島谷さんは彼にとって、次から上司になる相手だ。今のうちからしっかり繋がっておきたいのだろう。
「んー、北はここ数年入れ替わり激しかったもんなー。派遣さんの指導もなかなか手が回らなかったんじゃない?」
島谷さんは、ゆっくりと咀嚼するように話す。
「でも、ぶっちゃけ戸井田さんは課長じゃないっすか。北関東地区の派遣問題? 2年で4人も入れ替えとかあり得なくないすか? なのにまた昇格してるって凄いっすよね、ある意味」
新井は、戸井田のこととなると鬼の首をとったかの如く欠点や落ち度をまくし立てる。
何か個人的な恨みでもあるのだろうか、と心配になりそうな時期もあったが、何のことはない。彼も「戸井田いじり」を楽しんでいるだけのことだ。
「まー、成績は達成してたし、小さいチームとはいえ数値的にはベスト3位入りしてたからなあ」
島谷さんは、あまり興味がなさそうに返答している。
新井の言う通り、北関東地区は課題がたっぷりと残っている。
派遣社員の質の問題はこの地区に限ったことではないのだが、近藤という栃木北部の現地スタッフは中でもかなりの危険人物だ。
管理のユルい書店を狙って、仕入権限のないバイトスタッフから番線をもらって商品を送り付けたり、手書きで客注扱いの番線処理をしてこれまた無断で補充を入れたりと、やることが
しかし、いくら相手がザルでも流石に限度がある、というわけでつい先月にあるグループではついに、よりにもよって本部バイヤーにそのことがバレた。
統括不在の地域だったので戸井田が謝りにいかなければならないのだったが、あいつはあいつで群馬県の地場グループでトラブったらしくそれどころではない。
今回の人事も、この件が最終的なトリガーになって戸井田の担当地区が縮小する配置になり、統括として島谷さんがカムバックしたというわけだ。
島谷さんは大阪に転勤する前にも首都圏統括として首都圏プラス北関東と山梨県の責任者だったので、地域に精通しており人脈もある。誰もが真っ先に、なるほど、と思う配置だ。
一方、戸井田はというと、今回の人事でついに部下なしの1人チーム?「首都圏第6地区 課長」に任命された。
今までは北関東の栃木、群馬、茨城地区担当として社員こそ他にはいなくとも派遣社員とパートが合計4人ついていたのだから、明らかな職責縮小、担当地区も群馬県の北半分と長野県と栃木県北部、と継接ぎになる予定らしい。普通ではあまり考えられない組織分けだ。
なのに役職はそのままというのはウチの会社では相当なレアケース。オマケに職能ランクは1つ上がっていて、僕より2つも上のK(=課長)-4だ。
この処置は正直変だと僕も思っている。
社長や東田さんが
30分程して、前島達が到着した。部下の元木ヒロカズや平井マナミ、後は寺田の元部下で今は編集部の宮下ハルカも一緒に連れて来られていた。東北チームは木崎さんと、下田が後輩の秋本サブロウを子分のように引っ張ってきた。サブローは無口で大人しいから、来いと言われれば付いて来る。しかし酒はからっきし弱い。
「あー、スグルさんまたビールこぼしてるー、ちゃんとふいて下さいよ!」と来るや否やのタイミングで平井からツッコミが入る。
僕は、はいはい、と言いながらテーブルをおしぼりで一拭き。ついでに一行が陣取った入口側のテーブルに席替えする。
コイツらとダベッているほうがよほど楽しいし、何より前島は大体いい情報を仕入れてきている。もちろん僕も見返りは用意してある。元木や平井とも一緒に神奈川チームで組んでいたから公私共に仲もいいし、気の置けない職場仲間として繋がっている。宮下は前島が丁寧に新人の頃育て上げたから、編集サイドの動きは逐一伝わってくる。
地方組については僕が木崎さんと前に組んで東北地区をやっていたからパイプは今も生きているし、西日本は島谷さんが作ったフェイスブックのグループ経由で、毎日のように日報替わりの報告が飛んでくる。
前島達のテーブルに付いてしばらくの間、お互いの配置や編成の変化について確認し合う。
首都圏統括は前島が副部長昇進で継続、新たに島谷さんと特販の今井さんが部長職で就任、と営業部の要職が首都圏に集中することになった。
この露骨なまでの戦力集中の背景にあるのは、特に地方書店の売上減少と取次サイドの返品規制政策だ。
うちの送り込み戦略を取次大手は好ましく思っていないし、それでもまだ売れればお咎めなしだが、たっぷり返品60%~70%クラスの店がゴロゴロあるものだから、このまま放ってはおけない。
そこで地方組の統括は東田本部長が自ら指揮を取り、まとめてやることになった、という体裁だ。しかし実際は地方組のコストカットと社員減、派遣・パートを代わりに入れてラウンド頻度だけは守るというのが実情で、本部長が現場を見て回ることなど出来はしない。
これではまともに関係構築できるのか? と誰もが疑問視している。
木崎さんなんかはモロ渦中の人だ。飲まずにはいられない。
「だいたいさー、派遣社員ならまだしも、東北地方は取次OBよ、再雇用の。60歳過ぎの人に1からウチの営業スタイルを教えるのって、あの年代に対しては中々厳しいよ。棚整理とかやったことない、って言われたりすると参るよね」木崎さんはもう出来上がっている。このペースだと後1時間もすれば記憶が飛ぶんだろうな。
ちなみに隣に座っているサブローは下田の話を聞いているようで早くも半落ち、頬に肘をついて舟を漕いでいるかのように、首を上下させている。
「いや、ホントどうなるんですかねー、ウチの営業。派遣社員を入れたのも元々は穴埋め的に辞めた社員の補充で入れたじゃないっすか。東田さんがそれを『出来る人は派遣社員にもいる』と言ってここ2~3年で増やしたでしょ? でも実際、ハハッ! 単に送ってるだけで返品すげーことになってるじゃないすか、みんな」
元木は元々、派遣社員の質に懐疑的で、毎月の営業会議資料の「返品率」「POS実売」をしっかりチェックしていた。すると、売上、即ち書店からの注文分が高い派遣社員に限って、次第に返品率が上がっていき、肝心な書店でのPOSデータ売上が上がっていないのだ。
つまり、送り込んだ商品が売れずに返品されている、という傾向が派遣社員によく見られるということだ。
「ヒガシ君はさあ、自分が先陣切って広げた戦略だから、今更後には引けないんだよ。」とここで前島が口を開いた。
「俺等にツッコまれて認めるわけにはいかないから、意地でも『派遣社員を入れて営業部が良くなった』って言いたいわけだよ」
「でもさ、そろそろヤバいじゃん。今回の人事で戸井田はハズされたし、東田さんの言うことをまともに聞きそうなのは若手のまだ『染まってない』何人か位でしょ? 今度大阪に行く長塚さんとか、派遣反対派だしな。顧問に同調して昔のおばさんパート回帰を狙ってるみたいだよ」と僕からも前島に合わせて話す。
長塚さんは、元々は取締役編集長だったが、僕等の入社直後位で一度役員を外され宣伝部長に就いた後、総務部長を経て営業部首都圏統括、そして今回は取締役大阪支店長に抜擢、10年振りに役員に返り咲いた男だ。とはいえ、これだけ部署を転々としているのは、要するに「使えない」ということであり、そういう逸話が随所に散りばめられているからである。そのクセ上役に取り入るのは手馴れていて、社長やその盟友たる元専務の営業顧問、社内外の一族にまでパイプを持っている。彼と比べれば、島谷さんなどは仕事をしっかりやる分まだマトモだ。
もっとも、野心家であることは2人共いい勝負だが。
「編集はほとんど動きなかったな。全然補充入れる気配もなかったし」前島と宮下が話している。
「いちおう、1人営業のコが来ますよ。川谷さんのトコの、スバルちゃん。いいコですよね」
「ああ、相川ね。うん、すごく真面目だよ。絵本やりたいみたいで、ウチの会社で出来るのかはわからないよ、って前に話したら、『だったら私が作家さんを見つけて企画を出します!』って燃えてたな。最近珍しい熱血タイプだよね」
「はい、私も折り紙や工作の本をやってますし、同じ児童書チームとして楽しみです」宮下は、あまり酒が飲めないが前島と話す時は何故かレモンサワー位なら頼んでしまっている。こちらも長続きはしなそうだ。
そもそも、ウチの会社は下戸が多い。
「でもさー、今編集のトップって、まだ社長が兼任で見てるんだよね。新しい企画なんてまともに相手してもらえないんじゃない?」
こちらも下戸の平井が、ビール2杯でタコのように茹で上がった赤ら顔で宮下に絡む。この2人も営業部OJTの師弟関係だったから、仲がよい。
「そうなんです。毎週部内会議で、児童書チームからも6本以上は必ず出すように言われているんですけど、ここ2ヶ月はもう全滅です。『君達は研究が全く足りていない。これでは編集会議に上げることすら出来ない』って」
「ありゃりゃ、キビシーことで」
元木が妙なポーズ付きで相槌を打つ。
「でも、結局本は出さないわけにはいかないじゃん。だから、プロダクツの仕事ばかりが増えるんだよ」前島がピシャリ、とここで言い放った。
前島の言う「プロダクツ」とは、啓心堂の子会社で編集プロダクションの「SKプロダクツ」のことだ。
ただ、ウチ専属の編プロで啓心堂の社長が自分の娘に社長をやらせている。その彼女が何故か啓心堂本体に企画を出し、それは100%の確率で採用される。
制作は編集部、となり、本来の一般的な関係性とはあべこべだ。
こういうのも同族経営の出版社ならでは、とも言えるが、正直あまり聞かない話だ。
「ホント、ウチって営業が花形、ですよねー。あたしも編集希望で入ったのに、気が付いたらすっかり営業にハマっちゃいましたもん。もっと頼りになる上司が編集にいればいいのに」前島と僕を交互にチラ見しながら平井が呟く。
僕もあいつも元々編集希望で入社したからなんだけど、生憎今はそのつもりはなくなった。そんな態度を示そうものなら社長に睨まれるだけだと知っているからね。
「戸井田さんはどうなんすか? あの人も一応編集希望だったんでしょ? ある意味今回の人事はいいタイミングだったんじゃないかなあ」
元木が僕の肩に腕を回しながらカラむ。
可愛い後輩だが礼儀知らずというか、弟キャラっぽい。酔うと特にカラむ、僕自身も絡まれやすいのかもしれないけど。
僕等の代についてふと振り返り、思い出す。
入社式の時は10人もいて、男女比も6:4でいい具合にバラけていた。
最初の1年目はみんなで毎月飲みに行ったし、同期旅行だって行った。でも、2年、3年と経つにつれ数は減っていき、気付けば前島、戸井田と僕の男3人が残って後はみんな辞めた。
戸井田とは、新人の頃営業部の同じチームだったこともあり、よく飲みに行っていた。会話の内容は大半グチと社内の噂話だったが、あいつは特に僕が気に入っていたのか、よく話しかけられていた。
僕も別に嫌いではなかったし、仕事熱心な姿を見て刺激を受けることも多かった。前島とは、今思えば最初から反りが合わなかったんだろうと思うけど、僕は対して気にかけていなかった。
まさか、あんなことになるとは。
戸井田と僕等が修復不能なまでに溝が深まったのは、あの冬の一件からだ。あれ以来、僕は少しずつあいつから遠ざかり、今では目も合わせない。
そこまで嫌悪するのが果たして正しいのかは分からないが、僕等の間ではそれについて考えること自体がもはやタブーだ。出来れば戸井田の話自体したくもない。
あいつが、独りぼっちになってしまったのは、結局自業自得なんだよ。と、まるで自分に言い訳でもしているかのように、心の中で呟いていた。
ぼうっとしながらカラのジョッキを飲もうとしていて、ハッと我に帰る。
向こうのテーブルでは、島谷さんと新井がそれぞれ若手相手に何やら話し込んでいる。大分飲んだし長居をした気分だが、時間はまだ夜9時台だ。
カラオケ行こうぜ、と前島と下田が何やら昔のアニソン歌合戦がしたいなどと盛り上がっている。僕もなんだか急にドラゴンボールの主題歌を歌いたい気分になってきた。
すっかり出来上がった僕らは、島谷さん達のテーブルとは別行動しそのまま店の外に数人で出て行った。
電車が止まり、ドアが開く。僕は真っ先にホームに降りてそのまま足早に改札へと向かう。
つい数週間前までは、そんな風にみんなとああだこうだと言いながらも、結局思うところはあれど波風など立たない、平穏無事な日々が今期も続くのだろうと思っていた。でも、戸井田があんな風に壊れてしまって、島谷さんは重体で今も面会謝絶だし僕や周りにいた元木達までケガをした今となっては、もう元には戻らないことだってこれから出てくるのかもしれない。
誰も、戸井田のことについて会社で触れることはしない。でも、ネットではあいつの話題が匿名で次から次へと飛び交っている。
「週間大義」のwebニュースには本当に驚いた。一体誰がこんな内部事情を横流ししたのか。これからウチの会社はどうなってしまうのだろう。
そうか、戸井田はある意味、ぶっ壊してやることに成功したんだな、結果的に。晴らしどころのない恨み辛みを吐き出したんだな。変なヤツだとは思っていたけど、最後まで読み切れない男だったな、と思う。
もはや好きでも嫌いでもない、自分にとっては入社したタイミングが同じだったという以上には何の接点も見当たらくなってしまったあの男を思い浮かべながら、まだ少し痛む肩を押さえて僕は地下鉄の出口へ向かった。
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