川谷 スグル(33) 4月22日 ①

 「人事が万事」とはよく言ったもので、今年の4月1日の人事発表も大いに荒れたっけな…。


 あの日痛めた肩を押さえながら、僕はもう戻らない日々を振り返っていた。通勤ラッシュで満員の電車の中、ドア近くに寄りかかりガラスの外、地下鉄の暗闇に目をやる。



 ウチの会社は、毎年のように組織変更やドラスティックな若手人材の抜擢、出世、一方では左遷じみた異動、時には降格そのものを繰り返す。おかげで毎年誰かが笑い、誰かが泣く、の繰り返しだ。

 僕はまだ恵まれている方で、2年前に課長に昇進してからは今の所そのポジションをキープ出来ている。その間にも、3人の若手が出世し、4人の中堅が地方異動またはサブリーダーまで降格した。


 そんな風に人がバシバシ異動し、新入社員も5人から多い時は10人も入ってきて、しかも基本的に初年度は全員営業部に配属されるものだから、4月はまるで新世界のように自分の周辺環境がガラリと変わる。おかげで情報収集のためか毎日のように会社の誰かと呑みに行くことになるわけだ。

 普通の会社では、人事異動の前には内示が一ヶ月前にあって、特に転勤や部署異動を伴う場合は社員の同意が必要らしい、がウチの会社にはそんなものはない。

 僕が入社したばかりの頃は3月の下旬頃に形ばかりの内示が全社員に実施されていたけど、東田さんが本部長になって何年かすると、いつの間にやら自然消滅していた。なんでも、「組織戦略が外部に漏れるのを防ぐため」だとか。ホントかよ。

 もちろん、そんなのは建前で、実際のところは内示の最中に次から次へと人事の内容がフロア内でダダ漏れしていたからだ。

 いつもは外回りばかりしている営業部が全員集合して、大人しくデスクに座っているだけのはずがない。それを社長が苦々しく思っていたところに、東田さんがうまく拾って提案した、というのが大方の予想だ。

 流石は社長のイエスマン、オブイエスマン、先読みのセンスは抜群だな。


 そんなわけで、4月1日の就業後はお互いがネタを持ち寄っての飲み会が毎年必ず開かれる。場所は、会社を出て牛込神楽坂駅付近の通りにある中華料理屋、ボトルキープも何本かある馴染みの店だ。

 メンバーは島谷さんがチームの部下達を5〜6人連れており、僕は同期の前島に声を掛け、他にも木崎さんなど2〜3人その場にいた人達も誘っておいた。

後から編集も何人か一緒に連れて来るだろう。情報源はお互いに多い方がいい。


 そういえば、この日は戸井田は6時になったらすぐ消えるように帰って行ったんだった。


 バラバラと店に入り、ガラガラの店内奥に陣取る。元々20席位しかないからほぼ貸切状態だ。神楽坂の中心から少し外れて、大した口コミもネットに流れてさえいなければいつでも貸切れてしまうようなこういう類の店は、ウチでは重宝されている。

 島谷さんがとりあえず人数分のビールを頼む。あとは若手が適当におつまみを選んでおくよう言われる。

 僕は新人の頃、島谷さんの部下だった。その関係か、今でもまるで愛弟子のように飲み会があると必ず声をかけられる。嫌と言うわけではないけど、この人は小一時間もすれば大体いつものように、酔っ払って絡み酒になり手当たり次第に説教をアツーく語る。

 若い頃は学ぶことも多かったし、公私共々によく世話をしてもらったのだが、そろそろ僕も若手ではないし、未だに新人時代の僕の失敗談をぶり返しては、「あの頃のお前は本当にどうしようもないヘタレだったけど、よくここまで成長したなあ」とか、まるで育ての親みたいにしげしげと語るのは、最近正直ウザいと思うこともある。

 なので、サシ飲みはなるべく避けて、出来れば同期の前島辺りを一緒に呼ぶことにしている。その方が、大人数になることで島谷さんの絡みが四方に分散するからだ。大抵の場合、新人がその生贄になりがちなのがここ最近のお決まりパターンだ。


 おつまみが適当に5〜6皿程運ばれる。乾杯などは勝手に始まっている。いつも島谷さんが我慢し切れず飲んでしまうからだ。

 前島達と木崎さんや東北地区のメンバーが来れば面子はほぼ揃うだろう。

 僕もおもむろに生の入ったジョッキをグイッと飲んでいると、島谷さんが話を振ってきた。

「川谷は神奈川続投、だよな? 新人は何人ついた?」

「えーと、2人です。島谷さんは今回上がりましたね。首都圏統括ってこれでもう3人体制になりますよね。随分豪華な面子が揃いましたねえ」

「まあ、俺は出戻りだからな。大阪も楽しかったけど、そろそろコッチもテコ入れしないといけない感じになってきたからねー」

 拈華微笑ねんげみしょう、と誰かが前に例えていた、うっすらとした微笑みを浮かべながら島谷さんが呟くように喋る。そんな意味だっけ? と疑問に思いつつ、なるほど、まるで観音像みたいな微笑みというか顔立ちだなあ、と1人納得してしまう。


 島谷さんは、はっきりいって野心家だ。基本的には面倒見がよく、まるでお節介を焼くのが生きがいの近所のおじさんのような人だが、一方で人を見る目には絶対的な自信を持っているようで、昔から才能のありそうな若手を選りすぐって接し方に差をつけていたような節がある。

 幸い、新人の頃はトラブルも多くダメダメだったにも関わらず僕は見捨てられることもなく、「見込みあり」だったのか今でもこうして声を掛けられているけど、「あいつはダメだ」「もう飲みに誘うリストからは外そう」とバッサリ切り捨てられた人も過去には何人かいて、実際その人達は島谷さんから静かに離れていったような気もする。

 そして、その人達の大半はウチを辞めていった、ということも考えると、なるほど彼の人選もあながちただの好みではなかったと言えないこともない。

 

  戸井田も、そうして彼から干されたタイプだ。


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