森岡 マリ(24) 5月15日
まだ5月だというのに酷く暑い。今日は最高気温がなんと30度位らしく、まだパンツスーツ姿の私は服の中がムッとしている。
こんな日に限って、在社日が1日ずれまさか東急東横線徒歩コースで外回りとは。しかも、初めて戸井田先輩との同行販促になってしまった。エリからは「悪い先輩ではないよ」と聞いていたものの、正直苦手なタイプだなと内心困っていた。
そんな先輩と、2人きりで一日中行動を共にするのは初めてだった。
入社2年目のこの頃、私は働くことの意味が分からなくなっていた。
元々は新聞記者や報道関係のような、自分の目と足で稼いだ事実を社会に送り出すことがしたくて、マスコミ業界の就活をしていた。
自分で書かなくても本が作れるなら、と編集の仕事にも興味が湧いてきたから出版社も幾つか受けて、やっと内定が出たのがこことスポーツ系新聞社。
啓心堂出版なんて実は知らなかったし、スポーツ自体は水泳とテニスをかじった位で野球とかサッカー、ましてや競馬なんて全く興味が持てず、どちらを選んでも後悔しそうな気持ちでいたのだが、背中を押してくれたのは母だった。
「あら、悩むことないじゃない。だって、啓心堂って、ウチに何冊かあるじゃない。学習まんがシリーズとか、子供の頃買ってあげたアレよ。マリは世界の歴史とか好きだったじゃない」
「えっ、そんなのあったっけ…、読んだといえば読んだような気もするけど」
「親の心子知らず、よねえ。私はあなたに買ってあげたモノはだいたい覚えているのに。特に喜んでくれたものはね」
そんなやりとりをきっかけに、本棚を整理しがてら「啓心堂出版」の本を探してみると、思いのほか多く見つかった。「世界の歴史」シリーズ以外にも、「謎解きクイズ1年生」「ハッピー心理テスト」のような小学生向けの本がダンボールから出てきたり、この間運転免許の試験用に買った問題集や、なんと就活用のSPIやエントリーシートの書き方まで「啓心堂出版」の本だったのには驚いた。
「なんて地味な表紙…」とアルファベットで「KEISHINDO」と左下に小さく銘打たれたそれらのカバーを見て、「私は出版している本もロクに知らないのに受かってしまったんだな」と改めて実感していた。
そんなことから、「これも何かの縁よ」という母の一声に押され、入社同意書に判を押したのだが、実際翌年4月の配属先は私を含めた同期全員がなんと営業部。
「本当は記者をやりたかっかけど、本作りも悪くないな」とあれから気持ちを切り替え、半年間丁寧に積み上げ高めたモチベーションが、まるで解体工事により爆破されたビルのように、音を立ててガラガラっと崩れ落ちてしまった。
それでも、入社1年目は必死に、ガムシャラに日々の仕事に追われながら考える暇もない位働いた。覚えなければいけないことはたくさんあったし、書店営業という仕事は思いのほか楽しかった。
私の担当先は本当に優しい人が多くて、取引先なのに色々教えてくれる担当さんや店長さんに恵まれた。
出版流通についての基本知識も半分位は書店さんから教わったようなものだ。
新規提案した児童書フェア(例の学習マンガシリーズだ)を、通常は夏の課題図書フェアが終わって他のジャンルに代わる場所になんとか置いてもらうよう説得して、陳列と飾り付けも手伝って、1ヶ月後見事に売り抜いて返品ゼロに出来た時は本当に「やった!」とガッツポーズした。
そして何より、一緒に配属された同期の内女子が私を含め4人もいて、みんな首都圏チーム配属だったからとても心強かった。残り2人の男子は肩身が狭そうだったけど、同期のお誕生日会をみんなでやったり、秋には箱根に温泉旅行の旅に行ったりして、本当にうまくまとまっていたと思う。
何か企画する時はエリが大抵はリーダーシップを発揮してくれて、もう2人の女子である神田マイ、雪平ヒトミはそれぞれムードメーカー(酒豪)、気配り上手と役割分担が自然と成立していた。
そんな風にして社会人1年目をなんとか乗り切り、迎えた次の春、編集部行きの人事異動はマイとヒトミだけだった。
エリは元々営業志望で、他の5人はみんな編集部行きを希望して自己申告書類を提出していた。
男子2人は多少凹みつつも、過去の例から男が即編集部行きはないこともあり心の準備は出来ていたようだが、私は違った。
1年間、本当に一生懸命働いて、週に3日は10時過ぎまで外回りをし、閉店間際の書店さんに駆け込んでは、
「在庫チェックだけさせて下さい! 提案はまた明日きてやりますので! お邪魔しませんので!」
とまで頼み込んででも、回る件数を増やしてセールスを取りに行った。
「編集部に行くには目標必達プラス、新人賞獲得が必須」と実際に編集に移った先輩達から聞いていたから、とにかく必死だった。
土日には溜まった事務処理(日報とか注文伝票処理とか)に半日使い、後は泥のように寝てしまう。
帰りが遅いと、化粧も落とさずオチてしまうこともしばしばあり、肌は荒れた。ストレスで生理不順になり、たまに7時位であがれるときも社内外の飲み会に呼ばれ、新人だからと飲めないお酒を無理矢理流し込み、次の日は必ず二日酔いになった。
そんな私を見て、今はダンナで当時はツレだった彼は随分心配はしていたものの、私の目標は理解していたから、たまにしか会えなくても何一つ嫌な顔もせず、むしろタマにヒステリーを起こして怒ってしまう私をただただ静かに受け入れてくれた。
私にはもったいない位、出来た人だと思う。
そして、3月の社員例会で最優秀新人賞を受賞した。
天にも昇る気持ちで涙が溢れた。賞をもらえた喜びもあるが、念願の編集行きを勝ち取ったんだ! という感動で涙が止まらなかった。
それでも、編集部には行けなかった。
周りの先輩達は、「毎年好成績の新人が営業から抜けるのはおかしい、って話が元々あったからだろうか、東田さん辺りが相当役員会に言い続けてきたのもあるんだろう」と言っている。
営業マンとして評価されて給料も上がったんだから、とか、女エースとしてもっと頑張ってもらわんと困るだとか、課長以上のオジさん達は、むしろ私が意気消沈しているのがおかしいと言わんばかりの激励をしてくる。
そんな中、よく言えば熱血営業、悪く言えば面倒臭い、生粋の営業大好き人間な戸井田さんが私のOJTになった。
エリのOJTだった時は、色んな人が「戸井田が神宮を口説いてる」「毎週金曜に『反省会』と称して神宮を飲みに連れていこうとしている」など、軽薄な評判をよく耳にしていたし、私や他の同期女子2人も何度となく飲みに誘われた。ランチならまだしも、いつも夜ばかり誘うから変な噂になるのだろう。
結局戸井田さんは男同期の2人を可愛がるように飲みに連れていくことが多いのだが、彼等の話では酷く絡まれたり、コンパやってとか言われたりで正直ウンザリしているそうだ。
そんな曰く付きの先輩とチームで働くのは今の私には荷が重い。まだ編集行きの夢を捨てきれず、でももう1年あの激務をこなす気力も振り絞れず、日々の仕事を粛々とこなすのでもう精一杯だ。せめてもの救いは、担当地区がほとんど変わらずに、同じ市場で関係性も築けた取引先とまた仕事が出来ることだ。
時計を見ると、もうお昼を過ぎて13時半になっていた。午前中は、うわの空で後ろをついていく私に、
「今日はお前の店に行くんだからお前が先に歩かないと分からないだろ!」
と言いつつドンドン前に行く先輩を私はぼんやり追いかけるのだが、書店に入った時だけ元気になる私を見ては怪訝そうな顔をしつつ、書店員さんとの商談が終わる度にいちいち指導してくれたりして、戸井田先輩は本当にイキイキ仕事してる人だなー、こういう人がウチの会社の営業マンの見本みたいな人なんだろうなー、とある意味感心してしまう。
しかし、休憩抜きで3件目を終え、そのまま近くの書店に行こうとしたものだから、暑さもあり既に根を上げていた私は、
「戸井田さん、私お腹すいてヘロヘロです。もう1時半です。マックとかでいいんで何か食べさせて下さい…」
とSOSの声をあげた。すると戸井田さんは、
「おう、もうそんな時間か。悪い、集中して気付かなかったよ。疲れただろ? マックと言わず、焼肉でも食べようぜ。お前、肉、好きだろ?」
と私のリクエストを拡大解釈気味に受け止めてくれた。私が以前、「魚より肉が好き」と何かの弾みで話したことをしっかり覚えていてくれたようだ。
東急東横線の綱島駅には、徒歩圏内に3件の書店がある。その内1件はヒット、1件不在だったから、このまま近くでゴハンにするのがいいが、綱島で焼肉屋がどこにあるかはよく知らない。と、戸井田さんが
「近くに1件あるよ、覗いてみよう」
と進む。いつもは近寄らない、ちょっと怪しげなネオンの飲み屋街を進むと、個人 経営の韓国料理系焼肉店についた。
「ここ、昔書店員さんに連れて行ってもらったんだよ。あゆみブックスの、ほら、鈴木さんっているじゃん。今は異動して都内の店舗みたいだけど、ウチの協力者だからな。俺もよくしてもらったよ。毎回昼メシごちそうしてくれてさ。その分、品出しとか返品を他社の分までやってあげたりして、うまいことこき使われたとも言えるけどな」
「凄いですね。戸井田さんの評判のおかげで私も仕事がし易かったです。天一の永井さんなんて、戸井田さんのファンですよ。『彼は本当によくやってくれた』ってよく褒めてますし。おかげですんなり入り込めました」
「東横線は毎年新人コースだからな。色々言われやすい分、歴代の先輩達の動きを予め押さえておけば、『今年の担当は違うねえ!』って思ってもらえる。特に俺の前任は、ほら、もう辞めた倉橋さんだよ、あの人は好き嫌いが激しかったって有名で、小田急線の方ばかり行って東横は避けてたみたいだからな。最初は『前の担当の人が全然店に来ない、オタクはやる気ないのか?』とか言われて大変だったよ。まあ、そのおかげで、毎月通って普通に仕事するだけで株が上がった店もけっこうあったけどな」
戸井田さんは自慢話が多かった。本人にはそのつもりがなくても、自然と自分の成功談を語らずにはいられないみたいだった。
そういうところが、同期の寺田さんや川谷さんは疎ましく感じているのか、表面的には仲の良いフリをしつつ、本人のいないところではネタにして
陰口みたいで後輩としてはその場にいて気まずいのだか、飲み会などではよく盛り上がる鉄板ネタとして営業部では有名だった。
とはいえ、みんな心の底から戸井田さんのことが嫌というわけではなく、むしろ戸井田さんをネタにすることで場の空気が和むというか、共通の話題として会社の名物キャラの新エピソード程度の受け止め方で十分だろう、と当時の私は思い込んでいたのだった。
今回の事件についての取材内容をPCにまとめながら、私はふと昔の生き生きとした戸井田さんを思い出していた。
やや自信過剰だが、彼の営業力は凄かったし色々なことを親身に教えてくれた。
新人の時のOJT倉橋さんは、鈍臭い私とは反りが合わなかったのか、あまり仲良くなることもなかった。
そんな経緯もあり、戸井田さんのその溢れんばかりのやる気は、まるで雪解けの山から流れる大河の川の流れのように、目的を見失って立ち尽くす私を、否応なしに目の前の仕事に再び没頭させてくれたのかもしれない。
でも、私が知るあの戸井田先輩は、会社を辞めるまでの3年間の姿だけだ。
それから今に至るまで、彼と彼の周囲に何があったのか、そのことを嘘偽りなく伝えなければならない。
いい加減な証言がそのままネットニュースや掲示板サイトで流されたり噂のまま世間に広がっていくのは防がなければ。
私は、これまで取材してきた分のメモと録音テープレコーダーを机の上に広げ、原稿作成に取り掛かった。
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