新井 ショウタ(27) 3月16日

「では、またお伺いしますので! ありがとうございましたーっ!」と、ちゃんと店長に去り際の二度目までお辞儀をしてオレは店を出た。

 東武東上線朝霞駅の改札から、すぐの場所に新しくオープンしたばかりのその書店は、版元の中でも知る人ぞ知る穴場スポットだ。

 元々朝霞駅は各駅停車のみで、駅前もロータリーにコンビニとパチンコ屋位しかないパッとしない駅だったが、去年からちょっとした駅ビルが出来た。テナントは数店だが、元々朝霞市は東京にも近く新築マンションも増えているようで、書店のニーズは高かったのだろう。50坪程度の小さい面積ながら回転率はすさまじい。取次も嬉しい誤算か、配本が追いつかずで、今のような版元営業ウェルカム状態になったわけだ。

 ウチみたいな児童書メインの会社は、イオンモールとかヨーカドーのインショップ書店が主要得意先なんだけど、こういう郊外駅近の書店はコーナーの狭さの割には児童書、特に小学生向けの児童文庫やなぞなぞ本はぶっちゃけ大当たりだ。

 同業他社も大手を始めほとんど気付いていない今のうちに目一杯通って送りまくって勝ち逃げ、っていうのがデキる営業のコツだと、我ながら自分のロジックに惚れ惚れしてしまう。


 ちょうどお昼になったので、近くのハンバーグ定食屋に立ち寄る。

腹も減ってはいるけど、それ以上に昨日の酒が抜けきってないので、空いている店で食後のコーヒーでも飲みながら体の回復を待ちたいのだ。

 次の店も、近くのマルエツのインショップだから移動の手間もない。こうやってうまいこと時間わ作るのも要領よく営業をこなす秘訣ってわけだ。

 昨日はちょうど中間在社で、夜は飯田橋駅近くの居酒屋で首都圏チームの何人かと呑んだくれた。

 在社以外は基本直帰だし、担当地区もみんなバラバラだから、首都圏だろうが地方組だろうが集まるのは月3〜4回の在社位だ。

 昨日も、20代の若手で集まって色々クダを巻いたっけ。会社に対する不満を吐き出すのと、女がいない奴は「合コンやろうぜー」「このあとキャバいくべー」「いやいや、金の無駄だからヌキ系だろ!」などと言うだけ言って結局二次会はカラオケか更に安い一休とか均一居酒屋とかに落ち着く。最近はセクシー居酒屋っていうのも出来たそうで、次はそこになるかな。値段とサイフ次第だけど。


「お待たせしましたー、鉄板ハンバーグセットデミグラスソースです。鉄板が熱くなってますので気を付けて下さい」

 と、お店の人が料理を運んできた。日本語は流暢だけど、見た目はどう見てもブラジリアンな店の主人の奥さんだ。でも、ラテン系のノリの良さみたいなのは微塵も感じられない。

 お客さんが俺ともう一組しかいないし、あんまり経営がうまくいってないのかも。まあオレには関係ないけどね。

 言うほど熱くはないハンバーグをサッサと切り分けてほうばりながら、やっぱり昨日の話題でも戸井田のゲンゾーが人気者だったなあと、肉汁と共に噛みしめる。

彼はオレが新人の頃は首都圏統括リーダーの1人でバリバリやってたけど、あまりのパワハラにだんだんと部下から疎まれ、致命的な事件もいくつか起きてしまったせいで、いよいよ会社からも見放されて今ではもう社員1人で北関東地区に飛ばされて「1人リーダー」とか言われて残念な限り。

 でもなぜか、役職は課長のままでウワサでは給料も今の方がむしろよくなっているとか。

 昨日の飲み会でも、彼の高待遇を語る上で欠かせない「東田本部長の忠実な子分、忠犬トイゾー」トークでいろんなエピソードが出たものだ。要は、力のあるイケイケ本部長のイエスマンなおかげで、あれだけの不祥事をやらかしてもなおある意味では守られているんだな。みんなそんな風に思っている。


 そんなことをボーッとしながら考えている内に、料理も食べ終えていてアイスコーヒーが目の前に届いていた。シロップとミルクを入れてストローでそれらをかき混ぜる。

 これを飲み終えたらここを出ないといけないような気分になるから、なるべくゆっくりとストローで啜る。


 今日はもう200冊位は注文取れているから、午後であと3〜4件ヒットして500冊越えておけばノルマ的にはオッケーだな、と無意識にセールス計算していると携帯に着信の表示が。

 やれやれ、またコイツか。

「もしもし、新井です、どうした?」「もしもし、岡安です。新井さん今お時間よろしいでしょうか?」

「うん、いいよ。どうした? なんかトラブル?」テンポ悪いなー、この子は。

「いえ、今書店にいるんですけど、今度ウチの児童文庫で4月からフェアやってもらえそうなんです。でも、条件があって…」

 岡安は何やら困っている様子だ。どうせパネル作ってとか延べ勘にしてくれとか言われたんだろうな。

「どんな条件?」一応テンポは合わせて聞いておく。

「はい、店名入りの特大パネルを作って欲しいと頼まれて、それは自分が後でやるので大丈夫なんですけど、デザインを先に送って本部決済をとらないといけないらしくて…。こういう場合、やはり特販部に動いてもらわないといけないんでしょうか?」

 岡安は不安そうだ。

 特販や本部を通すとなると時間と手間を多く費やすことになりかねない。その間に書店側の熱が冷めてしまい、結局フェア自体が流れてしまうのはしばしばあることだ。

「そうだなー、報告はしておいたほうがもちろんいいけど、せっかく店がやる気なわけでしょ?ちなみに店名は? うんうん、レイクタウンの未来屋ね。あの地区は岩岡マネージャーじゃん、あの人に言っておけば大丈夫だよ。オレも去年は色々よくしてもらったし、陳列から返品まで全部やってやったこともあるからな。なんならオレからも一言言っておくよ」

「ホントですか、ありがとうございます! …でも、やっぱり自分が先に説明しておかないと、マズいですよね? 新井さん、岩岡マネージャーの連絡先分かりますか?」

「うん、あとでメール送っとくよ。またなんかあったら連絡してな。次会社来るの来週、うん、火曜ね。じゃあまたその時に日報コピーも出しといて」

「分かりました、ありがとうございます! では、失礼します!」体育会系を地で行く、ムダに勢いのいい声が耳に響く。

「はーい、おつかれー」と軽く受け流し通話オフ。

なんか、また疲れてしまったなー、と軽く溜息が出ていた。


 岡安ノリコ、オレの初めての部下で新人、最初は元気がよく体力も小柄な体に似合わない位ある。

 なんせ大学まで陸上部で10種目競技だかをやっていたとか、トライアスロンの大会に出るためハワイかどっかまで行ったとか、凡人には理解不能な行動力がある。

そのクセ仕事は要領が悪く、何度も同じ間違いを繰り返すから、ほとほと手を焼いているわけだ。

 去年も何度オレがフォロー同行してやったことか。

 おかげで目立ったクレームにもならず、むしろオレが代わりに提案して新しいフェアを幾つか増やしたりしてやったおかげで、セールスが伸びて実績作りに貢献してたわけだがら、ヤツの株をあげてやった位だ。

 …まあ、性格は真面目だしいつも遅くまで外回りしてるみたいだから、人間的にはいい人なんだろうけど、一緒に仕事をしたいタイプではない。

4月の人事では恐らく別々のチームか、編集行きかだろう。もう少しの辛抱だ。


 ついでにツイッターと、最近始めたフェイスブックのアプリを立ち上げタイムラインを軽く眺める。

 ツイッターのフォローリストに「K心D」という、ウチの社員のグループリストみたいなのがあるが、大体毎日「今日のGT(ゲンゾー戸井田の意味ね)」を誰かがツイートしている。

 笑えるのは、他ならぬ戸井田さん自身がツイッターもフェイスブックも大好きで毎日欠かさずチェック、コメントしていることだ。

なので、GTの件も気付かれてもおかしくないのだが、今のところはバレてないようだ。島谷さんや川谷さん辺りがうまいことはぐらかしているのだろうか。

 ちなみに今日はまだで、昨日は「#GTなう」のハッシュタグ付が4件、中間在社だったからネタも多かったんだろう。まあ、どうでもいいんだけど。


 酒も抜けてきたところで休憩を切り上げ、サクッとあと2件近くの書店を回る。マルエツの文教堂は空振りで註文書預け、宮脇はかなり歩くんだけど電話したら担当も店長もいるからこれは稼げそうだと20分ウォーキングの後ヒット、あとはバスで志木方面を何件か当たれば大丈夫だろう。

 うちの会社は外回りは直行直帰が基本だ。昔は首都圏担当者は朝か夜帰社いずれかが必須だったが、長時間残業に繋がるとのことで東田さんが本部長になってからはむしろ、

「18時以降は残業届けがない限り退社、帰社もNG」になったようだ。

でも、結局仕事量が減ったわけじゃないから、営業は7時以降も書店回り、編集は会社近くのファミレスで持ち帰り仕事を片付ける、と自主的に仕事を減らすしかない。

 オレはそんなのおかしいと思うから、効率よく回って夜まで外回りなんてしないけど。たまに閉店後や開店前の陳列応援とかはやるけど、その分どっかで抜いたりしないとね。

 フレックスみたいな勤務形態だし。今日もヒットさえすれば5時前にはノルマクリアの予定だ。早く帰って日報書いて、溜まった録画でも見てのんびりしよう。


 と、携帯にツイッターの通知が。このIDは同期の中丸か。

「先輩、Tランド本部クレームにより出禁だってばよ#GT」と、マジか! 昨日妙に荒れていた原因はやっぱりこのことだったのか。前島さんに食ってかかってたもんな。「部下の管理不行き届きだ!」 とか。

あの同期はホント仲悪いよな、というか戸井田さんが浮いているんだけど。

 すかさず中丸に直メール、「ツイート見たぞ、お前ネタもってんでしょ? オレ6時には終わるからさ、どっかで飯食いながらその件について話さね?」 

 録画した「もやさま」「ぷっすま」はいつでも見れるし、ちょっとした退屈凌ぎには悪くないな、と少しウキウキしているような自分を感じながら、バス停で1人背伸びをした。


 よっしゃ、後3件ヒット頑張るか!

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