第1章
田辺 マリ(32) 4月23日
地上に出ると、青空からの陽射しが地面に反射している。目を細めずにはいられないその光を身に受けながら、私は東京メトロ飯田橋駅の地上出口を駆け足で抜け出た。神楽坂下交差点に隣接した位置なので、待ち合わせのオープンテラスカフェまではすぐの距離だ。
時計をチラっと見る、時間は約5分オーバー、久々の再会としては最悪とまではいかないけど、ちょっとしたハンデにはなりそうだ。
「久々の東京で乗り換えに時間かかっちゃって…」などと心の中で言い訳を呟く。もちろん、直接言うわけではないけど。
神田川のほとりにあるそのカフェにつく。彼女とはすぐに目が合いお互いに手を振る。「ごめーん!」のジェスチャーをやや大袈裟にしてみせて、一応は向こうは笑顔であることを確認する。そう、彼女は昔から笑顔のマナーとでもいうべき柔かさを欠かさない。
もう5年以上振りだというのに、そのことが私の記憶にも鮮やかに残されているな、とまず感じた。
神宮エリコ、私の元同期であり東京にいる親友だ。
「お久しぶりー、マリちゃん変わってないね。すぐ分かったよ。ううん、私もついたばかりだから、ちょうど川沿いの席が空いてて陣取っておいたところ。連絡くれてありがとうね。」
「うん、日本に帰ってきたらエリにはすぐ会わないと、って思ってたし。でも、実際顔を合わせるまでけっこうかかっちゃったけど。なかなか予定合わせられなくて遅くなったね、ごめん」
と申し訳なさそうに顔の前でまた手を合わせてエリの顔を見る。彼女は微笑んでいる。
女性の私から見ても、贔屓目なしに彼女の笑顔は素敵でうっとりしてしまう。さぞかし営業先でもモテていたのだろうけど、そういった話は聞くことがなかった。
今では、学生時代からの彼(熊のように大柄で、うさぎのように臆病な気の優しい人だ、と言っていた)と結婚し、子供も二人いるそうだ。
そう考えると、その微笑みには母のおおらかさのようなものが新たに加わっているようもに感じられる。
昼下がりで既にランチはお互い済ませていたので、私はカフェオレ、エリはルイボスティーを注文しておき、会話に専念する体勢を整えた。
私には、彼女との再会を喜ぶのとは別に、果たすべきミッションがある。
「ここ、昔よく来たよね。マリちゃんが指定したとき、さすがっ! って思ったよ」
「うん、よく午前在社で疲れた時、こっそりここで合流したよね。せっかく神楽坂にいるんだから、少しは満喫しないと、って思って。会社の人達もここまでお昼にはこないし、担当地域はバラバラだからここが便利だったよね」
「同期含め、営業女子はあたしたちだけだったからね。ユッキーやマイちんは編集だし、そもそも営業の女子は3年以内に異動しちゃうから、気が付いたら私達が一番上になってたし。あたしなんて、もう10年だよ! 会社の平均社員年齢抜いちゃったよ」エリがおどけてみせる。
平均年齢31歳がウリの会社だから仕方ないのだが、彼女はまだ20代と見られてもおかしくない容姿を保っている。5年以上振りでも一目で気付いたんだから間違いない。
強いて変化をいうならば、髪型がブラウンのストレートから黒髪のウェーブがかったセミロングになったこと、薬指に結婚指輪が時折光を反射していること位だ。
それからしばらくは、再会の興奮からお互いに今までのことを、まるで貯水池が水門から解き放たれたかの勢いで話した。
私の渡米のこと、ダンナの転勤にかこつけて移り住んだカリフォルニア州での日々、去年東京本社に無事戻り、私も家にいるだけではつまらないと仕事探しをしたものの出版業界は不況で営業の募集がほとんどなかったこと。
そして、仕方なく正社員は諦め、どうせならやりたかった雑誌記者を目指そうとライター養成講座を受け、半年後ようやく週刊誌専属の記者というかライター契約できたことなんかを、時間を忘れてのべつ幕なしに話した。
エリとは、海外に渡ったあともメールやミクシィでお互いの近況をまだ少しは知ることができた方だが、特に仕事面の話はあまりしてこなかったので、会社の近況や出版業界の動きはほとんど初めて聞くことばかりだった。
ただ一つ、戸井田先輩についてのあの報道を除けば。
「戸井田さん、あんなことになっちゃってほんと驚いたっていうか、どうして? って感じだよね。あたしはまだ育休中だから、もう一年近く会ってないけど、去年は変な感じもなくバリバリやってたなー。まあ、多少尖ったとこもあったし、東田さんによく突っかかって言い合いしてたけど、仕事上のことだけだと思ってたよ。あたしたちのいっこ上の代だから、熱い人だなあ、ってよく言ってたじゃん。あの時のイメージのまんまだよ、あたしにとっては」
エリは少し淋しそうに先輩について語る。私も大体は同意見だ。
私とエリはどちらも、先輩のOJTとしてそれぞれ一年ずつ仕事の面倒を見てもらった。
特にエリは新人の時だったから、お世話になったという気持ちが強いのだろう。
よく、先輩と同行した後に電話がきて、あの人は女心が分かってない、言い方がキツくて泣きそうだなどと愚痴をこぼしながらも、付き合ってるかのと疑う位二人で飲みに行ったりもして、なんだかんだいいコンビなんだな、って思っていたのを思い出す。
私は入社2年目の時、チーム替えで先輩と組むことになった。
エリの入念な事前情報(愚痴混じりの)のおかげで、先輩からの夜のお誘いは「彼氏がうるさいので…」と躱し、猛烈なダメ出しについてもなるべく丁寧に受け流した。
そういった一部の難点を除けば、日報を毎日読んで丁寧にアドバイスしてくれたし、仲のいい書店さんを紹介してくれたり同業他社との交流会に読んでくれたりと、とても面倒見のいい人だった。
仕事の悩みがあるときには、常に親身になって相談に乗ってくれたものだった。
例えば、東田さんが、繁忙期のミーティングを夜6時〜9時で強行し、その後も終電まで残業させようとした時も、「残業代はちゃんと出るんですか?」 とか「女子を夜中まで拘束して夜道を歩かせるとか責任とれるんすか?」 なんていう風にしてビジバシ突っ込んでくれた。
不器用だけど、行動原理は善意からくるものが多かった、そんな先輩だったと思う。
エリは、保育園にお迎えにいかないといけないので、3時早々で解散した。
社会人成り立ての時から、苦楽を分かち合った戦友同士であり、女子トーク仲間でもある私達からすれば、あっと言う間のティータイムで、いくらでもまだ話したいことはあるが、当初の目的は果たせそうだ。
私は、携帯に入れた一つの連絡先を編集し登録した。名前は川谷スグル、戸井田さんの同期で親友だった人だ。
私は、メールを送るため文章を打ち込んだ。
【件名:元啓心堂の田辺(旧姓:森岡)】
「先輩、ご無沙汰しています、田辺です。戸井田源蔵氏が引き起こした今回の事件についてお話をお聞かせ下さいませんか?」
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