初恋の行方

プロローグ

 メデリック王国のたったひとりの王女がいなくなる。

 初夏の陽気がが心地よい今日はそんな日だった。

 王都のバルザック侯爵家の屋敷で、十九になる王女アレクシアは白い婚礼衣装に身を包んで化粧台の前で自分の姿を確認していた。

 歳より少し幼いと言われる顔は、化粧を施されてしっかりと大人びたものへ変わっていた。白い肌が艶やかさを増し、大きな翡翠の瞳は今日という日を迎えられたことへの喜びで煌めいている。

 紅を刷かれた形のよい唇から、ほうとため息をつく。

「今日はわたくし、国で一番綺麗になれたと思いますの」

 背後に控える侍女達に、アレクシアはそう声をかける。

 まろやかな声音に高慢さはなく、どこか初めて化粧をした幼い少女のように無邪気なものだった。

「王女殿下は以前から国で一番お美しい方でいらっしゃいますよ」

 バルザック家の侍女達が目を細めて、新しい主となるアレクシアを暖かく見つめる。この屋敷の主となったばかりのギデオンとアレクシアの婚儀が決まったのはわずかふた月前。

 メデリック王国は王位継承者を王子王女の中から選挙で選ぶ。アレクシアも候補者のひとりで、唯一の王女だった。

 そうしてふた月前、二年かけて計五回執り行われる選挙の最終投票が行われてアレクシアは落選した。

 その瞬間は、アレクシアが待ち望んだものだった。

「ふふ。もう王女殿下ではありませんわ。今日からわたくし、侯爵夫人ですもの」

 落選と同時にギデオンの元へ降嫁することになったのだ。

 本来選挙に勝てば、次の選挙のために複数の夫を持ち父親違いの子供を作らねばならなかった。

 だがアレクシアにとっては、望まないことだった。

 王位すら欲しくはなかった。望むのは初恋を叶えることだけだった。

「そうですわね。若奥様とお呼びしないと」

「あの若様が王女殿下に求婚なさるなんて……」

「若様はよい方ですけれど、ええ、もう本当にまさか自分から求婚して受けて下さるなんて……」

 奥手で話下手、流行遅れとまるで女性に相手にされなかったギデオンを思い起して、長くバルザック家に仕える侍女達がうなずき合う。

 アレクシアはこれから夫となるギデオンが、使用人達に本当に好まれているのを嬉しく思う。

 自分も彼女たちと仲良くできるようにならねばと、気を引き締めながら一抹の寂しさが心を撫でる。

 幼い頃から側に仕えてくれていた侍女はもういない。

 みっつ年上の母の姪にあたる従姉のジゼル。姉代わりでいつも側にいてくれて、筆頭侍女としても尽くしてくれた。

「若奥様、ヴェールをおつけしますよ」

 侍女頭が優しく目を和ませて縁周りに繊細なレースをあしらったヴェールを、アレクシアに被せる。

(ジゼルは最後まで王冠を載せたがっていたわね……)

 アレクシアは目元に影を落とす。

 この日のために犠牲にしたものは思ったよりも大きかった。後悔はしていないけれど時々湧いてくる寂しさだけはどうしようもない。

(だけれどわたくしは選んだのだもの。今日は誰よりも幸せよ)

 にこりと鏡に映る自分に微笑みかければ、表情と心がぴたりと重なる。本当に綺麗な花嫁だと、侍女達の表情も明るい。

「アレクシア様、あの、クジヌー侯爵夫人からお手紙が……」

 その時、部屋の扉が叩かれて他の仕度をしていた侍女が、戸惑い気味の表情で白い封筒を持ってきた。

「まあ、ジゼルから?」

 クジヌー侯爵夫人はジゼルのことだ。

 アレクシアは目を丸くしながら、封筒を受け取る。この結婚でアレクシアが母方の親類から絶縁状態だと聞いている周りの侍女は少々不安そうだった。

 アレクシアは封筒の片隅にある、ジゼルの名前を指で撫でて物思いにふける。

『私は死ぬまであなたにお仕えしたかった』

 全てが明らかとなったときそう言って自分の手を握りめきたジゼルの手は、血に濡れていた――。

 

 

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