◇第七章 ニセアリスの話

「久しぶりね」


 声をかけると、蒼葉は緩く振り向いた。多少は売れて変装に気を使っているのか、伊達眼鏡をかけていた。


 かつて豹子と語らった海岸だ。


 雨上がりの良い天気で、陽光が海を煌かせている。


「……すっかり、暇になった感じ?」と蒼葉。

「うん……テレビ番組の仕事も減った」


 私は奪ったカリスマ性を全て失い、代わりに自身の二倍のカリスマ性を持つようになった。結果、私の人気は目に見えて下がり、仕事も応じて減った。


「今は……燐っていうリーダーの子がセンターやってるわ。これで良かったんだと思う」

「……えーと、藤堂さんって言ったかしら」

「うん」

「ネットのニュースで見たわ。引退したのね」

「した」

「……カリスマ性、戻ったんでしょう?」

「戻ってた。でも、やめるってさ」


 互いに暫し、海を眺める。

 私から口を開いた。


「――会いに行ったの」

「藤堂さんに?」

「会って、話した」

「何だって?」

「……男のこともあったのよ。公になる前に辞めたけど、あいつは男を作ってた。契約違反よ。辞めさせられておかしくない。でも自分から辞めることを選んだみたい」

「そう……」

「向いてない、って思ったらしいわ。今回の一件で。でも、本人はちゃんと納得してるみたい」

「……せめてもの救いね」

「うん……。もう一人、山田夕子ってマネージャーがいたの。山田さんも、アリスクイーンの影武者の一人だった。カリスマ性を奪われた後、人事異動で会えなくなったの」

「会ったの?」

「会えなかった。電話も無理。個人情報だしね。事務所も簡単には公開できないみたい」

「残念だったわね」

「……元気でやってるのを、祈るしかないかな」


 再び沈黙し、海を眺める。


「――ありがとう」

「え?」


 蒼葉は怪訝そうな声を出す。


「貴女のお陰で、私、こうして人並みの生活を送れてる。本当にありがとう」

「……感謝される筋合いはないわ」

「そうね。じゃあ……ごめんなさいかな」

「……どうなんでしょうね」

「――アイドル、辞めようと思うの」


 蒼葉はすぐには言葉を返さなかった。


「……本気?」

「うん。今日、決めたの。すぐじゃないわ。高校二年生きっかりで、辞めるつもり」

「どうして……?」


 今度は私が言葉を返すのに、時間をかける番だった。


「――気づいちゃったからね」

「気づく?」

「私の欲しいもの。私の欲しいものは、アイドルじゃ手に入らないって、気付いたの。だからもう、アイドルを続ける意味ないし」


 蒼葉は黙って私の話を聞いていた。


「私が欲しかったのは、自分の居場所。けどそれは、他人から奪うものじゃない。アリス・ウォーがなかったら、気付けなかったかも知れない。私は私で、自分の居場所を作ろうと思うの。アイドルとか、そういうのじゃなくて、自分自身の居場所を」

「――蒼太は悲しむわ」

「……ごめん」

「何で私に謝るの?」

「……そうね。でも、決めたことなの。普通の女の子に戻った後で、お見舞いに行かせて貰うわ――」


 スマホが鳴る。取り出してみると母親からだった。

「私もだわ」

 蒼葉もケータイを取り出す。スマホではなかった。


「それ――」

「スマホはハッターから借りてたのよ」


 ……レンタル有りなのか。

 電話に出る。


「もしもし?」

『――アリス、聞こえるかい?』

「その声――」


 間違いない。


「白ウサギ……? 何で電話を!?」

「帽子屋!? どうして!?」


 蒼葉の電話の相手は、パートナーだったいかれ帽子屋らしい。


『緊急事態なんだ! 何でも良いから、動画を見られるものはないかい!?』

「なんでも、って――」


 動画を見るには私のスマホの方が都合が良い。そのことを告げると――。


『じゃあ、氷室蒼葉の電話を僕の方に繋ぐよ』

『なんじゃと! この公僕風情が! 職権乱用だぞ! 蒼葉! 体に気をつけてな! お前は無理をしても他人に言わん悪い癖がある! それから――』


 白ウサギに通話が切り替わった。

「……帽子屋」

 蒼葉の呟きが聞こえた。


 白ウサギの言うとおりに、動画投稿サイトのアプリを開き、検索する。

 アリス……ライヴで検索……。アリス……? 

 出た。再生数、五六〇七二。


 再生すると、白銀のステージの上に少女が立っていた。私と同い年……十六……か七くらいだろうか? 外国人だ。金色の髪に碧い瞳……。


『皆さん、御機嫌よう――』


 少女が口を開いた。

 ――なんて、可憐な声音なんだろう。

 私の声が雑音にしか聞こえないくらいに、澄んでいて、可愛らしくて――甘く蕩けるような――。


『魅了されちゃ駄目だッ! アリスッ!』


 白ウサギの声が響く! 私は陶然とうぜんとした酩酊めいていから引き戻される。――今のは、一体……?


『今、君たちが見ているのは、アリスの「偽物」だ!』

「偽物?」

『不思議の国ではない、偽りの国、「鏡の国」の女王、偽のアリス。通称、アリスミラーだよ!』

「か、鏡の国!? ちょっと待って、話ついていけないんだけど!」

『詳しい話はこっちでする! だからどこかの潜れるものを潜るんだ! あとはこっちでなんとかする!』


 蒼葉は困惑した様子でこちらを見た。私も似たような顔をしていたに違いない。

「潜れるもの、って――」

 周りを見渡す。何もない。都市部まで行かないと無理だ。


『移動する際は気をつけて! 「もう始まってる!」 女王の侵略はもう始まってる! 「鏡面に気を付けて!」』


 鏡面――? 鏡とか、窓とか……水たまりのこと?

 私たちは白ウサギに従って、移動することにした。

 町中に入ると――。


「うひょー、すっげぇ! 何このアリスって子、マジカワイイ子じゃん! マジタイプ!」

 あからさまに不良、といった風体ふうていの男子がスマホを見て興奮していた。だが不良の傍らには同じく、不良としか言えない風貌の女子がいた。


「ちょっとレイジ! 何言ってんの、その女のどこが良いのッ!?」

「だってパツキンだぜ! パツキン! こんなカワイイ子滅多にいねぇって! マジサイコー!」

「レイジ、私との約束は!?」

「お前一人で先行けよ!」

「――なっ、こんな女のどこがいいのよッ!」


 女子はスマホを引っ手繰り、地面に投げつける。


「お前、何すんだよ!」

「うるせぇ! 他の女に夢中になりやがっ――」


 女子は急に苦しみ始めた。咽喉のどを掻き毟っている。

「ぐっ……、がっ……カァッ――!」

 だが咽喉に異常は見られない。

 ふと、女子の足元にある巨大な水たまりを見た。

 ――ジャバウォックが映っていた。水たまりに映った女子の首に、ジャバウォックの尾が巻き付いている。更に口を開き、女子の腹部に食らいつく。臓物をまき散らし、血を噴出しながら、女子は水たまりに倒れる。水たまりは血で染まる。女子はそのまま決して――動くことはなかった。

「――恵? おい……恵? あ、あぁ、うわああああぁああぁぁああぁぁっ!?」

 男子は絶叫し、逃げ去っていく。

 私たちは呆然とその場に立ち尽くしていた。


「――今の、何?」

「あれ……本物? 作り物じゃなくて?」

「う、ぶ――うげぇぇぇ!」


 思わず吐瀉物をその場で吐き出してしまう。一体、一体何が――!?


「花森さん、こっち! こっちよ! 白ウサギのとこに――!」

「でも――」

「でもじゃない! 早く!」


 私たちは近場のコンビニに駆け込む。大勢の人に消える瞬間を見られただろうが、仕方がない。

 自動扉を潜った。


 白ウサギの家のすぐ前に出た。


   *


「……気分はどうだい? アリス」

「……まだちょっと、気持ち悪い」


 洗面所を借り、口を濯がせて貰ったところだ。まだ胃の辺りが暴れ狂うようにうずく。


「白ウサギさん、結論から言って欲しいの。あれは何なの?」

「……水たまりに映っていた奴かい?」

「そう」

「――ジャバウォック。知ってるだろう。その本体さ」


 蒼葉はジャバウォックそのものを見ていないのだ。


「あれが……アリスジャバウォックのパートナー。でも、何で……?」

「侵略だよ」

「侵略って?」持ち直し、尋ねる。

「アリスミラー、つまり鏡の国の女王と、ジャバウォックが、君たちの世界へ侵略を始めたんだ」

「ちょっと良い?」


 蒼葉が静かに聞く。


「そもそも……鏡の国ってどういうこと? 小説は読んだことあるわ。それも実在するの?」

「答え難い質問だね。はいとも言えるし、いいえとも言える」

「前にここで、遠回しな言い方は嫌いって言わなかった?」

「じゅ、順を追って説明するよ……」


 白ウサギの淹れたハーブティーを少しずつ飲みながら、話を聞いた。


「まず前提として知っていて欲しいんだけど……。僕だちの国、『不思議の国』は実在するんだ。君たち普通の人間の認知の外にある、ってだけで」

「それは聞いたわ」私は肯く。

「でもね、『鏡の国』は正規な国じゃないんだ。非正規の国。ルイス・キャロルによって作られた、偽物の国なんだよ」


 蒼葉は眉を顰める。


「そこが分からないの。どういうこと?」

「聞いてるよね? 不思議の国は実在する。そこで実際に起こった出来事を、偶々観測することのできたキャロルが、作った物語が『不思議の国のアリス』だって」

「帽子屋から聞いたわ」

「キャロルは不思議の国の物語を、永遠の思い出として記録したんだ。……だが悲劇が起きた」

「何があったの?」と私。

「アリスが成長したんだ」

「ごめん、ちょっと言っている意味が良く分からない」

「アリスの物語は永遠だったけれど、アリスは永遠じゃなかったんだよ」


 ――突っ込んで良いのか悪いのか、分からなかったが真面目な話っぽいので黙っておくことにした。


「そこでキャロルは思いついた。もう一度アリスの物語を書こう、と。でも出来たのは偽物でしかなかった。だって、『鏡の国』はこの世のどこにも存在しないしね。登場人物だって、マザーグースの引用ばかりだ。自分の作った作品に、アリスが存在しないことに気付いたキャロルは――悪魔と契約した」

「悪魔?」

「――ジャバウォックだよ。鏡の悪魔、名もなき悪魔。ジャバウォックはキャロルに、取引を持ち掛けたんだ。『鏡の国のアリス』を本物にする代わりに、自分に名前を与えて『鏡の国』の住人にしろ、ってね」

「もしかして、ジャバウォックの詩って言うのは――」

「呪文だよ。ジャバウォックを召喚し、契約するための呪文なんだ。その呪文を本の中に組み込むことで、契約は完了した――」

「待って。疑問点があるんだけど、じゃああのアリスミラーって何者なの?」

「本物のアリスの偽物さ。鏡写しの存在だから、ほぼ本人だけど、偽物なんだ」

「じゃあ、スマホに映ってるの、偽物なの?」


 音量をミュートにし、動画を再生している。既に再生数は百万を突破していた。ツイッターも、見てみれば急上昇ワードに「アリス」、「金髪」、「美少女」とある。


「……確かに、何かアリスのイメージと違うかも」

「でしょ?」

「なんか、思ったほど可愛い子じゃないな、って……」

「……アリス?」


 白ウサギが円らな瞳でこちらを見る。だがその視線には憐れみがあった。


「な、何よ、文句ある?」

「花森さん……」


 蒼葉さえも半眼で憐れみを向けてくる。

 白ウサギは私の腕をポン、と叩く。


「アリスはアリスだよ。可愛いよ」

「テメー、畜生の分際で人間様を憐憫の目で見る気ッ!?」

「ぐえー、復活の胸倉掴み! 助けてー!」

「落ち着いて、花森さん」


 私は白ウサギを開放し、深く深呼吸する。そして再び考える。


「でもやっぱおかしいわよ。だって、原作のアリスって、不思議の国で七歳、鏡で七歳半でしょう? 動画に移ってたのは、十六歳には見える子だったわよ?」

「年を取るんだよ。偽物だから」

「……念のため聞くけど、本当の話よね? アンタの国のプロパガンダとかじゃなくて」

「し、信じてよ!」

「とにかく――」


 蒼葉が声を張り言う。


「その前提で話を進めましょう。侵略って、どういう意味?」

「アリスミラーは偽物でしかなかった。だって、本物がいるんだからね。でも本物は消失してしまった。そこで僕たちは、新たなアリスを作り出そうとした。でも『アリス創造計画』は失敗に終わった――そこで、アリスミラーが動き出したんだ。アリスミラーは、自分が本物のアリスになろうとしているんだよ……!」

「本物とか、偽物とか、良く分からないけど……私たちの世界と、何か関係あるの?」

「アリスミラーはアリスミラーだ。どう足掻いても真のアリスにはなれない。でも真のアリスと同じで、世界を支配することができる。アリスミラーは、アリスミラーこそが真のアリスだと君たちの国の情報を書き換えるつもりなんだ。全ての国民を洗脳してね」

「――洗脳」


 アリスミラーの声を聴いた時のこと、アリスミラーに夢中になっていた不良のことを思い出す。――私たちも、あぁなると?


「洗脳って、具体的には、何を――?」

「誰もがアリスミラーを見ているだけで、声を聴いているだけで、忠誠を誓うようになる。抵抗はできる。でも長くは続かない。やがて全ての地球人が、アリスミラーの従僕になる」

「なったら、どうなるの……?」

「予想がつかない。でも全てがアリスミラーのための世界になるだろうね。歌も、踊りも、曲も、美術品も、小説も、事業も、食事も、国さえも――何もかもが、アリスミラーのための世界になる。既存の文化は全て破壊され、消却される」

「でも本当に、皆が皆アリスミラーを好きに――」


 思い出す。殺害された女子。再び吐き気が込み上げる。


「……長く抵抗できる人はいるだろう。個人差があるからね。行動だって起こせる。目隠しと耳栓でも防げるかも知れない。――でもジャバウォックが黙って見てない」

「殺される、ってこと――従わない奴は!?」

「僕は言ったよ。これは侵略だって! アリスミラーは君たちから全てを奪い、独裁国家を作り上げるつもりだ――!」

「医療は――」


 蒼葉が呟く。


「医療は――どうなるの?」

「予想がつかない。ただアリスミラーは大きな子どもでしかない。思いつきで奇妙な治療法を導入しても、誰も逆らえない」

「――侵略の対抗策はあるの?」と蒼葉。

「僕たちの力を貸す。もう一度変身して欲しい!」

「もう一度……変身……?」私は思わず呟く。

「実は君たち以外にも、アリス・ウォー本来の参加者、七人のアリス候補生に声をかけている。君たちに、アリス・ウォーのために調整した能力じゃない、真のアリス候補生……いや、アリスの欠片を用いた衣装の覚醒したものを託す。それで――」

「ふざけないでよッ!」


 ――絶叫していた。二人が私を見る。


「アリス?」


 白ウサギの声は不安げだったが、構わない――。


「アンタ……私が、私たちが……どんだけ怖い目に遭ったと思ってるの!? どんだけ痛い目に、辛い目に、悲しい目に遭ったと思ってるのよ!? あれは地獄よ! 神聖な戦いでも儀式でもない! エゴのために人が人を蹴落とし合う、唾棄すべき残虐劇よ! 私たちに、また傷つけって言うの!?」

「そ、それは――」

「それに、負けたらどうなるの?」

「……うぅ」


 白ウサギは俯く。


「負けたら、どうなるのよ、答えなさい!」

「……そうだね。言わなくちゃ、駄目だね。僕の義務だ」


 白ウサギは顔を上げ、はっきりと告げる。


「負ければ、命を落とす。社会的に死ぬだとか、カリスマ性を奪われるだとか、そんなことじゃない。絶命。絶対の死だ。負ければ君たちは、物理的に殺される」


 誰もが沈黙した。真っ先に口を開いたのは、私だ。


「私は嫌よ――」

「アリス」

「私は嫌! 知らない、世界なんて知らない! もう戦うのは嫌なの……! 傷つくのも、傷つけるのも! やっと、やっと平和になったと思ったのに……! 冗談じゃない! 戦うもんか! 命がけの戦いなんて……絶対に嫌だッ!」


 拳を握りしめ、宣言する。拳は制御できないほど震えていた。

「――私は戦うわ」

 蒼葉は静かに宣言した。

「……帽子屋から預かってる」

 白ウサギはポケットからスマホを取り出す。蒼葉はスマホを受け取った。

「――待ってよ!」

 私は蒼葉の腕を掴む。

「正気!? 戦うのよ!? カリスマ性とかそんなの関係ない! 命がけ! 負けたら死ぬのよ!? 分かってるの!?」

 すぐには答えなかった。


「――もしかしたら、分かってないのかも知れない」

「はぁッ!?」

「だって私、戦いはしたけれど、勝ってもいないし、負けてもいないから――もしかしたら、よく分かってないのかも」

「だったら――」

「でも戦うしかない! 蒼太のためにも、世界のためにも……戦うしかない。そうでしょう?」

「――死んだら、どうするのよ? 怖くないの?」

「……。怖くない時なんて、なかったわ……」


 蒼葉は家から出て行った。


「……アリス。僕は無理強いはしないよ。君の選択に任せる。帰るなら、そのままこの家から出れば良い。君の家まで送る」

「……あいつ一人で、勝てるの?」

「……分からない」

「なんでそんな無責任なこと言えるのよッ!? 人が一人死にかけてるのよッ!?」

「僕たちには――こうするしかないんだ。ごめん……」

「謝って済むかぁッ!」


 絶叫する。部屋に声が響いた。


「――何で? 何で私たちにこんなことさせんの? 何で私たちばっかりに、こんなことを――」

「……ごめん。その点については、釈明のしようもない。アリス・ウォーに関して言えば、僕たちのエゴ以外の何者でもない。……アリスの消失を受けれられない弱さが生んだ愚挙だ。その点では、キャロルと大差ない」


 私は立ち上がる。


「私は――帰るわ」

「気を付けてね……」

「うん……」

『トップアイドルになりたいですか?』


 ――聞き覚えのある声だ。――いや、忘れる訳がない。

 振り返れば、戸の前に少女がいた。――少女は浮かんでいた。

 中学生くらいの、外国人の少女。淡い光を放ち、輝いている。


「――え? 誰? つーか、人間……?」

「ろ、ロリーナ様!」

「ロリーナ?」


 どこかで聞いた名前だ……。

『トップアイドルになりたいですか?』

 少女は澄んだ声で繰り返し言う。


「アリス! 頭を下げて! 神前だよ!」

「神前?」

「ロリーナ様は不思議の国を守護する女神様なんだよ! 不敬を決して――」

「知るかボケッ! ちょっとアンタ、ロリーナ! アンタがそそのかしてくれたお陰で、私は随分と面白可笑しいことに巻き込まれたわ! はっきり言って大迷惑だったわよ!」

『トップアイドルになりたいですか?』

「くどい! なりたくなんてないわよ! アンタのお陰で目が覚めたわ。用はそれだけよ。一言、文句が言いたくてね!」

『なぜなりたくないのです?』

「目が覚めた、って言ったでしょ? 私は自分の居場所が欲しいだけだった。ならアイドルである必要性なんてない。もう良いのよ……疲れたの。私には、向いてなかったのよ……」

『世界を――救いたくはないのですか?』

「……別に。良いんじゃないの? 他の元アリス候補生がなんとかしてくれるだろうし……そうでなくても、世界を牛耳ってる奴がどこの誰かも分からない黒幕から、アリスっていう金髪碧眼の美少女に代わるだけでしょ? 良いじゃない! 正直、そっちの方が嬉しい人も多いんじゃない? マリー・アントワネットとか思い出すからしゃくだけど、結局世の中搾取でしょ? 金のなる木を持ってる奴が左団扇で高笑いしてる世の中よ。首が挿げ替わっただけで何も変わらない! それに美少女の言うことなら、皆喜んで聞くでしょ。どうしようもないムカつく上司や親、教員、政治家よりよっぽどカリスマ性あるし、魅力的だわ! 良いんじゃないの? それで! 正直、ちょっと期待してない訳じゃないのよ? 戦争だって無くなるかも知れない。無くならなくても、核弾頭なんて使わずにパイ投げで戦争するようになるかもね! 仕事だってクソみたいはハードワークじゃなくて、必ず三時にお茶会をするようになるかも! 税金だって訳の分かんない公共事業じゃなくて、パーティのために使われるかも知れない! 良いじゃない! 良いんじゃないの? そういう世界でも! ――別にさ」

「……本気で言ってるの、アリス?」

「さぁね……どっちでも良いわよ。大差ないし」

『白ウサギが消えても、良いのですか?』

「――どういうこと?」


 白ウサギは黙って俯く。


「どういう意味、ねぇ?」

「……こんなことを言うのは、ずるいと思ったんだ。あくまで君たちの動機で戦うべきだと思ったから」

「何を――」

「アリスミラーが『鏡の国のアリス』を真のアリスと認定したら、僕たちは消える」

「え――?」


 急な物言いに思考が追いつかない。


「『不思議の国のアリス』のすべてをなかったことにすれば、残るのは『鏡の国のアリス』になるだろう? それが、アリスミラーが真のアリスになるってことなんだ。具体的に言えば、焚書。コンテンツの破棄や、思想統制、ってことになるだろうね」

「そんな――」

「言っただろう。これは、侵略。文化の破壊なんだ。それに多分、僕たちだけじゃ済まない」

『貴女のファンが全ていなくなっても……?』

「……え?」

『貴女のファンが全ていなくなっても……良いのですか?』


 白ウサギが補足する。


「アリスミラーは自らが唯一のアリスであることを誇示する筈だ。他の偶像なんて許さない。神仏だけじゃない。アイドルだって、例外じゃない――」

「全てのアイドルグループが潰されて、ファンを奪われるって言うの?」


 ――だが、私はもうアイドルを辞めると決めたのだ。それを今更――。


「……どーせ、永遠にファンな訳じゃない。私だって、永遠にアイドルな訳じゃない。もうすぐ引退する予定だし、きっと他の子をすぐに見つけるわよ。それがちょっと、早まっただけだって……」

『でも今は、貴女を応援しています――』

「――それは感謝してる。でも……いつか終わりは来るのよ。それが今かも知れない。そういう話でしょ?」

『彼らが応援しているのはアリスミラーではありません。貴女です』

「……私よりも、アリスミラーの方が良いでしょ。さっきは捻くれたこと言ったけど、どう見ても美少女じゃない。しかも外国人。イエローモンキーの私が勝てる訳ないでしょ? 常識的に考えてさ……。声だって……すごく綺麗だった……比べ物にならないくらい……。それにアリスの鏡写しなら、カリスマ性だってさぞあるんでしょうね。逆立ちしても敵わないくらいに……。ならもう、負けで良いわよ。……変に醜いことなんて、したくない。だってそうでしょ? アリスミラーは侵略者かも知れないけれど、美少女よ。きっと天性のアイドルだわ。それにアイドルの私が刃向かうって――客観的に見て醜い嫉妬じゃない。アイドル業で食い繋ぐために、必死にライバル潰す醜い女そのものじゃない……。アリス・ウォーだってそうだった。神聖な戦い? 醜い嫉妬合戦の間違いでしょ? 揃いも揃って二流、三流のアイドルが潰し合うだけの滑稽こっけいな茶番よ。そういうの、もう良いの……。疲れたの。巻き込むのは、もうやめて頂戴……」

「アリス……一つだけ、誤解があるよ」


 白ウサギが言う。


「何?」

「君は二流や三流なんかじゃないよ」

「……どーだか」

「ロリーナ様が選んだんだ。君には適性があると。僕だって、君ならアリス・ウォーを勝ち抜ける。トップアイドルになれるって、契約した時から信じてたよ」

「それは――偽りのトップアイドルよ。純粋な実力じゃない。嘘っ八。ドーピングも良いところ。ただの反則。チートも良いところの下種なトップアイドルよ。結果なんてどうでも良い。過程で間違ってたら、何の意味もないでしょう――? 数学のテストと同じよ」

「……そうかも知れない。でも全部が嘘じゃない筈だ」

「……じゃあアンタ、今の私が……参加賞でカリスマ性が倍になった程度の私が、トップアイドルになれるっての?」

「今の半分だったとしても、成れるって信じてる」

「何を根拠に――?」

「アイドルを信じるのに、理由がいるかい?」


 私は――何も言えなかった。


「本当に……良いの?」

「え?」

「……本当に、私なんかで――良いの?」

「もちろんだよ」

「私は――私は偽物よ。アイドルやってる時は、カワイ子ぶってるけど、実際には粗野で乱暴で……口調だって、こんなだし……汚い言葉だって使う……。貴女にだって、その……酷いこといっぱいしたわ。私は、アイドルになんて相応しくない。大ウソつきのアイドルになる。……それでも、私にアイドルとして戦えって言うの?」

「強要はしない。でもこれだけは言える。僕は君のファンの一人だよ。ファンの一人として、アリスミラーのファンになるつもりはない」


 私はスマホを弄る。お気に入り登録しているミラクル・ティーパーティの動画を視た。私たちの歌と共に、ファンの声援が聞こえる。


「アンタも私のファンだって言うの?」

「そうだよ」

「……じゃあ、アンタが、私のファン第一号……いや、デビューする前だから、〇号なのかもね」


 私は白ウサギに手を差し向ける。


「寄越しなさい」

「……良いのかい?」

「寄越しなさい。力を。私は戦うって言ってるの!」

「……分かった。君に授けよう。アリスの力を――!」


 スマホを見る。以前とは異なる、変身アプリがダウンロードされていた。


   *


「――ここは?」


 真っ白な廊下だ。上下左右奥まで――真っ白な壁と床、天井が続いている。


『――そこは「鏡の国」のアリス城の中だ』

「……随分殺風景なのね。サナトリウムみたい」

『そこは言わば、核シェルターのようなものなんだ。アリスミラーを外敵から護りつつ、地球人を洗脳するつもりだ』

「良いスタジオ持ってるのね。一流は違うわ」

『蒼葉の居場所まで誘導する。僕の指示通りに動いて。警邏けいら中のジャバウォックに注意して!』


 白ウサギの指示通りに移動する。途中、数体のジャバウォックを見かけた。どうやら単一個体ではなく、複数存在するらしい。

 スパイ映画宜しく移動すると、すぐに蒼葉に追いつけた。

「――アンタまだこんなところにいたの?」

 尋ねると蒼葉は恐ろしい剣幕で唇に人差し指を当てる。

 蒼葉の指差す方向を見る。複数のジャバウォックがたむろしていた。


「……これどうすんの?」

「やるしかないかもね……」


 蒼葉が呟いた瞬間、ジャバウォックがこちらに勘付いた――!

 蒼葉がスマホを取り出し、言う。


「貴女のせいよ!」

「何で!?」


 私もスマホを取り出す。

 体力は温存したいが、仕方がない。ここで――。

 ジャバウォックが爆散した。悶え苦しみ、全滅する。


 私たちではない。


 目に見えない、高速の射出物がジャバウォックを狙い撃ちにしている。

 ――いや、なんとなく分かる。

 この音、耳にタコができるほど聞いた。

 トランプの射出音だ。

 ――ということは。


「げっ、花森アリス!」

「――桜川山桜桃!」


 アリス・ウォークイーン。桜川山桜桃が現れた。


「……意外ね。アンタほどのエゴイストが」

「はぁ? まさか世界を救うために来たとか思ってるの? んな訳ないでしょ! アリスミラーを殺すためよ! あんなカワイイ子が世界を支配したら、私の仕事がなくなるじゃない! 絶対に阻止しないと!」

「流石よ、全く」


 まぁ人間、そうそう簡単に変われるものじゃない……。


「モチ子ちゃーん!」


 アリス・ウォーキャットがウォークイーンにタックルした。……ように見えた。だが本人は抱き着いただけだろう。


「げっ! 猫屋敷豹子! なんでここに!」

「モチ子ちゃんにまた会えると思って来たんだよー!」

「うわあああ! 離せ! 頬をり寄せるな!」

「何で? 私とモチ子ちゃんの仲じゃない!」

「馴れ馴れしい! 親しくなった憶えはない!」

「ならこれから仲良くなろ! 本名教えて!」

「嫌だ!」

「えーと、これ……なんて読むの? 桜川山……プリンちゃん!?」

「DQNネーム読みするんじゃあない! ユスラだ! パパがつけてくれた大切な名前だ! 馬鹿には読めない名前だ!」

「ユスラちゃん! ユスラちゃんって言うんだね! カワイイ名前!」

「しまった! っていうか、何で名前を――!?」

「あ、鷹川小学校って、ウチの近所じゃん! 明日から途中まで一緒に登校しよ! 住所も近いし、今度遊びに行くよ!」

「うわあああ! 変身してんのにどうやって財布ギッたんだよぉぉぉッ!?」


 山桜桃の学生証を陶然とした表情で眺めながら、豹子は山桜桃に迫る。


「山桜桃ちゃんかァ……。……。猫屋敷山桜桃……。ふふっ、ぐへへ……」

「助けてママァァァ!」

「私たちがママになるんだよ!」


 私は黙って見ていたが、蒼葉は口元に手をやり、惨状に目を背けながら言う。


「……私たち、お邪魔かしら?」

「待て! いや待ってください! 見殺しにしないでください!」

「自分のことを棚に上げて良くもまぁそんな台詞を――」


 呆れたが山桜桃の顔は必死そのものだった。

 豹子は山桜桃の抵抗に頬を膨らます。


「そんなに私のこと嫌?」

「嫌だ! そもそも、あんなことがあったのに、何で――!?」

「あんなことって?」

「――スタンガンやトランプだ! あれだけ痛めつけてやったのに、どうして――!?」

「……確かに、あれはちょっと痛かったかな」


 豹子があまりにものほほんと言うものだから、山桜桃は黙ってしまった。


「でも私にチューしてくれたら許してあげるよ! チュー!」

「ちゅ、チューって……?」

「勿論、マウス・トゥ――」

「ここです! ここですよ! お巡りさーん!」

「じゃあほっぺ! ほっぺで良いから!」

「うぅ……」


 山桜桃は逡巡していたが、「したら離してくださいよ!」と叫び、豹子の頬にキスした。


「……山桜桃ちゃん」

「――うぅ」

「ごめんなさいは?」


 蒼葉が助け船を出す。


「……ごめんなさい」

「結婚しよう」

「なんでそうなるんですかァ――!?」


 そろそろ先を急ごうと思った。

 蒼葉に肩を突かれる。


「何?」

「囲まれてる」


 いつの間にか周りにジャバウォックが集結していた。馬鹿二人が騒いだからだ。

 豹子も気付き、山桜桃から離れ立ち上がる。


「やれやれ、人の恋路を邪魔する奴は、ラマに蹴られて死んじまえ――っての」

「馬よ」

「ラマも馬よ」

「ラマは牛の仲間よ……」


 突っ込みきれない。


「アリスちゃん、蒼葉ちゃん、ここは私たちに任せて!」

「ちょっと、何勝手なこと言ってるんです――!?」


 山桜桃が反対するも――。

「大丈夫! 山桜桃ちゃんは私が護るよ!」

 豹子は聞く耳を持たない。

 敵の一角を一掃し、奥の通路を指し示す。


「ほら行った行った。この先に親玉がいるってさ」

「くっ……勘違いしないでください! 私は貴女たちを利用するんです! 精々アリスミラーを弱らせるんですね!」

「……だってさ」


 蒼葉の方を窺う。


「――恩に着るわ。行きましょう」


 二人で通路の奥へ向かった――。


   *


 通路の奥は巨大なホールだった。ドームほどの大きさがある。天井も壁も床も白……通路と同じだった。

 その中央に白銀のステージがあり、……動画で見た少女が佇んでいた。


「――アンタが、アリスミラー?」

「ミラー? 違うわ。私、アリスよ?」

「アリスミラーね。悪いけど消えて貰うわ。アンタに私の世界を好き勝手させない」

「好き勝手? 違うわ。これは救済よ」

「救済ぃ?」


 予想外の単語に思わず鸚鵡返ししてしまう。


「貴女の世界は、死にかけている。……数多の貧困、差別、災害、飢饉、疫病。誰もが心に闇を抱え、生という悪夢でもがき苦しんでいる。だから救ってあげるの――私が! このアリスが、笑顔と歌声と、踊りと心で――皆を救ってあげるのよ!」

「……念のため聞くけど、貴女ダーマウスじゃないわよね?」

「眠りネズミ? 違うわ。私、アリスよ?」

「でしょうね。でもはっきり言うわ。ネタは割れてんのよ。アンタが世界を救うのは、高尚な志故なんかじゃない。単純なエゴよ。偽物のアンタが本物になりたい、っていう、ちっぽけな虚栄心よ」

「私、偽物じゃないわ。私がアリスよ」

「駄目ね、話にならない」と蒼葉。

「問題ないでしょ。話をしに来た訳じゃない」


 私はスマホを構える。


「貴女たちこそ、エゴで行動しているんでしょう? 私は世界を救おうとしているのに、自分の持つちっぽけな何かを護るために、救済を拒絶しようとしている――」

「私の弟の命が、ちっぽけだって言うの――?」


 蒼葉は怒気を隠さぬ声音で言い、スマホを構える。


「世界の幸福に比べれば、人一人の命などちっぽけなものだわ」

「とんだテロリスト思想ね」私も言いたいことを言ってやる。「でも私らがエゴで動いてるってのは否定しないわ。結局、人間自分の護りたいものしか護れないもんよ。それすらできないことがある。誰も彼も救ってやるなんて、傲慢ごうまんだわ」

「私が傲慢? 私は鏡の国の女王よ、無礼者!」

「安心して頂戴。私も傲慢な人間よ。ちっぽけな人間の分際で、他人を救おうとしてる。話が長くなったけど、要するに私らにはエゴはあっても善悪はないのよ。なら分かるでしょ? 勝った方の道理が通る――。最高に分かり易いじゃない」

「野蛮ね。やはり、憐れな蛮族は私が啓蒙けいもうし、救済しなくてはならないわ――。ジャバウォック!」


 白いホールが揺れる。地震かと思ったが――違う。周囲の壁の白い素材が剥離はくりし、銀幕が露出する。鏡だ。周囲全てが鏡と化した。床も当然、鏡となりウユニ塩湖のように私たちを映し出している。


「光源はどこにあるのかしらね……」


 天井にはライトの類はない。全て鏡だ。――まぁ、ファンタジーの世界で考えても仕方がない。


「――憐れな子羊たちよ、救われなさい。そして称えなさい――我が名はアリス! 唯一無二の偶像であり、永遠の少女よ――。――変身」


 アリスミラーの周囲に闇が立ち込める。瞬時に闇を吸収し、アリスミラーはアリスジャバウォックに似た姿となった。紫を基調としたアイドル衣装には爪と鱗の装飾。顔と髪はアリスミラーのものと変わらない。


「――変身完了。――ようこそ、私のステージへ」


 周囲の鏡にアリス・ミラージャバウォックの姿が映る。一つや二つではない。数十の無数の姿だ。更に映し出された鏡像は、揃いも揃って鏡から這い出始める――。


「多勢に無勢って奴ね……」

「怖いの?」と蒼葉。

「お互い様でしょ。足引っ張らないでよ!」

「そっちこそ邪魔しないで」

『――変身ッ!』


 ――これこそが、本当の本当に、正真正銘最後の戦い――!

 変身した姿は互いにウォーラビット、ハッターより多少派手なアイドルの衣装だった。最も異なる点は、純白の鳥類の翼が生えていたことだ。


「これ――一体何? 鷲?」

『グリフォンだよ、アリス』

「白ウサギ――!?」


 どこからともなく声が聞こえてくる。


『君たちに直接、話しかけられるように衣装を改造したんだ。二人で通信することもできる。グリフォンの翼は君たちにも使える筈だ。念じれば空を飛べる』

「空って――」


 天井を見やる。既に無数のジャバウォックの群れが出現していた。しかもどいつもこいつも飛んでいる。背中から漆黒の翼が生えているのだ。色は違うが、外見はグリフォンの翼と同じだ。

 グリフォンは不思議の国のアリスのキャラクターだ。しかも七つの大罪の内、傲慢を司るとされている……。

 ある意味、私たちにぴったりな訳だ。


「準備は良い?」蒼葉に問いかける。

「待って」やや間を置いてから、蒼葉は言う。

「決め台詞、言いましょう」

「こんな時に――」

「こんな時だから――」


 上空を見やる。どんどんと敵の数は増える。言い争っている場合ではない。


「じゃあ――言ったら合図だからね」

「分かった」


 私たちは高らかに自己アピールする。


「――ドレッドノート・ラビット。変身完了。これがアンコールよ。――次はないわ」

「――ジャガーノート・ハッター。変身終了。アンコールありがとう。――そしてさようなら」


「――行くぞッ!」


 大地を蹴り上げ、時間を停止する――。

 時は動き出す。


 一気に無数のミラージャバウォックを剣で串刺しにする。


「――嘘、強い! しかも――」


 再び時を止める。

 空を飛びながらミラージャバウォックの剣を奪い、敵の肉体を両断していく。

 ――また時は動かない。体への負担も全く感じない……!

 奪ったを剣を中空に放り投げ、固定する。

 時は動き出す。

 中空で固定された剣が弾丸のように動き出し、ミラージャバウォックの群れを串刺しにする。


「らあああぁあああぁぁぁッ!」


 剣を振り回し、無数の敵を両断する。どいつもこいつも弱過ぎる。動きが止まって見えるほどだ。

 一気に百体ほど倒し切る。だが無尽蔵に敵は鏡から湧いてくる。


「なら――」


 鏡に接近し、攻撃する。だが――。


「割れない!?」


 剣で叩いても引っかいても、傷一つつかない。どうやらこればっかりはかなり頑丈に作られいるらしい。


「ハッター! アンタ鏡を攻撃してみなさい!」

『命令しないで』


 ハッターは帽子を外し、放り投げる。丸鋸状に変化するのかと思いきや、巨大な火炎車となり、黒炎を燃え上がらせながら敵を次々に焼き殺していく。

 そのまま鏡に激突したが、焦げ一つつかない。


「駄目みたいね……白ウサギ!」

『どうしたの!?』

「どうすればアリスミラーを仕留められる訳!?」

『無数の偽物の中に、本体が一つだけいる筈だ! そいつを倒せば良い!』

「了解!」


 再び時を止める。

 剣を奪い、一直線に並んだミラージャバウォックの群れに突貫する。二十体近い敵を一突きにする。倒した敵の剣を全て奪い、中空に投げ飛ばし固定する。


「――動き出せぇッ!」


 弾丸の如く射出される剣は、ミラージャバウォックに降り注ぎ、殺戮する。


『ラビット。剣を数本、床に落として頂戴』

「アンタも命令してるじゃない!」


 高速移動でミラージャバウォックの手元を手刀で払う。倒せば所持していた剣は十秒もすればトランプとなって消えるので、落とすにはこれしかない。


「やったわ! 上手く避けなさい!」

『ありがとう。上手く避けなさい』

「え――?」

「ぐらあああああああああぁあああぁあァァァッ!」


 ハッターが咆哮する。黒炎を纏い、狂化する。


「ちょっと――アンタ大丈夫なの!?」

『いつの話してるの?』


 ハッターは正気と体力を保ったまま、狂化状態を維持している。更に――。

「うらああああああぁあああぁあああああぁぁぁッ!」

 床に落ちた剣を手当たり次第に中空に投げ飛ばし始めた――!


「ちょっと――危ないじゃない!」

『だから避けろって言った』

「時よ止まれ!」


 時間を停止し、飛ばされた剣を跳ね返し、軌道を修正する。


「――動け!」


 無数の剣が床から剣山のように、上空から雨のように高速移動する。ミラージャバウォックの大軍を挟み撃ちし、無数のトランプに還元させる。中空には羽や雪のように、トランプが舞い散っていた。


「なかなか」

「やるじゃない」

「でも」

「遊びは」

「終わりよ――!」


 ミラージャバウォックが口々に呟き、狂化し始める。黒炎を纏った剣を弩弓隊のように乱射する。

「――アンタバカでしょ」

 時を止める。

 剣の射程に他のミラージャバウォックを移動させる。

 時が動き出し、数多の同士討ちが開始する。


『山桜桃のこと言えないわね』

「敵なら良いのよ」


「なら」

「これは」

「どうする――?」


 鏡面にびっしりとミラージャバウォックの影が映し出される。上も下も――壁中の鏡にもありとあらゆる場所にミラージャバウォックが映り、こちら側の世界に這い出てくる。


「顔がみんな同じで、全部美少女だと……マニアックなB級映画みたいね……」

『囲まれてる。じりじり範囲を狭めるつもりよ』


 ミラージャバウォックたちはスクラムでも組むように、密集し中心へ迫ってくる。


「どうする?」

『薬缶洗ったことある?』

「急に何?」

『スポンジを内側に沿って動かして洗うでしょ?』

「なるほど」


 ハッターが帽子を投げ、火炎車が敵の群れの一角を全焼させる。私たちは一気に潜り込み、奪った剣で時計周りに敵を殲滅していく。


「この調子なら本体に当たるかもね!」

『四の五の言わずに倒しなさい!』


 時間停止と剣を駆使し半分までミラージャバウォックを倒したが――。

『まずいわ……』

 倒した区画から更にミラージャバウォックが現れる。


『キリがないわね……』

「これは……本体見つける方が速そうね」

『どうやって!? 五万体は超えてるわよ!?』

「それを今から考えるのよ――! 白ウサギ! 何かないの!? 特徴とか!」

『……ごめん。僕たちもアリスミラーの能力を初めて知ったばかりだから――』

「アリスミラーの能力」


 能力は鏡に映った自分をこちらの世界へ召喚する――能力だろうか。

 鏡――そうか、鏡なら――!


「思いついた! 本体を見つける方法!」

『本当なの!?』

「鏡よ鏡!」

『鏡!?』

「偽物は全部鏡写しだから、本体だけ左右反転してる筈なのよ!」

『ちょっと待って! この中から顔で見分けるつもり!?』

「モナ・リザだって左右の顔が違うのよ! どんな絶世の美少女だって、左右対称に近いだけで、どっか違う筈よ!」


 アリスミラーの顔を動画で見た時の違和感……もしかしたらあれは、本来のアリスではなく、鏡写し――つまり、左右が反転したアリスだったからなのかも知れない。それでも顔立ちが整っていることは変わりない。下手したら私の勘違いで僻みなだけなのかも知れない……でも今はそれしかない!


『協力しなさい! ドカンと一発敵を減らして!』

「全く世話の焼ける!」


 火炎車が縦横無尽に飛び回る。半分近い敵が減ったところで――。


「時よ止まれぇぇぇッ!」


 時を止めた。手近な敵から剣を奪い、捜索を開始する。

 落ち着け……。

 落ち着いて、観察するんだ……。

 前線に本体が出ることはない筈。

 だから偽物の影に隠れているに違いない……!

 どこだ、どこにいる――!?

 残り時間は半分。

 どこかにいる筈なのに――。

 駄目なのか……?

 あいつ……。

 一人だけ違う。……全く同じ顔が並んでいる中で……一人だけどことなく雰囲気が違う――!

 時が動き出す。


「お前だぁああああぁああああぁぁぁッ!」


 剣を構え、一気に加速。

 超高速移動で標的の胸を貫いた。


 ジャバウォックが移動する風切り音が消えた。

 鏡越しに、全員中空で停止しているのが見える。

 目の前のアリス・ミラージャバウォックを睨む。


 驚愕の表情。

 その表情に――次々と皺が増えていく。

 真っ赤な唇は色褪せ。

 金髪は白髪に代わり。

 潤った肌は変色し枯れ。

 顔には無数の皺が刻まれた。


「私――アリス、よ……」


 一言呟き――。

 一枚の鏡と化した。


 鏡に移った老いたアリスミラーの鏡像共々、鏡は砕け散った。


 全てのアリス・ミラージャバウォックの偽物が消滅する。


 終わったのだ……。

 私たちの勝利だ……。

 耳が異音をキャッチする。

 亀裂の入る音だ。


 周囲の鏡の全てに、大きな亀裂が入り始めた。

 天井の鏡が剥離し、床に落下する。床張りの鏡共々、粉々に砕ける。

 壁の鏡も例外ではない。次々と剥がれ落ちていく。


 蒼葉が合流してきた。


「アリスミラーがいなくなったから、この世界も消えるんでしょうね」

「呑気に言ってる場合!? これ、どうやって帰るの――!? 白ウサギ! ちょっと、白ウサギったら!」


 返事がない。通信に雑音が入っている。

「そっちは!?」

 蒼葉に尋ねるも、首を横に振る。


 一際大きな鏡の破片が、天井から落ちて来た。

 二人とも避けられたが、破片は床にぶつかり、大きな穴を開ける。

 そのまま床は真っ二つに裂けた。


 同時に――全ての浮力が失われた。


 二人揃って、奈落の底に落ちていく――。


「嘘っ――!?」

「そんな――!?」


 私と蒼葉の最後の言葉は、そんなものだった……。


   *


 ――暗い。

 何も見えない。

 完全な闇だ。

 自分の姿さえ分からない。


 ――これが死?

 死ぬって、暗いってことなんだ……。

 死ぬって、何もないってことなんだ……。

 死ぬって、一人ってことなんだ……。


「アリス」

 中空に白ウサギの姿が見えた。


「アンタも死んだの?」

「生きてるよ。君もね」

「なら、ここは――?」

はざまだよ。移動途中のバスか何かだと思ってくれて良い」

「そんな俗なたとえで良い訳……?」

「ありがとう、アリス」


 白ウサギはちょこんと頭を下げる。


「君のお陰で、僕たちは救われた。どれだけお礼を言っても、足りないくらいだ」

「……良いのよ。エゴでやっただけ。気にしないで」

「最後まで相変わらずだね」

「それより、むしろこっちが謝りたいわ。結局、アリスは作り出せなかった」

「いいや。アリスはちゃんといたよ」

「どこに?」

「君たちさ。僕たちを救ってくれた君たちこそが、アリスだよ」

「何でそうなる訳?」

「僕たちの世界はね、この世の初めからあった訳じゃないんだ」

「どういう意味?」

「君たちとは違うんだよ。僕たちの世界は途中から生み出された。原初のアリス――最初のアリスの来訪によってね」

「じゃあ――その前は?」

「何もなかった。いや、何かはあったんだ。でもそれは、君の知る不思議の国以上に混沌とした世界だった。そこにアリスなりの秩序が与えられたことで、僕たちは生まれたんだよ――」

「ヤダ……なんかその話、怖い……。実は幻とか、そういう話じゃないわよね?」

「まさか。僕たちは本当にいるよ。確かに僕たちの国は存在するし、君と僕は確かに出会ったんだ」

「もう――会えないの?」

「分からない。でも多分……そうだね。人間は長くは生きられないから。次に不思議の国の扉が開くのは、いつかなのか分からない」

「嫌よ……だって、貴女――私のファン〇号でしょう? 最後まで私を応援してよ――!」

「応援してるよ。いつまでも。最後まで。アイドルを辞めるまでなんて言わない。いつまでも――君が輝けるように、笑えるように、幸せになれるように――応援してるよ」

「白……ウサギ……」

「泣いちゃ駄目だよ。君はアイドルだろう? 笑顔の時が、一番素敵なんだよ……!」

「私……続けてみる」

「続けるって――」

「アイドル、続けてみるよ。頑張ってみる! やれるところまで、やってみるよ! 私にどこまでできるのか分からないけれど、でも――胸を張ってやりきったって、最後まで頑張ったって言えるところまで、やってみるから――!」

「うん……応援しているよ。アリス」

「お願いよ……ずっと、応援してて……」

「必ず。……そうだ、何か、願い事はある?」

「願い事?」

「何かお返しがしたいんだ」

「じゃあ――一つだけ」


 私は願いを告げる。


「叶う……?」

「叶えてみせる。……時間だ」

「白ウサギ!」

「ありがとう、アリス! とっても楽しかったよ! これから君は目覚めるけれど――出来れば、僕たちがいたことを、忘れないで欲しいな……できればで、良いからね……」


 声が出なかった。


 白ウサギと叫ぼうとした。


 でも闇はもうどこにもなくて。


 眩い光しかなかった――。


 目を開けていられない……。


 白ウサギが、消えちゃうのに――。

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