◇第六章 アリスの告白

 翌日。


 修羅の瞳が直らない。


 変装用の伊達眼鏡をかけてみるが、眼光の鋭さまでは隠せない。

 仕方なくこれでレッスンに向かった。


 足取りが重い。寝た筈なのに疲労感がマックスだ。

 なんとか事務所に辿り着く。


 燐と出会った。


「アリスちゃん、おは――」

「おはよう」

「どうしたの、すごく、その――ギラギラしてるけど……?」

「……ギラギラ?」


 他人からはそう見えるのか……。


「大丈夫? 今日休んだ方が良いんじゃないの!?」

「大丈夫よ……」


 着替え、レッスンルームに入る。

 トレーナーも来た。


「おはよう、皆」

『おはようございます!』

「……藤堂さんはどうしたの?」


 代表して燐が答える。


「まだ来てません……」

「そう。始めましょう。――花森さん、どうしたの、徹夜でもしたの?」

「いえ、寝ました」

「本当? やれる?」

「大丈夫です」

「……分かった」


 トレーナーはラジカセのスイッチを入れる。


「じゃあ通して行くわよ? ワン、ツー、スリー、フォー、ワン、ツー、スリー――」


 天地が引っくり返った。何が起きたのか分からなかったが、分かった時にはもう遅かった。


「花森さん、ちょっとどうしたの? ……花森さん? 花森さん! 日坂さん、救急車呼んで! 花森さん、しっかりして! 花森さん! ――」


   *


 ここ、どこ――?

 何が起きたか分からない。

 体は重く、瞼も上手く開かない。

 ここは、どこなのか――?


「気が付いたか」

「――え?」


 己の目を疑う。

 瞬きし、手で目を擦ろうとする。

 瞬間、左腕に妙な違和感があることに気付いた。見ると、腕にチューブがついている。点滴用のものだ。つまり――。


「ここ、病院……?」

「私の働いている病院だ」

「……そう」


 父は相変わらず面白味のない顔で私を見下ろしていた。

 両親は共働きだが、別々の病院に勤めている。両方ハズレだが、今回はよりハズレである父側に搬送されたらしい。

 父は幾つか質問し、私の答えをカルテに書き留め、結論付ける。


「過労だ」

「だったら何?」

「日常生活に支障が出るようなら、アイドル活動は認められないと言った筈だぞ」

「――ちょっと無理したくらいで、今更随分心配してくれるのね」

「丸一日寝ていたぞ」

「――嘘」


 時間の感覚が全くない。何故こんなことに――?

 考えられるとすれば、過酷なアイドル業務とアリス・ウォーの死闘、特に先日の時間停止能力が祟ったものと思われる。

 時間停止は、決して便利なだけな能力ではないらしい。だが、もうすぐ気にする必要はなくなる。


「退院はいつ?」

「一週間はここにいて貰う」

「ハァ――? 冗談でしょ?」

「医者は冗談など言わん」

「ちょっと、ふざけないでよ……私、仕事あんのよ……?」

「一週間休め」

「学校もレッスンも、収録もあんのに……休めるわけないでしょ……!」

「許可できない」

「何? なんか、私あったの? そんなにヤバいの?」

「いや」

「なら――」

「だからこそだ」

「え?」

「詳しい検査はまた改めて行うが、何の異常も見られなかった。一日通して気絶していたにも関わらずだ」


 医学で説明できる体力の消耗の仕方してない、ってことね……。


「最低限にして」

「一週間が最低限だ」

「お願い。休んでられないのよ」

「駄目だ」

「――何で?」

「医者として許可できない」

「ならアイドルとして受け入れらない」

「駄目だ。何度でも言うが、学業とアイドル業の両立、体調管理ができなければアイドル活動は許可できないと言ったぞ」

「勉強はしてる。今回の件は――大したことじゃないわ。酷い貧血みたいなものよ」

「医者として肯定できない意見だ。貧血で一日中眠ったりしない」

「父さんには悪いけど、私には仕事があるのよ。一週間も休んでらんないの。分かるでしょ――?」

「仕事よりも優先すべきものがあるだろう?」


 ――一瞬で、あの感覚が蘇る。

 ハッターを狩ろうとした時、クイーンたちを狩ろうとした時に感じた、あの感覚だ――。


「……父さんがそれを言うの?」

「何?」

「……父さんだけじゃない、母さんも、二人揃って仕事以外に何を優先したの? 一度でも私を優先したことある? 誕生日とか、クリスマスとか、授業参観とか、運動会とか……私を優先したこと、あった?」


 父は黙して語らない。


「言ったわよね? 仕事は誰かのために役立つことだって。自分の時間を費やす価値のあるものだって。私が『私と仕事どっちが大事?』って聞いた時、言ったわよね……? 仕事を優先するのには、それだけの理由があるって……。だったら私も同じよ。私も仕事を優先する理由があるわ。何か問題ある? ないでしょ? 少なくとも私は問題あるなんて二人に言った覚えないわよ?」

「これが私の仕事だ」


 ――結局、それか。


「病院食は美味しくできる?」

「許可できない」

「……本当に一週間だからね。それを超えたら、点滴のチューブ引き千切ってでも行くから」

「その様子なら点滴は一週間も必要ない」

「……ホント、ロボットみたいよね、お父さんって」

「――お大事に」


 言って父は病室から出て行った。

 ――何が一週間だ。今更父親面か?

 ……いや、でも、本当に一週間は必要なのかも知れない。


 ウォーラビットの能力。時間停止。魔法とかそんなレベルじゃない。世界の理に反逆する力だ。――一週間入院生活で済むなら、マシな部類なのかも、知れない……。


   *


 氷室蒼葉は病室で目を覚ました。


 蒼葉は自分に何が起きたのか分からない。

 蒼葉は自宅で睡眠を取っていたが、母親がいかに起こそうとしても決して目覚めなかったのだ。緊急事態と判断した母親が病院へ運び込み、入院することとなった。


 無論、深い眠りに落ちていた蒼葉は経緯など知らない。


 目覚めたら病室にいたのだ。


 少なからず混乱したが、自身にのっぴきならない事件が起きたことにすぐ気づく。

 それがアリス・ウォー関連で自らが狂化したことにも繋がることにも思い至った。

 ――私はアリス・ウォークイーンに勝ったのか?

 蒼葉は戦いの記憶を思い出す。結論は、敗北だった。あと一歩及ばなかった。自身の狂化能力での攻撃を、クイーンは受けきったのだ。


 なら何故自分はここに――?


 答えは一つだ。

 アリス・ウォーラビットが勝ったのだ。

 ウォーラビットがありえない速度の高速移動をしていたことを思い出す。

 ――時間を止めて移動しているかのような、瞬間移動。それだけならテレポートでも説明できる。だがウォークイーンが遠距離から複数の打撃を受けているところから見るに、時間停止しかありえない。


 ――最後の最後、ウォークイーンの断末魔が聞こえたのも思い出した。


 ならば……一つ疑問が残る。

 ウォーラビットは――花森アリスは、何故私を助けたのだろう?

 花森アリスと氷室蒼葉こそが、最後に生き残ったアリス候補生に違いない。

 ならばあの場で蒼葉にトドメを差していれば、戦いは終わった筈なのだ。

 なのに自分はアリス・ウォーの記憶を保持している。つまり負けていないということ。


 何故――疑問しかない。


 ナースコールを押した。

 二人の看護師がかけつけ、片方が医師を呼びに行く。

「花森さん――」

 看護師は普段、弟の看護で世話になっている女性だった。花森アリスの親戚――と蒼葉は思っている――の女性だ。


「具合はどう、蒼葉ちゃん?」

「いえ、ちょっとだるいですね。――何があったんです?」


 蒼葉は花森から自分が病院に運ばれた経緯と、一日中眠っていたことを告げられた。

「一日……!?」

 そこまでの体力を消耗しているとは、思ってもみなかった。


「本当に大丈夫なの? 痛いところとかは?」

「いえ、平気です。けだるいくらいで、痛みも何も――一日……!?」


 常識を超えた数字だ。――狂化の代償としては、軽いかも知れないけれど……。


「アイドルって、本当に過酷な仕事なのね」

「アレ……? 花森さんに、話しましたっけ?」

「お母様から聞いたわ。女の子だし、成長期だから体調を崩し易いっていうのもあるけれど、こんなに眠った例はほとんどないって。本当に困ったわ。内の娘も――」

「娘?」

「え? あ、いや、何でもないのよ?」

「――花森アリスさんのお母さん?」

「ち、違うわ。娘の……従姉妹。つまり姪っ子がね。貴女と同じタイミングで一日中眠っちゃって、別の病院に運ばれたのよ。すごい偶然」

「……その、姪っ子さんは大丈夫なんですか?」

「目覚めたって聞いたわ。検査をしたけれど、異常はないみたい。貴女もそうよ。何一つ異常はなかった。でも検査入院はして貰うわ。もしかしたら、何か見落としがあるかも知れないし。より詳しい検査をすることになってるから」

「……分かりました」

「それまではアイドルもお休み。ゆっくり休んでね」


 医師がやってくる。

 質問に答えながら、蒼葉は考える。


 ――親戚。蒼太の嘘だったのだ。

 蒼太のあの入れ込みよう――もしかしたら、実際にアリスと会ったのかも知れない。

 無論、これはルール違反だ。アイドルが私情でファンと会うことは許されない。


 だがそれでも会ったとしたら――何故?


 花森さんが、何か言ったのだろうか。おせっかいなところのある人だ。ありえないことじゃない。

 あの花森アリスに、そんな仏心が……。俄かには信じられなかったが、蒼葉自身、助けられた。


 医師の診察が終わる。


 母親が入ってきた。


「――蒼葉」


 蒼葉は深く抱き締められる。


「……ごめん、母さん」

「謝らなくて良いわ」

「でも母さん、仕事は――?」

「良いの。そんなこと、気にしなくて。悪いのは母さんよ。ごめんね。貴女にまで苦労をかけさせて、ごめんね……!」


 蒼葉の母親は泣いていた。

 看護師花森の姿は既に病室になかった。

 もし、花森さんが本当に花森アリスの母親だとしたら――。

 ウォークイーンとの戦いの最中に聞こえた悲痛なアリスの叫びが蘇る。


 ――駄目だ。私には、護るべきものがある。


 母が着替えを持ってくるため、一度帰宅している間、蒼葉は病室で休んでいた。

 暫くして戸が開いた。

 ――蒼太だった。


「――蒼太」

「……姉さん」


 花森さんがいる以上、蒼太の入院している病院と考えて間違いなかった。だが向こうから尋ねてくるとは――。


「蒼太、歩いて大丈夫なの?」

「このくらいなら平気だよ。それより姉さんこそ、大丈夫なの? 一日中寝てたって」

「もう平気よ。大丈夫」

「そう……なら良かった」


 蒼太は暫し沈黙する。


「――心配したよ」

「蒼太?」

「姉さんが運ばれたって聞いて、すごくびっくりした。……もしかしたら、もう会えないかもって――」

「大袈裟ね。そんな訳ないでしょ?」


 蒼葉は飄々と言うものの、蒼太の目は真剣そのものだった。


「……ごめんね、姉さん。俺、姉さんに酷いこと言った」

「気にしてないわよ」

「でも、俺、本当に酷いこと言った……」

「良いのよ、良いの。姉さんこそごめんね。ぶってごめんなさい。私も酷いことを言ったわ……」


 泣き出す蒼太を抱き抱え、蒼葉は思う。


 ――必ず勝利する、と。


   *


 私は本気で一週間休むことにした。


 正直、都合が良かったからだ。


 医師の父の介入があれば、レッスンを一週間も休んでも咎められる者はいまい。

 その上、失った体力も回復できる。

 最終決戦の下準備には持ってこいだった。つい熱くなったが、せいぜい父の『厚意』とやらを利用させて貰おう。


 病院食は想像以上に味気なかったが、黙して食べた。体力回復のためならなんでもした。かと言ってずっと動かなかった訳ではない。ストレッチを決して欠かさなかった。

 面会は完全に謝絶されていたので、ミラクル・ティーパーティのメンバーやプロデューサー、マネージャーも来なかった。父の潔癖な鉄面皮に刃向かえる人間など、そうそういないということだ。


 暇な時間は全て考え事に回した。瞑想なんて意識高いモンじゃない。ただ、自身の揺らぎを正すために、考え続けた。

 私の勝利はハッターの敗北。

 ハッターが敗北すれば、蒼太くんは助からないかも知れない。

 私が優勝して治療費を寄付すれば良い、と傲慢な考えも浮かんだ。

 だが結果的に、その考えは蹴った。


 私だって、蒼太くんを助けたい――。


 だが結局、私はアイドルに過ぎない。誰かの――それこそファン一人の味方にはなれない。

 そもそも、蒼太くんには悪いが、会ったこと自体が間違いないのだ。その点では、朝美のことを責められない。


 朝美との連絡ももちろん取れていない。スマホは父に没収されている。


 だが問題はなかった。


 白ウサギが病室を訪ねて来たのだ。堂々と病室の出入り口から。


「やぁ、アリス。お見舞いに来たよ」

「……ありがとう」

「個室で助かったよ。相部屋だったら、こうはいかないからね」

「案外堂々してるところもあるのね、貴方」

「はい、お見舞いのお花だよ。花瓶ある?」


 見たことのない花だった。不思議の国の花だろう。


「……最近の病院は、お見舞いの品に花を持ってくるの、禁止してるトコ、多いのよ?」

「そうなの? ごめん、知らなかったんだ。仕方がないね。僕が処分するよ」


 花を一本に取り、食べ始めた。


「……食べるの?」

「美味しいよ。でもお見舞いには駄目なんだろう? せっかく一番美味しいのを持ってきたんだけどね……」

「……気持ちだけ、受け取っておくわ」


 白ウサギは二本、三本と花を食べ続ける。


「本題に入って良いかな?」

「どうぞ」

「スマホ、持ってないでしょ」

「父親に奪われてね」

「はい」


 ポケットからあっさりスマホを取り出す。

 私は唖然とするしかなかった。


「……どうしたの?」

「こっちの質問よ。それ、一体どこから――?」

「このくらい、僕らには簡単だよ。必要だろう?」

「……今は良い」

「どうして? まさか――」

「この病院はスマホとか禁止してるのよ」


 律儀に従う私も私だが……。


「伝言って頼める?」

「誰に?」

「……アリスハッターに」


 白ウサギは私の伝言をハッターに伝えることを了承した。ルール上は禁止されていることだが、女王から許可を取って、「最終決戦のための果たし状」として通達するらしい。


 こうして時は過ぎ去り――。


 入院七日目、深夜。

 退院は明日の朝だ。


 入念なストレッチをする。体は今まで通り、問題なく動く筈。

 皮肉なことに体が軽い。今までのアイドル生活は、正直オーバーワークだったのだろう。ただでさえ過酷なアイドルとしての運動力に加え、アリス・ウォーの戦闘が込んだ。ぶっ倒れるのは遅かれ早かれ、訪れる事だったのだ。


 だが父の厚意で十二分に休めた。正直負ける気がしない。――やれる。正直、ここまで絶好調なのは久しぶりだ。能力的にも体調的も、負ける気が全然しない。


 明日のために用意して貰った服に着替え、スマホを手に取る。既に充電は終わっている。


『入国準備が、完了しました。入国許可証を持って、ゲートをお潜りください。繰り返します。入国準備が、完了しました。入国許可証を持って、ゲートをお潜りください……』


 全てはここから始まった。

 そして、全てはここで終わるんだ――。


 私は不思議の国に入国する。


 国境くにざかいの戸を抜けると雪景色だった。

 降っている最中だ。

 スニーカーで積雪を踏む。

 吐く息が白い。

 まだ白ウサギは来ていない。

 スマホに届いたメールを確認した。大量のメールが届いていた。ミラクル・ティーパーティのメンバーからのものが大半だ。


『アリスさん、大丈夫ですか? 美味しいご飯、食べられてますか? 病院食は嘘みたいに不味いと聞きます。どうか自我を強く持ってご自愛ください ――林檎』

 ムショにでもぶち込まれたような物言いだ。まぁ、私の場合は大差ないが……。


『アリス。なんかお見舞いできないみたいだから、メールだけでも。アンタはウチらのセンターなんだから、ちゃんとカムバックしてよね。きちんと体調戻して。戻したら、また歌おうね。 ――月』

 月がこんなこと言うなんて――。


『アリスさん、大丈夫ですか? とても心配です。お見舞いができなくて、とても残念です。朝美さんも体調を崩したらしくて、最近休んでばかりいます。六人揃ってのミラクル・ティーパーティです。また皆で、歌って踊って笑いましょう? 待ってます。 ――リゼ』

 リゼ……なんか、いつも心配させてばっかりみたい。


『ありりん、元気してる? 働き過ぎってだけで、怪我とかじゃないとは聞いてるけど、心配です。ありりんのいない事務所やレッスンルームは、広くて仕方ないよ。あ、太ってるとかそういう意味じゃないよ? ただあさみんも最近休んでるから、とても寂しくて。ごめんね、リーダーなのに、無理してるの、気付いてあげられなくて。退院、皆で待ってるからね。またありりんのツンデレが見たいな。 ――燐』

 ……燐。ごめんね……。謝らなきゃいけないのは、私の方だよ……。朝美を、助けてあげられなかった……。


 だから――朝美からのメールは一通もない。


 白ウサギが現れた。


「退院おめでとう、アリス」

「まだ退院はしてないわよ」

「前祝さ」

「どーも。……これ何?」

「これって?」

「これ。降ってるでしょ」

「雪を見るのは初めて?」

「違うって! 今まで雪なんて降ったことないじゃない!」

「雪ぐらい降るよ」


 時間帯は深夜の筈だが、不思議の国に夜の概念はない。曇り空だ。


「そう言われると、そうかもね」

「寒くない?」

「平気よ」


 こいつと会話できるのも、今日が最後になるだろう。


「……ありがとね」

「え?」

「……ありがと。なんやかんやで、色々お世話になっちゃった。今日でお別れだろうけど、その……元気でね。官僚なんでしょ? しっかりやりなさい」

「アリス……」


 白ウサギは心配げな顔をする。


「何よ?」

「どうしたの? 体調が悪いのかい?」

「え?」

「やっぱり今日はやめて、改めて――」

「テメー、舐めてんのかッ!? こちとらマジで感謝してんのに何だその反応ーッ!」

「や、やっぱりいつものアリスだったよ……」


 ウサギの胸倉を掴み振り回す。良いウォーミングアップになった。


「じゃ、案内よろしく」

「うん」

「目回ってない?」

「大丈夫。あっちだよ」

「そう」

「あ、こっちだった」

「……」


 白ウサギの案内に従い、不思議の国を行く。

 ……そう言えば、『不思議の国のアリス』って、白ウサギを追いかけるイメージが定着してるけど、途中で見失っちゃうのよね。何回か、追いつきはするんだけど……。


「いたよ、あそこだ」


 森の中央。広場に氷室蒼葉の姿があった。傍らには帽子屋もいる。


「――一週間ぶりね」蒼葉は呟くように言う。

「悪いわね。私のスケジュールに合わせて貰って」

「良いのよ。正直、貴女が人気になり過ぎて都合がつかなくなる方が問題だった」

「だったら尚更、私が疲労で衰弱したところを狙った方が良かったんじゃないの?」

「貴女じゃないの。闇討ちで勝とうなんて思わない」

「……矛盾してるわね」

「何?」

「この際だからはっきり言うわ。ごめんね、聞いちゃったのよ。貴女、弟さんの治療費のために戦ってるんでしょ?」

「――知っていたのね」

「偶然ね。貴女はこれまで必死だった。他のアリス候補生を倒そうとね。でもその実、ダーティな手段を取ろうとしない。どうして? どんな手を使ってでも勝とうと思わないの?」

「……道徳って言葉の意味、知ってる?」

「他人を蹴落とすような争いに参加しておいて、今更道徳を説くの?」

「……そうね。そういう意味では、矛盾してるわ。でもね、ルール無用の戦いだからこそ、私にだって選びたい手段ってのがあるのよ」

「――負けるかも知れない戦いでも?」

「負けるつもりなんてない」


 互いに睨み合った。


「勝てる気? 貴女一人もアリス候補生を倒してないでしょ?」

「関係ない。貴女こそ勝つ気あるの? こんな決闘みたいな真似して。隙を突こうとは思わなかったの?」

「……終わらせたかったのよ。もう、これっきりで」

「そう……そこだけは、私と同意見なのね」


 互いにスマホを構える。


「白ウサギ、最後の最後に確認しておくけれど、本当にこいつが、アリスハッターが最後の敵なのよね?」

「間違いないよ。氷室蒼葉こそが、最後の敵、アリスハッターだ」


 なら、この戦いが最終戦だ――。


「――行くわよ、これで最後……!」私は力強く呟いた。

「来なさい……絶対に終わらせる」蒼葉も静かに力強く返す。

『変身ッ!』


 二人のアリス候補生が対峙する。私はアリスラビット、敵はアリスハッター。


 ――これが、最後の戦いだ。


   *


 一気に踏み込む。拳で敵を撃ち抜かんと接近する。


 ハッターが帽子を投げた。丸鋸となり迫ってくる。

 ギリギリで避ける。そのまま接近する。

 拳で撃ち抜いた――だがハッターの杖に阻まれる。そのまま吹っ飛ばす。ハッターはたたらを踏んだが、倒れていない。

 更に接近。拳で連撃を打ち込み続ける。ハッターは杖でガードし、後退する。

 耳が丸鋸の帰還を察知する。飛び退き、丸鋸を避ける。丸鋸は帽子に戻り、ハッターの手元に戻った。


「――遊びは終わりよ」


 ハッターがスマホを構える。

「……そうね。本当に、遊びは終わり」

 私もスマホを構える。

『ドレスアップッ――!』

 互いに一瞬でドレスアップする。

 アリス・ウォーラビットと、アリス・ウォーハッター。


「……やっぱり貴女は、闇討ちをするべきだったのよ」

「――何?」

「だって、この私に勝てる訳がないんだもの。相性の問題よ。この私の能力に、勝ち目なんてないんだから――」

「――自惚れるなァァァッ!」


 ハッターは丸鋸を飛ばす。スピードは倍。だが止まって見える。私に飛び道具は通じない。時間制限付きの強化能力も――。

「時よ、止まれ――」

 時が止まった。丸鋸も、ハッターの呼吸も、動きも、林冠の枝葉が奏でる音さえも停止する。

 究極の時間操作能力、時を止める超能力――。


「これが私の、ソロ・ライブよ――!」


 一気に接近。

 丸鋸を弾き飛ばす。

 ハッターの眼前に到着。

 拳、蹴りで計五発の打撃を打ち込む。

 一気に後退。敵の狂化による反撃を懸念。


「――終演」


 時が動き出した。林冠が囀り、丸鋸が吹っ飛び、ハッターが五つの打撃を食らい仰け反った。あとは倒れるまで、これを繰り返せば良い……。


 ――だが、耳が異音をキャッチした。


 ほんの一瞬だけ、妙な金属音が聞こえた。

 本当に一瞬だけ、聞いたことのない金属音に似た音が――。


 次の瞬間、私は吹っ飛んでいた。全身に蹴りや拳を、計十発は食らいノックバックした。


 ――何だ? 分からない。何が起きたのか、確かにハッターは遠くにいた。仰け反っていた。間違いない。ハッターは最後の瞬間まで仰け反っていた。奴ではない。奴だとしても、目に見えていないのはおかしい。なら、何故――。


 雪面に強かに全身を打ち付け、息が漏れる。起き上がり、周りを見渡す。


 ハッターもまた起き上がったところだった。先と同じ位置にいる。違う……ハッターじゃない。なら、まさか――。

「話が違うじゃない……!」

 いる。ここに三人目のアリス候補生が。私たち以外のアリス候補生が――!

「どこだッ!? 出てこい!」

 周囲を見渡す。だが誰もいない。この広場には、私とハッターしかいない。

 なら藪にでも隠れているのか? ならどうやって私に拳と蹴りを――?


「何をしているの……?」ハッターは当然、気付いていない。

「ちょっと黙ってて!」


 私は周囲を見渡す。一体、何がどうなって――。

 ――聞こえた。鋭い金属音。一瞬。聞き逃さない――。その一瞬に合わせ――、時を止めた。

 全てが停止する。ハッターの言葉も止まる。空の動きさえも停止した。その中で私だけが動ける。

 迫ってくる敵を感じた。拳で迎撃する。敵と拳が合う。顔が見えた。


「――な、アンタ、は――」


 ありえないものを見た。


 時間停止が終わる。


 次の瞬間、私は無数の打撃を受け、仰け反り吹っ飛ばされる。

 ――だが、見えた。敵の顔。間違いない……!


「アンタ、何で――!?」

「『アンタ、何で……?』ですって? 理解できないでしょうね。今のアンタには」

「……え? 嘘……? 何それ、何で? え? な、何が――何がどうなってるのッ!?」


 時間停止が終了した本来の世界で対峙したため、ハッターにも第三者が何者か見えたらしい。そりゃそうだ。驚くに決まってる。だって、目の前には――。

「なんでアタシが『二人』いるのよッ!?」

 目の前にいたのは、私だった。修羅の瞳を持つ、もう一人の、アリス・ウォーラビットだった……!


「アンタ何者よ、一体――」

「私は私よ、花森アリスよ」

「何をふざけたこと――」

「両親の名前は健吾と智恵理。通っていた高校名は敬碌高校。好きな食べ物はショートケーキと言っているが実際には五番目に好きなだけ。一番好きなのは柿の種。嫌いな食べ物は納豆と言っているが、本当は嫌いな食べ物なんてない。両親に厳しく躾けられたから」


 ――こいつ、何故、私が誰にも言ったことのないことを……!?


「その割に両親が学校の授業参観に参加したことは皆無。父は医者、母は看護師で忙しく、常に一人だった。テレビを見て食事をするしか、無聊ぶりょうを慰める術がなかった。貴女がアイドルを目指した理由は人気でも金でも、ましてや他人のためでもない」

「やめろ……」

「貴女はアイドルになるというよりは、テレビの中に入りたかった。何故ならテレビの中が楽しそうだったから」

「やめろぉ……!」

「テレビの中には面白い人がいて楽しそうで、皆が自分を見て構ってくれるから。だからアイドルを目指した。現実が全く違うことを知りつつも、その憧れを捨てきることはできなかった――」

「やめろっつてんだろオメーよぉぉぉッ!」


 時を止め拳を打ち込む。

 避けられた。どこに。まずい――時間が――。

 時が動き出した。瞬間、雪面に叩きつけられる。私をもう一人のウォー・ラビットが踏みつけている。

 まさかこいつ……私よりも多く、時を止められるのか……!? まさか、じゃあッ――!?


「気付いたみたいね。そうよッ! 私は未来のアンタッ! 未来の花森アリスよッ!」


 まさか、やっぱり、そんな――。


「何で……何で、こんな――」

「時間操作能力よォッ! アンタは時間停止能力が最強の能力だと思ってるけど違うッ! この能力には次の段階があるのよッ! そう、時空跳躍能力がね!」

「そ、そんなことが……!?」

「できるのよォ! 私なら――自分以外の全てのアリス候補生を倒し切った私にならね――!」

「じゃあ、アンタ、まさか――」

「その通りよ。アンタが勝利した、アンタがアリスとなった未来からきたアリス・ウォーラビット……アリス・ウィナーラビットよ!」


 勝利した未来から来た私……!? なら、でも、やっぱりおかしい、なら――。


「何で、何なのよ? 私に何の用があるの!? だって、勝ったんでしょ!? だったら――」

「最後まで言わなきゃ分からない? 簡単な話でしょ?」

「……嘘だ」

「私自身なら分かる筈よ」

「そんなことない……」

「なら言ってあげるわ」

「違う。嘘に決まってる――」

「貴女はトップアイドルになれても、幸せにはなれないからよ」

「嘘だァァァッ!」


 絶叫する。だが体は動かない。踏み潰されたままだ。


「嘘だ、私は、私はアイドルに――!」

「信じらない訳ないでしょ? だって私は現に、トップアイドルになっても幸せになれなかった未来から来たんだから」

「そんなこと、ない――」

「あるのよ。だって貴女は、裏表があって腹黒だけれど、愚かではないし、努力家で、自分を磨くことだって怠らない。アリス・ウォーに参加できるカリスマ性だってあるし、歌も踊りも悪くない。――でも貴女にはアイドルとして才能がないのよ」

「……嘘だ」

「どんなにカリスマを手に入れても、結局貴女はアイドルという生き様そのものに馴染めない」

「……違う」

「違わないわ。だって貴女が本当に欲しいものは、アイドルになったって手に入らないだもの」


 そ、それは――。


「両親の愛。自己肯定感。孤独感からの解放。誰かに存在して良いと許容されること……。全部手に入らない」


 目頭が熱い。燃えるように滾って、涙が滾るように溢れてくる。


「でも一番の問題は――貴女がそのことに百も承知だってことよ」

「――え?」


 傍らにいたハッターが呟く。


「真正面から見てはいなかった。でも貴女の中の冷静な貴女は気付いていた。この方法では得られるものなど何一つないことを、至極冷静な貴女は堅実に分析していた。でも貴女は気付かない振りをした。必死にね……!」


 そうだ。その通りだ。

 ――でも、仕方がなかったんだ……。


「だって……仕方ないじゃない。だって、私……それ以外にどうすれば良いか、分からなかったのよぉ……! 他に夢も、目指したいものもないし、本気でアイドルだけは目指してたから、……今更引き返すことなんてできなかったのよぉ……!」

「どんなにカリスマ性を手に入れたって、アイドルに向いてないんじゃ、貴女の夢は叶わない。ひたすら地獄のような、アイドルとして日々が始まるだけ……。だって貴女が欲しかったのは――」

「――うるさいッ! 離れろォ!」


 ウィナーラビットをね退ける。だが敵は余裕綽々で距離を取る。


「……私は、私はあんたとは違う。私は――トップアイドルになるんだ……!」

「なれても、貴女が欲するものは得られない」

「うるさい!」

「父さんと母さんが本気で喜ぶと思ってるの?」

「――ッ!?」

「父さんも母さんも、仕方なく貴女のアイドル活動を許してるのよ? それで成功して、幸せになれるの?」

「両親なんて関係ない! 私は――」

「そうね。貴女は両親なんて関係ない。貴女が欲しているものは、もっと根源的なものだものね――」


 時を止め、襲い掛かった。だがウィナーラビットも時間停止が使える。それだけじゃない。私よりも長い時間、時を止められる――。だからこの一瞬で、トドメを――!


 雪を蹴り上げ目眩ましにする。

 一気に眼前まで接近する。

 背後に回り込み、回し蹴りを入れ――。


「次に体制を崩した相手をノックバックし、拳を叩き込む。でしょ?」


 蹴りが防がれた。足を掴まれ、振り回される。

 そのまま中空に放られる。

 無防備なまま……時間切れに……。


 時が動き出した。


 全身に走る激痛。ありとあらゆる骨身に打撃を食らう。そのまま落下し、雪面に全身を叩きつける。


「――ガァッ……!」


 呼吸が、できない――。あまりの衝撃に、肺が――やられた。

 と、時を――時を止めないと……。

 でも、駄目だ。時を止めても、体が少しも、動かない――。


「これで、終演よ」


 中空に突然、無数の氷柱が現れ、弾丸のように肉体を貫いた。


「う、ぐ……あぁ……」


 骨が幾つも拉げたのが分かった。空にトランプが少しずつ舞い上がっていく。

 ――敗北だ。私は、負けたのだ。

 意識が朦朧としている……もうすぐ私は、アリス・ウォーの記憶を失い、全てのカリスマ性を失うのだ。


 雪と共に天を舞う無数のトランプ。

 不思議だ。綺麗に見える。

 『不思議の国のアリス』は……トランプ塗れになったアリスが、トランプがただの落ち葉だと気づいて、全て夢だと分かって終わる――。


「これも……夢?」


 全部、夢だったのだろうか――。

 だとしたら、残念だ。

 きっと、目が覚めたら忘れてしまう。

 夢でなくても――忘れてしまう。

 やっと気づいたことに――。


 私――。


「――自分の居場所が、欲しかった、だけ――みたい」


   *


 アリス・ウォーラビットが消滅した。無数のトランプなり、宙に舞った。

 ウォーハッターには何が起こったのか分からなかった。気付いたらウォーラビットは敗北していた。


 あっという間の出来事だった。


 でも、一つ確かなことがある。

 今、ウォーハッターは、非常にこの有様に腹を立てている、ということだった。

 これは、ウォーハッターもウォーラビットも望んだことではない。ウォーハッターたちは確かに、決着を望んでいた。敵同士として、正当に勝敗を決することを望んでいた。正当なる決闘こそが、敗退したアリス候補生や、己の願いへの敬意だと信じて……。


 こんな乱入など、望んでいなかった……!


「やった……! やったぁ! やったぁぞぉ! これで、これで救われた! もう可哀想な私なんていないんだ! やった、やったぁ……!」

「アリス・ウィナーラビットッ!」


 ウォーハッター怒気を抑えつつ、ウィナーラビットに振り向く。


「何?」

「なんで……乱入したの? 私が勝っても、未来は変わったし、花森さんが勝っても、その時に戦えば良いだけだった。なのにどうして、私たちの邪魔をしたのッ!?」

「良い質問ね。当然、理由があるわ」

「理由? 理由って何?」

「今、全てのカリスマ性を誰が保持していると思う?」


 一人しかいない――。


「私よ。私がこの世界の貴女以外の全てのアリス候補生のカリスマと、私が元いた世界のアリス候補生全てのカリスマを保持しているわ」

「なら――」

「私はもうすぐ消えるわ。歴史が変わったから、私は最初からいなかったことになる。その時、全てのカリスマ性は私と共に消える」


 じゃあ、今まで努力は――今までの皆の戦いは――。


「でも貴女が今ここで、私を倒せば、全てのカリスマ性は貴女のものよ」

「――え?」

「嘘はつかないわ。これが、戦いに乱入した理由。全てのカリスマ性を、貴女に譲るためには、こうするしかなかった」

「でも、それって――」

「私を倒しなさい。時間がないわ。抵抗はしない。ほら、やりなさい。その杖で、私の――」


 ウィナーラビットは己の額を、人差し指で二度叩く。


「ここ。ここを――破壊しなさい」


 ウォーハッターは言葉が出て来なかった。だが、ウィナーラビットの理屈は間違っていない。ルール上、ウォーラビットに勝ったのだから、ウィナーラビットが全てのカリスマ性を保有していることになる。


「ほら、来なさい……どうしたの?」

「私、私は……」

「弟さん、病気なんでしょう? その負い目もあったのよ。だから貴女に全て譲るの。ほら、早く。時間切れになっても良いの?」

「私――私はァァァッ!」


 丸鋸を投げた。一直線にウィナーラビットの脳天に向かう。

 だが一瞬で雪面にめり込んだ。正確には、一瞬とすら言うのも躊躇われるほど、いきなり雪面にめり込んだのだ。間違いなく、ウィナーラビットの時間停止能力だった。


「……私は、杖でブッ叩けと言ったのよ?」


 ウォーハッターは――いつの間にか、深く深呼吸を繰り返していた。


「やるなら、その杖で直接やりなさい。飛び道具なんて、使ってんじゃないわよ」


 ウィナーラビットが光り輝き始める。体の端々がトランプとなって消滅しつつあった。


「もう時間がないわ。やるなら、早くしなさい」


 ウォーハッターは杖を構える。

 私、私は――。

 蒼太……!


「うわぁぁあああぁああああぁぁぁっ!」


 一気に接近し、杖を振り被る。


 ――蒼太。

 ――お姉ちゃんは、貴方を。


「あああああぁあああぁあぁぁぁっ!」


 絶叫。


 手のひらから杖が零れ落ちた。

 両膝をつき、両手のひらで雪を握り潰す。


「……できない」


 涙が零れ落ちる。


「ごめん、蒼太……私、できない……ごめん、ごめんね……!」

「……どうして?」


 責める風でもなく、ウィナーラビットは問う。

「――できない。こんなこと……できない……」

 無理だった。

 ウォーハッターは、ウィナーラビットを攻撃することができなかった。

 蒼太の病を治すためなら何でもできると思ったのに――。


「お人好しね」


 ウィナーラビットは一言言い残し、トランプとなって消えた。

 広場には、ウォーハッターだけが残された。

「それがお前さんの答えか」

 影から帽子屋が現れる。


「帽子屋……」

「一応、おめでとうと言っておこうか。氷室蒼葉。お前さんの勝利だ。お前さんが、アリス・ウォー最後の生き残り。勝者だ」

「……生き残り、ですって?」


 ウォーハッターは皮肉気に笑う。


「変な冗談はやめてよ。誰一人倒せなかった臆病者の私が、勝者? 笑わせないで

よ!」

「……気取った台詞は嫌いなんだがね」


 帽子屋は前置きをしてから言う。


「――お前さんは、自分には勝ったんじゃないのか? それで十分だろう」

「言葉遊びなんかで慰めないでよ!」

「それは無理な相談だ。儂は不思議の国の住人。言葉遊びは方言同然だよ」


 ウォーハッターは渋々、帽子屋を見やる。


「……結局、アリス・ウォーはどうなったの?」

「どうなったとは?」

「だって、私は何のカリスマ性も持ってない。誰一人倒していない、これじゃ、アリスなんて生まれない――」

「その件だがな。我々、不思議の国の住人は『アリス創造計画』を永久的に凍結することを決定した」

「凍結、って――」

「だからアリスが生まれなくても問題はない。我々もお前たちの戦いを見ていた。気付いたのさ。こんなのは間違っているとな。アリスは聡明で、小生意気で、常識のない小娘であったが、その笑顔は素敵だった。代え難いものだ。決して、憎しみや怒り、欲望で他者を蹴落とす人間ではなかった。……人間にしてはな。だというのに、こんな形でアリスを生み出しても、何の意味もない。本末転倒だ。そんなことに今更気付いた。だから、アリス・ウォーが行われることは、今後決してないだろう」

「……なら、私たちは何のために――」

「全く見返りがない訳でもないぞ。ほら」


 帽子屋は中空を杖で指し示す。

 淡い光を放つ光球が舞い降りてくる。


「――何、これ?」


 綺麗だとも思いつつ、ウォーハッターは警戒した。


「受け入れろ。それは、お前さんのものだ」


 光球はウォーハッターに吸収された。


「……これ、何?」

「カリスマ性だ」

「え?」

「正確に言えば、アリス・ウィナーラビットが奪った別の時間軸のウォーハッターのカリスマ性だ。ウィナーラビットが過去改変に成功した以上、奴の時間軸は消滅した。故に、奴が奴の時間軸で奪ったカリスマ性は行き場を失い、必然この時間軸の持ち主に吸収されるのだ」

「それじゃ――」

「それだけではないぞ。奴がウォーラビットから奪ったカリスマ性も、本来の持ち主に戻るだろう。ウィナーラビットが消滅した以上、カリスマ性は元の主に戻らざるを得ない」

「なら――」

「結論から言えば、全ての参加者はカリスマ性を失わず、逆に己の二倍のカリスマ性を手に入れた訳だ。確かに。これでは一体何のために戦ったのか分からんな」

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