◇第五章 女王のホーム・グラウンド

 ジャバウォック撃破の翌日には、目は元通りになっていた。むしろ目がどう恐ろしかったのか、思い出せないくらいに普段通りだった。


 白ウサギから電話があった。


「調子はどうだい、アリス?」

「……分からない」

「……あまり元気じゃなさそうだね。一つ、良いニュースがあるよ」

「何?」

此度こたびの戦いでアリス・ウォーの参加者が半分に減った。それを受けて、女王様は更なるアリス・ウォーの進展を目指して、生存者に新たな能力を与えることをお決めになったんだ」

「新たな能力?」

「スマホに新しいアプリをインストールしておいた。気をつけて。強力なのと同時に、高いリスクと伴う能力だから」

「具体的には?」

「すごく疲れる」

「そう……」

「じゃあ――」

「待った」

「何だい?」

「……ありがと」

「え?」

「……認めたくないけど、アンタのお陰でダーマウスの攻撃から助かった。だから、ありがと……」

「それは……どうも……」


 他に言う言葉が見つからなかった。

「じゃあ、今度こそ……。アリス。息災で」

 通話は切れた。


 新たな力、ねぇ……。


 勝ち抜くつもりの筈なのに、歓迎していない自分がいた。


 アリスジャバウォックを倒してから二週間後。


 次の新曲のセンターに抜擢された。


 喜ばしいことだ。……アリス・ウォーの一件がなければ、もっと素直に喜ぶことができただろう。

 私がセンターに選ばれたのは、間違いなくジャバウォックを倒したからだ。ジャバウォックとマーチヘア、二人分のカリスマを吸収したからだ。

 残りのアリス候補生は二人。ハッターとキャットを倒せば、私はトップアイドルになれる……。

 既に深夜枠のテレビ番組出演の仕事が来ている。お茶の間で応援される人気アイドルになるのも時間の問題だろう……。


 ……ハッターとキャット。最後の二人の敵。だがキャットはハッターを助けた。何故だろう……。もしかして日和ったのだろうか。キャットは私に有利な能力の持ち主だが、私が数多くの敵を倒したことを受けて、一人で倒すには心細いと思ったのかもしれない。ならば次の敵は……あの二人なのだろうか……。


 そう思っていた。


 アンブッシュされ迷い込んだ不思議の国にて――。

 今、この瞬間になるまでは――。


「……どういうこと? 何であんたがいる訳よ……。――アリスクイーン」


 アリスクイーンは答えない。無言のまま爆発するトランプを発射する。


 遠距離攻撃は敵ではない。すぐさま回避し、攻撃態勢に移る。地面に転がった石を掴み、クイーンに投石する。

 トランプで防御された。動きは大差ない。やはりクイーン。だが何故? 確かに倒した筈なのに……!

 高く跳躍し、クイーンに狙いをつける。


 クイーンが構えた。


 素早く石を投げつける。トランプを展開した。石を爆破する代わりに、他のトランプも誘爆する。

 そのまま落下――踵落としを脳天に――。

 耳が異音を捉えた。間に合わない。空中では避けられない。だがおかしい。目の前のクイーンは何もしていないのに――。


 食らった。横から無数のトランプが迫り、爆発する。そのまま吹っ飛ばされる。


「なん、だと――!?」

 分からない……何故? どうやって? 目の前のクイーンは何もしていない。どこかに飛ばして潜ませていたなら、その音が聞こえた筈……。聞こえなかったということは、どこかから直接トランプが発射されたということ――どうやって?

「――まさか」


 地面に着地する。


 クイーンを睨む。その背後に……もう一人のクイーンが見えた。


   *


 花森アリスがアリスクイーンと接触した時とは話が前後するが……。


 アリスジャバウォックが敗退した翌日、アリスハッターは見知らぬ寝室で目を覚ました。


 自室ではない、見覚えのない部屋。


 しかも見知らぬ少女がハッターに馬乗りになり、顔を覗き込んでいたのだ。

 歳は七、八歳くらいだろう。

 ハッターは悲鳴をあげ、悲鳴と当時に少女は飛び降りる。


「――あ、貴女誰……!?」


 少女は質問に答えず、戸を開けて廊下側に首を突っ込み叫ぶ。

「おねーちゃーん! おねーちゃんのお友達起きたー!」

 お友達……? 一体誰だ? 蒼葉の知る限りこんな幼い妹のいる友人はいなかった。

「こら、猫美ねこみ! 勝手におねーちゃんの部屋入っちゃダメでしょー!?」

 聞き覚えのない声。少女の名は猫美というらしい。ならば今の声は、猫美の姉。

「よっす」

 戸からハッターよりやや年上の少女が顔を出す。見知らぬ少女だった。


「あの……貴女誰ですか?」

「え? ……あ、そっか。分かんないんだっけ。うんちょっと待ってて。ほら、猫美、下行ってなさい」


 妹を階下に送り、二人きりになったところで姉はハッターに向き直る。

「私よ、私。アリスキャットの真の姿こと、猫屋敷ねこやしき豹子ひょうこちゃんです。所属ユニットはキャットランド。よろしくニャン」

 ハッターは空いた口が塞がらなかった。


「……ねぇ、曲がりなりにも同じアイドル同士なんだし、親切心でなんか反応してくれても良くない?」

「なんで――貴女が? じゃあここ……貴女の家?」

「アレ? あぁ、そうか。いやそりゃそうか。気絶してたんだもんね。うんうん。正直、どこまで憶えてる感じ?」

「え……? 私は――そうだ。ジャバウォックはどうなったの?」

「倒したよ。アリスラビットがね」

「そう……」

「で、更にラビットがアンタを倒そうとしたところを、私が助けた訳」

「ラビットが私を――?」

「驚いてるの? でもそういうものよ、バトルロイヤルって。だって裏切っちゃいけないなんてルールないもの」


 ハッターは暫し沈黙した後、呟くように言う。


「……話が見えないんだけど」

「なんで助けたのかってこと?」豹子は後頭部を掻きながら言う。「簡単に言えばね、貴女と協力関係を結びたくてね」

「……何を今更」

「今更? いやいや、結構先手打ったつもりなんだけどね」

「先手って何の先手よ?」

「――アリスクイーンの策略の先手、かな」

「……知らないの? アリスクイーンは敗退したわ。ラビットが倒した」

「知ってるわ。動画で確認したもの」

「なら――」

「でも腑に落ちないのよ。これ、これ見て」


 豹子はハッターにスマホの画面を見せる。


「これは……?」

「ラビットがクイーンから何か取るのを見たのよ。で、拡大してみたら……これ免許証。生年月日見て。これが正しいなら、クイーンの年齢は二十五歳ってことになる」

「……確かに妙だけど……それがどうかしたの……?」

「だからね、私はこう言いたいのよ。……クイーンは一人じゃない」

「……」

「まだいるわ。多分」

「……たったそれだけの理由で、私を助けたの?」

「当たり前じゃない。何人いるか分からないのよ? 五人も六人もいたらそれこそ徒党を組んで潰さないとヤバいじゃない!」

「……でも、根拠はないんでしょ?」

「物的証拠はゼロよ。でも多分そう」

「なんでそう言えるの?」

「勘よ。私の勘は結構当たるの」


 ハッターは深くため息を吐く。本来ならば礼儀として助けて貰った礼を言うべきなのだろうが、突飛な話についていくのがやっとで礼まで思い至らない。


「勘弁してよ……私たち敵同士よ? 妙な妄想に巻き込まないで」

「待ってよ。ならあの免許証はどう説明するのよ? おかしいじゃない。アリス候補生の資格から外れてる」

「それは……そうだけど……」

「ま、その内はっきりするわ。それよりお腹空いたでしょ? ご飯食べない?」

「え……? 今何時!?」

「朝の八時。今日は日曜だけど、何かあったりする?」

「……午後から仕事がね」

「そう。なら良かった。朝ご飯、食べて行きなさいよ」

「でも――」

「良いから。お客様なんだから、貸し借りなしで食べて行きなさい」


 ハッターは勧められるまま、階下に降り食卓につく。

 食卓には豹子を抜いて四人もの子どもがいた。両親の姿はない。


「……ご両親は?」とハッター。

「母はいないわ。数年前に亡くなったの。父はもう会社に行ってる。休日出勤」

「そうなの……」


 かける言葉もなく、食事に手をつける。ご飯に味噌汁、ハムエッグというハッターが普段口にするパン食とは異なった朝食だった。


「この子たちは……」

「私の弟や妹。こっちから時計回りで獅子乃ししの雪音ゆきね虎丸とらまる、猫美ね」


 軽く会釈する。子どもたちの中には会釈を返すものもいたが、他はテレビで放送されているアニメに夢中だった。


「この食事は、貴女が?」

「そうよ。でも私もアイドルで忙しい時は、次女の雪音ちゃんが作ってくれるの。ねー、雪音ちゃん?」


 雪音と呼ばれた中学生くらいの少女は軽く視線をハッターに向けただけで、すぐに食事に集中する。豹子とは対照的に寡黙かもくな性格らしい。


 酷く落ち着かない朝食だった。


 食事が終わると、雪音は部活だと言って出て行った。残った子どもたちは各々リビングで寛いでいる。


「ごめんね。雪音、愛想のない子で。難しい年頃なのよ」

「いえ……良いのよ。分かるわ。私にも同じくらいの弟がいるから」

「へぇ、そうなの? 連絡はしなくて良いの?」

「……多分、平気。朝食、ありがとうね。美味しかったわ」

「もう行くの? 家近い? ここ世田谷区だけど」

「大丈夫。お世話になったわ」

「待った」豹子はスマホを持って呼び止める。

「メアド、交換しておきましょ」

「……」

「待った。絶対なんかあるからさ。念のため、ね?」


 二人はメアドを交換する。


「貴女は……?」ハッターが呟くように聞く。

「ん?」

「どうして戦ってるの?」

「アリスウォーのこと? うーん。やっぱアイドルやる以上は人気が欲しいからかな。それに稼げれば一石二鳥じゃない。チビたちにも美味しいもの食べさせられるし、グループのメンバーにも良い思いさせたいし……」

「貴女……キャットランドのリーダーなの?」

「そうよ。……知らないか」

「貴女だって、私を知らないわ」

「そう言えば、名前は?」


 逡巡したがハッターは答える。


「……所属はゴシックチック」

「ふーん。後で検索してみる」

「じゃあ……」

「じゃあねー、アオちゃん」


 ハッターは勝手にあだ名をつけられ憮然としたが、何も言わずに猫屋敷宅を後にした。

 電車の中でスマホを眺める。

 猫屋敷豹子……。

 敵だとは思った。だがメアドを交換した理由はうまく説明できなかった。


   *


 アリスクイーンが……二人いる。


 どういうことだ……? クイーンは確かに倒した筈。なのにクイーンが、二人も……?

 理屈に合わない。だが目の前の光景は現実だ。

 キャットやハッターの攻撃……? ……いや、キャットの能力は透明化でハッターの能力は狂化の筈……ならこいつは――ジャバウォックみたいなイレギュラー!?

 ……どちらにしても、ここは一旦退くべきね。

 一気に跳躍し後退する。中空でスマホを確認し、出口の位置を調べる。……四時の方向に最も近場の出口がある。

 着地し、出口に一目散に向かう――。

 耳がトランプが空を切る音を捉える。近い。すぐ近くだ。何故――?

 間一髪で避ける。発射地点を見る。クイーンだ。だがおかしい。クイーンは鈍間のろまな筈。一体どうやってここまで移動したのか――。

 また別の位置から発射音。こちらへ接近してくる。目前のクイーンもトランプを射出する。

 地面を蹴り飛ばして抉り、土塊を眼前のトランプにぶつけ防御。後方から迫る別のトランプはタイミングを合わせ跳躍し避ける。

 再び異音。今度は二つ。背後から二つ――!

 じゃあ……敵は全部で三人!? いや、本当に三人だけ――?

 時間差で眼前のクイーンもトランプを発射する。

 先に後方――いや、着弾時間は全て同じだ。

 一気に引き離すつもりで高速移動する。一旦距離を取ってから手早く出口を探して脱出――。

 林床が発光する。違う。これは――。

 爆風に吹っ飛ばされる。林床にまかれたトランプを踏んだのだ。ノックバックされ、宙を舞い、落下して強かに全身を打ち付ける。

 いつの間に……いや、私が最初に出会ったクイーンと交戦している間に、トランプをかれたのか……。撒かれた程度の音では、耳で拾うことはできないだろう。

 油断した……近づいてくる。影は……三つ。三人のアリスクイーンが接近してくる。

 何故だ? 何故三人も――倒した筈なのに……。


「アンタたち……一体、何者――」


 負けるのか……ここで、こんなとこで――。

 無数のトランプが迫る。まだ、体が動かない――。

 聞き覚えのある回転音が聞こえる。これは――。

 丸鋸がトランプを一掃する。

 丸鋸が戻る方角を向く。やはり――間違いない。

 ハッターだ。アリスハッターが、私を助けたのだ。


「ハッター……アンタなんで……?」

「私もいるよん」


 大木の影から姿を現したのは、アリスキャットだった。

「アレ? アレアレアレ? アリスクイーンちゃんじゃん。敗退したのに何でいるのかなぁ?」

 キャットは首から下を透明にしながらクイーンたちに近づく。

「ハッター、これ、どういう状況?」

 ハッターは黙して語らず、クイーンたちを睨みつけている。

 立ち上がり、クイーンたちを見る。間違いない。三人だ。全く同じアリスクイーンが三人もいる。一体どういう――。

 一斉にトランプを林床に発射した。白煙が宙を舞う。


 煙が晴れた時には、既に三人には逃げられていた……。


   *


 レッスン終了後、近場のファーストフード店で、キャットやハッターと落ち合った。


「さて、と。私、猫屋敷豹子。キャットランドのリーダーね。よろしく」

「……よろしく。私は――」

「あー、言わなくても分かるって。アリスちゃんでしょ? ミラクル・ティーパーティの。今人気うなぎ登りじゃん。テレビにも出てるし」

「……どーも」

「謙遜しなくたって良いって! アリス・ウォーのおかげとは言え有名は有名なんだからさ!」

「……」

 ハッターは黙したままフライドポテトを一本ずつ咀嚼そしゃくしている。こちらにガンを飛ばしながら……。

 見かねた豹子が愛想笑いを浮かべながら言う。

「……あー、その、事情は知ってる。でも今は状況が状況でしょ? 一時休戦。協力しましょ?」

 豹子はダブルチーズバーガーにかじり付いた。

「んー、偶に食うと旨いのよね、こういうの。すげー栄養にならないし太るけど」

 私とハッターは一言も反応せず、互いに睨み合った。

 こいつの言い分は分かっている。だが……これはルール無用の蹴落とし合いだった筈だ。そもそもバトルロイヤルってのは、共闘あり裏切りありが常套じょうとう……。免罪符ありとは言わないが、ここまで露骨に因縁つけられる筋合いはない。

 豹子が私のハンバーガーを見やり、言う。

「……どうしたの? 食べないの?」

 私は一口も食事に手をつけていなかった。

「貰っていい? 貰っちゃうぞー」

 一口も聞かず、腕を組みひたすらハッターに眼を飛ばしていた。

「頂きッ!」

 豹子が私のハンバーガーを盗んだが無視。

「……で、状況が状況って言うけど……どういう状況な訳?」

 尋ねるとキャットはシェイクを飲みながら答える。


「んー? 要するにクイーンは能力で影武者を作れるっぽいのよ」

「……まさかそれを見越してハッターを助けたの?」

「察し良いじゃん。ま、五分五分ってトコだったんだけどね」

「……何で分かったの?」

「アリスちゃんのお陰よ。最初に倒れたクイーンから、運転免許書ギッたでしょ?」

「盗んではいないわよ……」

 財布から抜き取って見ただけだ。

「あれによるとアリスクイーンは二十五歳だった。理屈に合わない。アリス候補生は十代のアイドルに限るってルールでしょ」

「それは私も思った」

「なら答えは一つでしょ。偽物ってことよ。女王を語る以上、影武者の一人や二人いてもおかしくないし。そういう特殊能力ってことかと思ってね」

「で、その通りだったと……」

「チェシャ猫を問い詰めたらね、『あれは女王の与えた能力の一つだから、セーフなんだよん』とか抜かしたわ。だからジャバウォックとは違って、一応正規のアリス候補生なんでしょうね」


 影武者を作る能力か……ハートの女王は作中でもわがままかつ滅茶苦茶で通っている。誰も逆らえないのだろう。


「だから協力する必要があると思ってね。ま、ジャバウォックに関しては予想外だったから……取り敢えず様子見してたんだけど……まさか二人も倒すほどの強者だとは思わなかった。逆に言えば、ジャバウォックが敗退した以上、確実にクイーンの本物が動くだろうとは思ったわけ」

「なるほど……。要するに、クイーンは複数いる。そいつらに袋叩きにされちゃたまらないから、共闘しようって話?」

「イエッサ」

「私は女よ。……良いわ。むしろ、現状拒否権ないでしょ」

「じゃ、メアド交換しよ」


 豹子が言った瞬間、ハッターが席を立つ。

 そのまま帰ってしまった。


「……こんなことになるなら、アリスちゃんから助けたって言わない方が良かったかな?」

「……いや、こっちの方が気が楽よ。むしろ何で言ったの? アンタから見れば、メリットないでしょ?」

「うーん。そう言われればそうなんだけど、なんて言うか、嘘は良くないかなーって」

「そう……」


 人を食ったような能力持ちの癖に潔癖だ。


「……ポテトも貰って良い?」

「ダメ」


 食事を終えた私たちは、何となく海を見に来た。


 柵に寄り掛かり、海を眺める。

 暮れなずむ日の光が輝いている。

「……アリスちゃんは、何でアイドルやってるの?」

 柵に背中を預けながら豹子が言う。


「……それってそんなに重要なこと?」

「どういう意味?」

「ダーマウスにも同じこと聞かれたのよ。共闘する前にね」

「あぁ……いや、そういうんじゃなくて、単純に好奇心で聞いたんだけど……じゃあ、ハッターが私に聞いたのも、そういう意味だったのかな?」


 天を仰ぎながら、豹子は所在なげに言った。

 つい、好奇心で聞いてしまう。


「そういうアンタは、何のために戦ってるの?」

「金と人気」

「清々しい程俗物ね」

「俗物なのに清らかとはこれ如何に」

「清らかなのはアンタの思い切りの良さであって思想云々じゃないからよ」

「なるほど。文系? まぁ良いや。要約するとそういうことよ。むしろそれ以外ある?」

「……私は――高みを目指したいのよ」

「何で?」

「やるからにはトップ取らなきゃでしょ?」

「……まぁね」

「何その反応? アンタだって人気欲しいんでしょ?」

「お金と同じくらいね。でも私は、トップ云々は二の次三の次だし」

「ありえない」

「どうして?」

「じゃあ何のためにアイドルしてるのよ? 小銭稼ぎのため?」

「そうねー、小銭よねぇ」

「あっさり認めるのね」

「だってアリスちゃん。アイドルなんて一生モンの仕事じゃないわよ? 転身は出来てもずっと続けるものじゃない」

「それは――」


 確かにそうだけれど。


「命短し恋せよ乙女。その恋を切り売りしてんのがあたしらのビジネスでしょ?」

「……」


 否定できない。いや、豹子の言う通りだ。


 現代アイドルの稼ぎは青春の切り売りに他ならない。とてもではないが一生食べていける仕事ではない。誰もが学校を卒業するように、アイドルもアイドルを卒業する。アイドルでの経験を生かして芸能人として生きていく人間もいるというだけで、アイドルという職業自体に将来への展望はない。


「――それがどうかした?」

「百も承知って声ね」

「私は別に歌手だとか女優だとか――ましてや金のためにアイドルやってるんじゃないもの」

「ま、私も楽しいからやってるだけだしね」


 豹子の言葉に妙な違和感を覚えた。


「……楽しいからやってるの?」

「そうよ。むしろそれ以外に理由ある?」


 私自身、アイドル活動が楽しくない訳じゃない。全力を出す価値がある仕事だと思っている。けれど、妙な温度差を感じるのは何故だろう――?


「私ねー、実はスカウトで入ったんだよね。今の事務所」

「そうなの?」


 私はオーディションだった。


「事務所にスカウトとか、私イケてるじゃーんとか思ってさ。二つ返事で了承しちゃって。チヤホヤされるのが目的だったんだけど……いざやってみると、仲間と一緒に色々やる方が楽しいって気づいてね」

「――仲間?」

「皆でレッスンしたり、駄弁ったり、ゲームしたり……衝突がないとは言わないけど、皆で連んで何かデッカイことやるって、すげー良いと思わない? 映画であるじゃない? 問題起こって、仲間集めて、問題解決しようぜ! って奴。あんな感じで、皆で一つの目標に向かって頑張るって楽しいじゃん。ウチのメンバー、我の強い馬鹿ばっかりなんだけど、それでも楽しいよ。飽きないし」

「――」


 ……仲間?

 私にも仲間はいる。

 燐に朝美、リゼ、月、林檎……。ミラクル・ティーパーティのメンバーだ。

 だが……何故だろう?

 豹子の言う仲間と私の考える仲間は似て非なるものの気がする。

 仲間とは――単純に仕事仲間という意味ではないのか? 一般的な会社員のように、ただ隣に机があって仕事をしている存在のことを差すのではないのか――?


 それ以外のものが――存在し得るのか?


「……で、アリスちゃんは何のためにアイドルやってるのさ」

「――私のためよ」


 今は、それしか言えない。

「私がアイドルをやるのは――私のため。貴女とは、正反対ね」

 でも間違いなく確かな事実の筈だ。


「……アイドルの語源って知ってる?」豹子が呟く。

「偶像でしょ?」

「そう。拝まれるもの。でもさ……もし、後光ってのが常に背後から差すものなら、本人はどうやってそれを見れば良いのかしらね?」

「それは――」


 首を後ろに捻っても、後光が首の後ろから常に差しているのだとすれば、本人に見る術などない――。


「アリスちゃんも、自分じゃ後光が見えないって気づいた口でしょ?」

「え?」

「だってアリスちゃん――アイドルにそこまで憧れてないでしょ?」


 日か完全に沈んだ。


「私と同じで現実見てるって感じ。冷め切ってる。空想を見せる側は現実を見ざるを得ないってのを、分かってる。でも当然のことよね。映写室にいる人は、映画を映画だって分かってるに決まってるんだから」


 ――アイドルに憧れていないことを見抜かれた。

 それだけじゃない。アイドルという職業を見る目が冷え切っていることも。

 私はアイドルを辞めたい訳じゃない。間違いなく。これからも続けたいと思うし、トップアイドルになりたいとも思う。

 でもアイドルが夢のような仕事だとは思っていない。

 なら私は――何のためにアイドルをやっているのか……。

「そういう貴女も、冷え切ってるわ」

 言葉をそのまま返すことしかできなかった。


「……何か、うちのメンバーとは話せないようなことばっか話してる気がする。あいつら、基本ボケだから。根性あるけど、真面目でもないし」

「――私も、こんな話をするのは、貴女が初めてよ」


 二人で暫し沈黙する。海の向こうには黒い夜空が広がっている。

「……でもやっぱ、私たちはエゴイストよね。――アオちゃんに比べれば」

 聞き慣れない名前だ。


「アオちゃんって誰?」

蒼葉あおばちゃんよ。氷室蒼葉。ハッターの本名、忘れちゃった?」

「……え?」


 ――氷室? 氷室って、ことは……。


「氷室蒼葉って言うの、あの子……」

「知らなかったの? 共闘してたって言うから、てっきり……」

「ごめん、ちょっと用事」


 タクシーを捕まえ、病院に向かった。


 無論、母が勤務する病院だ。


   *


 氷室蒼葉は実弟、氷室蒼太の病室に訪れていた。

 蒼太は眠っていた。蒼葉は起こさないように入室する。

 ふとテーブルの上に置かれた色紙に目が行く。額縁に入れられてはいるが、壁にかけられている訳ではない。色紙には、芸能人がするようなサインが綴られている。同業者が言って良いことではないかもしれないが、なかなかの悪筆で読みにくいサインだった。

 暫し眺め、書かれている内容を把握する。

 ――ミラクル・ティーパーティ、花森アリス。

 花森アリスは――アリスラビットだ。

 蒼太が目覚めた。

 色紙を睨む姉に気づき、色紙を引っ手繰る。


「蒼太……!」

「何?」

「……。――それ、どうしたの?」

「どうしても良いでしょ?」

「言いなさい! まさか貴方、病院を出たの!? そんな体で――」

「違うよ!」

「じゃあどうして!?」

「……貰ったんだよ」

「誰に?」

「……看護師さん」

「看護――花森さん」


 馴染みの看護師の苗字とアリスの苗字の一致の意味を悟る蒼葉。


「親戚なんだって。だから無理言って……」

「でも、何で――」

「姉さんが――」


 蒼太は呟く。


「姉さんが新曲出したって言うから、ネットでミニライヴの動画視たんだ。そこのお勧め動画に、ありりんのユニットの動画があったんだ……」

「……ありりん?」


 花森アリスのニックネームであることを、蒼葉は咄嗟に察する。


「――あんな女のどこが良いの?」


 蒼葉の物言いに蒼太は青筋を立てる。

「――どういう意味だよ?」

 蒼葉は鋭い眼光に射抜かれ、失言を悔やむももう遅い。


「ありりんはとっても優しい人なんだよ……! 歌やダンスだって上手いし、とっても笑顔が素敵だし、それに――。とにかく、僕が誰のファンになろうと、勝手だろ? アイドルやってる姉さんには悪いと思うけどさ……僕の自由じゃん」

「……でも、あいつはやめておいた方が良い」

「なんでさ?」

「それは――」


 無論、不思議の国の出来事など話せはしない。


「とにかく……ロクな奴じゃないわ」

「なんでそんなこと言うんだよ? 姉さんライバルだからって、そういうこと言うの?」

「そうじゃない! そうじゃないけど……」

「やめてよ。幾らなんでもそんなこと言われる筋合いない。俺のせいでアイドルやってるのは知ってる。でも……そんな話聞きたくない」

「あいつの本性を知れば、きっと失望するわ」

「ほ――本性って何だよ!?」

「あいつは人気を得るためなら手段を選ばない女よ。現に――」


 蒼葉は先を言えないことに気づく。


「現に……なんだよ?」

「それは――」

「まさか……枕営業してるとか言いたいのかよ!?」

「貴方――どこでそんな言葉憶えたのよ!?」

「答えろよ、どうなんだよッ!?」

「ち、違うッ、そういう意味で言ったんじゃ――」

「だったらどういう意味で言ったんだよ!? なんで――ありりんをおとしめるようなこと言うんだよッ!?」

「それはあいつが――」

「俺がありりん好きなのがそんなに気に入らないのかよ!? 何でッ!? ライバルだからか!? 俺は別に、姉さんのこと応援してない訳じゃないんだぞ! なのに他のアイドル好きになっちゃいけないのかよッ!?」

「そうは言ってない。ただあいつだけは――」

「……嫉妬してるのか?」


 蒼太は冷え切るような声で告げる。蒼葉は弟の聞き慣れない声音に戦慄した。


「……自分が不人気だからって、ありりんに嫉妬してるの? 動画の再生数だってけたが違うし、そんな理由で怒ってんの……?」

「違うわ……」

「姉さんには悪いけど、ありりんの方がカワイイもんね。姉さんも悪くないと思うよ。身内フィルター外して見てもね。でもありりんが至高だよ。あんなに輝いている人を、俺は見たことない……」

「――貴方騙されてるのよ」

「騙してるのは姉さんの方だろ? なんだよ、ゴシック・チックって。全然普段の姉さんと違うじゃん。あんなこと普段全然言わないし、姉さんの方がキャラ作ってファン騙してるよ」

「私があの女と同じだって言うのッ!?」

「ありりんと姉さんを一緒にしないでよ! だって俺、ありりんみたいに姉さんが笑ってるとこなんて、見たことないッ……!」

「――」


 蒼葉は絶句し、冷えた声音で呟く。


「――誰のせいだと思ってるの?」

「――え?」


 二人の間の空気が一瞬の内に冷え、取り返しのない氷点下になった瞬間、蒼葉は我に返った。


「……俺のせいだって、言いたいの?」

「ちが――」

「俺が病気だから? 俺が病気だから、ねぇ……?」

「違うって――」

「俺がいつ頼んだよ、アイドルになってまで面倒見てくれってよぉッ!」蒼太は怒りを両拳に込め机にぶつける。「そんなに笑いたいなら今ここで死んでやろうかッ!? そうすりゃストレスなくヘラヘラ笑え――」


 蒼葉は咄嗟に蒼太の頬を張った。

 死を望んだ怒りか、言葉の先を続けさせないためか、本人にも分からなかった。


「ご、ごめん蒼太。ち、違うのよ――つい……」

「ありりんが――」

「え?」

「ありりんが……姉さんなら良かったのに……」


   *


 病室の外から話を聞いていたので、蒼葉が急に飛び出して来たのが見えた。

 ……危なかった。もしこっち側に飛び出して来たら、鉢合わせしてるところだった。

 ……でも、まさか、本当に……ハッターの弟が、蒼太くんだったなんて……。

 じゃあまさか、ハッターがトップアイドルを目指している理由は……蒼太くんの医療費のため……?

 確か母さんは……難しい病気で、手術にお金がかかるって……。

 ……あいつが退けない訳は、背負っているものの重さだったのか……。

 だとして――私はどうすれば良い?

 退くなくちゃいけないのか? 他人の命がかかっているから? ファンの命がかかってるから?

 ――退きたくない。負けたくないのが本音だ。

 でも……候補生でもない人間の人生を蔑ろにできるだろうか?

 今更な話だ。だが――。

 帰宅した後、暫くソファに寝そべっていたが――スマホを取り出し、検索を始めた。

 どうしても気になって、検索してしまった。

「氷室アオバ……っと」

 あの外見から見て、多分王道清純派アイドルだと思うけど……。

 検索結果が表示される。ユニット名は……ゴシック・チック。ゴスロリ衣装を着た氷室蒼葉と同じアイドルのメンバーの画像が写っている。

「オフィシャルサイト――は」

 プロフィール。

 異界世紀六六六年、天使と悪魔の全面戦争の終結と共に天使の愚鈍さ、悪魔の醜悪さに愛想を尽かし、自ら進んで堕天。リーダーの近原・ブリュンヒルデ・冥子、ヴォーカルの氷室・コキュートス・蒼葉、アーティストの稲島・アポカリプス・小唄で構成されるアイドルユニットとして、下賤の地上界で道楽に耽ることを決意。人間どもに真の恐怖と畏れ、偶像崇拝を教育するため、日々漆黒の輪舞曲と戦慄のセレナーデを披露する。リーダーのブリュンヒルデ・冥子は智天使のヒエラルキーに属する天使だったが、堕天により漆黒の六翼と長髪、血色の瞳を手に入れる。兼ねてから持ち合わせた魔性のカリスマで、メンバーをまとめ上げ統率し、狂信者を支配する。コキュートス・蒼葉は座天使のヒエラルキーに属する天使だったが、堕天により漆黒の四翼と短髪、氷色の瞳を手に入れる。かつて神への畏敬と愛を歌った歌声は、今や人類を洗脳し破滅へ導く経典として機能している。アポカリプス・小唄は――。

 私はそっとブラウザアプリを閉じた――。


   *


 今日もレッスンが終わった。

 いつも通りの日常だ。

 私はこれからも、この日常を続けていくつもりだ。

 アイドルをやめる気はない。

 アリス・ウォーの敗北は、アイドルの引退も意味する。

 負けられない戦いなのだ。


 だが……人の命、しかもファンの命を、蔑ろにしてまで、私は――戦えるのか?

 蒼太くん自身には何一つ罪はない。でも……それが退かなければならない理由になるのか? だとしたら、オリンピックの優勝者なんて、家族が難病を持っている人間だらけになってしまわないか? たとえ事情があったとしても、私が退かなければならない理由にはならない――筈。

 私にだって、戦う理由くらいあるのだ。

 決して、負けられない理由くらい――。


「ちょっと林檎、またアンタ差し入れのお菓子全部食ったでしょ!」

「余ってたんで」

「残してたのよ! ことあるごとに盗み食いして恥ずかしくないの!?」

「そんなに怒るとお腹減りますよ」

「お腹減ってるから怒ってんのよ、このカロリーモンスター! 何がムカつくって太らないのが一番ムカつくぅ!」

「け、喧嘩は駄目ですよぉ……!」


 林檎と燐、リゼが燥いでいる。人の悩みも知らないでいい気なもんだ。

 ルナはとっくに帰ったらしい。私も帰ろう。


「じゃあね、お疲れー」

「お疲れ様――」


 リゼの声だけ耳にした気がした。

 戸の向こう側は既に森の中だった。

「……来たか」

 ハッターかキャットなら、事前に連絡を入れてくる筈。消去法で出てくるのは――。

「変身――!」

 アリスラビットに変身する。木陰からクイーンが現れた。

「他の二人はどこに隠れてんの?」

 見渡すが、見当たらない。奇襲作戦だろうか。

 クイーンは黙ったまま、こちらを見ている。

「何? 悪いけど、今はやり合う気ないから退かせて貰うわよ」

 と言いつつも警戒し、構えていると――。


「アリスちゃん……」


 クイーンが呟く。

 更に変身を解除した。

 朝美だ。

 藤堂朝美が不思議の国にいた。

 ということは――必然。


「アンタ……アリスクイーンなの?」


   *


 私たちは近場の喫茶店に入り、適当に飲み物を注文した。


「……で、話って何よ?」

「……私を、助けて欲しいんです」

「……」

「こんなこと……アリスちゃん以外に、頼めなくて……」


 朝美は俯いたまま言う。

 だがこちらとしては……事情が読めない。


「もう一度聞くけど、アンタはアリスクイーンの……影武者なのよね?」

「便宜上、アリスクローバーと呼称されています……」


 クローバーってのは、当然トランプの柄。ハートの女王の影武者なら、クローバー、スペード、ダイアってところかしら……。


「影武者ってことは、アンタはアリスクイーンの手下なんじゃないの? 分かってると思うけど、私はアリスクイーンの敵よ?」

「知っています。クイーンから聞きましたから」

「……で、助けて欲しいってのは、つまりどういうこと?」

「戦いをやめたいんです」


 どう答えたものか。白ウサギ曰く、この戦いをやめることはできない。最後の一人になるまで戦い続ける運命なのだ。

 嘘を吐いて利用することだってできる。だが敵以前に同じユニットのメンバーだ。変に同情せずに、事実だけを述べるべきだ。


「……この戦いをやめることなんてできないわ」

「……そう聞いています」

「なら――」

「でも、方法があるかもしれないんです」


 方法――そんなものがあるのか?

 半信半疑だったが興味は沸いた。


「方法って?」

「私は影武者だから、本体を倒せば戦いから抜けられるんです」

「……どこの情報?」

「クイーン本人が言ってました」


 クイーン本人、か。直接名前を言おうとはしない……。


「アンタ、クイーンの正体知ってるの?」

「いえ……素顔を見たことはありません。電話で話したことはあるんですけれど、変声期のようなものを使って声を変えていたので……」

「じゃあ名前も知らないの?」


 朝美は肯く。

 徹底してるわね……。面倒そうな相手だ。


「でもちょっと良い? こうして反旗をひるがえしてる以上、クイーンはアンタに不利になる情報を教えてたってことになるけど、そこまで用心深い奴がそんなミスするかしら?」

「クイーンは『私を守れ』と言っていました。その理由が、クイーン本人が敗退すると私たちも能力を失うからだと……」

「アリス・ウォーから抜けられるって言うのは本当なの?」

「というと?」

「負けは負けかもよ?」

「……それは、大丈夫な筈です。クイーンの話では、あくまで仮の能力を与えられているだけらしいですから」


 ……本当だろうか。山田夕子は敗北した際、確かに全てのカリスマ性を失っていた。だが失ったのは私が直接手にかけたからであって、クイーン本人という間接的な敗退ならば例外なのだろうか……。クイーン本人の視点から考えて、クイーン本人の敗退ではカリスマ性を失わないと教えることはプラスにはならない筈。嘘を教えておけば、クイーン本人を必死で護るに決まっているからだ。可能性があるとすれば、契約条件を一切開示することが影武者を作る条件、ということもあり得る。だが私が白ウサギと契約した時はそんなことなかった。真相はどうなのだろう――。


「どうしてこの戦いに参加したの?」

「……」

「クイーンに無理やりやらされてるの?」

「いえ……クイーンに誘われて、私が肯きました……」

「どうして?」


 ずっと疑問だった。アリスクイーンに手下がいたとして、何故手下たちは従うのだろう、と。その中身が生身の人間ならば、たった一人しか生き残れないアリス・ウォーの戦いにおいて従順に従う旨味がない。そこには何らかの取引があって然るべきなのだ――。


「ボランティアなんて殊勝な理由じゃないでしょ?」

「……アリスクイーンが優勝した暁には、カリスマ性を底上げする、と」

「そんなことができるの?」

「ハートの女王の権限で実現可能なことだと……」


 ハート女王と言えば、原作の『不思議の国のアリス』でもエゴイズム全開の言動が目立つ傍迷惑なキャラクターだ。権力に胡坐を掻いて鶴の一声で黒を白と言い、白を黒と言う。ハートの女王なら、カリスマ性の都合くらい、できるのだろうか……?


「カリスマ性ってのは、やっぱり……人気アイドルになるために?」

「――私も、人気者にはなりたいですから」


 苦笑しながら言う。至極全うな理由だ。


「話は分かったわ」

「本当ですか?」

「つまり――私にアリスクイーンを倒して欲しい、ってことで良い?」

「……はい」

「貴女、この戦いのルールどこまで知ってるの?」

「負けるとカリスマ性を勝者に奪われる……」

「それを知ってて、私に頼んでるのよね?」

「虫の良い話と言われればそれまでです。ですが私には、クイーンを倒せない理由があるんです」

「それは?」

「私たちは下位互換なんです」

「クイーン本人より弱いってこと?」

「私たちのパラメーターは、クイーン本人の能力より一ランク下がるんです。だから、クイーンと戦って勝てる道理はありません」


 となると――山田夕子が変身していたクイーンの影武者は、本人よりも弱いことになる。本人はより強固な防御力を持っているということ――。


「無論、加勢は致します。ですが私たちだけでは、とても敵う相手ではないのです……」

「――影武者の数は?」

「私とあともう一人だけです」

「そう言える根拠は?」

「クイーン本人が言ってました。これが全勢力だ、と」


 なるほどね……。


「私たち、ってことは、もう一人も裏切る気満々な訳?」

「……二人で話し合って出した結論です」

「……分かったわ。その子とも話をさせて頂戴。こっちは他のアリス候補生と相談させて貰うわ」

「他の……?」

「共同戦線を張ってるのよ。アンタたちに対抗するためにね」

「……」


 苦い顔をしている。裏切っていなかった時のことを想像しているのだろうか……。


「良い返事ができると思うわ。渡りに船だもの」

「ありがとうございます。お願いします」

かしこまる必要なんてないわ。結局、戦う理由は私のエゴだもの」


 私は席を立ち、店を出ようとする。


「待ってください」

「何?」

「……アリスちゃん、強いんですよね?」

「……今更それを聞くの?」


 最初に聞くべきことではないのだろうか……。


「一応、今日まで生き残ってる」

「何人倒したんですか?」


 ……そういう話か。


「三人」

「三人も……」

「十一人中三人よ。多いのか少ないのかは、分からないけれど……」

「でもアリスちゃん以外の生存者は、一人もアリス候補生を倒していないんですよね……?」

「……」

「――そう聞いています。だから最も、警戒すべきだとも……」

「そうね……今数えてみたら、確かに私しか倒してないみたいね」

「……」

「――で? どう? 安心した?」

「……杞憂だったみたいですね」


 朝美は不敵に笑う。――真意は測りかねたが、私に容赦の二文字がないことは理解して貰えたらしい。


   *


 朝美がアリスクイーンの影武者だと知ってから数日後……。


 レッスンを終え、事務所を出たところで小学生高学年くらいの可愛らしい女の子に声をかけられた。綺麗なウェーブした栗毛の女の子だ。

「私、桜川さくらがわ山桜桃ゆすらって言います。花森アリスさんですよね?」

 ファンの子かと思い、接客態勢に入る。目線を合わせ話しかけた。


「そうだけど、どうしたの?」

「私、アリススペードです」

「……え?」


 朝美から今日会えるとは聞いていたが、こんな小さな子だとは――。


「私、アリススペードなんです。クローバーさんの紹介で参りました」

「……貴女、幾つ?」

「十二歳です。小学六年生です」

「アイドルなの?」

「はい。リトル・ピーチパイの、桜川山桜桃です」

「……」

「疑ってます?」


 眉根に皺を寄せ不満げに睨む。


「いや、疑ってるわけじゃ――」

「すもももももももものうち! ゆすらもかわいいもものうち! リトル・ピーチパイの、桜川山桜桃でーす!」


 見事に自己紹介をやってのける。完璧だった。惚れ惚れするクオリティだ。桜川山桜桃……恐ろしい子!


「信じました?」

「えぇ……じゃあ、貴女本当に――」

「アリススペードです」


 こんな小さな子が、影武者とは言えアリス・ウォーの参加者なのか……。

「山桜桃ちゃんこんなとこに――」

 朝美がやって来る。……名前を呼んでいる、ということは本当に影武者らしい。


「朝美、この子本当にクイーンの――」

「影武者ですよ。私と同じ」


 随分と年齢に幅がある。山田夕子は二十五歳だったし、こんな小さい子を影武者にだなんて、一体何を考えているのか――。

「なら早々に移動しましょう。ハッターとキャットが待ってる」

 私たちは近場のファミレスに移動する。

 既に蒼葉と豹子は席に陣取っていた。


「よっ、アリスちゃん。その子たちが――」

「こっちの大きい方が藤堂朝美。で、小さい方が――」

「かーわーいーいー!」


 豹子は山桜桃に抱き着いていた。

「……え?」

 思考が凍るが豹子はお構いなしだ。


「な、何をするんですか!? やめてください!」

「あーん、ちっちゃーい! ほっぺぷにぷに! ねぇチューして良い? チュー!」

「ギャァァァッ!? 何なんですかこの人!? 助けてください! イヤァァァッ!」

「他のお客さんに迷惑だからやめなさい!」と叱るも――。

「えー、だって可愛いよ?」豹子は聞く耳を持たない。確かに可愛い子だが……。

「離してください! 抱き着かないで! 馴れ馴れしい!」

「良いじゃない。今日からお友達よ? ねー!」

「お断りします!」

「ツンツン!」

「ほっぺを突っつかないでください! 訴えますよ!?」

「じゃあ責任取って結婚するよ」

「どうしてそういう話になるんですか!?」

「この子名前は?」

「言わないでくださいね! そこまで馴れ合うつもりありません!」


 釘を刺されてしまったがどうするべきか――。


「この子は……アリススペードってことで、一つ」

「スペードとか可愛くなーい。じゃ肌がモチモチだからモチ子ちゃんで――」

「変な名前つけないでください! 泣きますよ、そろそろ!」


 朝美と協力して山桜桃から豹子を引き離し、やっと話し合いの席に全員が着いた。蒼葉はというと、終始黙したきりで反応すらしなかった。


「モチ子ちゃん、一緒にパフェ食べない? 同じスプーンで!」

「シャーッ!」


 めっちゃ警戒されてる……。

「その子、本当にアリスクイーンの影武者なの?」

 蒼葉が言う。


「はい、間違いありません」

「こんな小さな子が、何でアリス・ウォーに?」


 本人に聞いた訳でもないのかも知れないが、本人が答える。


「……お母さんに、喜んで欲しくて」


 皆、暫し沈黙する。

「あの……話を進めてもよろしいですか?」

 藤堂の働きかけで、本題に入れた。

「今この場にいる五名と、アリスクイーン本人がアリス・ウォーの生き残りです」


 席を見渡す。私――花森アリス、氷室蒼葉、猫屋敷豹子、藤堂朝美、桜川山桜桃、あと一人――。


「内、私と……スペードちゃんの二名はクイーンの影武者です。正規のアリス候補生ではありません。正規のアリス候補生のみで考えれば、生き残りは四人です」

「前置きは良いから、本題に入ろう?」豹子があっけらかんとして言う。

「散々話の邪魔したアンタが言わないでよ……」と呆れざるを得ない。

「私とスペードちゃんはアリス・ウォーの棄権を望んでいます。原則的に、アリス・ウォーは参加者の棄権を認めていません。ですが、影武者である私たちに限り、本人であるアリスクイーンの敗退によって能力を失い、間接的に棄権できます。私たちが望むのは、貴女たちと協力してアリスクイーンを倒すことです」


 場の空気が静まる。皆真剣に話を聞いているのだ。


「身勝手な物言いであることは重々承知しています。自ら戦うことを選んでおきながら、退しりぞこうとする私たちに怒りを覚える方もいるでしょう。ですが、この提案は貴女方にとっても大きな利益になることだと自負しています。お願いします。どうか私たちに、手を貸して頂けないでしょうか?」

「お願いします」


 朝美と山桜桃は揃って頭を下げる。豹子と蒼葉はすぐには反応しなかった。

「具体的な策はあるの?」

 豹子が一番に口を開いた。

「アリスクイーンは、数の暴力で貴女たちを圧倒し、一人ずつ倒すつもりです。なので一人ずつ、ターゲットを決めて攻撃します。私たち影武者にメールで招集が入るので、貴女たちに情報をリークします。貴女たちは狙われる候補生のもとに駆けつけてください。クイーンが三対一で戦おうとしたところで、私たち影武者は裏切ります。一対三にして、更に貴女たちの合流で、一対五でクイーンを撃破する。――これが私の考えた作戦です。失敗は許されません。裏切りがバレれば私たちを使うことは二度とないでしょう。結果的には、貴女方が共闘する理由もなくなる訳です。ですがこれ以上にないクイーンへの奇襲に失敗するということでもあります」

 アリスクイーンの影武者が機能していないと分かった時点で、私たちが共闘関係を結ぶ必然性はなくなっている。

 だが問題は、この提案を間に受けて良いのか否か――ということ。正直クイーンの影武者がこの二人だけとは限らないし、裏切る振りをして私たちを誘き寄せる作戦という可能性も十分あり得る。

「良いんじゃない」

 豹子はあっさり言う。


「ぶっちゃけ罠だったとしても、立ち会えるだけ好都合よ。同じ三人同士ならまず負けないだろうし」

「三人しかいない保証なんてないわ」蒼葉が強い口調で言う。「もしかしたら十人くらい控えてるのに、偽って三人と言っている可能性だって――」

「……かもねー」豹子は他人事のように言う。「でも数があるなら最初から数で押してるでしょ。十人も手下がいるなら、数じゃ他が団結しても勝てない訳じゃん? 今までこそこそ隠れといてここで潜伏やめて出て来たってことは、数がないってことじゃないの?」


 豹子の言うことにも一理ある。数で押せるなら、潜伏する必然性はない筈。わざわざクイーンの影武者の一人が敗退したところを見計らって潜伏したところを見ると、影武者の数は限られている筈……。

「本当なら、他の候補生が潰し合いきって一人になったところを狙う算段だったんでしょうね」豹子は続けて言う。「でも何故か一人になるまで潰し合わなかった。だから出張ざるを得なかった、ってとこかしら」


 私がハッターにトドメを刺そうとしたのを止めたのはキャットだ。もしあのタイミングで私がハッターを倒していれば、形勢は明らかにクイーンに傾いた。クイーン側から見れば、キャットがどう考えても無意味な仲裁をしたことによって、自らの策が半ば頓挫したと判断せざるを得ず、行動に移らざるを得なかった。クイーンの影武者説を疑っていたとは言え、ここまで周到に読んでいたのか――。やはり恐ろしい相手だ。

「敵の数に関して言えば、大人数を想定する必要は無さそうね」

 豹子の意見に賛同した。仮に人数がいたとしても、影武者は所詮クイーンのデッドコピーに過ぎない。高い防御力は私にとっては仇となるが、倒せない敵ではない。

「どう? 話に乗る?」

 豹子が蒼葉に聞く。蒼葉は肯いた。

 決まりだ。私たち残存のアリス候補生と反クイーン候補生は手を組み、共にアリスクイーンを打倒することに決まった。細かい点を決め、メアドを交換する。山桜桃だけは豹子の私的利用を恐れて交換を拒否したので、山桜桃以外の四人で交換した。


「モチ子ちゃん、今日はもう遅いし、家まで送っていくよ!」

「結構です!」


 豹子は会議が終わって尚、山桜桃にちょっかいを出し続けていた。


「帰ろ」

「はい……」


 朝美は山桜桃の心配をしていたが、私は気にせず帰路につく。

「……ごめんなさい」

 道中、朝美が呟く。


「何で?」

「だって……貴女を巻き込んでしまったから」

「私から見れば、巻き込まれたのはそっちよ」


 元々、朝美はアリス・ウォーの参加者でもなんでもなかったのだから。


「……。――そ、そう言えば、もうすぐですね!」

「もうすぐって?」

「テレビですよ、テレビ番組! ミラクル・ティーパーティ初のテレビ出演です!」

「あぁ――そうね」


 放送日は三日後で、時間は深夜帯だ。


「見なくちゃね」

「え? でも……プロデューサーは朝早いから寝ろって」

「無視するに決まってるでしょ。初テレビよ? 向こうも分かってて言ってるのよ」

「そうでしょうか……」


 朝美はどうか分からないが、私は当然見るつもりだった。


 ――で、当日。


 燐から深夜にLINEが来た。

 ……寝てたらどう落とし前つけるつもりだったのか。

 他のメンバーも起きているようだった。

 朝美もだ。

 もうすぐ、放送が始まる……。

『うわー、もう緊張してる。すごい緊張してる。ヤバいヤバいヤバい……』

 燐はメールでもLINEでもうるさい……。


 だが緊張しているのは私だって同じだ。スマホを握り締める。心臓が早く鼓動しているのが分かった。CMが煩わしい。放送するなら早く――。


 始まった。


 深夜のアイドルを特集する音楽番組だ。MCが挨拶する。

 奥歯を噛み締めながら見入る。MCが本日のゲストを紹介する――。

 来た。来た――! 私たちだ。ミラクル・ティーパーティだ!


『ぎゃああああ! どうしよう私カワイイイイイ!』


 全員で燐のLINEを既読無視し、テレビに見入る。

 間違いない……私たちが、テレビに出ているのだ……。

 全国区だ……。今、このテレビを見ている人全員が、私たちのことを知ってくれたんだ――。

 涙が溢れてきた。

 番組が始まったばかりだと言うのに、涙が止まらない。

 やったんだ――ついに、やったんだ……。

 辿り着いたんだ――向こう側へ。やっと……やっと……!


 夢にまで見た、アイドル。やっと――到達した。


   *


「では、お先に失礼します」

「お疲れさまー」


 今日もレッスンが終わった。全身が怠い。何度やっても体力の限界に直面する。

「最近……朝美ちゃん、帰るの早いですね」

 リゼが呟くように言う。

「試験が近いんじゃない。私もそろそろ勉強しないと不味いし」

 言いながら荷物をまとめていると――。

「ぐ、ああぁああああぁぁあああァァァッ!」

 突如、燐が絶叫し倒れた。


「あぁあああああぁぁあああぁぁぁッ ぐ、ガッ、あぁあああぁぁっ!」

「ちょっと、燐――? 燐――!?」


 駆け寄る。燐は脹脛を抑え、悲鳴を上げる。一体何が――まさか、アリスクイーンからの攻撃……!?


「どうしたの、ねぇ、一体――」

「――えった」

「え?」

「――こむらがえった。ふくらはぎ、こむらがえった」

「……そう」


 私は帰り支度を進める。

「医務室まで運んでぇぇぇッ!」

 ため息をつき――。

「ルナ、林檎、ちょっと手伝って――」

 いない。二人とも。


「逃げやがったなッ!?」

「あの……」


 リゼだけが一人残っていた。

 仕方なく、二人で医務室まで運んでやった。


「――全く、余計な時間かかっちゃったじゃない」

「あはは……」


 リゼと共に帰宅する。


「あの、私こっちですので」

「そうだったわね。じゃ」

「お疲れさまでしたー」

「お疲れー」


 歩き慣れた道を行く。ふとゲーセンが目に入った。大して興味はなかったのだが、出てきた人影に見覚えがあった。朝美だ。

 隣に見知らぬ男がいた。

 無論、プロデューサーでもトレーナーでもスタッフですらない。若い男。ずばり高校生だった。

「――朝美」

 呟かれた言葉は自分の声とは思えないほど濃密で静かな怒気を孕んでいた。

「――アリスちゃん?」

 朝美は呆然とこちらを見る。

 男が動いた。

「えーと、朝美ちゃんの友達? 僕、朝美ちゃんの従兄弟の――」

 スマホを取り出し、弄ってから耳に当てる。


「もしもし? 事務所ですか? ちょっと来て貰えません? はい。プロデューサーも一緒に。はい。場所は――」

「待っ――」


 男は回れ右で逃げ出した。

「……通じるモンね。はったりって」

 電話はしていない。その前にすることがある。


「……アリスちゃん」

「来なさい」


 朝美は素直に私を後をついてきた。手短なカラオケボックスに連れ込む。

「――どういうこと?」

 静かに問う。朝美は黙ったままだ。


「鞄の中、見せて」

「どうして――」

「見せて」

「……嫌です」

「キスしたプリクラでも入れてるから?」


 図星らしい。


「……どういうつもり?」

「どういうつもりとは?」

「どういうつもりかって聞いてんのよッ! アンタ目ェついてんのッ!? それとも契約書は読まずにハンコ押すタイプな訳ッ!?」


 私は朝美の胸倉を掴む。


「分かってます!」

「分かってねぇーから切れてんのが分かんねーのかッ!?」

「わ、私は彼と真剣なお付き合いをしています。清い交際をしているつもりですッ!」

「キスした時点でこの業界じゃ清いも糞もねーんだよッ! そんなことも分からねーのかッ!?」

「なんで付き合っちゃいけないんですかッ!?」

「契約書のコピー百万回読み直せゴラァァァッ!」

「おかしいじゃないですか! 私、女の子ですよ!? 女の子なのに、なんで恋愛しちゃいけないんですかッ!?」

「女の子である前にアイドルだからだッ!」

「こんなの人権侵害です! 間違ってます! 人間には自由に恋愛する権利があるのに、どうして……!?」

「……本気で言ってんの?」

「……私は本気です」

「そう。なら教えてあげるわ。私たちが恋愛しちゃいけないのはね、要するにエゴよ」

「エゴ?」

「エゴイズム。端的に言って我儘よ。でもそれはアタシたちアイドルだけのエゴじゃない。ファンや、事務所のエゴでもあるからよ」

「わ、私が何のエゴを――」

「ちやほやされたいっていうエゴよ。そのエゴを成立させてんのが、事務所やファンのエゴよ! 要するにアタシらは一種の共犯関係を結んでるのよ」

「私は――私はただ……」

「確かに。ただ歌って踊りたいだけの女の子にとっては、事務所やファンのエゴなんて知ったこっちゃないでしょうね。でもね、私たちはプロよ。更に言わせて貰えばね、アンタが如何にファンや事務所のエゴを否定してもね、確実なことが一つだけあるわ。てめーがルールを破っておきながら、ルールが悪いなんて抜かすのは、人間として最低のエゴだってことよッ……!」


 朝美は沈黙した。

「貴女は許されないことをした。もしバレたらメンバー全員に迷惑かかるのよ? 理解してるの?」

 朝美は沈黙した。

「黙ってねぇで答えろォッ!」

 だが朝美は――。

「フッ――」

 笑った。


「何がおかしいの?」

「いえ……やっと分かりました。貴女の本性が」

「私の本性?」

「貴女の女狐っぷりは、正直尊敬してたんですよ。私はあそこまで媚媚になれないってね」

「……どういう意味?」

「でも合点が行きました。最近は、色々ありましたからね」

「何勝手に納得してるのよ……!?」

「――アリス・ウォー、いつから始めてるんです?」


 朝美がこちらを鋭く見やる。


「急に何?」

「私が聞いたところでは、ミラクル・ティーパーティ結成前からだそうですね」

「それが何なの……!?」

「貴女は卑怯者だ」

「――何故?」

「貴女がここまでのし上がったのは、貴女本来の力ではないからです……!」

「何……?」

「だってそうでしょう? アリス・ウォーのルール。勝てば勝つほどカリスマ性が手に入る。しかも敵であるアリス候補生もまた、現役アイドル。ライバルを蹴落とせて、自分にはくがつく。まさに一石二鳥ですね」

「戦ったのは私よ! それも実力の内でしょうが!」


 朝美は私の手を払った。

「人を蹴ったり殴ったりして手に入れた、いや奪った才覚で何を偉そうに! 貴女がしたことは犯罪ですよ! 暴行罪! もしかしたら傷害にもなるかもしれない! 犯罪者の分際で、恋人作っただけの私を責めて欲しくありませんね!」

 私は暫し朝美を睨んだ。睨んだ後、口を開いた。


「――正しく言えば、決闘罪よ」

「え?」

「決闘罪。私たちは要するに、互いに傷つけあうことを了承して傷つけあったの。不良のタイマンと大差ないってこと。だから決闘罪」

「それが一体――」

「でも決闘罪も暴行も傷害も日本の法律でしょ?」

「はい?」

「治外法権って知ってる? 歴史の授業で習わなかった?」

「貴女、何を言い出すんですッ――!?」

「だってそうでしょ? 私たちが戦える空間は不思議の国しかない。つまり、日本じゃないの。日本からちょっと他所の国に行って喧嘩しただけ。しかも他所の国は日本と国交してる訳でもない。なら治外法権も同然よ」

「ふざけないでッ――そんな屁理屈――」

「なら警察にでも駆け込めよ、地球儀持ってなァッ! 不思議の国がどこにあるか、指差して教えてやれよッ! 経緯と緯度で伝えても良いぜ!? 伝えられんモンならなァッ!」


 朝美は絞り出すように言う。


「――貴女は最低です」

「最低でもね、消されんのは、業界のルール破ったアンタの方よ」


 私たちは互いに沈黙した。

 私は鞄を取り、カラオケ室から出る。

「別れなさい。密告はしないわ。絶対に流出とかやめてよ? 私たちのアイドル生命に関わる問題だから」

 そのままカラオケボックスを後にした。


 歩きながら考える。


 朝美の言っていることは、一般常識や道徳に照らし合わせれば何一つ間違っていない。むしろ、私の言い分の方が歪で捻じ曲がっている。分かっている。だが――朝美の言い分は何一つ通らない。世界中の人間が認める正論だろうと、この世界では通らないのだ――。


 電車に乗り込み、ふと窓を眺めたところで――あの瞳に気付いた。


 ジャバウォックを倒した時と同じ――修羅の瞳だ。人間性を完全に失った獣の瞳だ。

「――私は」


 私は最低だ。裏切りのショックと保身の余り、相談に乗ることすらできなかった……。怒りの余り、攻撃することしかできなかった……。


 ――自分が恐ろしいと思ったのは生まれて初めてだった。


   *


 朝美との会話はめっきり減った。


 他のメンバーから事情を聞かれることもあった。

 なんでもない、ちょっと喧嘩しただけ、としか言えなかった。


 なんでもない訳がなかった。


 私たち二人は、他のメンバーに言えない重大な秘密を二つも抱えているのだ。

 皆の不信感が昂ぶりに至るのも時間の問題だった……。


 その最中――。


「クイーン本人から連絡が来ました」

 久々にした会話の内容がこれだ。


「……なんですって?」

「数日中に、アリスキャットこと猫屋敷豹子を襲うそうです」

「連絡は?」

「既に」

「そう」

「……疑わないんですか?」

「何が?」

「……私の情報を」

「……一つだけはっきりさせてくれる?」

「何でしょう」

「貴女、アイドル辞めるつもりじゃないわよね?」


 朝美は間を置いたが、「辞めるつもりはありません」とはっきり答えた。


「なら良い」

「信じるんですか?」

「結局、この業界で信じられる言葉って、それしかないじゃない」

「……そうかも知れませんね」


 それで会話は終わった。

 後の連絡は全てメールでされ、戦い当日となった――。


「豹子」


 以前、話し合った海岸に来た。時刻は昼。豹子は休憩時間だ。ここら辺に事務所かレッスンスタジオがあるらしい。


「おっす、アリスちゃん。今日オフ?」

「そう。朝美もよ」

「なーる。……いよいよね」


 二人で海を眺める。


「蒼葉も来るから、多分作戦は成功するわ」

「成功して貰わないと困るよ」

「そうね……」

「どうしたの?」


 豹子が顔を覗き込んでくる。


「べ、別に、何も――」

「何? もしかして、また潰し合う仲になるのが怖いの? でもそもそも別の事務所のアイドル同士なんだから、初めっから潰し合うのは前提じゃない」

「だから違うって」

「なら何?」


 私は逡巡したが、それと分からないように尋ねてみることにした――。

「――恋とか、したことある?」

 豹子は息を呑み、黙す。そして――。


「アリスちゃん、一緒に病院行こ。今日のバトルはキャンセルしてさ」

「テメー、ここで決着つけてやっても良いのよッ!?」

「ご、ごめん、ジョークジョーク……!」


 仕切り直して――。


「じゃあ……その質問のマジ度、マックスなの?」

「……冗談でこんなこと言うと思う? 私らのビジネスで」

「あぁ……そういうこと」


 悟った風に豹子は肯く。


「……内のチームは片思いOKだよ」

「片思い?」

「そう。なんかね、両思いだとヤバいけど片思いならまだ良いんだって。片思いは『交際』って言わないしね」

「……貴女、言ったわよね? 『命短し恋せよ乙女。その恋を切り売りしてんのがあたしらのビジネス』って――」

「言ったね」

「どういうつもりで言ったの?」

「どういうって言われても」

「つまり……本当は恋したいとか思ってる? 両思いで」

「その質問私にするって、身内にはできないって言ってるようなもんだよ」


 黙るしかなかった。図星だからだ。


「……アリスちゃんはしたいの?」

「――いや、今のところは」

「それがある意味一番幸せかもね」

「まぁ、確かに……」

「好きにならない方が幸せってのは、大なり小なりあるから」

「……少女漫画とかによく描いてある」

「でも真理よ」


 豹子は俯き、水面を眺める。


「少女漫画のヒロインはまだ幸せよ。漫画の中とは言え、ヒーローのこと好き好き大好きって言えるんだから。独白に見えてるだけで、口外できるてる分ね」

「どういう意味?」

「世の中にはね――愛だとか、恋だとか、そういう感情を表現する権利を奪われている人間がいるのよ……」

「誰?」

「私たちのファンよ」

「……でもファンレターとか来るわよ?」

「そうよ。だからね、擬似恋愛なのよ……」

「どういう意味?」

「人間ってさ……善人のか悪人なのか、そういうの、気にするでしょ。性善説だとか、性悪説だとか……。だったらさ、人間ってのは、『愛する』生き物なのか、『憎む』生き物なのか、どっちだと思う?」

「……それ、話繋がってる? まぁ答えるとしたら……『愛』じゃないの?」

「両方よ。でもね……対象が重なることは、稀よ。人間ってのはね、『愛したい』人間と『憎みたい』人間がいる……」

「……それって――」

「スポーツができる人間、イケメン、金持ち。そういうのが前者。運動音痴、不細工、オタク、そういうのが後者。別にイケメン好きが悪いとは言わないわ。有能な人間を好きになるのは遺伝子的にも大正解だもの。でも逆も然り。生理的に無理って言葉があるけど、『遺伝子的に無理』って意味なのよ。でもね、だからってそうでない人間を憎んで良い免罪符にはならない……」

「……」

「私たちのファンって言うのはね、今まで憎まれて来た側の人間よ……。『優』でないという理由だけで、忌み嫌われた人間の末路……。でも彼らを生み出したのは私たちじゃない。彼らと同年代の女性……つまり今生きてるオバサンってことね。それなのに、まるで他人事みたいに糾弾してる。こんなものは憎しみの連鎖に過ぎないのよ。同年代の女子に差別され続けた男性が、数十年後に同年代の女性を差別し始めているだけなのよ。これまで表に出すのことできなかった恋愛感情を、私たちになら出せる。だからアイドルを好きになるのよ……しかも、今じゃ、それは男に限ったことじゃない。女性がそうなることも重々有り得ることになった。憎しみの連鎖よ。愛せない人間――憎まなきゃやってられない人間が、あまりにも増え過ぎた……」

「――それを裏切ったら、どうなるの?」

「また別の憎しみが生まれるわ。その憎しみは全く違った形で更に別の憎しみを生むでしょうね。――それが自分に跳ね返ってこない保証なんてどこにもないわ。バタフライ・エフェクトって奴かもね」


 ――憎しみの連鎖。アイドルという職業に対して、そんな考え方したことなかった。


「私たちなんて、本当はいない方が良いのよ。私たちみたいな存在があるってことは、どこかで憎しみがあった、ってことなんだから……」

「意外と厭世家なのね、貴女」

「……冷めてるのよ。冷めてるから、観察しちゃう。貴女より先輩な分、なまじ気付いてるってのもあるでしょうね。いずれ同じ解答に辿り着くわ。ガチな脳内お花畑かエゴイストでもない限りね」


 私と朝美と、豹子。同じアイドルでありながら、見ているものがそれぞれ違う。どれが正しいという話をしたい訳ではないが、他のメンバーも似たり寄ったりなのだろうか。同じ目標を目指している筈なのに、実際に見ているものはそれぞれ違うのだろうか――。多分、そうだ。ルナや林檎に関しては顕著だが、燐やリゼだって、きっと個人の動機を持ってる。多分、燐はボーイッシュさへのコンプレックス、リゼは自分への自身の無さ。短くない付き合いだ。なんとなくではあるものの、分かってくる。多分、向こうも感づいてる。


 なら朝美は――何故男を作ったのだろうか……。


「お、そろそろ休憩時間終わりっ。確かレッスン終わりを狙うんだっけ? じゃ、それまで待機よろしくぅ!」


 豹子は帰って行った。


   *


 時間になった。十分ほど前に不思議の国で蒼葉と合流した。変身しないのは何らかのアクションを起こしたせいで戦闘と見なされ、動画を撮られるのを防ぐためだ。

 時間に遅れて三分、キャットがやってきた。

「やぁ」

 首から下は透明だ。これでクイーンの包囲網から逃れたらしい。


「無事だったみたいね」

「うん。あ、でもパッと見まだクイーンたち来てないみたい。モチ子ちゃんたちの足止め、成功してるみたい」


 変身を解除する。


「動画、どう?」

「まだ」


 台本通りなら、そろそろ集合したクイーンたちの中で、影武者たちが些細な諍いから喧嘩をし始める予定だ。そうすれば動画に撮られるから、攻め時が分かるという寸法だ。

「来た」

 蒼葉が合図した。

「じゃ、行きましょっか!」

 豹子がスマホを掲げる。

 そして――カッコイイポーズを取る。


「え?」と口に出てしまった。

「――アイドルチェンジ!」


 豹子はアリスキャットに変身した。更に――。


「パワフル、チアフル、ニャンダフル! アリスキャット、華麗に参上! ――猫のように舞い、猫のように狩るニャ!」


 決め台詞を言い放った。

 私とハッターは呆然とする。

「……やる気あんの?」

 私は冷えた声音で聞く。


「そっちこそ、ほら早く変身して」

「変身」


 アリスラビットになった。


「ちょっと、そんなんで良いと思ってる訳? 仮にもアイドルが何の魅力もない殺風景な変身して。はいやり直し」

「ことが終わったらアンタから始末してやるからね」


 ハッターも無言で変身する。


「ちょっと! ハッターまで! 前一緒にポーズも決め台詞も考えてあげたじゃない!」

「……頼んだ憶えはないわ」


 時間がないので、作戦の決行に移った。


 最初に、キャットが一人で戦う。これは敵に不信感を抱かせないため。そしてキャットの合図と共に、クイーンの影武者が裏切り、更に私たちが乱入し、クイーン本体に総攻撃を仕掛ける、という筋書きだ。

 木陰からキャットとクイーンたちの戦闘を見守る。相手を油断させるため、最初は敢えて劣勢を演じると言っていたが、演じているか否か、判別がつかないくらいには苦戦していた。


「ふっ――どうやら必殺技を見せる時が来たみたいね……!」


 ――必殺技。叫べば合図だ。


「必殺――ニャンニャン・ラッシュ!」


 ――必殺技?

 一瞬出るのが遅れたが、クイーンの影武者たちは冷静に本体に攻撃した。本体が誰かクイーンたちにはわかる、というのは本当らしい。

「――行くわよ」

 ハッターが飛び出す。

「――あ、待った」

 私も飛び出し、クイーンに向かう。先の攻撃で本体は既に判明した。影武者は間違えて攻撃の対象のならないように距離を取る。


 土塊を蹴り飛ばす。クイーンの影武者を作る能力は非常に強力だ。だが弱点もある。それは影武者を作る以外の能力を明かしてしまうこと。武器は杖とトランプ、特性は防御力が高いこと。この二つは既に割れている。杖は近距離でなければ怖くない。トランプはこうして土塊で対処できる。防御力は数の暴力でぶちのめす。


 いける筈。これで――。


 クイーンは土塊を腕でガードする。トランプは出さない。代わりに土塊が飛んだ瞬間を狙ってトランプが射出される。

 ――しまった。対策されていた。一度クイーンに勝てたから、油断していたのか――。

 だがトランプは私を狙わず、キャットにのみ向かって攻撃する。キャットは避けるが、全ての攻撃を避けきれず爆風を受ける。

 ――何故? 私でも避けられる攻撃をキャットが避けられない。……いや、私が遠距離攻撃を避けきれるのは異音をキャッチする優れた耳があるからだ。この能力がない以上、不意の遠距離攻撃を避けるのは難しい。

 キャットが叫ぶ。


「ごめん、ちょっと時間稼いで!」


 私は投石する。ハッターも帽子を投げ飛ばす。

 クイーンはトランプを展開し防御する。これで時間は稼げた筈――。

 キャットが呟く。

「――ドレスアップ」

 スマホを掲げ、巨大な本の中に閉じ込められる。

 これは――もしかしてクイーンから与えられた、新たな力――!?

 本が開いた。

 中からアリスキャットが現れる。猫耳に猫の尻尾、オレンジを基調としたアイドルの衣装を纏っていた。


「アリス・ウォーキャット。オン・ステージ! ――貴女だけの泥棒猫ニャ!」


 これが……パワーアップ? 見かけが変わっただけじゃ――。


「じゃ、終わらせますか」


 ウォーキャットの首から下が透明になる。私も苦戦した間合いを悟らせないための能力だ。

 クイーン本人が無数のトランプを飛ばす。だがキャットに当たらない。首から上は途中で爆散し、首から下はすり抜けているのだ。

 前に戦った時には、首から下にも攻撃できた。腹に蹴りを入れたから間違いない。――となると、これが新しい能力なのか。透明になっているだけではなく、攻撃がすり抜けるらしい。

 クイーンがスマホを持ち出した。奴もドレスアップするつもりだ。だがウォーキャットは隙を与えず、クイーン本人に接近し、攻撃を開始する。だが武器は見えない。透明な武器の部分は物体に触れられるらしく、クイーンに連続攻撃を放っていく。先ほど首から上にダメージがなかったのは、武器で顔を防いでいたかららしい。

「これで終わりね!」

 クイーンの胸部に亀裂が入った。内側からトランプが覗いている。

「が、ががが、がッ――!」

 黙したまま喋らなかったクイーンの口から声が漏れる。

「どりゃあーっ!」

 そのままクイーンは内側から左右に裂けた。

 無数のトランプと化し、変身が解けた後、チリヂリバラバラになって消滅した……。顔はよく見えなかったが、どこかの学校の制服を着ていた。

 影武者の二人の変身が解けた。どうやら、作戦は成功したらしい。

 私は朝美に声をかける。


「良かったわね」

「えぇ……」


 変身が解けた自分の姿を見ながら、朝美は言う。

「――ねぇ、今日は解散ってこと良いわよね?」

 ウォーキャットが苦し気に呟く。玉のような汗をかいていた。


「アンタ、大丈夫……?」

「正直、大丈夫じゃない。レッスン終えてすぐ、これだもん……しかもこの新しい変身、結構体力使うわ」

「私は当然そのつもりよ」


 ハッターが私を睨みながら言う。

「よし、じゃあ決定! あー、疲れた」

 ウォーキャットは変身を解除し、豹子に戻る。


「あの――皆さん」


 山桜桃がこちらを真っ直ぐ向く。

「ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありません。――そして、本当にありがとうございました。お陰で助かりました」

 頭を下げ、深く礼をする。

 よくできた子だ。親の教育の賜物だろう。

「あーん、モチ子ちゃーん!」

 また豹子は山桜桃に抱き着いた。


「私とモチ子ちゃんの仲じゃーん。そんなに堅苦しい感謝良いよ! どうしてもって言うなら、今度デー――ぐがぁああぁっ!?」


 咄嗟の出来事だった。何かが弾けるような音がしたが、よくわからない。豹子が倒れた。山桜桃の手には――スタンガンが握られていた。


「なッ――!?」

「えッ――!?」


 ハッターと共に驚くも、もう遅い。いつの間にか再びクイーンの影武者に変身していた朝美が、トランプで攻撃して来たのだ。距離が近過ぎて、耳で異音をキャッチしたものの避けきれなかった――。

「――ぐ、キャット、早く! 変身しなさい!」

 市販のスタンガン程度で気絶することはない筈――。

 だが山桜桃は――豹子が手を伸ばしたスマホを蹴り飛ばし、豹子の口腔にスタンガンを突っ込んだ――。


「やめろぉぉぉおおおぉおおぉおおおぉぉぉ――ッ!」


 絶叫し、接近しようとしたが遅かった。

 スイッチが入る。

 豹子はのたうつように痙攣し――動かなくなった。

「――山桜桃、お前……!」

 山桜桃がこちらを見る。

 ――修羅の瞳だった。

 人間性を感じさせない獣の瞳をしていた。私の時と同じだ、間違いない。


「――ドレスアップ」


 静かに山桜桃は告げる。

 山桜桃が本に閉じ込められる。

 開いた。背丈が縮んでいる。影武者と全く同じ姿かたちをする必要がなくなったからか、山桜桃本人と同じ体型。赤を基調とした、レガリア風のアイドルの衣装を纏ったアリスクイーンが現れた――。

 


「アリス・ウォークイーン。華麗に推参。――うんと痛い目に遭わせてあげる」


 ウォークイーンは掌からトランプを生み出し扇のように広げる。手品さながらの手際の良さだった。

 次の行動を予見した――だが動き出す前に、朝美に羽交い絞めにされる。

「――朝美!?」

 トランプは球状に集まり――。

「消え失せろ、マヌケェ――!」

 豹子目がけて落下した。

 爆散――。豹子は生身の体のまま、無数のトランプとなって飛散した……。

「……なんてことを」

 それしか言えない。ハッターも口を抑え、俯いている。

 これは――つまり。

 背後の朝美をねめつける。


「朝美……アンタ、――アンタ私を騙したの!?」

「……アリスちゃんが悪いんですよ。騙されるアリスちゃんがねェ……!」


 山桜桃は肩を鳴らし、こちらへ近づいてくる。


「いやー、演技つらかったわぁ。でも上々ってトコかしらね」

「山桜桃! アンタが……アンタが本当のアリスクイーン本人なのね!」

「言わないと分からないの?」

「待って――!」


 ハッターが叫ぶ。


「じゃあ……キャットが倒したのは……!?」

「影武者に決まってるでしょ! タイミング合わせて変身解除したのよ! 理解力ないわね!」


 私は更なる疑問を思わず呟く。


「――影武者だって、カリスマ性失うんでしょ? なのに何で――」

「あの子、私のファンなのよ。だから利用したの。悪い?」


 ――こいつ、何の罪悪感も抱いていない。

 着古した服を雑巾にして捨てたとでも言わんばかりに、語っている――。

「なんで……!」

 ハッターの声は震えていた。

「なんで――そんなことができるのよッ!?」

 私だって気持ちは同じだった。自分が褒められた人間ではないことは知っている。だがこんな形で他人を――私たちだけでなくファンまで利用し、切り捨てるなんて――アイドルの風上にもおけない人間だ……!

「だって、それ以外に使い道ないでしょ」

 ウォークイーンは悪びれずに続ける。


「アイドルの台詞とは思えないわね。だってファンよ? ファン! それって私のために死んでくれるって意味でしょ? だったらありがたく利用しなきゃ。そもそもアイドルビジネス自体がファンからの搾取で成り立っているのに、今更御託並べんじゃないわよ!」

「応援するのと利用されるのは大違いよ! アンタは他人の人生を利用した挙句、踏み躙ったのよ!? 何の罪悪感も沸かないのッ!?」


 私の怒声すらどこ吹く風だ。

「別に。意外ね。皆そう思ってると、てっきり」

 ――こ、こいつ。

「アンタ本当に小学生なの……? 世間ずれってレベルじゃないわよ……!?」

 ウォークイーンはため息をつく。


「桜川山桜桃――私の名前よ。私が誰だか、分かる?」


 ――何を言っているんだ? ハッターの顔を窺う。ハッターも理解できないらしい。

「……やっぱりね。誰も覚えてない。チーチクチーチクハチチック、って言えば分かるかしら?」

 ――その歌は、確か……!


「思い出した! アンタ一時期テレビ出てた、有名子役じゃないッ!」

「私も思い出した。チクタクハッチの歌で有名な――」

「チクチクハッチよッ! 間違えてんじゃないッ!」


 そうそう、チクチクハッチだ。蜂の着ぐるみ着た子どもが歌ってたCMソング。

 一時期ウザイくらいにテレビで流れてたけれど……。確かニュースかバラエティで七歳って言ってたから、間違いない。十二歳だ。


「子役のアンタが、アイドルやってる訳?」

「ブームが過ぎたのよッ! 仕事がほとんど無くなった! だったらまた人気になるしかないでしょ? 私は返り咲くッ! 再び、芸能界にッ! 一発屋の電波ソング子役だなんて、もう言わせないわッ! アンタたちをブッ潰してねェッ! そのためならファンだろうとアイドルだろうとマネージャーだろうと利用してやるッ!」


 思い切り朝美の足を踏んだ。

 羽交い絞めが解けたところで、朝美を蹴り飛ばす。


「――ハッター。協力しなさい。私、こいつがムカついてたまらない……!」

「――同感よ。小学生だろうと、決して容赦しない……!」


 ハッターが帽子を投げる。丸鋸となり、ウォークイーンに迫る。トランプで防御した隙に、私が新たな変身アプリを起動する。

「――ドレスアップ」

 変身は一瞬で終わった。

 ウォークイーンのトランプが迫る。土塊を蹴り飛ばし全て防ぐ。

 ハッターが新たな変身アプリを起動した。

「――ドレスアップ」

 二人の変身が終わった。

 私はウサギの耳に尻尾、懐中時計に白を基調としたアイドルの衣装。

 ウォーハッターは帽子に黒を基調としたアイドルの衣装。

 ――これが、私たちの新たな力。


「アリス・ウォーラビット。変身完了。――テメーを地獄に送ってやる」

「アリス・ウォーハッター。変身終了。――恨みはないけど、消えて貰うわ」


「舐めんなよ、ド素人共がァァァッ!」


 無数のトランプが迫る。

 クイーンの影武者よりも早い。攻撃力も、先の爆撃で強化されているのが分かった。なら私たちの能力も、上昇している筈――!

 高速移動で接近する。間違いない。今までとは比べ物にならないくらい速い。

 一気に接近し、拳をぶち込む。だが硬い防御力にはばまれた。向こうもパワーアップしている……!

 ハッターが帽子を投げた。丸鋸は回転も速度も上がっている。これなら――。

「――ふん」

 ウォークイーンの周囲にトランプが展開される。私は距離を取り、後方へ退く。無数のトランプは規則正しく壁を作り、ウォーハッターの帽子を防いだ。

「……やはり、キャットが最も脅威、という私の見込みは正しかったみたいね!」

 ――強い。クイーンの影武者には煮え湯を飲まされたから分かる。相性的に、どうしても不利な相手だ。

 背後から迫る異音をキャッチする。

「ハッター! 避けなさい!」

 ウォーハッターと共に避ける。朝美が立ち上がって攻撃してきたのだ。


「ハッター、手分けしない? あいつは私に任せて欲しいの」

「――倒すの?」

「話をするだけよ」

「――ほどほどにね」


 ウォーハッターにウォークイーンを任せ、朝美と対峙する。


「朝美……! 聞かせて貰おうかしら! どういうつもり!?」

「どういう、つもり――ですってぇ!?」


 無数のトランプが迫るが、大した速度ではない。幾らでも避けられる。


「分からないんですか!? どうして私が、貴女を騙したのか! 裏切ったのか! アリスクイーンについたのか!」

「言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」

「だったら言って上げますよ! 超シンプルな理由ですよ! ――貴女が私からセンターの座を奪ったからですよッ!」

「――え?」


 一瞬、反応が遅れた。爆風に巻き込まれる。


「……純粋な実力なら受け入れられた。でも貴女は、卑怯な手を使った! アリス・ウォーという反則でのし上がった! だから許せなかったんですよ!」

「違う――」

「違わないです! 貴女はどうしようもない卑怯者だ! それなのに、努力家面して、センターを気取ってる! 許せる訳ないでしょう!」

「この戦いは――逃げられないのよ! 一度参加したら――!」

「参加を選んだのは貴女自身でしょうが!」

「違う――本当は、仕方なく――!」

「嘘を吐くなぁああああぁああぁぁぁッ!」


 無数のトランプが吐き出され、怒涛の勢いで襲い掛かる。土塊を用いた防御で切り抜けるのがやっとだった。


「貴女は嘘吐きだ! 嘘吐きの悪い子だ! 私は違う! 私は良い子だった! お父さんにもお母さんにもお爺ちゃんにもお婆ちゃんにも先生にだって逆らったことがない! 大人の言うことをちゃんと聞いて育ったんだ! 悪いテレビを見ないようにしてきたし、お勉強だってちゃんとしてきた! 百点取って褒めて貰えるように頑張ってきた! アイドルだって、センターに選ばれて皆喜んでくれた! 褒めてくれた! 『すごいね!』って言ってくれた! なのにお前が奪ったんだ! お前が! 嘘吐きで悪者のお前が! 私からセンターの座を奪ったんだ! 許せない! せっかく褒められたのに! だからお前を消してやる! お前を消してもう一度センターになるんだ! もう一度褒めて貰うんだ!」

「――アンタは、褒めて貰うためだけに、アイドルやってるって言うの――!?」

「そうよ! そのためだけに、頑張って来たのよ!」

「なら何で男に手を出したッ!?」

「だって――仕方がないじゃない。誰も褒めてくれなかった。でもあーくんは違った。あーくんは頑張らなく良いって言ってくれた。これまで頑張ってきた私を褒めてくれた。だから――」

「――アンタ、優等生面がそんなに楽しいッ!?」

「――え?」

「優等生面がそんなに楽しいかって聞いてんのよッ!」

「――優等生面とは何だァァァ!?」


 互いにぶつかり合う。朝美は杖で、私は拳で、戛然と打ち合いを始める。


「優等生面でしょうが! アンタは褒められたいだけ! 他人を思っての行動なんてない! 全部打算で! 利己的で! てめーのためだけの行動じゃない! その癖利他主義ぶって正義面なんて、私みたいなエゴイストより性質悪いわよ!」

「お前に言われたくない! お前みたいな平気で他人を蹴落とせる、真性のエゴイストに、私の気持ちの何が分かる!?」

「そんなに他人を蹴落とすのが怖い!? 傷つけるのが怖い!? 逆らうのも、意見するのも怖いわけッ!? ――ハッ、だったらアンタはただの臆病者よ! 卑怯者って言ったわね! でもアンタは真性の臆病者よ! 一人じゃ何もできない! 他人の評価がなくちゃ前にも進めないチキン女よ!」

「それの何が悪い! 人生は他人あってのものでしょう!? アイドルだってファンがいなかったらアイドルじゃない! 褒めてくれる誰かがいなくちゃアイドルじゃない! アンタみたいなエゴイストは、ファンに愛想に尽かされるのがオチよ! カリスマ性のお陰で人気者の振りができているだけで、実際にはただのボッチ女よ!」

「一人じゃ何もできねぇ癖に偉そうなこと言うんじゃねぇぇぇッ! てめー一人で留守番したことあるか!? 何回留守番した!? 人生の内に何回留守番したってんだ!? 私はほぼ毎日だ! ほぼ毎日だぞ! 両親が共働きだからいっつも一人だった! アンタいつから飯作れるようになった!? いつから一人きりで飯食えるようになった! 炊事、洗濯! 家事の諸々! いつから一人前になった!? いつからなんでもできるようになった!? 他人がいらなくなった!? 孤独に慣れたことがあるか!? 夜中にテレビ見るなっつわれても寂しくてテレビ点けるしかなくて間違えてホラー映画見て一人で怖いのに誰にも縋れず! ずっと眠れずに夜を過ごしたことがあるか!? いつから一人で起きられるようになった!? 毎朝毎朝毎朝毎朝、耳にするのは目覚ましの音とテレビの音だけ! それを何十回何百回と繰り返してきた! 何回鍵を回した!? ただいまって何回言えた!? この料理上手くできたって――何回家族に自慢できた!? ――言えよッ! 言ってみろよぉぉおおぉおおおぉぉぉッ!」


 拳が杖を弾いた。そのまま朝美を吹っ飛ばす。

 朝美は木に背中を打ち付け――動かなくなった。


「う、うぅぅぅ……!」


 なんで……どうして、こんなことに……。

 私たち、同じアイドルグループの仲間なのに……なんで、どうしてよ……?

 どうしてこうなっちゃうのよぉ……!?


「ぐわあああぁあぁぁぁっ――!?」


 背後から悲鳴が聞こえた。ウォーハッターの声だ。

 振り向くと、遠方に――漆黒の炎を纏うウォーハッターの姿があった。

 狂化だ。狂化の能力を使ったのだ。

 だが狂化の能力を使って尚、ウォークイーンは健在だった。消耗してはいるものの、一歩も動けそうにないウォーハッターに比べ、まだ余裕があった。

「……狂犬風情が、私に盾突くからよ……! さぁ、さっさとトドメを――」

 一気に接近し、跳躍する。


「な――!?」

「お前は――お前だけは――絶対に許さないィィィッ――!」

「こいつ――!」


 ウォークイーンはトランプを展開したが、掌に握った土をばら撒き、誘爆させる。


「――なんだと!?」

「消え失せろクソガキィイイィィイィイイィイィィィッ!」


 渾身の蹴りが、敵の胸を貫いた。

 やった……! 勝った……!

 貫かれた創傷からトランプが溢れ出し、宙を舞う。

 敵と目が合った。

 虚ろな瞳をしていた。

 ――修羅の瞳ではなかった。


「――え?」


 貫いた敵はいつの間にかウォークイーンでなくなっていた。

 変身が解けた。

 朝美だった。さっきまで口喧嘩をし、樹木に叩きつけてしまった筈の、朝美だった。

「なん、で――」

 朝美の背後からウォークイーンが現れる。手には球状のトランプが――。

「――やめろ」

 爆発する。朝美共々吹っ飛ばされる。


「朝美……? 朝美……!?」


 起き上がり、朝美を見つける。

 手を取り握る。だが力がない。

 間違いない。朝美の顔だった。変装だとか、そんなものではない。顔が半分吹き飛んではいたけれど――。


「ねぇ……褒めて」

「朝美?」

「褒めて……誰でも良いから、ねぇ……褒めてよ? 良い子の私を、褒め――」


 消えた。無数のトランプとなって消え失せた。


「――朝美?」

「忠義、ご苦労であるゥウウゥウウウゥッ!」


 背後からけたたましい笑い声が聞こえてきた。


「いやー、マジで危なかったわぁ! ウォークイーンの新特殊能力で影武者を盾にできなかったら、私が負けてるところだった! ホント、助かった! 捨て駒は最後の最後まで、残しておくもんよねぇぇぇ! あははははははははははははははは!」

「……朝美も騙したの?」

「はぁ?」

「朝美も、騙したの? 本当は、盾にするつもりで、この戦いに呼んだの? 全部、計算した上でのことだったの……?」

「『想定の範囲内』ってとこかしらね! ここまで時間かけるつもりはなかったけど、十分価値ある動きをしてくれる駒だったわ! 褒めてあげたいくらいよ!」

「なんで?」

「あ?」

「なんでこんなことできるの? 自分のためだけに。他人を。ファンすらも。利用して、いらなくなったら捨てる。人畜無害な顔しといて、周りの人間を騙し抜く。――笑いながら、楽しそうに……なんでそんなことできるの? 辛くないの? そんなえげつない本性を持ってる自分が、嫌にならないの……?」

「本性……? 曲がりなりにも現役アイドルが笑わせんじゃねーよッ!」


 ウォークイーンは吠えた。


「良いか? そもそもこの業界に本性も糞もねーんだよ! 何故か分かるか? 本性なんてモンを見せねーのが当たり前だからだッ! 誰も彼もが根っ子の感情を出さねぇ! 表面の感情を適切に削って取り繕って綺麗に梱包して売り払うのがこの仕事だからだッ! 喜怒哀楽も! 希望も絶望も! 何もかもんも切り売りしてパッケージングして売り払ってどれだけ売り上げを出せるか! それがこの業界だ! えげつない本性だと? んなモンあるに決まってんだろ! あって当然、大前提だ! その本性以外を如何に売り捌けるかが生命線なんだよッ……!」


 ――自分の中で、何かが一線を越えた。


「じゃあな、ウォーラビット! まずはお前からだ! まだ動けるお前から始末する!」


 無数のトランプが私目がけて射出される音が聞こえる。


「『不思議の国のアリス』のアリスは、ハートの女王に逆らって、無数のトランプに巻き込まれて夢から醒める……。まさに史実通り、因果に準えた最後ね……!」


 トランプが迫る――。


「夢から醒めなッ! オバサンよぉぉォッ!」


 爆炎が巻き起こった。


「これにて、――終幕ゥゥゥッ!」

「――アンタがね」


 私はウォークイーンの背後に立っていた。

「――何?」

 私は黙ったままウォークイーンをねめつける。

「何で……何でお前がここにッ!?」

 ウォークイーンは後退し、更にトランプを放った。

「こ、これで――」


 私は再び、ウォークイーンの背後に立つ。

「な、何を、何をしている貴様――!?」

 私は一歩、ウォークイーンに踏み出す。

「待て! 待て動くな!」

 ウォークイーンは動けないままこちらを眺めているウォーハッターに杖を向けた。

「あいつがどうなっても良いのか!?」

 私は黙ったまま、ウォークイーンを睨む。

「くっ……! ウォーハッター! 手を貸せ! こいつはヤバい! ヤバ過ぎる! 一時的に共闘するんだ! 良いな!?」

 ウォーハッターは答えなかった。私と同じように、ウォークイーンを睨んだ。

「し、従わないってんなら――!」

 無数のトランプがウォーハッターに襲い掛かる。

 だが一枚も命中することはなかった。


 私は抱き抱えていたウォーハッターを地面に下ろす。


「……ウォーラビット、貴女――」

「終わらせる」


 ウォークイーンの方へ向かう。

「やめろ……来るな……」

 時間をかけ、歩み寄る。


「来るんじゃねぇええぇぇぇっ!」

「何か言った?」


 私は既に、ウォークイーンの背後にいた。


「まさか、お前――」

「そのまさかよ」


 私は――時を止めた。


 ウォークイーンを蹴り上げる。

 懐中時計の秒針が動いた。ウォークイーンに打撃を打ち込む。

 更に打ち込む。

 これが私の、新たな特殊能力――。

 高速移動の限界を超えた能力――時間停止。


 時が動き出し、ウォークイーンは吹っ飛んだ。

「がッ――!?」

 地面に落下し、全身を強打する。

「ば、バカな――この私が、この――私が、負ける? 子役で一世を風靡して、多額の金を手にした私が――こんな、ド素人共に……!?」

 私はウォークイーンを見下ろす。


「――ま、待って。ちょっと待って。降参……降参よ!」

「この戦いに降参はない」


 時を止める。


 打撃を打ち込み続ける。


 時間切れ。

 ウォークイーンは再び吹っ飛んだ。

 地面に落下する。

「ま、待って……! 本当に、本当の本当に降参です! ほら!」


 ウォークイーンは変身を解いた。


「ほ、ほら、降参です! ま、まさか生身の私を攻撃したりしませんよね? 私、小学生ですよ! 女子小学生! 学生証を見せても構いません! そんな私を、貴女攻撃したりなんかしませんよね!? 虐待です! 児童虐待! 人間として最低の行為です! 屑の中の屑です! 放送禁止ってレベルじゃないです! そんなことしませんよね!? まだ発育途中の体なんですよ? 腕なんて見てください! ほら、こんなに細い! お腹だって、殴られたら内臓破裂しちゃいます! そうでなくても、体に障害が残るかも……! だ、だからっ! ほらっ! 両手だって挙げます! 降参です! 私のパートナーはハートの女王ですよ! きっとリタイアを受け入れてくれます! だからこれでもうおしまい! 貴女の勝ちです! だから戦いはもう終わりっ!」

「――桜川山桜桃」

「な、何っ――?」

「――アンタ、済ました顔してるけどね、許してって泣いて叫ぶまで痛めつけてやることぐらい、朝飯前なんだからね……」


 山桜桃は引きつった微笑みを浮かべた。

「ま、待って――ぶたないで……お願い、ぶたないで……!」

 私は黙って掌を構える――。

「ま、ま――」

 そのまま平手打ちを――。


「ママ、やめてぇぇぇっ……!」


 手が止まった。無意識の行動だった。


「ママ、ママやめてぇぇぇっ! ちゃんと、ちゃんと山桜桃がお金を稼ぐから、ぶたないで、ぶたないでぇ……! 痛いのやだよぅ……!」


 山桜桃は大粒の涙を出して泣き出した。


 手が震える。顎が砕けそうなくらいに歯を食い縛る。


「良い子にするから! 山桜桃良い子にするから! だからぶたないで! ぶたないでぇ……!」


 泣きじゃくる山桜桃。私は深く深呼吸しながら、手を止めた。


 ――私は、私はこんなことがしたくて、アイドルになったんじゃないのに……!


「……白ウサギ、いる?」

「……アリス」

「こいつの話、どう思う?」

「……女王が例外を認めるのは、今に始まった話じゃないけれど……」

「なら信じて良いのかしら?」

「君の自由にすると良い。これはアリスを決める神聖な戦いだ。女王だって、我儘なところはあるけれど、その本質を見失うことはないよ。この子の降伏を許諾する筈だ」

「そう。なら良いわ」


 私はハッターに近づき、助け起こす。


 耳が異音を捉えた。


 時を止めた。


 振り向く。山桜桃は変身し、無数のトランプを射出していた。


 動き出した。


「――かかったなアホが! 二人揃って死に曝せえええぇえええぇええぇぇぇっ!」


 私たちがいた場所は爆炎に包まれる。


「何度騙されりゃ気が済むんだボケ共! 冷静に考えろ! 金の生る木を傷つけるバカがどこにいるよォ……!?」

「知ってたわ」

「え……?」


 時間停止。

 停止終了。


 ウォークイーンの肉体は砕け散った。


「クソババア共ォオオォオォオオォォォオッ!」


 ウォークイーンの最後の言葉だった。

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