◇第二章 アリス・ウォーと長い話

 妙な夢を見た日から数日が経った。


 嬉しい知らせが来た。


 デビューが決まったのだ。


 グループ名は『ミラクル・ティーパーティ』。全六名の新人で構成されたアイドルグループで、私はその中の一人を任されることになったのだ。


 夢にまで見たアイドルデビュー。


 信じられない。でも現実だ。


 これから私は、アイドルになる――。


 トップアイドルはまだ遠い彼方の夢だけれど、その第一歩を踏み出した。こんなに嬉しいことはない。


 今日はそのアイドルグループの顔合わせの日だ。私以外のメンバー、プロデューサーやマネージャーと顔を合わせることになる。


 事務所の会議室に行くと、既に数名のメンバーが集まっていた。互いに自己紹介をする。


「始めまして、私はりん日坂ひさか燐よ。よろしくね」

 日坂燐はボーイッシュで見るからに快活かつ明るいタイプの人間だ。人当たりの良い善人、といった風情。


「私はリゼです。奄美あまみリゼって言います」

 奄美リゼは私たちより一つか二つ年下か、と思ったら一つしか違わないらしい。ツインテールの髪型もあって幼く見える。


「私はアリス。花森アリスよ。……来てるのは二人だけ?」

「いや。あと一人お手洗いに行ってる。因みにメンバーは全員で六人らしいから、あと二人新しく来るっぽいよ」と燐。

「そうなの。……ん?」


 やけにリゼが熱っぽい目でこちらを見る。


「……えーと、どうしたの?」

「花森さんって、東京にお住まいなんですか?」

「うん。リゼちゃんは?」

「私、埼玉から通ってるんです。だから東京の人って、どんな人なのかなーって。やっぱり洒落しゃれてますね、何か!」

「そ、そう……」


 反応に困る褒められ方だ。

「ちょっと! リゼちゃん。私も一応東京都在住なんですけれど」

 と燐が絡む。


「へぇ、どこ」と私は尋ねた。興味が沸いたのだ。

「町田」

「あっ……」

「何その反応! 東京都じゃん! 行っとくけど東京って田舎の方が面積広いからね! 人口はともかく! そういうアリスちゃんはどこ住んでるのよ?」

「武蔵野市」

「ガブリの森の?」


 リゼが食いついた。


「そう」

「一度で良いから行ってみたいんですよね、ガブリの森! 『魔女の快速便』が好きなんです!」


 偶には太宰治先生のことも思い出してあげてください……。

 その後、話題は何故か好きなガブリ映画の話題になった。

 やがて会議室に新たな人物が入ってきた。

「失礼します。皆さん、始めまして。『ミラクル・ティーパーティ』のメンバーの皆さんですか?」

 やけに丁寧な物腰の少女が入ってきた。髪型はボブ。お嬢様……なのだろうか。少なくとも雰囲気は完全に浮世離れしていた。

「私、藤堂とうどう朝美あさみと申します。皆さん、よろしくお願いしますね」

 苗字がもうお嬢様っぽかった。


「よろしくねー。私、日坂燐。で、ちっちゃい方が奄美リゼちゃん。おっきい方が花森アリスちゃん」

「……私、そんなに背高い?」

「でもすらっとしてるよ? 足とか細くて長いし」

「……ありがと。でもちっちゃい方がにらんでるわよ」

「私、そんなにちっちゃくないですよ!」

「身長幾つ?」と燐。

「ひゃ……百四十……です」


 低い……。座っているからそんなに低いとは思わなかった。

「座りなよ。あと二人来るから」

 燐が突っ立っていた朝美に声をかける。朝美は静かに椅子を引き、そこに座った。


「今ね、ガブリの映画で何が好きって話してたんだけど、藤堂さん何が好き?」

「ガブリって、映画の?」

「他にないでしょ」

「トトルが面白そうだと思います」

「……面白そう?」

「家の教育方針で、NHKしか見ないのです」

「……なのに良くアイドルやる許可おりたね」

「社会勉強になる、と」


 矛盾してないか……? とは思ったものの、口には出さない。


「そっかー、NKKか。NHKじゃガブリ放送しないもんね。ドキュメントで見たの?」

「はい。あのモフモフを、一度で良いから味わってみたいものです……!」

「虎バスの良さが分からないとは……あぁ、虎バスは分かる?」


 燐の問いに朝美は首を横に振る。……これは難儀になりそうだ。

 戸が開いた。ノックはない。ヘッドフォンを被った少女が気だるげに歩いてくる。髪型は長髪を後頭部で髪留めを使って折り返している。


「オッス、ツッキー。こちら、メンバーの花森アリスちゃんと藤堂朝美さん」

「花森です」

「藤堂です」


 ツッキーと呼ばれたヘッドフォン少女は軽く会釈し――。

水卜みうらルナです」

 と呟いた。

「……ルナ?」

 視線で燐に訊ねる。

「惑星の月って書いて、ルナって読ませるんだって。月の女神の名前なんだって。すごくない?」

 いわゆるキラキラネームか。


「教えてくれたところ悪いんだけど、月は惑星じゃないわ」

「嘘?」

「衛星よ」

「衛星は打ち上げる奴でしょ」


 私は視線を藤堂に向ける。苦笑いしながら説明をしてくれた。

 ルナはヘッドフォンをつけ、音楽を聴きながら少年漫画の週刊誌を読み始めた。

「……ずっとあんな感じなの?」

 とこっそりリゼに聞く。

「はい。ルナさんはすごく歌が上手いらしいんです。だからほら、今も音楽を……」

 なるほど。天才枠、ってところかしら――。

「ということは……あと一人だね」

 燐が腕を組みながら言う。


 時計を確認するとそろそろ集合時間だった。


 五分前、戸が開く。プロデューサーの男性と、マネージャーらしい女性、更に最後の一人のメンバーであるポニーテールの少女が現れた。

 全員で立ち上がり、「おはようございます」と挨拶する。

「えー、皆さん。本日はお集まりくださり、ありがとうございます……」

 プロデューサーは三十代の男性。スーツをきっちり着こなしている。が、印象としてはどこか冴えなかった。いわゆるお誕生日席に座り、喋り始める。


「皆さんが属するアイドルユニット、『ミラクル・ティーパーティ』をプロデュースすることになった、田村一郎です。で、こちらがマネージャーの山田くん」

「どもー、始めまして! 私、山田夕子って言います。今日から皆さんのマネージャーを担当にすることになりましたー。今後ともよろしくッスー!」

『宜しくお願いします!』


 全員で挨拶。

「困ったことがあったら、何でも相談してくれて良いッスからねー」

 山田マネージャーは体育会系女子といった出で立ちで、明朗快活かつ姉御肌な気風があった。

「皆……自己紹介はもうした感じ? じゃ、林檎りんごちゃん。挨拶を」

 プロデューサーは最後に来た少女に声をかける。中学二、三年ぐらいに見えた。


「はいっ! 皆さん始めまして、桐谷きりや林檎です! 特技はバク転。趣味はアクロバットです! 破滅的なエネルギーで、頑張っていきたいと思います」

 まばらな拍手。皆言葉の意味を量りかねているのだ。破壊的の使い方、間違ってないか……と。多分良い意味だと勘違いしている。

「じゃ、他の皆も自己紹介を」


 各自の自己紹介を終え、企画書が配られる。


 企画書にはミラクル・ティーパーティの概要とこれからの計画などが記されていた。

 コンセプトは……奇跡の時間を提供するアイドル。一時の癒しの休息を与えるアイドル……。

「えー、皆さんには、『癒し』をコンセプトに活動して貰います。必然、楽曲はポップなものやバラードが多くなると思います。あらかじめご理解ください」

 早口で歌わされるよりはマシだが……ダンスのインパクトが比例して小さくなることが心配だった。所詮、私は素人だし、プロに意見できる訳ではないが、客観的に見て目立つ歌や振り付けの方が売れると思う。

「今後は資料の通りに働いて貰います。まずはレッスン。歌とダンスね。楽曲が決まり次第、収録になります。……ここまでで何か質問は?」

 その後、今後の計画の事務的な説明が行われ、私たちミラクル・ティーパーティのアイドルは懇親会として近くのファミレスで食事をすることになった。


 ……資料を見る限り、今後の私のすべきことは、ボイトレとダンスのレッスン。今までやってきたことと変わらない。

 ――なんか、思ったよりスロースタートだ。


「なんか思ったよりテキパキ進まなかったね」

 燐がメロンソーダを啜りながら言う。


「……はっきり言うのね」

「ん? いやー、てっきりすぐ曲とか聞かせて貰えると思ったのに、まだ決まってないみたいだから」

「それは――」


 拍子抜けしなかったと言えば嘘になるが……。


「それより癒しだって癒し! 私できるかなー。家族からうるさいって言われなかった日ないんだよねー」

「見れば分かる」

「……ありりんもはっきり言うじゃん」

「……ひさりんもね」


 私たちは互いに此度の話し合いで決定した愛称で呼び合う。互いに柄じゃないのは自覚している。


「自己紹介考えないとなー。でもひさりんかぁ……」

「友達とかからはなんて言われてるの?」

「ヒサスケ」


 咄嗟にフォローの言葉が出て来なかった。


「言いたいこと分かるー! 女子力少な過ぎ私ー!」

「そ、そんなことないですよ……!」と朝美。「そうです、その、大人っぽいところありますよ!」とリゼ。

「良いよねー、二人は。女子力高そうじゃん。五十三万くらいありそう」

「わ、私たちはその、インドア派と言うか……」

「そ、そうです! インドア派です!」

「私も」とルナが言う。雑誌を読みつつフォークでウインナーを食べている。

「ルナリーは不安とかない?」

「……癒しって何さ?」

「そんな哲学的な……」燐は呆れる。

「電子辞書によると、肉体や精神への負荷を軽減、または解消するものや言動を指すそうです」


 真面目に朝美が説明する。


「つまりお客さんが癒しだと思えばそれが癒しな訳だ」

「……実力主義者め」


 恨みがましく燐は言うが、ルナの割り切りには奇妙な好感が持てた。


「で、そこで飯食ってるのは何?」

「ふぁい?」


 林檎は会話に参加しもせず、ひたすら食事していた。


「あー、でも、女の子が食べてる姿に癒される人がいるって、聞いたことありますよ?」とリゼ。

「そんなニッチ狙ってどうすんの!?」と燐。「私たち、これから癒し系にならなきゃいけないんだから、なんかこう作戦考えないと!」

「まずは煩いって家族から言われないようにすることからね」

「はい、努力しますー。そういうありりんだって、ツンツン度下げないと癒せないぞー」

「花森さんはツンデレとか似合うと思います!」


 リゼがとんでもないことを言い出す。

「あー、知ってる。懐かしい! なんか昔流行った奴だ!」燐が食いつく。

 雲行きが怪しいので、否定的なことを言っておく。


「テレビで見たことあるけどさ、あれどこが良いの? ぶっちゃけ何か素直じゃない女なだけじゃない?」

「分かってない」


 訳知り顔でルナが呟く。


「素直でないことの何が悪い? 素直でないからこその魅力もあるのだ」

「……理解に苦しむわ」

「どうせならやって見れば? なんかツンデレっぽい台詞!」と燐。

「えー?」


 謎の無茶ぶり……。

「是非お願いします!」

 リゼも鼻息を荒くしている……。

「なんて言えば良いの?」

 尋ねるとルナが漫画の台詞の一つを指さす。


「えー、こんなことー?」

「レッツトライ」


 ……他人事だと思って。

 仕方なく、漫画を受け取る。


「ツンは全力で! デレは三割しか実力を出せてない感じでお願いします!」とリゼ。

「はいはい」


 台詞を読む。

「はぁッ!? 私のことが好きって、急に何言ってんのよ、ありえない! ……で、でも、本当に、その――わ、……わ……」

 段々恥ずかしくなって声が出なくなった。雑誌に顔を埋める。

 シャッター音。

 リゼとルナが私を撮影していた。無許可で。


「ちょっとアンタたち何してんのよッ!?」

「さっきの、すごく良かったです!」

「ナイス、ツンデレ……ごっつぁんです」

「消せ! 事務所に突き出されたいのかッ!?」

「ありりんばっかずるーい! 私もやるー!」燐が漫画を私から奪う。「はぁー? 私のことが好きって、急に何言ってんのよー! ……でも、本当に私のことが好きなの? ねぇねぇ、好きなの? ねぇねぇ?」

「うざい」


 ルナは容赦がなかった。


「何故だ……」

「わ、私は可愛いと思いますよ?」と藤堂。

「皆さん、ご飯食べないんですか? なら譲ってくれません?」


 林檎は皿を誰よりも早く空にして太々ふてぶてしく言う。

 ……こんなメンバーで、本当にアイドルなんて、やれるのだろうか……?


   *


 アイドルの仕事は計画通りに進んだ。曲が決まるまでひたすらレッスンとボイトレをこなす。ルナは何考えてるか分からない頓珍漢とんちんかんな奴だが、歌声に関して言えばピカイチで誰も敵わない。また林檎も食うことしか頭にない食い意地の張った奴だが、スタミナの高さが群を抜いている。恐らく、ライヴでアクロバティックな運動神経の高さを活かす機会はないだろうが、歌って踊ってもケロッとした顔をしているのは化け物としか思えなかった。

 藤堂は音程と振り付けの正確さに定評があり、滅多に誤ることがない。正に優等生。

 対して私、燐、リゼの三人は特にこれといった特徴もなく、ほぼ平均的な実力だった。他の三人も突出した実力者ではあるが、完璧超人ではない。そういう意味ではバランスが取れているが、何か光るものがないことがアイドルにとって致命的なのは明らかなこと。私たち三人が焦るのは必然だった。

 やがて曲が決定した。

 曲調はポップで馴染み易い普遍的な応援ソングだった。

 ひたすら練習を繰り返し……レコーディング当日。

 ミラクル・ティーパーティのメンバーはスタジオに集合した。

「いよいよね……」燐が呟く。確かにいよいよだ。

 数々のレッスンを熟していく内、自然と誰もが燐をリーダーだと認めるようになっていた。突出した才覚はないが、人当たりの良さが、自分で言うのも難だが個性的なメンバーをまとめるにはうってつけだったらしい。


「誰がセンター取っても、恨みっこなしだよ!」

「当然」燐の熱意に答える。こっから先は一種の個人戦だ。

「望むところです! 正々堂々頑張りましょう!」と朝美。

「負けません! 私だって、いっぱい頑張ったんです!」とリゼ。

「え? ごめん、ヘッドフォンしてて聞いてなかった。何?」とルナ。

「ここら辺、お店ないけどお昼お弁当出ますよね?」と林檎。


 ……団体戦だったこと、あんのかこれ……?


   *


 全ての収録が終わり、後日パート分けが発表された。

 独擅場どくせんじょうとも言えるソロのCメロの担当は……予想通りと言ったら悔しいが、ルナとなった。そして――。

「……デビューシングルのセンターは……藤堂に任せる」


 沈黙とは、時間の感覚を狂わせるものだ。


 仮に三秒足らずのものであったとしても――無限の虚無で空間を支配する。

 だが私なり客観視では、この沈黙はたった三秒だった。


「……すごいじゃん、あさみん」

 最初に沈黙を破ったのは燐だった。

「私、ですか……?」

 朝美自身、驚きを隠せないらしい。

「そ、そうです藤堂さん、すごいです! センターですよ、センター!」

 リゼも褒め称える。

「頼んだわよ、センター」

 私も内心穏やかではなかったが、労いの言葉をかける。

「頑張れ」

 ルナも親指を立て応援する。


「――何でですか?」

 だがはっきり意義を申し立てた奴がいた。林檎だ。

「なんで私のパートコーラスしかないんですか!?」

 そっちか……。

「歌が下手だからだ」

 バッサリだった。

「他に質問は?」

 特に質問も上がらず、会議は終了した。


 センターは藤堂朝美に決まり、それに則った歌とダンスのレッスンが始まった。

 初ライヴの日も決まった。都内のショッピングモールだ。


   *


 ついに初仕事の日。


 今日は休日。人は結構集まる筈。


 控え室に六人全員で待機している。

「……も、もうすぐですね」

 リゼは完全に緊張しきり、小刻みに震えている。

「大丈夫? 震えてるけど」

 声をかけてみたものの――。

「へへへへっ、平気ですっ」

 かんばしい返事は返ってこなかった。

「そういうありりんだって、マイク持ってる手、震えてるよ?」

 燐が指摘する。


「こ、これは――武者震いよ」

「定番定番。大丈夫だって、私たちならやれる。あの地獄のレッスンを乗り越えた私たちなら、絶対大丈夫!」

「軍人みたいね言い種ね……」

「軍人でも何でも良いよ! 大事なのはやれるって自信!」

「そろそろ出番ッスよ」


 山田マネージャーが控え室の戸を開けた。

「そだ、円陣組も!」

 燐が急に提案する。

「エンジン? どこに部品があるの?」

 ルナが呆けたが皆無視し、燐が無理やり円陣に巻き込む。


「じゃ、センター。何か言って」と無茶ぶりする燐。

「えぇっ!? 私ですかっ!?」

「だってセンターでしょ?」

「言い出しっぺのリーダーが何か言いなさいよ……」

「でもスピーチとか苦手だし」


 たしなめたが燐はうなずかない。


「じゃあ……僭越せんえつながら。皆さん、これが私たちの第一歩です! はりきって参りましょう!」

「ファイト!」燐が叫ぶ。皆それに倣い、口々に叫ぶ。

「行きましょう!」


 全員で、舞台へ上がる――。


 曲が始まった――!


『未来 空へ 飛び立つ時だよ

 信じられる 自分たちと go around the world』


 出だしは完璧だ。トレーナーにこっ酷く「出だしの声量が少ない」と怒鳴られ続けた甲斐かいがあった……!


『いつも 明日の 夢を見るよ』


 次は私と燐のパートだ。


『手と手 取り合い ステージで踊ろう』


 よし、大丈夫。


『空の 青さ 感じられるね』


『心に風が 吹き抜けていく』


 また来た。燐とのパート。


『今の 私たち 光り輝いてる』


 次はルナと朝美。その他の私たちはコーラス。


『太陽が 与えてくれた (ファイト! プロミネンス!)きらめきだね』


 サビ――。全力で――!


『未来 空へ 飛び立つ時だよ

 信じ合える 仲間がいるから

 未来 空へ 飛び立つ時だよ

 信じられる 自分たちと go around the world』


 間奏を挟んで二番。それまでダンスで繋ぐ――。


『偶に 過去が 追いついても』


『手と手 繋いで 一緒に走ろう』


『海の 広さ 見渡す限り』


『心の渇き 潤していく』


『今も 私たち ちゃんと輝けてる?』


『太陽が 教えてくれた (ファイト! プロミネンス!)魔法だよ!』


『未来 海へ 漕ぎ出す時だよ

 荒波なんて へっちゃら! 乗りこなそう

 未来 海へ 漕ぎ出す時だよ

 黄金の 羅針盤らしんばんが go around the dream』


 二番も大過なく終わった。次はルナのソロ。


『飛べない 小鳥じゃ ないから(羽を広げて)

 大海原を 羽ばたこう(風に乗ってね!)』


 流石――やっぱり上手い。ソロなのに物怖ものおじもしない――。


『夢や未来 星やお日様

 届くよ 僕たちなら』


 あとはサビの繰り返しと、ラストのサビ――。


『未来 海へ 漕ぎ出す時だよ

 荒波なんて へっちゃら! 乗りこなそう

 未来 海へ 漕ぎ出す時だよ

 黄金の 羅針盤が go around the dream』


 被せて次のサビへ――。


『未来 空へ 飛び立つ時だよ

 信じ合える 仲間がいるから

 未来 空へ 飛び立つ時だよ

 信じられる 自分たちと go around the world』


 ラスト――!


『私たちが go around the dream』


 ――終わった。


 一曲、歌い切った。踊り切った。


 拍手が聞こえる。

 お世辞にも喝采かっさいとは言えなかった。疎らなものだ。でも――。

 やった――やったんだ。

 私は初仕事をやり遂げた。

 プロとして、最初の大金星だ――。


『ありがとうございました――!』


 全員で深く礼し、謝辞を告げる。


 頭を上げ、客席を眺める。

 視線だけ動かして、人影を探す。

 ――いない。二人とも……。

 まぁ、仕方のないことだ。期待していたと言えば、嘘になる……。


「レオン近ヶ原店にお越しの皆さん、こんにちは! 私たち、本日初ライヴをさせていただきました、ミラクル・ティーパーティです」

『よろしくお願いします!』


 朝美の音頭に倣い、再び深く礼をする。

「まだまだ至らぬ、未熟者の私たちですが、今日は名前だけでも憶えていってください! じゃあ――リゼちゃんから!」


 リゼがマイクを両手で持ち、自己紹介をし始める。

「皆さん、初めまして! 酸いも苦いも甘味にしちゃう、妹系癒しアイドル、奄美リゼです! 気兼ねなく、りぜちゃんとかりぜ子って呼んだくださーい!」


 続いて林檎にマイクが渡る。

「皆さん、初めまして! まだまだ未熟な青リンゴ、これから変わるぜ赤リンゴ! スポーツ万能アイドル、桐谷林檎ですっ! よろしくお願いします!」


 とうとう私の番になった。

 ――落ち着け。

 何度も練習してきたじゃないか……。


「皆さん、初めまして!」

 ――『私』を、アピールする最初のチャンスだ……!

「ありりんりーん! 心のベルがりんりんりん! トキメキ・ハートの花森アリスですっ! ありりんって呼んでくれたら、心のベルを、鳴らして、奏でて、歌っちゃいますっ!」


   *


「終わったー!」


 燐が控え室の机に突っ伏す。

 私もパイプ椅子に腰を下ろし、一息ついた。

「皆お疲れッスー、はい、ジュース」

 山田マネージャーが皆に缶ジュースを渡して回る。

「燐ちゃん、大丈夫ですか?」

 朝美が突っ伏したまま動かない燐に近づく。


「何時間も踊らされ続けるレッスンよりキツイってどういうことなの……?」

「初めは皆そんなもんッスよ」


 マネージャーは軽く肩を叩きながら励ます。

「皆体力ないですねー。私なんて全然平気ですよー」

 林檎は缶ジュースの底を引っかきながら言う。

「缶ジュース逆さよ」

 指摘すると大人しく缶ジュースを逆さにしてプルトップを開けた。

「う、うぅ、うぅぅ……!」

 突如、リゼが泣き出す。


「ちょっ、ど、どうしたんスか? 足首でも挫いたッスか……?」

「わ、私……歌詞と、振り付け……間違えちゃってた……!」

「全然分かんなかったスよ、大丈夫、大丈夫ッス。お客さん全員喜んでくれたッスよ……!」


 私もプルトップを開け、ジュースを飲み干す。

「歌えてた?」

 隣に座っていたルナが呟く。


「私、歌えてた?」

「……うん」

「歌えてた?」

「大丈夫よ、ね?」


 反対側にいた朝美に尋ねる。


「は、はい! とっても上手でした!」

「歌えてた?」


 マネージャーがやって来てルナを褒め称えた。

 皆、初ライヴを終えて緊張が解けたのか、不安定になりつつある……。私も喉が渇いて仕方がない。再びジュースを呷る。


「あの……アリスちゃん?」

「え?」


 朝美が私の手元を指さす。


「それ、私の――」

「え? あ、ごめん……」


 半分以上飲んでいた……。

「はーい、皆傾注けいちゅう!」

 マネージャーが声を上げる。


「あと少し休憩したら、物販のお仕事になるッスー。グッズを売るのもアイドルの立派なお仕事だから、この後もはりきって欲しいッスー!」

「物販……私たちにできるんでしょうか?」


 朝美が俯きながら言う。


「随分弱気ね」

「だって、私たち、歌やダンスの練習はいっぱいやったのに、販売員の練習は全然やってません」


 ――言われてみれば。


   *


「ほら、皆。お疲れのところ悪いけど、起きるッス!」

 そんな言葉が聞こえて目が覚めた。


 どうやらバンの中で移動中に眠ってしまったらしい。私以外のメンバーも目を擦りながら体を持ち上げる。

「ほらほら、事務所に入るッス。あとは反省会だけッスから」


 私たちは事務所に入り込み、反省会を行う。プロデューサーを中心に、どこが良かったのか、悪かったのか、改善するにはどうすれば良いのかを話し合う。

 反省会が終了し、解散となった。


 帰りの電車の中で、ぼんやりと今日あったことを思い出した。

 ――夢にまで見た初ライヴ。

 望んでいたものの筈なのに、緊張しっ放しだったのは仕方のないことなのか……。

 もっと楽しい場所だと思っていたのに、恐怖さえ感じたのは普通のことなのか――。

 いや……ここで臆してはいられない。

 私の目標は何だ? テレビだ。テレビ出演。テレビに出られるほどの人気アイドルになることだ。

 絶対に……叶えてみせる。


 ――で、早く帰って寝よう。


 今日はもう疲れた……。


   *


 二度目のライヴはライブハウスでの仕事となった。


 私たちの他にも多数のアイドルグループがライヴを行う。

 ライヴハウスに入るのは初めてだ。

 私たちミラクル・ティーパーティ以外にも様々なアイドルがライヴに参加している。

 お手洗いに行く途中で、壁に様々なアーティストのポスターが張られているのが目に入った。

 だがスタッフの男性がポスターを剥がし、再び新たなポスターをつける様をみると、業界の新陳代謝というものをまざまざと見せつけられる。


 偶々スタッフが剥がしたポスターの一枚に目が留まる。

 ポスターに写された顔に見覚えがあり、思わずスタッフに声をかけた。


「すみません、そのポスター、見せていただいても構いませんか?」

「えぇ、どうぞ」


 受け取り、ポスターを開く。

 ユニット名は……『バタフライ・エフェクト』。……確か、カオス理論だったか。

 間違いない。ポスターに写っている少女の一人が、イモムシと共にいた少女だったのだ。あの子もアイドルだったのか……。


「ありがとうございました」

「欲しいならあげるけど……」

「いえ、大丈夫です」


 ユニット名は覚えた。後はスマホで検索すれば良い。

 スマホの液晶画面を見たが、時間が迫っていることに気付き、検索は後回しにした。


   *


 ライヴ自体は成功だったと思う。

 控え室で休んでいる時も、皆の反応は前回に比べれば良いものだった。

 机に突っ伏していた燐も今日は元気で――。

「ちょっと誰!? チョコ全部食ったの!?」

 缶ジュース一つ開けられなかった林檎も――。


「ひひまへん(知りません)」

「アンタしかいないじゃん!」


 泣いていたリゼも――。

「二人とも、他の方に迷惑です。燐さん、これ、私のあげます!」

 譫言うわごとを呟いてばかりだったルナも、少年漫画の週刊誌を読みながら音楽を聴いている。


「アンタたち存外タフね……」

「あの……アリスちゃん?」

「何? 朝美は前も落ち着いてたわね……」

「それ、私の飲み物」

「え? あ……ごめん……」

「……わざと?」


 微笑みが怖い。


「ち、違う! 違うのよ、ほんとに違うの。ついうっかり……そうだ! 買ってくる、新しい飲み物買ってくるわ!」

「え? そ、そんな、ちょっとした冗談――」

「良いって!」


 こうして私は自主的にパシられ、自動販売機に向かう。

 ジュースを買い、ポケットに入れて控え室に戻る。

 戸を開け――。


「――ここは……」


 森の中だ。晴天下の、人も動物も、昆虫さえいない森の中……。

 振り返る。戸はない。これは――一ヶ月以上前に遭遇した――あれだ。


「嘘……じゃあ、あれは――」


 夢じゃなかった。

 鋭い空を裂く音が聞こえる。音のした方角を一瞥し、頭を抱え屈む。頭上を回転する巨大な何かが通過した。過ぎ去った回転物を見ると、シルクハットの形をしていた。


「何故変身しないの?」


 振り向く。背後に少女が立っていた。白いエプロンにフリルをあしらった黒いドレス。髪は黒く、おかっぱで瞳は蒼い。手にはステッキを持っていた。

 エプロンドレスの少女。つまり――。


「アンタもアタシをる気な訳?」

「当たり前でしょう。私たちはアリスよ。『アリス候補生』は、戦い合う運命だもの」


 やるしかない。でも変身ってどうやって――。

 背後から再び回転音。先のシルクハットが戻って来たのだ。避けると少女の手元に帽子が戻った。少女は帽子を被る。

「やぁ、いかれ帽子屋。その子が君の契約したアリスかい?」

 いつの間にか、またウサギが私の肩に乗っていた。


「如何にも。この娘は儂の契約者、『アリスハッター』じゃ」

「いかれ帽子屋って、『不思議の国のアリス』の……? じゃあ、アンタまさか――」

「話は後だよ、アリス。今は変身して」

「いや、だからどうやって――」


 アリスハッターが帽子を構え、投げた。こちらめがけて丸鋸のように回転し、迫ってくる。

 咄嗟に身を屈めて避ける。

「スマホだよ! スマホを使うんだ!」

 ウサギに言われ、スマホを取り出す。画面には懐中時計を模したアイコンが浮かんでいる。


「これかッ!」


 アイコンを素早くタップする。瞬間、巨大な本が現れ、挟まれる。本が開いた時には、依然と同じ妙なコスプレ姿になっていた。

「何か、子どもの頃見たアニメの魔法少女に似てるわね……。ま、魔法少女は殺し合いなんてしないけど……!」

 拳を固め、敵に向かう。確か名前は……アリスハッター。

「ちゃんと変身してくれたね、アリス」

 ウサギは悪びれもせずしれっと言う。

「これが僕の契約したアリス。アリスラビットさ」

 アリスラビット。この姿をした私の名前らしい。

「名前なんてどうでも良いわ。アンタを倒す。それだけよ!」


 間合いを取り様子を見る。再び帽子が丸鋸のように飛んでくる。だが遅い。変身した後なら、素早く移動できる。こいつの飛び道具は、脅威にならない。飛ばされた丸鋸を避け、一気に間合いを詰めた。私の武器はグローブ二つのみ。これで殴るのが基本攻撃だ。ならばまず近づかなければならない。ハッターは私の接近を予想していたようで、動じもせず手に持っていた杖を構える。こいつ――二つも武器があるのか。

 振られた杖を避ける。遅い。こいつは武器を二つも持っているだけで、速さはそれほどじゃない。一気に腹に二発叩き込んだ。更に蹴り入れて吹っ飛ばす。ハッターは派手に飛んだ。背後から迫る帽子の距離を、ウサギの耳で測る。タイミングを見計らい、横に飛んだ。帽子はハッターの元に向かう。持ち主のところに自動的に戻ってくる仕組みらしいが、脅威にはならない。こいつは弱い。少なくとも、私にとって相性の良い相手だ。だったら――。


「一気に決める――!」


 倒れた敵に向かい、間合いを詰める。これで――。

 耳が異音を察知する。迫る異物を警戒し、後ろに退く。目の前を球状の何かが通過した。目で追い、確認する。毒々しい色をしたリンゴに似た果実だった。


「アンタ、良い動きしてるじゃない」


 明朗快活な声音。陰気さのある目の前の少女の声ではない。声の方角を見ると、私たちと同じエプロンドレスを着た少女がこちらに近づいて着ていた。ドレスはオレンジ色で、茶虎色の猫耳と猫の尻尾をつけている。

「猫ってことは、あんた――チシャ猫?」

 少女はにやりと笑う。口が大きいため、三日月のように弧を描いた。

「察しが良いわね。私はアリスキャット。アンタ、ラビットでしょ? キャタピラー倒したって言う」

 キャタピラーって……、日本語でイモムシだから、この間倒したあいつのことか。

「な、何故助けた……!?」

 ハッターがよろめきながら立ち上がる。

「ちょっと、勘違いしないでよ。だってこいつ、一人倒してる訳でしょ? だったら脅威じゃない。速めに潰しておかないと……ね!」

 こちらへ接近してくる。まさか……即席のコンビを組んで、私をしとめるつもりか……!?

 キャットは速い。すぐさまこちらへ近づいてくる。私は拳を構える。集中すれば、より速いスピードで動けることに、前回の戦いで気づいたからだ。

 だが以外にも――否、原作通りに、キャットの首から下は全くの透明になってしまった。生首だけが浮いてこちらに近づいてくるという、不気味な絵になっている。

 拳を構え、間合いに入った瞬間――。

 殴ろうと思った。だが直前に、体に鋭い痛みが走る。何かに切り裂かれたような感覚。だが特殊な衣装で護られているせいか、服が破れたり、血が出たりすることはない。しかし、斬撃の痛覚は確かに身体に刻まれた。一体、何の――。

 再び斬撃。分からない。キャットの武器が分からない。刃物らしいが――種類も、間合いも分からない。どこから来るのかも――。

 次は打撃だった。恐らく、蹴り。そのまま後方に吹っ飛ばされる。

 強い。ハッターとは比べ物にならないほどだ。いや、間合いが分からないという致命的な相性の悪さがある。耳を使っても至近距離である上、相手も相当の速さなので避け切れない。


 どうすれば良い? 考えながら間合いを取る。


「何? どうしたの? 逃げ腰じゃん。大した相手じゃなかったみたいね。これなら、ハッターが倒れてから殺った方が良かったかな?」

「いつでもコンビ解消して良いのよ?」


 ハッターが毒づきながら帽子を投げる。遅いので避けるのは問題ない。だが避けた瞬間、一気にキャットが間合いを詰めてくる。そのまま複数回の斬撃。強力な攻撃だ。奴には素早さだけではなく、パワーもある。


 なら――。


「消えてない顔面狙ってやるッ!」

 勢い良く拳を振り被る。

「へぇ――」

 キャットは余裕綽々で防御体制を取ったが――。

「う、ぐ――」

 腹に私の蹴りを喰らって吹っ飛んだ。

「馬鹿が! 叫びながら狙った場所狙う訳ねーだろッ!」

 中空にノックバックした無防備な胴体目掛け、拳を握り締める。


 だがその瞬間。耳が異音をキャッチする。どこか遠くで大きな音がした。地を揺るがすような歪な音だ。更に、こちらに巨大な何かが飛んでくる音までする――。


 咄嗟に後退する。キャットは中空で回転し、見事に着地した。

 私とキャットの間に、巨木が墜落する。上空から降ってきたのだ。

 何故――? 巨木には根っ子がついている。丸鋸で切断した訳ではない。


「あれれー? ぺっちゃんこになってないですー」


 声のする方向を向く。

 茶色のウサギの耳に尻尾、長髪と紺のエプロンドレス。

 こいつ――また新しいアリスだ。


「ちょっと……待ってよ!? こいつら何人いるわけ!?」


 茶色のウサギのアリスは巨木を軽々と持ち上げる。こいつ――木を地面から引っこ抜いてこちらへ投げつけて来たんだ。

「まぁ良いですぅ。これでフッ飛ばしますからぁ」

 そのまま巨木を振り回す。後退し間合いを取る。あんなものでブッ叩かれたら一溜まりもない。

「ちょっと待ちなさい。アンタ、あそこにキャタピラー倒した奴がいるんだけど、協力しない?」

 キャットは茶色のウサギに呼びかける。


「――ちょっと、汚いわよ!」

「汚い? これってバトルロワイヤルだし。汚いとかないでしょ」


 キャットは白々と言い、茶色のウサギはこちらを向いた。

「ふーん。なら先にあの白ウサギをぺっちゃんこですぅ!」

 巨木が投擲される。思ったより早い。有り得ない程のパワーの持ち主だ。

 避けられるか否か――ギリギリと感じた。


 だが巨木は私まで到達しなかった。


 中空で停止したのだ。

 そのまま位置エネルギーを失い、落下する。

 何が起きたのか――咄嗟に理解できなかったが――。


「確かにルール違反ではないけれど、寄って集っては関心しないわ」


 新たなアリス。灰色の鼠の耳に尻尾、エプロンドレスの少女。

 こいつが私を助けてくれたらしい。


「アンタ……何で私を助けたの?」

「理由なんてないわ。ただこのやり方に賛同できないだけよ」

「この期に及んで綺麗事とか言うのね」


 言いながらキャットがこちらへ接近する。私は臨戦態勢を取る。

 だが耳に遠くから何かが投擲される音を聞いた。

 小さい。けれどたくさん。多分、薄い何か……。

「来なさい!」

 鼠の腕を引っ張り、再び後退する。

 私たちがいた位置にキャットが到達した瞬間、中空から無数のトランプが降り注ぐ。キャットはそれらを諸に浴び、更にトランプが爆発する。

「爆発……!?」

「――あそこよ!」


 驚いていると、鼠が森を見下ろせる丘を指差す。

 そこにはレガリアを身に着けた赤毛の少女が立っていた。女王のような姿形をしているが、エプロンドレスには変わりない。

「アイツもか……!」

 六人だ。今この場には六人もの『アリス』がいる――!


「あんな遠くに……ちょっとハッター、アイツを引き摺り下ろしなさいよ!」

「貴女の命令に従う義務はないわ!」


 キャットに命令されたハッターは容赦なくキャットに向かって帽子を投げつける。だがあっさりキャットは避ける。

「だったら私がやってみるですー!」

 ウサギが再び適当な木を引き抜き、赤毛のアリスに向かって投げつける。巨木が小枝のように宙を舞ったが、途中で無数のトランプ攻撃を受け、爆発四散した。

「来なさい……!」

 こっそり鼠の腕を掴み、調べておいた出口の穴の場所へ移動する。


「何を――」

「良いから来なさい……!」


 そのまま二人で穴の中に入った。


   *


 脱出には無事成功した。どこぞの衣裳部屋付近の廊下に出た。


 二人の変身は解け、元の姿に戻る。鼠は黒髪だった。

「……どういうつもり?」

 鼠は淡々と問う。


「その前にもう一度聞くわ。何で私を助けたの?」

「……言った筈よ。あの子たちのやり方に賛同できないだけ、と」


 ……裏があるとか、そういう感じはしない。


「……まぁ、良いわ。助けてくれてありがとう。で、どういうつもりか、単純に教えて欲しいのよ。これってどういうこと?」

「どういうことって……?」

「だからアイツらよ! アリスがどうとか! バトルロイヤルとか! どういうことなの!?」

「……貴女、何も聞いてないの?」


 鼠は呆れた表情をしている。


「聞いてないわ。つーか、どうやって聞けっての……?」

「スマホに専用の通話アプリが入ってるわよ」

「え……?」


 予想だにしない切り替えしに思考が若干停止する。徐にスマホを取り出し、アプリを探してみる。……あった。『不思議のお茶会』というダウンロードした憶えのないアプリが一つ。……不正アプリかよ。

「じゃあ、話は終わりね」

 鼠は立ち去ろうとする。

「待って。ありがとう。貴女名前は?」

 至極当然の礼儀としてそう言ったつもりなのだが――。

「……名前を訊くのも名乗るのも、説明をしっかり受けた後でも遅くないと思うわよ。……私は『アリスダーマウス』。今のところは、そう憶えておきなさい」

 そう言い残し、アリスダーマウスは立ち去った。

 廊下に一人取り残された私は、取り敢えずアプリを立ち上げることにする。

 通話を示すアイコンがあったので、タップしてみる。すぐ通話待機状態になったが、電話番号の類は表示されない。耳に押し当て、コール音を聞く。

 出た。


『はいもしもし、白ウサギです』

「オイッ! テメッ! 説明しろやゴラァッ! どういうことだテメーッ!」


 つい語気が荒くなるが、訳の分からねー珍妙な生物相手に仏心出すほど初心ではない。

『ひ、酷いよアリス……。僕ウサギだよ……? そんな大声出したら、耳が聞こえなくなっちゃうよぉ……』

 神経を逆撫さかなでするような情けない声が聞こえたが、同情はしない。


「なら耳が聞こえなくなる前に会話を済ませることね。単刀直入に話しなさい。これ、どういうこと?」

『もしかしてアリス・ウォーのことかい……? なら直接会って話そうよ』

「どうやって?」

『都合の良い時間にまた電話してよ。君を「こっちへ」招待するからさ』

「……分かったわ」


 一旦通話を終了する。

 早く控え室に戻ろう……。重い体を引きずりながら思った。


   *


 自宅に着き、シャワーを浴びてから部屋着に着替える。

 正直、クタクタで今すぐ寝たい。だがこの疑問を明日に持ち越すことなんてできない。『不思議のお茶会』のアプリを開き、白ウサギに電話をした。


『もしもし』

「もしもし? 私よ。言ってたわよね、直接会って話そうって」

『うん。じゃ、すぐ近くの戸を入り口にするから、そこから入って』


 通話終了。……何この会話。破局寸前のカップルみたい。その相手が畜生とは……業か何かかしら。


 すぐ近くにある戸……自室と廊下を繋ぐ戸を開く。


 戸の向こう側は森になっていた。夜中の筈なのに、真昼間のように日が照っている。夜がないのかも知れない。すぐ近くに家がある。表札は真鍮しんちゅう。「白ウサギ」と彫られている。これが本名なのか。

 戸をノック。

 戸が開き、白ウサギが顔を出す。


「やぁ、ようこそ、アリス。僕のお家へ」


 部屋の中に入り込む。木製の家の中は、家具も木製ばかりで、電化製品の類は一つもない。だが一つだけ、古めかしいラッパみたいな受話器の電話が置かれていた。


「連絡できるなら、なんでもっと早く連絡してくれなかったの? お陰で酷い目に遭ったわよ」

「忙しいだろうから、そっちの都合に合わせようと思って……」

「こんな訳の分かんないことに巻き込んどいて説明も何もない訳ッ!?」

「ご、ごめんよ……」


 ウサギはすっかり怯え切っている。私が悪者みたいだ。


「ま、まあ、かけて。すぐお茶をお出しするから」

「いらないわ。話終わったらすぐ寝るの。カフェインで眠れなくなっちゃうでしょ?」

「ならハーブティーを用意するよ。それなら平気でしょ?」

「まぁ……」


 白ウサギは動物とは思えない手際の良さでお茶の用意をする。……確か、物を持てる動物って、類人猿と一部のげっ歯類だけじゃなかったっけ……。

 お茶が注がれる陶磁器を見やる。なかなか高価そうだ。


「生意気ね。洒落たティーセットなんて使っちゃって」

「……僕、官僚だよ?」


 ――マジ?


「……年収幾ら?」

「年収って?」

「お給料を年に幾ら貰ってるの?」

「通貨の話をしてるならそんなものはないよ。ハートの女王は気紛れだからね。ご褒美が豪華だったりすれば、そうでもなかったりする。でも基本的に、慎ましやかな生活を送れる程度には貰えているよ」

「名誉職なのね」


 半分嫌味だ。半分だけ。

 お茶がれられ、眼前に出された。


「そろそろ教えてくれない? アリス・ウォーって何?」

「アリス・ウォーはたった一人のアリスを造り出すための儀式さ」

「アリスを……造り出す……?」


 さっそく話が分からない……。


「わざと遠回しに言うようなら怒るわよ?」

「じゅ、順を追って説明するよ……」


 ハーブティーには手をつけなかった。何が入っているか分かったものではないからだ。


「もう僕たちが『不思議の国のアリス』の登場人物だってことは分かってるよね?」

「人物って言って良いならね」

「酷いなぁ……ちゃんと自我があるんだよ? それはともかく、僕たちはアリスの世界の住人だ。ところが長い年月を経る内、この世界からはアリスという存在が消失してしまったんだ」

「どういうこと? 存在って一体……」

「君たちの世界では、確か『不思議の国のアリス』は物語の一つとされているんだったね。でも実際は違う。アリスの物語はね、『現実』なんだよ。こうしてここにあるようにね」

「……ならここ、結局どこなの?」

「ここは『不思議の国』さ。それ以外の何ものでもない。現代人の君には到底信じられないかも知れないけれど、僕たちの国は君たちの世界とは異なる別の時空に存在しているんだ」

「……色々、ありえないものを見てきた以上、そこにツッコムのはやめてあげる。で、続きは?」

「アリスの物語は完全な創作物ではないんだ。僕たちと『本物のアリス』との触れ合いを、偶々観測することのできたルイス・キャロルが一部の脚色を加えてつづった作品なんだよ」

「じゃあ……何? あの本に書かれたことは、少なくともこの世界では『あったこと』なの?」

「まぁ、一部違いはあれど、概ねその通りだよ」


 じゃあ、この世界は幼い頃に夢見たアリスの世界そのもの……? でも――それが戦場なんて、一体何が……。


「僕たちはアリスとお別れしなくちゃいけなかったけど、その際彼女の『存在』を映させて貰ったんだ。それからアリスは僕たちの国の『偶像』として生き続けることになった」

「……要するに、生霊みたいな感じ?」

「言葉で説明するのは難しいんだけれど……そう思って貰って構わないよ。で、その生霊が消えてしまった。僕たちは悲しんだよ。突然のアリスの死に。でもいつまでも泣いていられない。だから女王様が提案したんだ。新しいアリスを迎え入れようって」

「それが……私たち?」

「厳密には違う。君たちはあくまで候補生だ」

「それよ。『アリス候補生』って何なの……?」

「僕たちはまず『代わり足り得るアリス』を探した。だがそんな者はどこにもいなかった。アリスは唯一無二、彼女しかいなかったんだ。代わりなんて見つからなかった。だから造ることにした。新しいアリスをね」


 ――途端、感覚的に話が剣呑な方向に傾いていることを察した。


「……じゃあつまり、私たち『アリス候補生』の中から、『アリス』をオーディションしようっていうの?」

「厳密には違うけれど、そう思って良いよ」

「でもそれと戦うことに何の関連があるのよ?」

「実は、人間には予め、『能力』が定められているんだ」

「え? 何の話……?」

「重要なことだよ。人間には能力が定められている。例えば、どれだけ速く走れるかだとか、賢いかだとか、そういうものが生まれながらに決まっているんだ。勿論、努力次第でその能力に伸び代はあるよ?」

「それって、遺伝だとか、才能だとか、そういう類の話……?」

「そう考えれば分かりやすいかもね。でも中には、どんなに努力しても、薬を使っても変えられない、成長しない能力があるんだ」

「何、それ――?」

「カリスマ性だよ。カリスマ性だけは、どんなに足掻いても変えられない」

「カリ……スマ……?」

「辞書には『人々の心を虜にする強い魅力』みたいな意味で語られているけれど、概ねその通りの意味だよ。ただし、それは原義である古代ギリシャ語『カリス』に由来する、『神からたまわる恩恵』に他ならないんだ。つまり、カリスマ性の高い人間っていうのは、選ばれた人間だけなんだよ」

「待って……取り敢えず、カリスマ性っていうのは、努力でどうこうできるものじゃないのは分かった。それが私の質問とどう繋がる訳?」

「アリス・ウォーはそのカリスマ性の奪い合いなんだよ。負けたアリス候補生のカリスマ性は、勝った候補生のカリスマ性に吸収される。勝てば勝つほど、相手のカリスマ性を吸収できる。だから最後に生き残ったアリス候補生は、他のアリス候補生の全てのカリスマ性を吸収した『アリス』と呼ぶべき存在になれるってこと。それが『アリス創造計画』、通称アリス・ウォーだよ」

「それ――負けた方はどうなるの?」

「全てのカリスマ性を失う」

「だからッ! そうなるとどうなるのよッ!?」

「一生誰からも見向きもされない人生を送るんだよ。仮に実力、才能、運や諸々があったとしても、カリスマ性がなかったら決して報われない。誰も注目すらしないからね。だから一生誰からも好かれることなく人生を終えるよ」

「い、一生……?」


 一生、誰からも好かれない人生……。それって、ずっと一人きりってこと……?


「基本、カリスマは万能じゃない。カリスマがあっても他が駄目過ぎると意味がないことはあるけれど、逆にカリスマがなかったらどんな才能や実力も無意味だからね。極論、世の中カリスマ性が全てなんだよ。人間に確証を得る術はないけどね」

「待って……じゃあ、アイツ! アイツはどうなったの!? アリスキャタピラー!」

「君が倒したあの子でしょう? 彼女は既に全てのカリスマ性を失っているよ」


 咄嗟にとある可能性に気づき、スマホを取り出す。


「ちょっとここ、電波来てる……?」

「外との通信? ならできると思うけど」


 ネットで検索する。確かユニット名は……バタフライ・エフェクト。

 出た。名前は……須藤すどうつぼみだ。

 更に調べると、ネット掲示板のスレッドが見つかった。その内容は、須藤つぼみの握手会での不人気を揶揄やゆするものだった。

 日付は――私が須藤つぼみに勝利した後の日付。

 じゃあ……この子はカリスマ性を失って、私がカリスマ性を吸収したってこと……? なら――私がアイドルグループに選ばれたのは……。

 だとすれば、全ては現実。つまり、一度でも負ければ、私もまた全てのカリスマ性を失う――。


「いや……いやっ……! そんなの嫌ッ……!」


 寒気を感じ全身をかき抱く。

 誰一人として見向きもされない人生を送る羽目に……。

「や、やめるわこんな戦い! 冗談じゃない! 今すぐリタイアよ!」

 私は立ち上がり叫ぶが――。

「それはできないよ」

 断定的に白ウサギは言う。


「一度戦いに参加した以上、アリス・ウォーには勝利か敗北しかないよ。リタイアなんてものはない」

「ふざけないでよッ! アンタ私にこれからも殺し合えって言うの!?」

「命を奪えとまでは――」

「同じ様なものじゃない! ちょっとアンタどうしてくれんのよッ! なんてことに巻き込んでくれたのッ!?」


 白ウサギの胸倉を掴み持ち上げる。キュウキュウ鳴きながらウサギは弁明する。


「ご、ごめんよ……。でも仕方がなかったんだ。あの時、君を助けるには、君を『アリス候補生』にするしかなかった……。君も力を寄越せって言ったじゃないか……」

「あの時? ――ちょっと待って」


 私は初めてあの森に足を踏み入れた日のことを思い出す。

 そして気づいた。


 嵌められたのだ。アリスキャタピラーに。


 奴の言う術中……それは私を『アリス候補生にすること』だったのだ。白ウサギの説明が正しいなら、カリスマ性を奪うのも奪われるのも、候補生同士の戦いのみ。ならあの時、幾ら私を痛めつけてもカリスマ性を奪うことはできなかった。だが私がアリス候補生になったとしたら話は別。奴の目的は、私をド素人のアリス候補生にし、倒してカリスマ性を奪うことだった。だが予想外に私が強くて、逆転され敗北してしまった……。


「酷いよアリス……急に手を離すなんて……」

「ねぇ、貴女、そのアリスって、アリス候補生って意味で言ってるの?」

「それ以外に何があるのさ?」

「じゃあ、私の本名知らない訳?」

「そりゃ……名乗られてないし」


 こいつは別に、私の名前を知っていた訳ではなかった……。――なんて、茶番。


「……冗談じゃないわよ。何で……? 何で私がこんな目に遭わないといけないの? 私、普通の女子高生よ? 十代女子だってのに、何で戦わないといけないのよ……!? こんなの普通じゃない、私がやって良いようなことじゃないわ……! どうして――こんな目に――」

「……ごめんよ、アリス。もっと誠実に対応するべきだったね。……でも、このくらいのことは、覚悟の上だろう?」

「――は?」


 この畜生――何をほざいている――?


「ピーターラビットの父親の死因って知ってる? ――うさぎパイよ」

「……お、怒ったのなら謝るよ。でも君だって、易々やすやすと負けるつもりはないだろう?」

「当たり前じゃない……! 負けたら人生ガチで終了よ……!」

「ぼくたちだって、本気でこの戦争に臨んでいるんだ。失敗は許されない。だから不思議の国に入れる人間は、ちゃんと選別しているんだ。君は選ばれたんだよ」

「選ばれたって――?」

「いざ戦う段になって、『やっぱり無理、戦えない』なんて言われたら困るからね。トップアイドルになる『強い意志』を持つ女の子だけを、選別したのさ」

「――『トップアイドル』」


 ――トップアイドルになりたいですか? 電話の声は確かにそう言っていた。


「……ねぇ、一つ聞きたいんだけど。このアリス・ウォー。勝ち抜いたらどうなるの?」

「『アリス候補生』のカリスマを全て手に入れることになる。一人の人間が、七人分のカリスマを手に入れる訳さ。それだけのカリスマ性があれば、人気者間違いなしだよ!」

「じゃあ……トップアイドルになれるって言うのは……本当なのね?」

「間違いないよ。ただ『アリス』となった暁には、君の『存在』を写させて貰うけどね」

「『偶像』になるってこと?」

「そう」

「……要するに、アンタはこう言いたいの? 『勝てば良い』って」

「そうは言ってないよ……ただ戦う覚悟がある筈だ、とは」


 勝てば――否、勝ち続ければトップアイドルになれるという。だが負ければ、人生は終わったも同然だ。一生を孤独に過ごすことになるだろう。


 ――だが、勝ちさえ……勝ち続けさえすれば、トップアイドルになれる――なら……!


「……良いわ。やってあげる」

「本当?」

「えぇ……。だから教えて頂戴。アリス・ウォーについて。詳しいことをね」


 戦いは醜い。

 その真理をいつになったら人間は受け入れられるのだろう……?

 否、そんな日は来ない。

 人が人である限り、争いはなくならない。

 人間が『欲望』する限り、戦いは終わらない。

 所詮、この世に存在するパイには限りがあるからだ。

 主役が何人もいて良いのは、幼稚園児の演劇だけ。

 いずれ知る。この世で主役を張れる人間は一握り。大多数がエキストラにもならない画面外の存在だと……。


 ならば戦うしかない。


 一握りの『枠』に入るためには――『勝ち取る』しかないのだから。

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