第6話 美織(6)少女の形をした幻影

  

                 ⑸


 どうしても一度会って話がしたい、西江久志に思いきってそう書き送ると、三日後に返事が来た。


『了解した。二月三日の午後二時に槙羽原まきはばらのコズミックカメラで落ち合おう。一階のファストフード店だ。僕の目印はレトロゲームのキャラクターを編み込んだ帽子だ。君の目印も教えて欲しい』


 久志の目印に合わせたわけではないが、僕は古いSF映画のキャラクターTシャツにした。統郷には珍しくひっきりなしに小雪がちらつく中を、僕は約束の場所へと向かった。


 槙羽原は父によるとゼビオン事件の前、つまり2030年代初頭まではPC関連の聖地とも言える街で、PCやネットに関する店舗が溢れていたという。


 もちろん、現在も電気街であることに変わりはないが、中心は家電と電子パーツであってPCを販売する店舗はどこにもない。また、家電も事件の前と後とで、すっかり変わってしまったという。


 以前は操作の簡単な製品はプログラムによって制御されていたが、現在の家電は機械的に制御する物が主流だ。過剰なまでのアナログ化が家電の内部をまるで生物のように複雑化させてしまったのだ。


 それは過去への回帰であると同時に、ある種の進化でもあった。父によると、かつて電化製品はモデルチェンジに合わせて数年おきに買い替えるものであったらしい。


 現在は同じ型の製品をパーツを取り換えながら、長年使うのが普通になっている。あまりに内部の構造が複雑になりすぎたため、精密時計の修理屋のような家電のリフォーム店が大量に存在するのだ。


 コズミックカメラもかつては二つのフロアが丸ごとPC売り場だったというが、今ではその面影は全く残っていない。メインの商品であるアナログ家電以外で目立つのはカメラや時計、家具などだ。


 僕はファストフード店の入り口から見える場所に席を取った。店の奥には本棚と作業ブースがあり、ビジネンスマンや学生が利用していた。テーブルの上には本や書類が山と積まれていて、ハンバーガーやコーヒーが乗っていなければ図書館と見紛うほどだ。


 以前、似たような光景を目にした父が「昔は携帯端末で何でも調べられたのになあ」と嘆いていたのを僕は思い出した。確かに小さな端末ひとつであらゆる情報を得られるのなら、その方が快適に決まっている。一体どうしてこんな世の中になってしまったのだろう?


 そんな事を考えていると、いきなりテーブルの前に人影が現れた。


「君が、野間君?」


 高い声に思わず顔を上げると、目の前に髪を後ろで束ねた小顔の少女が立っていた。


「どうしたの、そんな驚いた顔して。ほら、目印の帽子。ちゃんと被ってきたでしょ」


 どういうことだ、これは。僕が待っているのは文通相手の西江久志のはずだが。

 しばらく黙っていると、少女は腑に落ちたように「あっ、そうか」と叫んだ。


「そう言えば教えてなかったね。ごめんごめん。西江久志こと、縁飛波えにしひなみです。よろしく」


 僕は口をあんぐりさせたまま、目の前の少女を見つめた。女の子だって?


「君があの、昔のことを調べたり、古本屋で雑誌を探し歩いたりしてる、久志?」


「うん、そう。男の子の名前を語ってごめんなさい。本名はなるべく公表しないことにしてるんで、つい別の名前を名乗っちゃったの」


 飛波という少女は、全く悪びれることなく僕に言った。僕は気を取り直すと、そもそもの要件を思い返した。そう、相手の性別が何であろうが、話す内容に変わりはないのだ。


「うーん、ここじゃやっぱり話しづらいかな。場所、変わろうと思うんだけど、いいかな?」


 そう言うと飛波は僕にくるりと背を向け、こちらの希望も聞かずにすたすたと歩き出した。僕は呆気にとられつつ、後に続いた。こうなったらどこへでも行ってやる。


 それから二十分後、僕らは神社の境内に移動していた。人があまり来ないから、というのが理由のようだ。


「さて、何から話そうか。本名は今、言ったし、私の学年は知ってるし……いきなり本題に入ってもいいかな?」


 飛波は自己紹介もそこそこにぺらぺらと喋りだした。ハガキの文面から想像していた「西江久志」とはかなり異なるキャラクターのようだった。


「もともと、私の周りには子供の頃からPCやネットに詳しい大人が多かったの。「ゼビオン事件」の後も、うちの地下室には古いPCや携帯電話がたくさんあって、子供心にもなんだかわくわくする眺めだった。でも『実存党』が政権を取ってからは、なんとなく喋ってはいけないことだな、と思うようになったの」


 飛波は雪がうっすらと積もった境内の土をつま先でつつきながら言った。飛波が語るエピソードは、僕にも共感できる話だった。


「小学校の頃、私はひどいいじめに遭ったんだけど、そのころ、お父さんのPCの先生だっていうおじさんが家に間借りしていたの。おじさんは仕事をしてない時は必ず地下室にいて、PCを操作したり、自分でパーツを組んだりしていたわ。登校拒否気味だった私は、辛いことがあると地下室に行って、その人からPCやネットの話を聞かせてもらってたの」


 飛波は遠くを見る目になって言った。おそらく地下室での時間が、小学校時代の大きな部分を占めているのだろう。


「でもある日、私が家に帰ると玄関の前にパトカーが停まっていた。父にそっと尋ねると、おじさんの居場所を知らないか聞かれたっていうの。おじさんは数日前に仕事だと言って出て行ったきりで、私たち家族は行先すら知らなかった。警察はひととおり調べた後、帰っていったけど、おじさんはそれきり戻って来なかった。私は何か行先のてがかりはないかと地下室を調べたわ。そしたら、PCのカバーの中から私宛のメモが出てきたの」


 僕は背筋がぞくぞくするのを覚えた。まるで冒険小説みたいじゃないか。


「そこにはこう書いてあった。いつかPCとインターネットが再び個人に解放されるときが来る。私はその準備のため、旅に出ようと思う。私の目的は、仲間を集めるためのインターネット・カフェを立ち上げることだ。もちろん、非合法だから雑誌にも電話帳にも載っていない。仲間同士で助け合い、自力で集まってくるのだ。店の名は『零下二七三』」


 メモを見た時の飛波の興奮する様が、ありありと思い浮かんだ。すごい、すごいぞ。


「ようするに、私にそのインターネットカフェを探し出せっていうことなんだけど、なにせ手掛かりがないでしょ。途方に暮れちゃった」


 飛波は足元の雪を僕の方に蹴り飛ばした。たしかに少々、意地が悪いといえなくもない。だが、警察に目をつけられているのだから、そのくらい用心深くなくては駄目だろう。


「で、そういうことに詳しそうな人たちを探したわけ。具体的に言うと、父がよく行っていたエンジニアたちのたまり場に行ってみたの」


「たまり場?工場とか?」


「ううん、普通の喫茶店よ。経営者が元、エンジニアとかで、父を含む元同僚たちのたまり場になってたってわけ」


「そこに来ている人の中に、おじさんの行方を知っている人物がいたわけだ」


 僕が勢い込んで尋ねると、飛波は目を閉じ、ゆっくりとかぶりを振った。


「残念ながら、そこまでの情報は得られなかったわ。おじさんの事を知っている人はいたけど。凄腕のプログラマーだったそうよ。で、おじさんの消息はつかめなかったけど、その代わりに興味深い話を聞くことができたの」


「興味深い話?」


「おじさんと同じようにPCやネットの復権を狙っている団体があって、そこのメンバーに、おじさんの足取りを追っている人がいるって」


「ふうん……おじさんは、その団体には入っていなかったんだ」


「うん。敵対とまでは行かないけど、信用できなかったんじゃないかな。おじさんは一人でインターネットカフェの準備をしようとしてたみたい。連中はおじさんを味方に引き入れたくて行方を追ってたみたいだけど、わずかな手がかりが得られただけで、結局、居場所までは突き止められなかった……というのが、私が人づてに聞いた噂」


「それで?その団体の連中が見つけられなかった場所を、君はどうやって見つけるつもり?」


「暗号があるのよ」


「暗号?」


「そう。団体のメンバーに少し前、ある写真が配られたらしいの。なんでもそれはインターネットカフェの場所に関する暗号を写した写真だそうよ。それを手に入れるわ」


「どうやって?」


「メンバーの一人と知り会いって言う人から、そのメンバーがよく行くお店を聞いたの。君と私でその店に乗り込み、その人と友達になる……それが暗号入手プロジェクトよ」


「暗号入手って……」


 僕はあっけにとられた。友達になるとか簡単に言うが、そう簡単に行くものだろうか。


「友達になる役は、私がやるわ。君は私の作ったシナリオ通りにお芝居をしてくれればいい。近いうちに台本を渡すから。……あ、そういえば君の電話番号、聞いてなかったっけ」


 飛波は僕が異論を挟まないのをいいことに、どんどん話を進めていった。


「ちょっと待ってくれよ、僕はまだ協力するとは言ってない」


「協力しなくちゃ、暗号は手に入らないわよ。それともほかに方法がある?」


「僕は芝居をしたこともないし、嘘をつくのも下手なんだ。うまく行く気がしない」


「うまく行かせるのよ、私と君で」


 飛波はそう言うと、ぐっと顔を近づけてきた。その勢いに気圧され、僕はつい、頷いていた。飛波はバッグからメモ用紙を取りだすと、自分の連絡先を書きつけ、僕に手渡した。


「さ、あなたの番号も」


 僕は言われたとおりに、自宅の電話番号を書いて渡した。


「近いうちに連絡するから、電話が来たらすぐ出てね」


 僕があまり気のりしないまま「わかった」と応じると、飛波は満足げに頷いた。


 僕らは神社の外に出たところで、左右に別れた。単に文通相手に会いに来ただけだった僕にとって、予想をはるかに上回る濃密な時間だった。


 さて、どうしよう。


 とりあえず最寄り駅に向かって歩き始めた僕に、背後から「野間君」と声が飛んできた。


女の子の声だ。飛波か?言い忘れたことがあったのか。訝りながら振り向くと、クラスメイトの松倉奈月が立っていた。


「こんなところで会うなんて、珍しいね。この辺、よく来るの?」


「いや、今日はたまたま……」


「ふうん、そうなんだ。……ね、今、ひま?」


「う、うん」


「……ちょっとつきあってくれない?コーラくらいなら、おごるからさ」


             〈第七回に続く〉


               

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